15.竜人の血
寝食を忘れ、書庫に篭り続けてどれほど時間が経っただろう。竜人の身体はとても頑丈で、この程度では体調を崩すことなどあり得ない、はずなのに─────気を抜けばあの日の地獄が何度でも脳裏をよぎって、その度に刺し貫かれたように胸が酷く痛んだ。否、実際に穴でも空いていた方がどれほどマシだっただろう、それならば少なくとも時が経てば治るのだから。けれどアダンの胸の内を蝕むものは未だじくじくと膿んで、痛みを負った瞬間のそのままに存在を主張してきていた。どこか妙に冴えている頭で文献を追いながら、アダンはギリ、と唇を噛み締めた。鉄錆の味がしたけれど、痛みさえも感じない。そんなものよりも自身を苛むものがあるからだ。
動かせるだけの者全てを動員し、その全員が死力を尽くしてくれている。その筆頭は当然ながらアダンだった。殆ど休息を必要としないアダンは、王宮が眠りにつくこの時間帯も当たり前のように文献を漁っていた。忠臣達がどれほど諌めても無駄だと悟るほどにはその様子は鬼気迫るもので、これは止めるよりも手伝ったほうが賢明だと悟った者達はそのうち何も言わず奔走するようになったけれど、それでも未だ、芳しい成果はあげられていなかった。そもそも魔女自体が謎の多い存在で、長い時を生きるアダンや王宮の側近達ですらも関わったことは多くないのだから、その中の特定の魔術に関してなら尚更情報を集めるのは難しい。隷属契約や使い魔の知能のことに関して多少知っていたのだって、長い時を生きる中で数えるほど耳にしたものを偶然覚えていた程度の話だ。どちらかと言えば口伝でその性質や存在が伝えられる魔女だが、それだって曖昧で判然としないものも多い。お互い大きい争いを避けるために定められたいくらかの掟を守る以外は、破滅をもたらす魔女には可能な限り関わるな、己の身が可愛ければ─────というのが世間一般での認識だった。
この国で恐らく最も古くからある書庫であればと思ったけれど、魔女に関する文献はいくらかあっても隷属魔術の構築の詳細、ましてやそれを強制的に破棄させる方法の記述はどこを漁ろうとも出てこなかった。精々追加で分かったのは、名前は魔女にとって魔術的に大きな意味を持ち、あまり人のものを呼ぶこともなければ自らのものも口にしないということと、人々を陥れることを至上の享楽としながら、自身が誰かに隷属することは決して良しとしないこと。そして公にできない知識をそれぞれ研究し時折共有することを生き甲斐としているらしいということくらいだろうか。魔女の転移にも限界がある、恐らくもう暫くはこの国に滞在しているはず。そして少なくともこの国の中であれば、一度出会った番の所在をもう一度特定するのは容易いこと─────というのが、少ない知恵を持ち寄ったアダンとジスランの出した結論だったけれど、それだっていつまでも、というわけにはいかない。もしかしたらほぼ猶予などなくて、今にもあの憎き魔女は、アダンの愛しい、この世の何よりも大切な黒猫を連れて、どこかとても遠くへ─────……
そこまで想像して、アダンは無理矢理それを断ち切るように再度唇を強く噛み締めた。血が滴ったけれど、どうせこんなものはすぐに治る。そんなものよりもずっとずっと恐ろしい現実が、アダンを絶望の果てに落とそうとしていた。番を探して、もう見つかることはないと己の命と共に諦めたときに、この世の全ての絶望を飲み下したような気になっていたけれど、あんなものは生温かったのだと今になって痛いほど実感する。狂うほどに求めたものを、何を犠牲にしてでもと手を伸ばしたものを漸く、漸く与えられて、その色を、ぬくもりを、声を、本能に嫌と言うほど刻みこまれて─────それが取り上げられたときの、絶望なんて言葉では言い表せない今と比べたら、あんなもの。
─────……このまま、ノエルが己の元へ戻ることがなかったら。もしかしたらアダンのことなど嫌悪すら向けることなく忘れ去って、あの傲慢な魔女と生涯を過ごすことを選んだのなら─────
