弟子たちへの教戒――1
このように人々の寄進が多く集まると、それを目当てに真の信ずる心がないまま食を得るため出家する者が僧伽に増え出した。するとこの時とばかり、教えの異なる沙門たちが仏陀を非難する。
「ゴータマは精舎に住み、美服をまとうて奢侈に溺れておる。ゴータマとその弟子たちは供養を貪っている」と。
それは一見、当たっているかのようにもみえた。
欲望を制御する術を身につけた弟子たちは供養の多寡など気にかけもしなかったが、未だ覚に至っていない者たちにとって、それは迷いの素であった。そのため彼らの師は、在家信者に説いたように易しく、出家した者たちにも身と口と意を慎み、世に在る時を無駄に過ごさないよう、繰り返し語った。
「弟子等よ、人々が業を作るについては三つの原因がある。すなわち貪欲と瞋恚と愚癡である。人々はこの三つの原因から業を作り、業の熟する処に生まれ業の報いをこの世から後の世に受ける。ちょうど種子を地におろして雨がふさわしい時に降り注げば、芽を吹いて生長するように、人々はこの三つの原因から業を作り、その業が熟して報いを受けるのである。
弟子等よ、涅槃に入る修行に三つの原因がある。すなわち貪欲なきこと、瞋恚なきこと、愚癡のないことである。この三つによって修行すれば、未来に迷の生を起こさないで涅槃に入り、ちょうど根こそぎにされた草や、芽をつまれた多羅樹のように、再び迷の生を引き起こすことはない。
弟子等よ、私の教えが他の教えに勝れている二つの箇所がある。第一には、私は人々が悪を為す時に、まともに悪を見つめよと教える。第二には、それからその悪を厭い嫌うて離れよと教える。これが私の教えの二つの勝れた点である。
弟子等よ、この世を守る浄らかな二つのものがある。すなわち慚と愧[恥じること]である。もしこの二つのものがこの世に無くなれば、母とか叔母とか、師の妻、友の妻という区別もなくなり、野羊や豚や犬や野干のように乱れてしまうであろう。この慚と愧の二つがあって、世界が整うているのである。
弟子等よ、無明はすべての善からぬ法の先駆をなすものであって、これに無慚と無愧とが従ってくる。明らかな智慧はすべての善い法の先駆であって、慚と愧とはこれに従ってくるものである」と。
またある夜、世尊は弟子たちを集めて話した。
「弟子等よ、この世には三人の天からの使いが遣わされて来る。今その天使の話をしよう。
弟子等よ、ある人がこの世で悪事をして地獄に堕ち、獄卒は荒々しくその人の手を捉えてヤーマ[閻魔王]の前に引き出す。
『王よ、この男は人界にあって、父母をないがしろにし、出家を尊ばず師長を敬わない罪で、ここへ遣って参りました。適宜な罰を加えて下さい』
弟子等よ、その時ヤーマはその人に向って問いただす。
『汝は人界にあって第一の天使を見たことはないか』
『大王よ、見たことはありません』
『それなら汝は、年老いて腰を曲げ、杖にすがってよぼよぼとしている人を見なかったのか』
『大王よ、その年寄りならいくらも見ました』
『汝はそれを見ていながら、私は老衰するものである、急いで身口意に善いことをしようとは思わなかったか』
『大王よ、そこへは気がつかなかった。あまりに放逸でありました』
『汝は放逸のために、見るべきものを見ていながら、為すべきことを怠った。汝はその放逸の報いを受けねばならぬ。それは汝の父母のしたことでもなければ兄弟姉妹のしたことでもない。朋友や他の人々のしたことでもない。汝自身のしたことで、汝がその報いを受けるのである』
『次に汝は、第二の天使を見たことはないか』
『大王よ、見ません』
『それなら汝は、病気にかかって独りで寝起きが出来ず、自分の汚れたものの中につかっている哀れなものを見なかったか』
『大王よ、それなら見ました』
『汝はそれを見ていながら、自分も病気になるものである、達者なうちに身口意を浄めようとは思わなかったのか』
『大王よ、私はあまりに放逸でありました』
『それから次に、汝は第三の天使を見なんだか』
『大王よ、見ません』
『汝は死人の一日二日三日と過ぎて、身体は腫れ膿の流れ出るようになったのを見たことはないか』
『大王よ、私はその死人なら幾らも見ました』
『汝はそれを見ていながら、どうして放逸であったのか。汝は今、その放逸であった報いを受けねばならない。そのことは汝の父母や兄弟姉妹朋友親戚のしたことではない。汝自身のしたことで、汝自身がその報いを受けねばならない』
そうヤーマ(閻魔王)は言い終って口を閉じた。獄卒はその男を引き立てて、燃えたつ竈の火の中へ投げ入れた。
弟子等よ、これがこの世に遣わされる三人の天使である。天使に呼び醒まされて放逸を離れる人は幸いであり、天使を見てもなお醒めぬものは永久に悲しまねばならぬ。
弟子等よ、またこうも云おう。なすべきことは堅く努めてこれを為せ。怠る出家は、却って塵を蒔くものである」
世尊はこのように語り、弟子たちを戒めた。