26.今言いたいこと
逆鱗の儀には、大量の竜人の血液と時間のかかる複雑な古代の魔術構築が必要になるらしい。それと、それを馴染ませるための広い土壌も。アダン様がかねてよりその為に所有していたという場所は青く透き通る湖畔の直ぐ傍で、空気が酷く澄んでいて清々しい、青々とした芝が輝く美しい場所だった。初めて見にきた時に、思わずノエルが耳と尾を立てながら、感嘆の声を上げてしまったほどに。アダン様は気に入ってくれて嬉しいと微笑むばかりだったけれど、一体いつからこのために準備していたのだろうと思うほど、そこは草木の一本に至るまで人の手が行き届いていた。
複雑な魔術構築が必要だと聞いていたから、てっきり地面一面にかつて魔女が見せたような魔法陣が刻まれているのかもしれないと思っていたけれど、初めて来た時にしゃがんで地面を凝視しても瑞々しい芝とその下の土しか見えなくて、ノエルは思わず黒い尾を揺らして首を傾げた。その仕草の愛らしさに目元を緩ませながら、アダンは竜人の血を用いた魔法陣はもう土壌に染み込んでいて、肉眼で見えるようなものではないのだとノエルに優しく説いた。熱心にそれを聞いていたノエルは、大きな魔法陣は少し見てみたかった気もするから残念だなと考えつつ、この広い土壌の端から端までアダン様の血が染み込んでいるのだと思うと少し心配になった。竜人の血液は殆ど魔力からできていると知っていても、アダン様の身体は大丈夫なのだろうかと。かつて国中に振りまいても無事だったくらいだから、それとは比べ物にならないほど狭いこの土壌くらいなんて事はないだろうと分かってはいても。
─────そんなことを思い返しながら、ノエルは酷く緊張した面持ちで、遠目にかつてとは比べ物にならないほどの人出があるその場所を見つめていた。
獣人の王の番が初めて正式に民衆の前に姿を現すのと同時に行われる、逆鱗の儀。かつてアダン様が、月がノエルの瞳の色と同じ日になるようにと願ったそれは、二度目の機会では抜けるような晴天の日に行われることになった。これは純粋に次に月が赤く染まる日が遠のいてしまったのと、民衆にとっては自分達の王が狂気に染まり国を荒らしたのが赤い月の浮かぶ日であることから、慶事とするにはあまり良い思い出は残っていないだろうという判断からだった。アダン様は申し訳なさそうな顔でその旨を伝えてくれたけれど、ノエルは全く構わなかった。アダン様と永い時を分け合えるのなら、日取りや環境はノエルにとって重要なことではなかったし、何より晴れの日の湖畔は、アダン様の瞳の色のように美しかったから、むしろ嬉しいくらいで。だから問題はそこではなくて──────────ノエルが、初めて。アダン様の番として、民衆の前に立つことになるということだった。
未だ民衆達の中に色濃く残る、黒猫に対する忌避感。竜王を前にして、態度に出すような者はいないかもしれないけれど─────彼の隣に立つ者として、認められないかもしれない。その恐怖は、いざ当日になり遠目に民衆達の姿が見える今の段になっても、しつこくノエルの心に纏わりついていた。本当であれば、竜人の番が見つかるなんてことは、国を挙げて祝宴が開かれるような慶事だ。番が見つからないことで狂気に侵され表舞台に上がらなくなった竜王アダンは、それでもそこに存在しているというだけで全ての獣人たちを跪かせるほどの求心力があった。それが番を得てもう狂気に侵されることなく復帰するとなれば、これ以上ない朗報に違いないのだ。元々力が全てであり、荒くれ者が多い獣人からすれば竜王が暴れ回った過去も死者が出ていない以上は大した問題ではなく、むしろその比肩するもののない、従うべき実力がより本能に刻まれたというだけのこと。それでも、遠目からでも分かるほどに、民の雰囲気はどちらかといえば沈んでいて、困惑の色すら見えた。─────────それはきっとひとえに、竜王の番が黒猫の獣人だと発表されたから。