ぐしゃりと、手元の本が酷い音を立てて撓む。─────それならば、そんな死よりも余程恐ろしい未来が訪れるというのなら、いっそのこと。あの小くて気高くて、この世の何より美しい黒猫の、涙も悲鳴もその体も、何もかも竜の己が飲み干して、誰にも二度と触れさせることはなく。
「─────ぜんぶ、おれのものに」
エメラルドのような瞳の焦点がぶれて、かかった前髪の影が落ちて光を失った。嫌に平坦な音が唇から溢れ落ちて、それが形をもったかのように唇から滴った血液が、ぱたりと皺のよった本に落ちて─────
──────────……瞬間、目が眩むほどに強い光を放った手の中の本に、アダンははっと顔を上げて目を見開いた。触ってもいないのに、勝手に頁がバラバラと乱雑な音を立てて開いていく。そこに強い魔術の気配を感じて、アダンは金糸のような短髪を靡かせながら食い入るようにその本を見つめた。目が慣れてくると、強い光を放っているのが元の文字の上から新たに勝手に刻まれていく古代の文字であることに気がつき、何か思うよりも先に目がその文章を解読していく。浮かんでは古い文字から瞬く間に消えていくそれは、本というよりはまるで再生された映像のようだった。
─────竜の血液を用いた古代魔術についての詳細をここに記す。しかし、閲覧者はこれが世に及ぼす影響を、決して忘れることのないように─────
竜の血液は、唯一無二の特別なもの。強い魔力が顕在化したものであり、場合によっては猛毒にすらなり得る。本来膨大な魔力を要する儀式も竜の血液があれば賄うことができ、この世の何より頑強な檻も、枷も、果ては武器すら作ることができる。─────それならば当然、隠匿すべき魔術の鍵としても機能するわけで。元の本のページを埋め尽くしてしまいそうな勢いで刻まれては消えていく古代文字を、アダンは一文字も逃すことなくその頭に叩き込んだ。瞬き一つでもすれば、きっと見逃してしまっていたかもしれない。けれど、それを己に許すほどアダンは愚かではなかった。恐らくこの魔術は、一つの代につき一度だけ発動する類のもの。それなら、契機は一度だけ─────ノエルを、この世の何より愛おしい番を、取り戻すための。
─────一体、どれほどの時間が経っただろう。はら、と音を立てて最後の頁がその身を翻し、そこに文字が浮かんでは消えて、それが一番下まで辿りつくと、本は先ほどのことなど何もなかったかのように沈黙してしまった。けれど、アダンは一言一句覚えている。絶対に忘れるものか、忘れられるものか。……数多記された魔術の中、アダンが求めていたものは確かにそこにあった。隷属契約を己の魔力で塗り替える魔術─────脳内で手順を整理するなり、アダンは人差し指の爪だけを竜の形へと変化させ、躊躇いなく己の腕に滑らせた。鋭利な爪に裂かれた肌から血が床に滴ると、それを追うように膝を着き、血液を使って猛然と床に古代文字を書きつけ始める。死力を尽くして網膜に焼き付けたとはいえ、竜王だって完全無欠というわけじゃない。時間が経っても絶対に手順を間違わないように。
分厚い本をほぼ丸々一冊分となれば相当な量の血液が必要だったが、インクとペンを取りに行く時間すらも惜しかった。どうせ竜の血の源は魔力だ、死にやしないのだから惜しむものでもない。そんなことよりも早く、一刻も早く。─────愛しいノエルを、取り戻すために。嗚呼、とアダンは手を止めないままに嘆息した。
もう一度会えたなら、ノエルはどんな表情を浮かべるのだろう。どんな声で鳴いてくれるのだろう。もう愛されたいとは望まない、ノエルの愛の行先は嫌と言うほど理解したから。─────でもそれならば、ノエルが向ける憎悪、嫌悪、怒り。何でもいい、愛以外の全てが欲しい。それを得るために、アダンはどんなことだってしてみせよう。何にだって、魂を売ってやろう。─────でもとりあえずは。
「─────目の前であの魔女の首を落としたら……ノエル、君は誰よりも、俺を憎んでくれる?」
