3 石になり笑う四人の男たち
魔法使いが指先に小さな火を灯した。赤髪に無精ひげの顔が照らされる。
それでふと我に返った。いつの間にか薄暗くなっていたのだ。
ヤシの実を灯明皿にした秉燭の灯心に火が付く。洋卓を囲む男たちがぼんやりと照らされる。皆、一様に押し黙っている。
静かな夕暮れ時だ。カエルと虫の鳴き声だけが響く。虫よけに焚いている香の甘辛いにおいが漂っている。
山奥の宿。高床の建物で、部屋は床上の二階部分。はしご段を上ると屋根も壁もない露台となる。寝室と露台の間には一段分高くなった、屋根はあるが壁のない半屋外空間の居間がある。四人がいるのはその居間だ。
昼間の驟雨の降り始めは覚えている。薄暗くなってもわかるほどの露台のぬれ具合が、きょうの雨も短時間ではあるが激しかったことを示している。しかし、雨が止んだことや、日が沈み始めた時の記憶がない。
どこかにいるヤモリがキュッキュッ、と鳴く。
正面に座る魔法使いがキュウスから椀に液体を注ぐ。
椀を額の前に掲げ、異国の神にささげる祝詞を唱える。
「最も甘美にして、真正なる陶酔をもたらす清流・”草魔”よ。清めたまえ、直会いたまえ」
魔法使いは一口飲むと、飲み交わしのため椀を次に回す。
向かって右側に座るのは黒髪の(自称)騎士。椅子に深くもたれ込み、目を閉じて口元に笑みを浮かべていたが、草魔のにおいでハッと目を開ける。魔法使いから椀を渡されると、いっそうの笑顔になりそれを額に掲げる。
「我が草魔よ、我が神よ。我は汝を信仰し、洗礼を受けたりし。神の薬草に感謝を」
そう言って騎士は一口飲んで、「お次は、我らが勇敢なる、商人にっ」と椀を回してきた。
草魔。「ソーマ酒」とも呼ばれ、宗教・文化によっては御神酒のように扱われるのだが、正確には酒ではない。薬草を煎じたもので、不思議な酔い方をする。魔法使いや錬金術師に重宝されている「魔法の薬草」なのだが、嗜好品として楽しむ人もいる。自分たちのように。
真正の神聖なれや草魔湯
飲むと、ほんのり甘い。「甘露」などとも呼ばれるが、それはハチミツが混ぜてあるからだ。草魔のみでは茶よりも苦みと渋みが強い。
においを嗅いだだけでもある程度の即効性効力がある。天井を見上げると、屋根のワラ一本一本が薄闇の中で鮮明に見えるような気がする。
向かって左側には金髪の元修道士。ずっとうつむいたまま、テイブルの一点を見つめている。そこに置かれているのは、草魔の入ったすり鉢。すり潰す作業が中断されたままとなっている。椀を差し出すが、反応しない。
「彼は不活性な石になったのさ」騎士が言う。「アーメン」
草魔で酔いつぶれたような状態になることを俗に「石になる」と言う。
騎士の言葉に反応して、ゆっくりと顔を上げる元修道士。
騎士が「おお、沈没船が浮上した」と言って笑う。
元修道士は「ゆれている……」とつぶやく。
ランプの火のことではなさそうだ。彼の視界が船のようにゆれているのだろうか。
差し出された椀に気付くとそれを受け取り、胸元の銀の輪に当てる。そして椀を持った手で円を描く。
「恵み深き、神に感謝を。天国より、霊鳥が運びしこの草魔」
飲んでから魔法使いに椀を渡すと、すりこ木を手に取りそのまま、また動かなくなった。
四人ともまた押し黙る。
草魔の効力はいろいろある。感覚が鋭くなったり、逆に鈍くなったりする。深く意識が沈んだり、わけもわからず愉快になったりもする。
そういった両極端な効力が、特に二元論者の神秘家に好まれているらしい。
カエルの鳴き声に意識を集中させると、音に輪郭があるかのように聞こえる。それが頭の中で跳ね回るように感じたため、今度は虫の音に集中させる。こちらは頭には入り込まず、周りを取り巻いている。悪くない。
竹の椀で水を飲む。これがやけにおいしく感じる。竹の切り口からもいいにおいがする。
ふいに元修道士がうつむいたまま「万物は、神の中で……ゆらいでいます」とつぶやく。そしてまた沈黙。
ヤモリが鳴く。
しばらくして、騎士が「ぷふっ」と吹き出した。
「くっくっくっ」と魔法使いも笑う。
こちらもつられて笑いだす。何がおかしいのかわからない。わからずに笑っていること自体がおかしくなって、笑いが止まらない。
男たちの笑い声が響く。薄闇の中、ランプの火がゆらぐ。
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