王宮を挙げて実際の黒猫獣人の歴史、そして本当の建国神話を周知したとはいえ、それがそう簡単に民に受け入れてもらえるかはまた別の問題だった。今回の騒動に関しての説明が番の詳細に関してあまりに簡素だったのも、それに拍車をかけていて。竜王の手前、誰も何も言う事はなくても、その内心は猜疑心に染まっていた。本当に、黒猫の獣人なんて不吉なものが存在するのか。それが本当に、長年探し求めた我らが竜王の番なのか、愛情を受ければ豊穣をもたらすなんて何かの間違いなんじゃないのか─────────口に出して言わなくてもそんな心の声が簡単に読み取れてしまうほどには、その場の空気はどこかぎこちなかった。
王宮の者のみが通ることを許される道の中、乗り付けた馬車の窓からそれを見つめていたノエルの顔色があまり良くないことに気が付かないはずもないアダンは、そっとノエルの冷たくなってしまった手を取る。王宮の伝統に則った華やかな衣服に身を包んだ二人は、元々の恵まれた容姿も相まってジスランが感動に咽び泣き、身支度を整えたものが感嘆の息を漏らしてしまうほどには美しかった。ノエルを受け入れてくれた王宮の側近の方々、そして何よりも頬を染めたアダン様に語彙を尽くして褒められたノエルは、どうやったって心が浮き立ってしまって、確かに勇気を貰ったはずなのに。直前にもなって、こんなにも怖気付いてしまうなんて、ノエルは自分が酷く情けなかった。それも、アダン様に励ましてもらうだなんて。
「──────ノエル嬢。大丈夫?飲み物を用意させようか」
「い、いえ……大丈夫です。すいません、直前になって、こんな……アダン様の、隣に立つことを、認めてもらわないといけないのに……っ」
白い顔で、それでもどうにか笑みを作ったノエルに、アダンはそっと眉を下げた。閉鎖的な環境で育ったノエルが衆目に晒されるようなことが過去にあったとしたら、それは少なくともノエルにとって良い場面ではなかったことくらい、アダンには分かっている。それが急に竜王の番として民衆の目に晒されるともなれば、ノエルの顔色が悪いのも当然のことだった。その肩に乗る重圧が、より強いものになってしまったことも。……それでも一刻も早くノエルと儀式を行いたいと急いたのは、アダンの咎だった。体温を分けるようにその手を握って、アダンは優しくノエルに声をかけた。
「……君は、優しくて真面目だから、気にしないでと言うのは難しいかもしれないけれど。今回本当に意味があって重要なのは逆鱗の儀だけで、衆目があるのはただ、君が俺の唯一無二の番だと広く周知するためのものなんだ。誰が何を思おうとそれが覆されることはあり得ないし、気を張ることはないんだよ。認めるとか、認めないとかそんなものではなくて、ただ決定事項を、こうと発表するだけなんだから」
「……はい」
アダン様が本心からそう思い、励ましてくれていることは分かっているけれど。それでもやはり、ノエルは彼の隣に立つことを民に認めてもらいたいと思わずにはいられなかった。黒猫の獣人が番であることで、彼の足を引っ張ることは、絶対にしたくない。アダン様にとってそれが重要でないことは、ノエルにだって分かっているけれど、それとこれとは話が別なのだ。彼の愛と優しさにあぐらを掻いて、彼の背に寄りかかるばかりでは──────ノエルがかつて捨て、そうしてもう一度抱いた夢を叶えるには程遠いのだから。だから緊張している場合ではない、今日だけでどうこうなるような話ではないと分かっていても、重要な第一歩なのだからしっかりしなくては、と悲壮な顔で自分に言い聞かせているノエルと落ち着きなく揺れるその黒い尾を、アダンはじっと、エメラルドの瞳で見つめて。少しだけ考えるように視線を逸らした彼は、それでもひとつ、小さく頷くとノエルの手を引いた。
「……アダン様?」
漸くルビーの瞳にアダンの姿を映した番に、アダンは目を細めると、その指先を伸ばしてノエルの首飾りを辿った。─────かつて己の手で贈り、それから彼女が肌身離さず身につけてくれている執着と独占欲の象徴を。その手つきにただならぬ感情を感じて、ノエルがゆっくりと目を見開くのと、その指先が名残惜しそうに離れるのは同時だった。
