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25.巡る因果

ストロベリーブロンドの髪を夜風に靡かせて、薄紫の美しい瞳を伏せて。魔女は大切なものを思い返すようにそっと、それを口にした。


「……私の名前はシオン。誇り高き水面の魔女よ」


「シオン……」


想像よりもずっと飾り気がなくて、それでも彼女にとても似合う名前。思わずノエルが繰り返し名前を呟くと、それに呼応するように首輪が淡く光り始める。金属を彩る装飾の合間に、彼女の名前が焼かれるように刻まれるのを見た。─────魔女と出会った日と、全く同じように。


かつてその光景を見たときは、ノエルがこれを取り付けられる側で。あんなにも恐ろしかった魔女と立場が逆転する日が来るなんて、想像したことすらなかった。一度体験した身だからこそ、これを取り付けて身体が作り替えられる苦痛を人に与えることに、どうしても躊躇してしまう。それでも魔女─────シオンさんにどう見ても目でさっさとしろと急かされているし、他の魔女やすぐ傍に控えているアダン様の手前、いつまでもこうしている訳にもいかない。ノエルはルビーの瞳を揺らしながらも覚悟を決めてそっとシオンに声を掛けた。


「─────ごめんなさい。……きっと痛むと思います」


かつて、それを身に受けたのはそっちだろうに、とシオンは内心で重いため息をついた。魔女として生きていると全く馴染みが湧かない「お人好し」という生き物は、言動が本当に理解不能で頭が痛む。いいから早くしろと、シオンはストロベリーブロンドの髪を払い、その白い首筋を差し出すようにノエルの前に曝け出した。不愉快なことをわざわざ長引かせるような趣味は、シオンにはないのだ。それでも眉を下げて何度も躊躇いながら、ともすれば取り落とすのではないかと思うほど慣れない手つきで、─────ノエルは 漸くそっと、その細い首に首輪を取り付けた。カチリ、と無機質な音が響いて──────────その瞬間に襲った全身が焼き付き書き換えられるような痛みに、シオンはギリ、と奥歯を噛み締めて耐えると膝を着いた。


「─────────……ッッ」


長い時を歩む魔女の矜持として、決して苦痛の声を上げたりはしない。本当はこちらの首を落としたくて堪らないあの竜王を喜ばせると思えばそれも不愉快だ。それでもなまじ苦痛に慣れているだけに、意識を途切れさせることもできず魔女は脂汗を流しながらきつく目を瞑った。その中で華奢な手に励ますように手を握られた気がして、竜王の前で何をやっているんだと呆れる気持ちを抱いたけれど、とても口を開くような余裕はない。せいぜいがその手に爪を立てないようにすることで精一杯だった。


……そうして次にシオンがその薄紫の瞳を開いた時には──────その視線は、随分と低くなっていて。真っ先に視界に映るのは、情けなく耳と尾をへたらせながら眉を下げてこちらを見下ろす赤目の少女。その瞳に反射して映る己の姿に、───────人の時と同じ、ストロベリーブロンドの長い毛並みを揺らしながら、猫となったシオンはそっと薄紫の瞳を逸らした。


魔女の集合知を守れるのなら、──────師匠の愛した知識が受け継がれるのであれば。いくら自分本位で傲岸不遜な魔女であろうと、己の処遇は二の次三の次だと、思っていたのは嘘ではないけれど。それでも……ただの獣に身をやつした自分の姿など、見ていたいわけもない。この姿でいる間は魔女の使命である叡智の収集も研究も望めなければ、かつて己が隷属した相手に生命から行動の選択権まで握られている。プライドは地の果てへと叩き落とされたし、竜王の手で首を落とされる方が結局幾分マシだったわね、と些か派手な色の猫は嘆息した。とはいえ何とか魔女たちの助命に成功したのに、竜王の掌中の珠であるあの黒猫に、竜王の前で意見することなどできるはずもない。


「……魔女さん、体調におかしなところはありませんか?」


ルビーの瞳を揺らして心配そうにこちらを見下ろす少女を、シオンは胡乱な瞳で見上げた。かつて自分を同じ目に合わせた魔女に仕返ししてやったと、いっそ嘲笑えばいいものを。面倒臭さを隠しもせずぞんざいに首を横に振ったシオンに、それでも黒猫の少女はほっと息を吐いた。猫の姿にして終わりではない、ノエルの時のように自死で万一にも戻ることがないよう、隷属契約で縛らなければならないのだから。そのために儀式の前に教えてもらった文言を必死で確かめるように口の中で転がしていたノエルは、すっかり意気消沈した様子の目の前の猫の姿の魔女に眉を下げた。おろおろと赤い瞳をあちらこちらへ向け、暫く、言おうか言うまいか悩んで──────結局、ノエルは口を開くことに決めた。