手を、唇を赤く染めながら、アダンはその日を夢想して、うっそりとその口元に笑みを浮かべた。
一日千秋とはこういう気持ちなのだなと、ノエルはでろん、と音が立ちそうなほどにだらしなくその身を伸ばして床に転がっていた。せめて決して契約の破棄が失敗することがないよう、魔女の言う準備を完璧にしてみせるぞとノエルも最初は意気込んでいた。というよりも、待ち遠しすぎて何かしていなければ耐えられそうになかったのだ。けれど魔女が片手でつまめてしまうような小さな黒猫が手伝えるようなことなど、当然ながらあるはずもなく。かといって人に見つかってはいけないから、外に出ることも許されず。結果的に何やら忙しなく準備をする魔女の横で惰眠を貪るだけという、字面にするとなかなか酷いことになってしまっていた。
魔女はそもそもそこまでノエル自身には興味がないので必要以上に干渉してくることはなく、食事もちゃんと与えてくれるから環境としては快適ではあるけれど。とはいえアダン様のことを思い浮かべると一分一秒があまりに長く感じて、このままでは精神が参ってしまいそうだった。自分の前足に顎を乗せながら呻くような鳴き声をあげると、がちゃりと音を立てて部屋の扉が開いた。当然、入ってくる人物は一人しかいない。ノエルは慌ててその身を起こしたけれど、だらしなく床に転がっていたのはばっちり見られてしまっていたようで、魔女は呆れたようにその薄紫の瞳を細めた。
「……ちょっと、そこは今から使うのよ。怠惰を貪るなら別のところに行ってちょうだい」
「……にぃ……」
ごめんなさい、とか細く鳴きながらふらりと立ち上がった私に、魔女は地の果てまで届きそうなため息をついた。人間でありながら大半の獣人よりも長い寿命を持つ魔女にとっては、ほんの数ヶ月程度、瞬きの間なのかもしれない。日に日に元気をなくしていくノエルの様子が理解できないのも無理はなかった。とはいえ、魔女に配慮して元気いっぱいに振る舞うなんて器用なことはノエルにはできそうもない。せめて見えなければ不快にはならないだろうから、いっそベッドの下の埃と並んで寝ていようか、なんてじめじめした思考を持ち始めたノエルに、魔女はため息どころか舌打ちをすると、徐に腕を上げて空中で指先を振った。ノエルがはっと顔を上げると、その手の中にはなかなか分厚い一冊の本。魔女はそれを放るようにしてノエルの前に置いた。
「毎日視界の端でじめじめされたら鬱陶しいのよ。それでも読んで大人しくしていなさい」
古いものなのか微かに表紙の色が褪せているその本の表題をルビーの瞳で追って、ノエルは目を瞬き、それから思わず歓喜の高い鳴き声を上げた。
─────『竜人の歴史、またその生態について』
目を輝かせてノエルが魔女の方を見たときには魔女は既にこちらを見てすらいなかったけれど、ノエルは構わずぴんと尻尾を立たせてありがとうございます、と喜色を滲ませた声で鳴いた。ふんふんと古い紙特有の匂いを嗅ぎ、嬉しさのあまりちいさな身体で乗っかるようにして本に抱きついて擦り寄ってしまう。ノエルが竜人の番や黒猫の獣人についてあまりにも無知だったからこれで学べという魔女の意図は、まさにノエルが求めていたものだった。両親は多分、ノエルのために竜王の命に逆らったという事実を隠すために、あえてノエルに知識を与えなかったのだろうけれど、かつて彼らに教えてもらったように知識は身を守る術であり力だ。竜人のことを─────アダン様のことをもっと知りたいと願っていたノエルにとって、これはまさに渡りに船だった。
