弟子たちへの教戒――2
そしてあるときは、彼らに問い掛ける。
祇園精舎に留まっていたとき、世尊は云った。
「弟子等よ、他の異教の遊行者が、次のように問うことがあるとする。『友よ、三法がある。即ち貪欲、瞋恚、愚癡である。この三法の意味はどうか。差別はいかに』と、かく問われて汝等は、その異教の遊行者にいかに説明しようとするか」
「尊い方よ、世尊は法の根本であります。 帰依所であります。世尊の御心に顕れたものを御説き下さい。私達はその通り心をたもつでありましょう」
「弟子等よ、それでは善く注意して聴くがよい。汝等にして他の異教の遊行者にそのように問われたならば、こう説明せねばならぬ。『貪欲は罪垢は少ないがこれを離れることは遅い。瞋恚は罪垢は大きいがそれを離れることは早い。愚癡は罪垢も大きくそれを離れるのも遅い。友よ、ものの快い相を邪に思うことから未だ生じない貪欲が生じ、すでに生じた貪欲が増大するのである。また、ものの心に合わぬ相を邪に思うことから、未だ生じない瞋恚が生じ、すでに生じた瞋恚が増大するのである。また、正しくない思慮によって、未だ生じない愚癡が生じ、すでに生じた愚癡が増大するのである。それゆえ、こころよい相を正しく思い、こころよくない相を正しく思うて慈の心を貯えるときは、貪欲と瞋恚は生じもせず、生じても滅びる。そうして、この正しい思いによって愚癡は生ぜず、生じても滅びるのである』
弟子等よ、汝等はこのように答えねばならぬ」
さらにある日、世尊は弟子達に語ったことがある。
「弟子等よ、人々は誰も好まぬことがなくなり、望むことが多くなるようにと願っていながら、実際はいつもその反対になるのはどういう訳か」
「尊い方よ、世尊は法の根本を悟っておられますから、どうぞその訳を御示し下さい。私達は御教えのままにいたします」
「弟子等よ、それでは好く聴くがよい。
ここに聖者を見ず、善き人を見ず、聖法を知らず、善き法を知らぬ人があるとする。彼は身に行うべき法と行ってはならぬ法とを知らぬから、行うべき法をおこなわないで、行ってはならぬ法をおこなう。このために、好まぬ事柄が増し、望む事柄が起こらぬのである。しかるに、我が教えの弟子は、聖者を見、よく行うべき法を知っているから、好まぬことが減り、望むことが増すのである。
弟子等よ、ここに四つの法がある。それは現在に苦しみを与えると共に未来にも苦しみを生む法、現在には苦しみを起こすけれども未来には楽しみを生む法、現在には楽しみを生むけれども未来には苦しみを生む法、現在にも未来にも楽しみを生む法である。無明に覆われている者は、この現在も未来も苦しい法と、現在は楽しく未来は苦しい法とを、あるがままに知らないので避けようとしない。その為に好まぬことが増し望ましいことが減る。これは愚かな者の当然の状態である。また、現在は苦しく未来は楽しい法と、現在も未来も楽しい法とを、あるがままに知らないのでこれを避けて行おうとしない。その為に好まぬことが増し望ましいことが減る。これも愚かな者の当然の状態である。
弟子等よ、これに対して智慧ある者は、この四つをあるがままに見ておるから、行ってはならぬことをおこなわず、行わねばならぬことをおこなう。そのために望ましいことは増し、好まぬことは減る。これは智慧ある者の当然の状態である。
弟子等よ、現在も未来も苦しい法とは何であるか。
ここに人あって、殺生、偸盗、邪淫などの悪い行いをし、それが自分の苦悩となる。この行いのために、現在すでに苦しみ悩みを得、のちの世はまた悪道に生まれる事となる。これが現在も未来も苦しい法である。だが、このような悪を為しながら苦悩を起こさないで、楽しみと喜びを起こし得る者もある。しかし、たとえ現在に楽しみと喜びとを得ても、未来には必ず悪道に生まれる結果を招く。これが、現在は楽しく未来は苦しい法である。
現在は苦しく未来は楽しい法とは、前に挙げた悪い行いをやめ、貪欲、瞋恚を離れて正しい見を抱く、しかもこの道にかなった生活が、この世においては苦しみ悩みを起こし、未来においては善い結果を招くのである。
現在も未来も楽しい法とは、この道の生活が、この世においてすでに楽しみと喜びとを与え、未来にも善い結果を生むことである。
弟子等よ、これを喩えて云うならば、ここに人あって毒の混じっている瓢を示し、生命の欲しい苦しみを厭う男に云う。
『ここに毒の入っている瓢がある。飲みたければ飲むがよい。しかし味も香も悪しく、飲めば死なねばならぬ』と。現在も未来も苦しい法を行う人は、この瓢を飲む男である。
また、ここに美しく味のよい料理に毒が混じっているとする。そこへ生命の欲しい苦しみを厭う男が来て、『味はよいが毒がある』と云われているにもかかわらず食べるとする。これは現在は楽しく未来は苦しい法を行う人である。
また、ここに色々の薬を混ぜた汚れ水があって、黄疸病の人が勧めによって飲むとする。味も香も堪えられぬ苦しみではあるが、病はこれによってまことに安らかになる。これは現在は苦しく未来は楽しい法を行う人である。
最後に、ここに赤痢を患う人があって、勧めにより牛酪と糖蜜と砂糖と熟蘇とを混ぜた薬を飲むとする。この薬は味も香も申しようなく、飲めば病が治る。これが現在も未来も楽しい法を行う人である。
弟子等よ、澄みわたって一つの雲もない秋の空に太陽が輝き、あらゆる闇を払って隈なく照らすように、この現在も未来も楽しい法は、常並の出家達の論議を打ち払ろうて輝き渡るのである」
彼はこのように教えた。