「──────……魔女さん。私と魔女さんは何もかも違うけれど……私は両親が亡くなったとき、それが自分のせいかもしれないと思ったとき……何度も、後を追おうかと考えました。私が生きていても、誰かを不幸にし続けるだけなのかもしれないと思って……それが、何より恐ろしかった」


ゆっくりと、考えるように落とされる少女の声に、息を呑んだのは誰だったか。それでも構わず、ノエルは訥々と、真摯に猫となったシオンに言葉を紡ぐ。シオンはこちらを向かないけれど、そのふわふわの耳がぴくぴくと動いてこちらを向いていたから、ノエルは構わずに話し続けた。


「……それでも、魔女さんと出会うまで、あの村から連れ出されるまで私が生き永らえたのは。両親の死が自分のせいだと信じたくなかったのもあるけれど、……何よりも。両親のくれた愛を、優しさを知るのが、私だけだったから。それを受け継ぎたいと、強く思った。ここで終わらせたくないって、……死にたくないって、」


思い返すように、ルビーの瞳が伏せられる。魔女と出会って断片的に得た情報で、両親の死は本当に自分のせいだったのだと思い込んでからは、そんな思いも鳴りを潜めて、自棄になってしまった時期もあったけれど。死んだ方がましだと自分を追い詰めるような日々を乗り越えて──────……今、ノエルが手に入れたものは。……心に灯る黄金に、ノエルはふわりと赤い瞳を緩めた。


「─────死んだ方がましだなんて、自棄になった日々の先で……私は、私にとっての幸福に出会って、手を取り合えた。両親から受け継ぎ教えられた、人に優しくするということ、誰かを愛するということを、私は全て、その幸福に注ぎたいと思えました。─────魔女さん、魔女さんの素敵なお名前はきっと、あの師匠さんから貰ったものですよね」


囁くような声で問われたそれに、シオンは応えない。ただぴくりと耳が動いて、そのふさふさの尾がゆらりと、肯定するように揺れたから、ノエルは苦笑を漏らした。


「純粋に、アダン様が魔女さんに酷いことをするところなんて、絶対に見たくないと思ったのが一番です。でも、誰かから与えられ、受け継ぐものがあるのなら、それがあなたにしかできないことなら……どれほど先になってしまっても、私はそうして欲しいと思った。……ごめんなさい、あなたが提示された選択肢の中で、あの場で死んでしまうのが一番ましだと思ったこと、本当は気がついていました。────だから、これは私の傲慢です。……でも、あなたたち魔女が、一番に愛するものなんですよね?」


困ったように、それでもどこか悪戯げに囁かれたそれに、魔女は薄紫の瞳を見開き思わず顔を上げて────────それから思わず、猫の姿にも関わらず重い、重いため息を吐いた。傲慢で身勝手、我儘で理不尽。人が持つ醜さを、そこから生まれる知識や歴史を、魔女は心から愛している。かつて、当然嘘偽りなく、己が発した言葉。それがこんな場面で自分に返ってくるだなんて、誰が予想できただろう。呆れに理不尽な怒り、苛立ち、ぐちゃぐちゃと湧きあがったそれは、ふつふつと次第に────────どうしようもない可笑しさへと変わってしまった。


「『貴女─────ああ、もう。最高に最悪で、本当に面白いわね』」


猫の鳴き声と重なって聞こえた馴染んだ声に、ノエルは思わずルビーの瞳を見開いた。思わず周囲を見回しても、魔術のためにある程度の距離を保ちこちらを見守っている面々は、相変わらず十人十色の表情を浮かべながらもこちらを静観しているだけだ。この声が聞こえたのはノエルだけだと気がついて、もう一度猫の姿となった魔女を見下ろすと、今度はしっかりと薄紫の瞳と行き合った。今のは、間違いなく耳慣れた魔女の声だ。─────もしかしたら猫の姿のノエルと会話していた時の魔女にも、こんな風に聞こえていたのだろうか。


「『死んだ方がましだと思うような日々を、貴女が望むから生き延びろと、そういうことなんでしょう?』」


何も言い返せないノエルは思わず言葉に詰まる。それでもノエルにだけ響くその声が、どうにも機嫌が良さそうに聞こえてノエルは首を傾げた。もう彼女の表情を窺うことは難しいけれど、それでも怒っているわけではないようだ。魔女はゆらりと大きく尻尾を揺らすと、その身を起こして姿勢を正し、真っ直ぐにノエルを見上げた。猫になってすらも、その姿には気品が漂っている。