「─────俺が、今考えていることを教えてあげようか。……外ばかり気にしている美しく着飾った俺の愛しい番は、いつこちらを見てくれるんだろう。ノエル嬢が思う『認めてもらう』が達成されなかったとき、俺からまさか、離れるつもりじゃないだろうな。……そんなことになれば今度こそ──────」
アダン様の瞳孔が開いたあたりで、ノエルは慌てて引き止めるようにその手を握ると首を横に振った。確かにいつになく弱気になっていたけれど、ノエルは彼に不安を与えたいわけではなかった。それに今更、彼から離れようだなんて、ただの一度も考えたことはない。そんなことになったら、生きていけないのはノエルの方だ。むしろ傍にいたいから、ずっとずっと一緒にいたいから、こんなにもぐだぐだと悩んでいるのに。
「私が今更、アダン様から離れるなんて、ぜったいぜったい、何があったってありえません!どうか信じてください……っ」
勢いこんでそう言ったノエルに、アダンは微かに目を見開いてから、ふっと悪戯げに微笑んだ。その瞳には、もう先ほどの昏い色は見当たらなくて。あれ、とノエルが目を瞬いていると、アダン様の手を取っていた手が優しく握り返された。
「……うん、君を信じてる。でもどうか忘れないで、君が民に認められたいと自分の意思で願うなら、俺も協力したいけれど……それは強制されたものであってはならないし、追い詰められることはないんだよ。だってどんな結果になったって、絶対にノエル嬢の隣には俺がいるし、その事実の方が俺には余程重要なんだから。─────どう?少しは緊張がほぐれたかな」
「あ……」
アダン様を不安にさせてしまったというノエルの焦りは、手が冷たくなるほどの緊張をどこかに追いやってしまったらしい。それとも、彼の掌が体温を分けてくれたおかげだろうか。先ほどまでの絶対に失敗できないというような気持ちが解きほぐされているのを感じて、ノエルは目を瞬いた。なるほど、先ほどの言葉はノエルの緊張を和らげるための冗談だったのか─────と納得してしまうには、彼の瞳は笑っていなかった気がするけれど。それでも彼の説き伏せるような言葉は胸に染みて、ノエルは漸く取り繕ったものでない、柔らかな笑みを浮かべた。
「……はい。ありがとうございます、アダン様」
それを見て、アダンも安堵したような微笑みを零した。どんな表情も声も、アダンはノエルの全てが愛おしいけれど、それでもやっぱり心から笑ってくれているのが一番嬉しい。それがアダンによるものならば尚のこと。────そこで折良く、馬車の扉が遠慮がちに叩かれ声が掛けられた。
「ご歓談のところ申し訳ありません、お二方。そろそろ予定されたお時間になりますが……ご準備のほどは如何でしょうか」
「ジスランさん」
礼服に身を包んだ既にノエルにとっても馴染み深いアダンの臣下である彼は、その深緑の瞳を気遣うようにノエルの方へと向けていた。今日ずっと、ノエルが緊張しきりだったことに気がついていたのだろう。本当に細かいところまで気の届く方だなと尊敬の念を抱きながら、ノエルは安心させるように微笑みを浮かべた。
「────大丈夫です。ありがとうございます」
ノエルの柔らかい表情におや、と少し目を瞬いたジスランは、安心したようにその深緑の瞳を緩めた。どうやら主人は、愛しい女性の緊張を解すことに見事に成功したらしい。先に馬車を降りたアダンから恭しく差し伸べられた手に、ノエルはふわりと見惚れてしまうほどに美しい微笑みを浮かべ己のものを重ねた。何でもない日常の一部であり、それでいて何百年と、気が狂いそうなほど主人が求めていた光景が、今ここにある。それがどうしようもなく老いた目に染みて、ジスランはそっと目頭を押さえた。何度目かも分からないそれに、ノエルとアダンは目を見合わせ、それから揃って苦笑を浮かべる。儀式の最中に彼の目が溶けてしまうんじゃないかと、冗談混じりに言っていたことが本当になってしまいそうだと心の中で呟きながら。……ノエルは真っ直ぐに、これからノエル達が向かう湖畔を見つめた。────────そのルビーの瞳に宿るのは、もう愛しい人の隣を歩むための、深い覚悟のみだった。
