スダッタ長者、ハッタカ長者
釈迦牟尼世尊は、人それぞれに合った説き方をする。
商人として欲の誘惑の多いスダッタ長者には、その身と口と意をつつしみなさいと教えた。
祇園精舎に滞在していたとき、訪ねてきたスダッタへ世尊は云う。
「長者よ、心を守っておらねば身口意の三業を守る事は出来ぬ。身口意の三業を守ることが出来ねば、三業ともに欲のために汚される。三業が汚れてはその人の臨終も死後も幸福なはずはない。たとえば宮殿の屋根が善く葺かれていなければ、梁も垂木も壁も雨ざらしになり腐るようなものである。長者よ、もし心を守っておれば、身口意の三業が守られ、欲のために汚されず、従ってその人の臨終も死後も幸福である。たとえば宮殿の屋根がよく葺かれてあれば、梁も垂木も壁も雨に濡れず、従って腐らぬようなものである」と。
莫大な財産を持ち、給孤独長者と呼ばれたスダッタも、晩年には資産が傾いた。彼は五十四億金の富を費やして精舎をつくり、毎日大きな供養を為した。ところが商いの上では八十億金の債権が動かず焦げつき、別の八十億金の隠し財産が水のために流されてしまった。そのとき、世尊が様子を尋ねるのに対し、スダッタはこう答えた。
「尊い方よ、我が家では施しを与えます。ただしそれは粗末な糖飯と酸い粥とです」
貧しくなってもスダッタの布施の心は変わらなかった。世間に対する見栄や後生願いなどでなく、人々に分ち与え自らも喜ぶというスダッタの喜捨は、彼の生き方に根ざしたものであった。その心の故か、のちに家運は再び盛り返し栄えたという。
また、アーラヴィー[阿臘毘]のハッタカ[手]長者とはこのような問答を交わした。
シンサパー林で、世尊が木の葉を敷いて寝床とし、一夜を過ごしたときのことである。ちょうどハッタカ長者も森をそぞろ歩きしており、彼は師の姿を見つけて拝んだのち訊いた。
「世尊、昨夜は快く御眠りになりましたか」
「快く眠った。私はこの世において快く眠るものの一人である」
ハッタカ長者は、いたわりと懐かしさと敬愛に満ちた表情で世尊を見つめている。
若い長者にとって釈迦牟尼世尊は師であり、親同然の存在でもあった。このアーラヴィーの地にはかつて子供を夜叉に捧げる風習が存在した。しかしその夜叉を世尊が諭して改心させたため、彼は生贄となるところを救われたのだった。夜叉は幼児である彼を世尊に奉ったが、世尊は「成長してから受けよう」と云って、子供を王の使いに渡した。そのため彼は『手から手へ渡されたアーラヴィーの人』と呼ばれるようになった。
「世尊、冬の夜は寒くあります。二月の終わり四日と、三月の初め四日の八日間は霜が降り、大地は牛が踏み締めたように堅くなっています。それに木の葉の敷物は薄く、黄衣は冷たく、寒い風に木々の枯葉が震えています。それにもかかわらず、世尊は快く眠らせられて、『私はこの世において、快く眠るものの一人である』と仰せられるのはどういう訳でありましょう」
「長者よ、汝は如何に考えるか。ここに金持ちの邸宅があるとする。その部屋は内も外もよく塗り固められ、戸を閉めて風の吹き込む隙間もない。中に臥床があって、長い毛のふさふさした毛氈を掛け、羊の毛の美しい褥を敷き、上には傘蓋を覆い、両端の赤い枕を置き、蘭燈の光は柔らかに照り、四人の妻妾があって主人を慰め仕えている。長者よ、汝は如何に考えるか。その人は楽しく眠るであろうか」
「世尊、その人は楽しく眠ると思います」
「長者よ、よく考えた上で答えるが善い。その主人は身に心に貪欲から起こる熱気を覚え、そのために寝苦しいことはないであろうか」
「仰せの通りであります」
「長者よ、その主人の苦しむ熱気のもとである貪欲を、仏は捨て去り根抜きにし、再び生じないものとしたのである。それで私は楽しく眠るのである。また長者よ、その主人は、瞋恚や愚癡から起こる熱気を身に心に覚え、そのために焼かれて寝苦しいことはないであろうか」
「世尊、仰せの通りであります」
「長者よ、その主人の苦しむ熱気のもとである瞋恚と愚癡を、仏は捨て去り、根抜きにし、再び生じないものにしたのである。それで私は楽しく眠るのである」
答えて世尊は偈をうたった。
「欲の汚れなく、悩みなければ、柔らかに、
楽しく眠る。
よろずのねがい断ち、胸の怖れを離れば、
やすらかに、楽しく眠る」と。