「『いいわ。どうあれ、貴女に魔女達が命を救ってもらったことに変わりはないもの。魔女は嘘をつかない、約束を違えることもしない。世間で言われる気まぐれさも、嘘じゃないけれど─────それでも命を救われた恩を忘れるほど、私達は薄情じゃないのよ。……遠いいつか、私の力が戻るときでもいいし、他の魔女でも構わない。──────今後困ったことがあったらいつでも言いなさい、ノエル』」


どこかで、─────過去に水鏡の前で、聞いた言葉。それに思わず息を詰めながら、ノエルはあの日に聞いた白銀の髪を持つ魔女の声が、まざまざと脳裏に浮かんだ。……応える声は、震えてはいなかっただろうか。


『あたしらを巡る因果は消えない。どこかで、またそれが交わる日が来るさ────────』



「……はい。ありがとうございます、─────シオンさん」






──────────手を翳す。そうしてノエルが辿々しく紡ぐのは、かつてシオンがノエルに掛けたものと同じ、許可なく自ら命を断たないための呪文。ノエルは魔術など扱ったことがないけれど、魔女の権限により隷属の権利を明け渡された今であれば発動できるとのことだった。


「『我は魔女の権限に於いて、この者を隷属せし存在。隷属契約を以てここに命ずる』─────えっと、私が許可した以外の方法で、元の姿に戻ろうとしないで、ください」


どうにも慣れずに噛みそうになってしまうノエルを面々は心配そうに見つめていたものの、魔術は問題なく発動したのか、ノエルは己の中で何かを縛るような感覚を感じた。同じような慣れない感覚を覚えているのか居心地が悪そうな雰囲気を醸しているシオンは、それでも大人しくその場に腰を下ろしている。多分これでいいはず、とノエルが確認するように振り向こうとして────────その瞬間軽い衝撃と、それから身体をあたたかいものに包まれる感覚がして、ノエルは思わずルビーの瞳を見開いた。


「……アダン様?」


足元で白けたように鼻を鳴らす音と、ととと、と軽く遠ざかる足音が聞こえた。それでも、儀式が終わったと見るなりノエルをきつく抱きしめてきたアダンに視界が埋め尽くされていて、とてもそちらを向く余力はない。先ほどまでのアダン様を助けるために、気持ちを伝えるために死に物狂いだったときはその体温に安堵するばかりだったけれど、改めて抱きしめられていると理解するとぶわりとノエルの体温が上がって、忙しなく鼓動が早まっていく。それでも──────微かに震えが伝わるアダン様の身体を、押し退けることなんてできるはずがない。眉を下げながらも、ノエルはそっと宥めるようにアダン様の背中に手を回した。


「……アダン様、どうされましたか?やっぱりどこか痛みますか……?」


「……ノエル」


掠れ、震えた声で希うように名を呼ばれ、ノエルはその背を精一杯に手を伸ばして撫でながらはい、と応えた。それを受け入れながら、アダンはノエルの首飾りが輝く場所に、頬を擦り寄せて。淑女扱いのために敬称をつけていたことすら、今ばかりは忘れていた。


「──────────君を、見つけられなくて、ごめん。遅くなってしまって……知らないところで、辛い目に合わせた。でも。生きて、俺の元に辿り着いてくれて、……俺と出逢ってくれて。─────本当にありがとう、ノエル。……君を愛してる」


噛み締めるように囁かれたその言葉に、ノエルはゆっくりと、ルビーの瞳を見開いた。最初に説明した時にノエルが深く語らなかった、生まれ故郷でのこと。それでも彼は言葉の端々からそこでノエルがどんな扱いを受けていたか察して、──────ノエルが、死を選ぼうかと考えたことがあると、知って。それに深く心を痛め、何よりも。……生きて、こうして出会えた奇跡に喜んでくれている。そうと悟ってしまえば、ノエルのルビーの瞳が滲むのはあっという間だった。


「はい……はい。──────私、あなたに出会えて……生きていて、本当によかったって。今、心から言えるんです。……ありがとうございます、アダン様」


彼の胸に額を擦り付けて、ノエルは滲んだ声でそう応え、彼に伸ばした手に力を込めた。何か一つ間違えば、取りこぼせば。二人はどちらかが欠けて、ここにいなくてもおかしくなかった。それでも今、ここでこうしてお互いの体温を感じられていることは、どれほどに得難い奇跡だろう。お互いの、酷く早まった心臓の音が、足並みを揃えて響き合う。それがあんまり愛しくて、ノエルは黒い耳をそば立てながら、どうやったって心の奥底から滲む幸福に、ほろりとまたそのルビーの瞳を溶かしてそっと目を閉じた。