──────高らかに竜王の帰還とその名が叫ばれ、アダンに促すように手を取られたノエルは、必死に前を見つめながら柔らかな芝に足を踏み出した。伝統として、終わるまでは民と会話することはないらしく、儀式に必要な場所までは区切られて誰も立ち入れないようになっているけれど、それでも痛いほどに四方から視線が突き刺さる。それが特に、黒い耳と尾に向けられていることは明らかだった。竜王の前で、しかもこれから逆鱗の儀が始まるという時に騒ぎ立てるほど彼らは愚かではないけれど、それでもその視線が好意的なものでないことくらい分かる。いっそ懐かしささえ感じた────それは、村にいた時の視線と、ほとんど変わらないものだったから。どうしたって、あの日投げつけられた冷たい泥が、生まれてからこれまでにぶつけられた言葉が、浮かばないわけではなかったけれど────────でも、今は。
「……ノエル嬢」
隣を見上げれば、アダン様がただ一心に、エメラルドの瞳に熱を灯してこちらを見つめていた。跳ねた鼓動に思わず繋がれた手に力を込めれば、同じだけ握り返されて。
「君と手を携えて、この場所を歩くことを─────俺は、何度も夢に見たんだ。……叶って、本当に嬉しい」
そう噛み締めるように呟く声が、思わず浮かんだようなその笑みが、あんまり嬉しそうだったから。ノエルは思わず視界が滲みそうになって、慌てて瞬きでそれを散らした。繋がれた手が、熱い。そう意識してしまえば、獣人達の否定的な視線なんて、ノエルは何も分からなくなってしまった。ただアダン様が純粋に、漸く儀式が行えることを心から喜んでくれていると知って、共鳴するようにノエルの胸が喜びで満たされていく。そうだ、アダン様が言っていたように────────今日本当に重要なことは、アダン様と漸く逆鱗の儀ができるということ。決して忘れていたわけではなかったけれど、今更のように実感が湧いて、ノエルも湧き上がる喜びに、口元に薄く笑みを敷いた。……微笑み合う二人があまりに嬉しそうで、美しくて、民衆が思わず息を呑んだことには気づかずに。
促されるままに最も湖が美しく見える場所で立ち止まったノエルは、突き抜けるような晴天に陽の光を透かす、彼の美しい黄金の髪に見惚れながら、誰よりも愛しい番をそっと見上げた。その陽光を受けた湖と同じ色の瞳は、ただ愛おしさと積年の想いが果たされる喜びだけを浮かべて、ノエルを強く射抜いている。じわりとどうしようもない幸福が、ノエルの心の底から湧きあがった。──────こんな日が来るなんて、かつてのノエルに言ってもきっと信じないだろう。自分を不吉な存在だと信じ込み、誰かと共に生きることなんて考えもしなかったあの頃のノエルには、とても想像できないに違いない。こんなに幸せなことが、この世にあるなんて──────自分の全てを賭けて幸せにしたいと思える人と、出会えることがあるなんて。思わず瞳を潤ませたノエルの目元を優しく指先で拭って、アダンはふわりと、この世の何よりも美しい笑みを浮かべた。
──────そうして、儀式が始まりを告げる。朗々と、よく通る美しい声で紡がれるのは、竜人にのみ許された、一生に一度の特別な詠唱。
「……『我こそが、天に声を轟かせし者。この鱗は全てを跳ね返し、この牙は全てを噛み砕き、この爪は全てを切り裂き道を拓く。──────そして貴き血の導きに従い、この魂をただ一人、定められた運命と分かち合おう』──────……ここに竜人アダンの逆鱗を、我が番ノエルに捧ぐ!」
