8 魔物というソウゾウ物の正体は ※魔物の設定
異人勇者たちは提灯を手に、街道から脇道へ入り歩いていく。あんな薄明かりでよく魔物狩りをできるものだ。
「それじゃあ、俺たちは戻ろうか。あーあ、きょうはだめだったな」
吉蔵は乱れた髷に手をやりながら、ふてくされた調子で言う。
弱い魔物とはいえ、すばしっこい化け猫を三匹も相手にしたのだ。ふたりとも確実にレヴェルアップしている。
吉蔵は自分だけが負傷したのと、異人勇者に褒められなかったのが気にくわないようだ。こういうときの吉蔵には何も言わないほうがいい。
町へ向かう。ほかの通行人もいるから魔物に出くわすことはまずないだろう。
魔物。正式名称は“魔法生物”。
ラン語の「schepsel」を生物と訳してはいるが、人やほかの動物とは異なる原理を持った存在だ。筋肉なしで動き、肺なしで鳴き、翼なしで空を飛ぶ、といった魔物もいる。
不思議で危険なこの妖怪どもについて、わかっていることは限られている。
・魔物は、どこからともなく突然現れる。
見通しのきかない所を曲がったり、ふと顔を向けたりした先に魔物がいる。建物の影、草むら、水中などから姿を現す。
・必ず人を認識した状態で現れる。
・そして人に襲い掛かって来る。
複数の人がいる場合、誰かひとりでも魔物を認識すると、まだ認識していない人であっても襲い掛かる。
・殺した人を食うことはない。
・人のいるところ以外には現れない。
・知能は獣以下であるとされている。
・ほかの動物とは互いに、何か動く物体がある、といった認識のようだ。
勘が鋭いとでも言うべき動物もいて、犬が主人の危機を感じ取って守ろうとしたり、訓練した動物などに魔物を攻撃させたりすることもある。そういった場合にはその動物のことも襲う。
・魔除けの護符などで遭遇を回避できるが、絶対ではない。
・殺すと墨よりも真っ黒な石、魔石が残る。
・殺すと魔物を構成する全てが消滅する。
・ふつうの生物にとっての致命傷を与え魔物が人を襲うことが不可能になれば、殺したのと同様に魔物は消滅する。
・強大な魔物ほど、大きな魔石を残す。
・魔石を“活性化”させたときに、魔物の発生範囲と発生率が生じる。
・活性の「強さ」に応じて、発生範囲は広くなる。
・活性化された場所から距離が近いほど、魔物の出現率が上がる。
・活性化させた場所から遠いほど、強い魔物が出現しやすくなる。
ある場所で人が魔物から逃げ切る、殺されるなどした場合、同じ魔物が活性魔石により近い場所に出現する、という仮説がある。魔物は活性魔石に引き寄せられるらしい。
・付近に活性魔石がある場合、活性魔石にも向かっていく。
人を襲うか活性魔石に向かうかは無作為のようだ。多数の人がいれば、それだけ魔石に向かう確率は減少する。
・活性魔石に魔物が触れると、魔石・魔物ともに消滅する。
・その際、ある《《重大な現象》》が起こる。
それを防ぐために魔石を何かで覆ったり囲ったりしても効果がない。魔物が活性魔石に向かう行動を開始すると、あらゆる物質をすり抜けるようになり、魔石に触れてしまう。
殺しても死なぬ存ぜぬ魔物なり
魔物の正体を解き明かす試みは、ほとんど成果をあげていない。死体は残らないし、生きている状態での観測や実験がどういうわけか困難なのだ。
・人が魔物に対して優位な状態が続くと、その魔物は消滅する。
・殺す、あるいは致命傷を与えずに魔物が消滅した場合、魔石は残らない。
魔物に対して調べるという意図が向けられると、その魔物は消えてしまう。捕らえる、足を切るなどして動きを止め、とどめを刺さない状態が続いた場合も同様だ。すぐに消えるわけではないが、解剖や細部の写生など本質に迫ろうとする行為に取りかかろうとすると、たちまちに消えてしまう。
個別の魔物の性質を観察する程度のことは可能であり、距離を取っていれば人と魔物の戦闘を見ることもできる。
・人が一方的に魔物を認識することはない。
人が魔物に向ける注意、特に目線を感じ取ってその人の位置を察知できるようだ。ゆえに、魔物に気付かれないよう隠れて間近で観察することもできない。
魔物には何か、本質の特定を許さないような力が働いているようだ。
発生の瞬間や、人を襲わずにいるところを見た人はいない。ほぼ間違いなく魔物は、人を襲う間のみ存在する。人が魔物から逃げ切ったときも、襲うのが不可能になった時点で消滅したと考えられている。
ついでに、魚の魔物が人を襲うために水から飛び出して、地面でピチピチともがくということは……たとえあったとしても、その魔物はすぐに消えてしまうだろう。
寝る、食う、交尾するといったことをしない魔物は、いかにして生まれるのか。
これもほとんど確実なことだが、魔物の生成には人の想像力が関わっている。魔石を活性化させた地域の伝承や創作に登場する化け物が魔物となって出現するからだ。
この説を裏付けている現象がある。昨年出版された黄表紙本にて創作された妖怪が、最近魔物として出現するようになったのだ。
それは作者、絵師とも屈指の人によるものであった。本草《博物》学のような、妖怪の現実的記述と異人からの評価も高い挿絵によって、人々はその妖怪の姿をありありと見た。
あとがきには【皆我が心の迷いである。人の心の妖怪ほど恐ろしいものはない】と書かれている。
昔の随筆にも、【猫股の話を聞いたばかりの人が夜の帰り道で、飼い犬が飛びついてきたのを猫股に襲われたと思い、川に転げ落ちた】なんて話がある。
怪しきを人の心がつくり見ん
けれども魔物は枯れ尾花ではない。現実に人を襲う化け物だ。
その妖怪本の作者と絵師は役人から取り調べを受けたようだ。
お咎めはなかったようだが、ふたりが釈放されてからも巷では「咎められるべきは御公儀《政府》だろう」と不満の声が漏れていた。
取り調べを行う役人の想像力もまた魔物を生み出しているのであろうし、そもそも魔物の発生には根本的な原因があるではないか、と。
あとがきの続きにある【心の化け物を退治すべし】という文面が、魔物発生に関わっている政府への批判と見なされたからだろう、と言う人もいる。
作者のほうは以前に政府から処罰を受けた経歴があり、目を付けられていたのだ。
ただし、付き合いのある絵師から聞いた話によると、実際には魔物研究のための聞き取りであったらしい。
それでも政府に対する悪評は、まいた種の当然の副産物だ。
ヤマタ人のいない異国の地で、カッパやヌラリヒョンと出くわすことはない。異人勇者もヤマタではヤマタの妖怪を狩る。
ただし、圧倒的少数とはいえヤマタにいる異人の想像力により、異国の魔物が現れることもまれにある。異教の信仰がひそかに残っているとされる地では、その数も多くなるらしい。
地域に関係なく世界中で現れる魔物もいる。不定形で半透明な魔物だ。
【それは、明確な姿は思い浮かべられないが、夜の闇に潜み、部屋の片隅から見つめ、背後から忍び寄る。そんな何者かがいるのではないかという、世界共通の恐怖心が生み出しているのかもしれない……】
と、手引書の魔物解説に書いてある。
魔物発生の根本中の根本である会社、それが発行する書物の言い草としては、いかがなものかと思うのだが。
物語の中では人語を解したり、ときに人と戯れたりもするような妖怪でも、魔物となって現れればただ人を襲うのみ。
それを退治するのが勇者の仕事、すなわち魔物狩りだ。