─────魔女さん達は名前をアダン様に預けた後、魔力回復のために暫く静養し、それから国の復興作業に従事するらしい。その後に竜の血の縛めが解けるとのことだった。竜人の怒りを買ったという事実を鑑みると、魔女さん達やアダン様からするとかなり寛大な処置らしいけれど、私からしたらやはり彼女達は巻き込まれただけのような気がするし、申し訳ない気持ちがどうしても拭えない。それでも彼女達はどちらかというと命が助かった安堵を色濃くその表情に浮かべていたし、これ以上の譲歩は難しいだろうことは分かっていたから、ノエルはそっと口を噤んだ。アダン様が名前を一人一人から聞き出すのを見届け、並び立つ彼女達を見送りに出る。どうやったって目が吸い寄せられるのは、当然魔女達の足元に同じように並ぶ、猫の姿へと変わってしまったシオンさんだ。魔女達がもういいと判断した遠いいつかに、ノエルの元に知らせが来るらしいけれど─────それまでは、仮にも主とはいえ、彼女に会うことは許されない。ノエルは赤い瞳を揺らして、魔女達を見回した。


「……彼女は猫の姿になることで、魔女達の戒律を犯した罪を償う。──────そう決まったのなら、他に非道なことをしたりはしませんよね?」


かつて王宮にノエルを迎えにきた時の魔女は、ノエルがまともに食事を取らず憔悴した時期があったことを知っていた。ということは、隷属した相手に異常が起これば主人にはある程度伝わるということだ。魔女達は当然それも知っていて、竜王の番のお気に入りらしいこの猫となった魔女を身体的に甚振ることは早々に諦めていた。……とはいえ、巻き込まれた腹いせはしっかり済ませなければ気が済まない。


「ええ。勿論──────普通の猫としてそれは大事に可愛がって差し上げると、この場にいる魔女を代表して約束しましょう。自分が元は何だったかも忘れてしまうほどにね」


魔女達が目を三日月の形にして猫となったシオンに視線を落とすと、シオンはぶわ、と毛を逆立ててシャー、と威嚇をした。成程下手をすると痛めつけられることよりも、猫可愛がりされたほうが彼女は嫌がるに違いない。そう苦笑を零すノエルの手を取ったままのアダンは、す、とそのエメラルドの瞳を細めた。


「……自死も他殺も許しはしない。よく目を掛けておくように」


側から聞けば寛大な言葉だが、その真意は長い間猫の姿に貶めて苦しめたいだけだ。そうと分かっている魔女達はやや辟易しながらも各々了承の返事をした。魔力も体力も底を尽き疲弊しきった彼女達は、内心酷い目にあった、これは後で何人かその辺の市民を手玉に取って憂さ晴らしをするしかないなと恨み言を呟きながらも、漸く許された静養に幾分軽い足取りで去っていく。その背を──────特にふわふわの尻尾を揺らしながら四本足で遠ざかっていく小さな姿を、ノエルが複雑な心境で見守っていると。……一度だけ、猫になっても変わらないその薄紫の瞳が、こちらを見て。


「……にゃ」


──────────ノエルにしか分からない、猫の鳴き声に紛れたシオンの言葉。それにノエルはルビーの瞳を見開き、それから……堪えきれずに、花開くような笑みを浮かべた。


「……はい。必ず」


ノエルの返事に満足したように鼻を鳴らし、小さな姿へと変わっても気品を窺わせる誇り高き魔女は、今度こそ振り返らずに去っていく。けれどそれを見送るノエルの心は、今は晴れやかだった。何故なら────────魔女は約束を破らないと、ノエルは知っているからだ。








─────それからの日々は、とても簡単には言い表せないくらいに目まぐるしいものだった。国の復興作業や怪我人の治療に関しては魔女の関与もあり、早々に目処が立つほどには順調に進んだけれど、国民達の心はそうもいかない。唐突に長年静養していた竜王の復帰、そして────────漸く見つかったその番が黒猫の獣人であるらしいという事実は、当然ながら国を震撼させた。一応国民向けの説明がなされる前に、黒猫獣人に関する正しい史実とその能力の詳細が周知され、これから史実だと偽り黒猫を悪役とするような話、演目が取り締まられるということが発表される。元々ジスランが黒猫に対する国民の忌避感を覆す用意をしていたのに加えて、ノエルを通じて話された魔女が特別ルートで手に入れたという古代の文献を再度あたったことにより、事は円滑に行われた。


