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おねしょ

作者: 小野島ごろう

 父が、おねしょをするようになったという。

 久しぶりに電話で話した時、母がやっと重い口を開いてくれた。



 遠方の実家は築五十年の木造家屋で、父は二階に寝ている。トイレは一階で、階段を下りるとすぐなのだが、足腰が弱った父は間に合わないことが多い。だから、このごろは自分でも納得して、パンツ型のおむつをはいて寝ている。

 それなのに、横漏れするという。

 シーツは防水のものにしているが、それだけでは寒いので、他の物も敷いている。それも汚れてしまう。

 おむつを吸収力の高い別の物にしたいのだが、父の好みがうるさくて、それもできないという。

 たぶん、「いかにもおむつ」みたいなかさばるものを着けたくないのだろうと想像した。


 父は、小さいころから頑固で、自分が決めたやり方を梃子でも変えない。

 古い服ばかり着るので、母が新しい服を買ってきても、絶対に着ない。数年たって、少し古びた頃にやっと着てくれる。下着は自分で買ったものしか身に着けない。

 潔癖症で、外出の後は手足を念入りに洗い、うがいをする。コロナの流行る何十年も前から、自分のタオルは家族とは別にしている。風呂の時間は長いのに、家族が使った後の湯舟には絶対浸からない。しかも、どんなに夜遅くなっても、自分が最後に風呂に入る。風呂に入った後でないと布団に入らない。

 人が多いところで話しかけると、機嫌を悪くする。人の唾の飛沫が口に入るからだ。


 わたしは、父にほめられた記憶が無い。

 詰め込み教育の真っただ中で、九十点を見せると、しかめっ面で百点を取れと言われた。

 百点を見せると、やはりしかめっ面で、全部百点じゃないとだめだと言われた。

 ほとんど百点を取るようになった頃、中学生になって、百点が難しくなった。

 すると今度は定期考査で一番になれと言われた。

 がんばって一番になったら、しかめっ面で、毎回一番じゃないとだめだと言われた。


 それでわたしは、あきらめた。

 父の思う通りになることは、わたしにはとても無理だ。


 実はわたしは、おねしょ歴が長かった。

 小さいころからは頻度は減ったものの、小学校六年生くらいまで、たまにおねしょしていた。

 夢で、トイレに行く。または、海水浴に行く。ここでなら大丈夫と思って、お腹に力を入れて。

 おしりの下がじんわりと熱くなって、あ、しまった、と思った時はもう遅い。

 階段を下りてパジャマと下着を着替え、バスタオルを何回か折って現場に敷いて、その上にまた寝た。

 自分の体重と体温で、できるだけ布団から湿気を取り除こうという、子どもの浅知恵だった。もちろん湿気も臭いも残るし、シミも残る。

 起きたら、バスタオルを洗濯機に放り込んで、何もなかったような顔をしていたが、母はすぐに気が付いて情けなく思っていたことだろう。

 もう何十年も前の黒歴史で、ほとんど他人事に思える。


 しかし、あの強権的な父が、おねしょで恥ずかしい思いをしていると思えば、たまらない。いたたまれない。

 強権的で、すぐ怒鳴り出す沸点の低い父ではあったが、わたしも中高年になった今、そのころ父が抱えていたものをいろいろと思いやれるようになった。

 そして、決して悪い父親ではなく、むしろ不器用なだけで、彼なりに誠実に頑張っていたことも。

 人付き合いが苦手で、会社の居心地が悪くて、それでも毎日自転車を漕いで出勤していった。


 退職してからは、もう会社で嫌な思いをしなくてもよくなった。一日、自分の好きなように過ごせばいい。

 散歩したり、読書したり、テレビを見たり、パソコンでなにやら数式を打ったり。


 しかし、いつの間にか年月は進み、彼は老いた。そして、彼自身の体でさえ意のままにならなくなった。

 まだ人一倍明晰な頭脳を誇る彼が、どんなに困惑し、恥ずかしい思いをしているだろう。


 誰もが老いる。


 わたしもそのうち行く道だ。


 でも、そうだな、それまでに。

 おしゃれな、とまではいかなくても、おしゃれを邪魔しない、薄手だけど吸水力がとても高いショーツ型おむつができていればいいな。



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