ちいさな爪を使っても、表紙を捲るのすら一苦労だったけれど、それも含めて時間を潰せということなのだろう、魔女がこちらに頓着する様子はなく。必死になってようやく捲れた一頁一頁を、ノエルは食い入るように見つめては頭に叩き込んだ。魔女に説明された範囲での竜人の生態の記述は、照らし合わせても当たり前だけれど嘘偽りはなく。復習するような気持ちで肉球を使ってなんとか頁を捲っていくと、竜の血液について、というところで前足が止まった。─────そういえば、魔女の言っていた史実に則った建国神話にも、アダン様が土地と結びつけた盟約にも、竜の特別だと言う血が登場していたけれど─────当然ながら、ノエルはその詳細を知らない。好奇に耳をぴんと立てて、ルビーの瞳は一心に文字を追い始めた。
大量の魔力を含んだ、唯一無二の竜人の血。その血液は、魔力に耐性のない生き物が一滴でも口にしようものなら死に至るほど。主人が望めばその血はどんな形にでも変化し、頑強な檻にも、比類なき強さを誇る武器にもなれば、魔術の礎として使うこともできるらしい。個としての武力だけでも肩を並べられるものなど存在しない竜王は、この血液を用いてその地位をさらに盤石なものにしている、という文章まで目で追って、ノエルは知らず知らずのうちに詰めていた息を吐いた。
本当に、普通の獣人とは違う特異な存在なんだな、と実感するのに、不思議と彼を遠くに感じることはなかった。彼の持つ強さよりも、あの日々で見た優しさや危うさ、ノエルに向けてくれた愛情、その全てが心に刻みつけられているからかもしれない。彼のことを、もっと知りたい。すぐには難しくても、いつか誰よりも彼のことを知っていると、胸を張って言えるような存在になれたら。
─────数日掛けてその本を熟読すると、ノエルはおずおずと魔女に鳴いた。……他の文献も、あるなら読ませてもらえませんか、と。ノエルが魔女に個人的な頼み事をするのは、これが初めてのことだった。何か対価を要求されたらどうしよう、今差し出せるものなんてこの毛皮しかないけれど、と恐々魔女を見上げたノエルに、しかし魔女は面倒くさそうな表情を浮かべつつ、特に何を要求することもなく本を出してくれた。本気で隣で湿った空気を醸し出されるのが嫌だったらしく、本が乾燥剤代わりになるならそれでいいということらしい。大喜びで受け取ったノエルは、その日から本に埋もれる生活を送り始めた。あとから思えば、アダン様に会えない寂しさを、彼について知ることで埋めていたのかもしれない。寝ている間は彼の胸に飛び込む夢を見て、起きている間は竜人に関する本を読み耽る。それでようやく寂しさも恋しさも誤魔化して、それを延々繰り返すうちに────────────……とうとう契約を破棄するに相応しい暦まであと少し、というところまで日が迫っていた。
元の姿に戻ったとしても、魔女の手を借りなければ人目を避けてアダン様のところまで移動することはできない。魔女はアダン様の元へノエルを転移させられるギリギリの範囲まで移動するつもりみたいだから、彼に会えるのはまだ先になるのだろうけれど─────それでも元の姿へ戻れることが待ち遠しくて、ノエルはここ数日は本を読むのも気がそぞろだった。この黒猫の姿になって、一体どれほどに日が経っただろう。元の姿でちゃんと二本足で歩けるだろうか、というどうしようもない不安が脳裏を過った。何よりも、アダン様は─────獣人に戻ったノエルの姿を、どう思うのだろう。いや、そこまで考えが及んでいなかったけれど、そもそもノエルだと気がついてもらえるだろうか。ないと思うけれど、万が一、万が一他人を見るような視線を送られたら、と今更青ざめたノエルをよそに、今日も今日とて魔術の準備に勤しんでいた魔女はできた、と呟いて息を吐いた。
「準備、終わったわよ。あとは暦を待つだけね」
「にー!」