その瞬間に、その朗々とした声に応えるように、強い光と共にぶわりと風が巻き起こり、ノエルは毛を逆立てながら思わず顔を庇い目を瞑った。あちこちからも、驚いたような声や短い悲鳴が聞こえて、思わず心配になってしまう。慌てて顔を上げて周囲を確認しようとしたノエルの行動は、しかし宥めるように腕を撫でられたことで遮られた。はっとノエルがルビーの瞳を見開いた時、視界に映ったのはアダン様の苦笑で。
「大丈夫?ごめん、驚かせたね。……俺も、こんなに派手なことになるとは思わなかった」
そう言いながらアダン様が視線を落とす先を目で追って、ノエルは思わずルビーの瞳を見開いた。ノエルとアダンの間に浮かび上がり、淡くアダン様の瞳の色と同じ輝きを放つ──────とても美しい、一枚の鱗。まるでノエルが手に取るのを待つようにふわりふわりと宙へ身を漂わせるそれは、まるで空を踊る花弁のようだった。竜の逆鱗とは、こんなにも美しい輝きを放つのか。
「きれい……」
思わず感嘆の息を吐いて見惚れていたノエルは、アダン様に焦がれるような視線を送られていることに気づいてはっと目を見開いた。そうだ、まずはこれを受け取って。それからアダン様にもう一度ノエルの意思を確かめられるから、そこで了承の意を示して。失態がないようにとあれだけ脳に叩き込んだのだ、忘れるはずもない。ノエルは慌てたように、その美しい逆鱗に手を伸ばそうとして─────直前で、ぴたりとその指先が止まった。
「─────ノエル嬢?」
「……ごめんなさい、アダン様。その、言いたいことが、あって」
胸元に抱き込まれてしまったその指先を焦がれるように見つめながら、アダンはノエルの微かな囁きに怪訝そうに眉をひそめた。やっと、やっとノエルと永い時を分かち合うことのできる今この時に、話したいこととは一体なんだろう。いついかなる時でもノエルの声や話はアダンにとって愛しいものだけれど、今この時に切り出される話とくると、しかも切り出しが「ごめんなさい」となると、どうやったって嫌な想像しかできない。まさか、土壇場になって逆鱗の儀に躊躇いが出たとか─────万が一のそれを防ぐ意味合いも込めて、衆目の中で決行したというのに。そんなはずない、ノエルはアダンのことを番だと認めてくれた、愛していると確かに嘘偽りなく言ってくれたのだから、と波立った心を宥めすかすものの、それと寿命を分け合うのはまた違う話なのだから万が一にも、と焦燥に駆られる本能が囁いてくる。しかしノエルが望んだとして、それをアダンは許すことはできない─────普通の猫ほどまでとはいかないにしても、猫の獣人の寿命は竜人よりもずっと、ずっと短いのだから。
「……それは、終わってからではいけない?」
想像だけで獰猛に牙を剥き始めた本能を表に出すのをどうにか堪えて、アダンは困った顔を繕ってノエルに問いかけた。ノエルが優しくて気遣い屋なことを知った上で、それを誘うような卑怯な言い方をして。どう言われようと構わない、ノエルと永い時を分け合えるのなら────けれど予想とは違い、ノエルは頑固だった。
「い、今じゃないと、だめなんです」
「…………」
とうとう繕った笑みまで一瞬剥がれ落ちたアダンに、必死なノエルはけれど気がつかない。アダンは、これはまた別の方法を考えないといけないか、と瞬時に脳内で算段を始めた。かつて何をされようと逆鱗の儀を拒み続けたという姫君の祖国は竜人によって滅ぼされたらしいけれど、ノエルの祖国はこの国だ。──────優しいノエルは、自国の誰を、どれくらい人質に取れば頷いてくれるだろうか。どんどん物騒な方向へと流れていくアダンの思考には気づかず、ノエルは大きく息を吐くと、顔を上げて。
「アダン様──────私、今は、未熟者ですけど……あなたを幸せにできるように、すごく、すごくすっっっごく、頑張りますから……!」
「────────────……は?」
高らかに。頬を紅潮させながら、緊張に尻尾まで膨らませて。ノエルは想像もしなかった言葉にぽかりと口を開けた番の前で、決死の告白のように、そう宣言したのだった。