それを前提として語られる、今回の騒動。竜王の番が漸く見つかったけれど、黒猫の獣人に対して国民が偏見を抱いていたために、それが覆されるまではと発表が見送られた。王宮が壊滅したのもこの辺りの話し合いで意見の相違が起こったから。その中で更に小さな事故とすれ違いから竜王の番が死んでしまったと誤解が起き、狂気に支配された竜王を、けれど実際は生きていた番が止めたことであの騒動になった────────最早隠してはおけないから、復興作業がある程度終わった段階で逆鱗の儀と共に国民に披露目を行うことにする、という、驚くほどにざっくりとした説明が行われた。おかげであえて避けた話の隙間を埋めるように、民の間ではかなり荒唐無稽な話まで飛び交っているらしい。


話に魔女が一切登場しなかったのは、ただでさえ畏れられ忌み嫌われる上に、今回巻き込まれただけの彼女たちがこれ以上国民に迫害されないように、というノエルの強い希望によるもので、そのために今回相当にざっくりとした説明をすることになったけれど、それを了承した竜王の思惑は簡単だった。魔女が無償で復興作業に従事するほど善良でないことは、全ての国民の知るところだ。それも、魔女だけが竜の血を被ったままとくれば、何があったかは語らずとも押して知るところだろう。……とはいえ、竜王があえて庇うような説明を国民にしているということになるから、それを知って尚手を出せる者はいないかもしれないけれど。


───────魔女を憎む強い気持ちがあろうと、自分の国を自分で壊そうとしたことは、アダンだけが背負うべき重い咎だ。復興に向けて全力を尽くすべきだし、被害に遭った民には十分な贖罪を行わなければいけない。その想いと、竜王の正式な復帰を示すために、アダンは元々政を行っていた者達と一定の政策を相談して打ち出したあとは、比較的被害の多かった場所へと直接出向き、民に謝罪を行った。強さが全てである獣人の永遠の畏れと憧憬の対象である、竜王アダンだけでも慄くような事態だけれど──────その傍から片時も離れない、とても臣下とは思えない分厚いローブを着て顔すらうまく伺えないような小柄な人物の正体を、悟らない民はなく。何よりその首に輝く、王の紋章が模られた首飾りを見て分からないほど、この国の民は愚かではない。


……これは実際は、番を一度喪った深いトラウマによりノエルから一定以上離れられないアダンの、正式に披露する前であるから姿を見せないようにという苦肉の策だったのだけれど。民からすれば黒猫の獣人に忌避感を示すものを炙り出す気なのではないかと恐れるのも無理はない話で、引き攣る民達の表情をノエルはローブの下から複雑な気持ちで眺めていた。本当であれば大きな原因の一つであるノエルも一人一人に謝罪をして回りたいけれど、未だ民に姿を現すことは許されていないし、何よりまだまだ不吉な黒猫という認識は根強いのだから、怯えさせるか嫌がられるだけだろうという分別はノエルにもつく。


謝罪行脚が終わったあとは、アダン様はいつも申し訳なさそうな顔でノエルのことを心配してくれるけれど、ノエルからしたら心配なのはアダン様のほうだった。連日のことで精神的に疲れているに違いないのに、アダン様はそれをおくびにも出さない。ただ、いつもノエルの体調や疲労を心配して、そのエメラルドの瞳を揺らして見つめてくるのだ。その度に、ノエルは胸が締め付けられるようだった。ノエルの国民に対する披露目が先延ばしにされたのは、復興を待つためでもあったけれど、今までの生の中であまり人と接することが多くなかったノエルが慣れるまでは、というアダン様の優しさでもあるのだ。


でも──────ノエルは、決して忘れていない。ノエルが彼を取り戻したのは、気持ちを伝えたのは、彼の背中に背負われ、庇われるためではないのだから。ノエルではまだ、何もかも力不足なのは分かっている。それこそ、彼の役に立ちたいと思うことすら、今のままでは烏滸がましいと思うほどに。それでも、どれほど果てのない道だったとしても、踏み出さなければ辿り着けないことをノエルは知っていた。これから、生涯を掛けて彼を支えるための力をつける、第一歩。



「俺と、逆鱗の儀を。────……ノエル嬢、……その、頷いてくれる、かな」



いくばくかの時が過ぎて、民達の平穏な日常が戻ってきて、魔女達も竜の血から解放されて。そうして漸く、今度はどこか辿々しくどこか自信がなさそうに紡がれたその言葉に、ノエルはだから────────大きな喜びと、深い決意をそのルビーの瞳に宿して。今度こそ自分の意思で、はっきりと頷いてその手を取ったのだった。

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