慌てておつかれさまです、と鳴いたノエルに胡乱げな視線を寄越してから、魔女はぐい、とその豊満な肢体を伸ばした。らしくなく肩の荷が降りた表情の魔女を労いたい気持ちはあったけれど、この体じゃ精々猫撫で声で鳴くことしかできない。そしてそんなものは間違いなく魔女は望んでいないだろうことはノエルでも分かっていた。長いことノエルは何もできなくて申し訳ない気持ちもあるけれど、それでもいよいよ近いうちに元の姿に戻れるのだという実感が湧いて、ノエルはちいさな鼓動が早まっていくのを感じた。すっかりこの姿に馴染んでしまっていて、変化が少しだけ怖い気持ちもあったけれど─────それ以上に胸にじわりと湧き上がるのは、期待だ。まだ気が早いかもしれないけれど、それでもようやく、ようやくアダン様に会えて、この気持ちを余すことなく伝えられる日が近づいているのだと思うと、どうしても抑えることができない。じっと自分の尾や頼りない前足を見つめて、それからほんの少し、湧き上がる喜びに耐えきれず目を細めたところで─────────────……その感覚は、突然にやってきた。
ひゅ、と息が詰まる。全身の毛が勝手に逆立って、ちいさな身体が耐えられずに震え出した。嘘だ、どうして、とにわかに混乱するのに、どこかで確信を覚えていた。────だってノエルは、この感覚を、この気配を本能で知っている。見るからに様子がおかしくなったノエルを魔女は怪訝そうな表情で見つめていて、ノエルは必死で魔女に伝えようとしたのに、声のひとつも出てきやしない。けれどこちらに様子を確かめようと近づいてきた魔女は、ノエルが何か伝えるよりも早くその薄紫の瞳を見開き、艶やかな唇を戦慄かせた。魔女の視線の先を追ったノエルは、まともに働かない頭のどこかで、ああやっぱり、と声が落ちたのを聞いた。
「──────────……は、」
魔女の掠れた、声にもならないような吐息が部屋に落ちる。万が一にも黒猫の姿を見られることがないよう、締め切っていたはずの窓がいつの間にか開かれて、カーテンが夜空を透かしてはためいた。そして、そこを形取った、月を背負う人影は─────────
「───────────ノエル、逢いたかった……」
───────幾度も幾度も夢に見た、心の底からノエルが焦がれた、この世の何より美しい竜。その声が、ノエルの耳に届くが早いか。目の前に居る人物が信じられなくて、完全に目を奪われていたノエルの後ろで─────何かが倒れる音がした。はっと目を見開いて、ノエルが竜の威圧にうまく動かない身体を叱咤して振り向くと、魔女が床に崩れ落ちていて血の気が引いた。まさか、そんな─────アダン様が、いきなり魔女に危害を加えるなんて、そんなこと。悲鳴のような鳴き声をあげたノエルに、しかし魔女は床に手をついて、緩慢にその身体を起こした。安心したのも束の間、しかしその表情は険しく、夥しい汗をかいて喉を押さえている。よく見れば、魔女の喉には鮮烈な赤い色をした蔦のようなものが絡みついていた。魔女はそれをなんとか外そうともがいているようだったけれど、蔦はびくともしていない。その色に見覚えがあって、ノエルは目を見開いた。─────魔女が例えで出してくれた、小さな黄金の竜を戒めていたものと、同じだ。ということは、あれは。
「─────魔女は、隷属契約を用いて使い魔に命令する場合、口に出して詠唱しなければならない。それならば─────声を奪ってしまえばノエルに危害を加えるような命令はできない。よく調べたと思わないか?褒めてくれても構わない……はは、その成りじゃできないか」
平坦な声で呟いて、アダン様は得体の知れない笑みを浮かべた。それは王宮で共に過ごしたノエルすら見たことがないような……否、一度だけ。魔女に連れられて王宮から出た時に、ノエルはこの笑みを見たことがあった。今にも、崩れてしまいそうな─────そこまで考えて、魔女の掠れた息が耳に入ったノエルははっと我に返った。あの蔦は喉を締め付けているわけではなさそうだけれど、恐らくあれは竜の血を用いた魔術だ。もしかしたら、魔女を苦痛が苛んでいるのかもしれない。青ざめたノエルを余所に、アダンは悠々とした足取りで魔女に近付いてその前にしゃがみ込むと、ふわりと柔らかい笑みを浮かべた。しかしその瞳は─────どこまでも笑っていない。
「さて。隷属契約を塗り替える方法が見つかったから、俺の番を縛る愚かな魔女はもう必要ないんだけど─────何か言い残すことはある?」