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26 いろいろと近くで生で初体験 (1)

 都城域を出ると、市場の城門の前あたりで大きな動物が列になって歩いているのが見える。


 あれは、ゾウだ!


 運河の橋を渡って、道を外れ近くまで歩いて行く。泥で歩きにくいが、もっと近くでゾウを見たい。都城内で聞いた音はゾウの鳴き声だったのだ。

 人が乗っている。どうやら軍隊の列で、集結地点から出発するところらしい。あまり近づきすぎないよう、それでもできるだけそばで見物する。


 ……なんてでかいのだ! 鼻が長い! 牙も長い! 耳でかい! フンもでかい! 木靴を買わねば!


 まさかこんなに早く、それもこんなに近くで見られるとは――……


 泥を跳ね上げて歩くゾウの、首のあたりに御者が乗り、背には椅子が載っていて兵士が座っている。縄で括られた大砲の砲身を運ぶゾウもいる。両脇には銃剣を担いだ兵士が歩く。


 兵士たちに緊迫した様子はない。砲術の訓練に行くのかもしれない。近寄る時にはこちらに目を向けてきたが、ひとりで歩いている異人勇者だとわかったのか特に警戒されることもない。

 最後尾付近のゾウに乗っている兵士は階級が高いのか、歩いている兵士とは少し服装が異なる。その男は出発する時、明らかな侮蔑のまなざしを向けてきた。


 ……一団が道を遠ざかっていく。王城域に続いて、圧倒された。


 ヤマタにゾウが贈られたのはたしか七十年くらい前、それから十数年は生きていたはずだが、当時の人でまだ存命なのはわずかだろう。

 勇者になってよかった……。おかげで、ゾウを見たことのあるヤマタ人となった。


 それにしても。

 この国は今、隣国との戦の真っ最中なのだ。バノイナ周辺での戦闘は、十年以上前にテャム側が勝利したのを最後に起きていないらしく、人々に戦時下の雰囲気はない。手引書にも、隣国の近くまで行かない限りは戦火に巻き込まれる心配はない、と書かれている。


 この辺りは大河から運河へのちょうど入口であり、都城域のかどにあたる。城壁は要塞になっていて、その対岸であるこちら側、目の前にあるのは寺だ。

 敷地を囲む塀の改修工事中らしく、竹の足場が組まれ、多くの男たちが作業をしている。運河は船同士がぶつかるほど混雑しており、周辺は建材を荷揚げして運ぶ男たちの掛け声で騒然としている。


 水筒の水がもうない。寺で水がもらえるらしいから、見物ついでに水を補給して、華人街に戻ることにする。木靴や笠を買って、そのころには昼飯時になっているはずだ。


 ゾウのフンを避けつつ、寺のほうに進む。ゾウのフンは、でかいわりにそれほどくさくない。


 テャム王国の仏教はヤマタのものとは違うらしいが、寺門の屋根の飾りは楽太鼓や密教の仏像の火炎に似ている。

 入国関で「僧には敬意を払うこと」と言われたし、手引書にも寺院内や僧と接する際の作法の注意書きがある。

 合掌して、門をくぐる。




 寺の敷地内に入ると雰囲気が変わる。塀の外の喧騒は聞こえてくるのだが、香のにおいが漂い、声明しょうみょうのような旋律のある読経の声が響く。

 ゾウを見た興奮から一転して、厳粛な気分になる。


 正面の建物がたぶん本堂なのだろう、ほかの物よりも立派で装飾も多い。

 白い壁と柱、赤い屋根に施された金色の装飾は緻密で、ヤマタの寺では本堂内陣でしか見られないような豪華な外装だ。

 床に上がる階段の両脇には龍の像が据えられている。仏法を守護する龍というのは、この国の仏教でも同じなのだろう。入口の門は閉じられていて、僧たちの読経は別の建物から聞こえてくる。


 敷地はこぢんまりとしているが、由緒ある寺なのだろうか。それともテャムの寺はどこもこのように華やかなのか。

 本堂の周りには灯籠のよう置物があり、尖塔の付いた小さな仏塔のような、こちらも複雑な彫刻物だ。


 読経の声が止む。ややあって、奥の建物から僧たちが出てくる。頭髪だけでなく眉も剃られており、片側の肩を出して橙色の袈裟を身に付けている。

 そばを通り過ぎる僧に合掌して頭を下げる。異人勇者を気にする様子はない。


 そうだ、水をもらわなければ。

 僧たちの出てきた建物に近づくと、少年僧が重ねたバナナの葉を持って出てきた。顔つきはずいぶんと幼い。


 呼びかけの言葉がわからないので、ヤマタ語で呼び止めて、合掌してお辞儀をする。カバンから手引書を取り出し、会話集の項目を見せながら「水」と書かれた所を指差し、空になった水筒を振る。


 テャムでは左手は不浄とされているから、右手で指差して水筒を持ったのだが、これでよかったのだろうか。


 少年僧は何かを言ったあと歩き出したため、付いていく。建物の裏に回ると、水瓶が並んでいる。少年僧はそのうちの一つ、柄杓の置かれた物を指差す。


 テャム語でお礼を言うと、キョトンとした表情になる。

 しまった、とっさに言い間違えてしまった。今のではまるで「ごりがとうあざいます」だ。

 言い直すと、今度は笑いをかみ殺した表情になる。


 華国語もそうだが、テャム語の発音はラン語やエイ語よりもさらに難しい。お礼の言葉も、「ありがとうございまっ」のような発音になる。


 少年僧の持つバナナの葉は食事に使われた物のようだ。僧たちは食後の読経を終えたところだったらしい。

 少年僧は空を指差し、何かを言う。見ると、雲が立ち込め始めている。スコールの予兆だ。


 雨が降りだすまで敷地内を見て、雨宿りしてから華人街に戻ればいいだろう。少年僧は干された袈裟を回収し始めた。


 本堂の裏には、人丈の何倍もある白い仏塔が建っている。これもまた細かい彫刻の物だ。

 仏塔も本堂も、古びた感じがしない。修復されていない建物や塀はかなり傷んでいる。やはり古刹であり、修復と建て替えの最中なのだと見られる。


 僧たちは建物の軒下や菩提樹の木陰など思い思いの場所で、瞑想をしたり経典か何かを読んだりしている。東屋あずまやの屋根の下で在家の信者と思われる人と談笑している僧もいる。


 敷地内をひと通り見終わったころ、雨が降り始める。

 建物の軒下に退避すると、外で作業をしていた男たちがなだれ込んできた。あっという間に建物の軒下は浅黒い肌をした半裸の男たちでいっぱいになる。


 よく見ると中にはヤマタ人や西洋人に近い顔つきや肌の色をした男もいる。たぶん、移民かその子孫だ。


 近くで雨宿りを始めた男たちに、ひとりの男が葉の包みを配り始めた。

 男たちが包みを口に運び、しばらく噛んだあと地面に向かって赤い液体を吐き出す。あの葉の包みがマークか。どうやら寺の敷地内で吐いても問題ないらしい。


 その様子を見ていると、マークを配っていた男が「オマエ、勇者か」と片言のエイ語で話しかけてきた。


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