クマーラ・カーシャパ
このように、多くの者は道を求め、また世尊に「来たれ(エーヒ)」と呼ばわれ救われて、その許へやって来た。しかし、クマーラ・カーシャパ[鳩摩羅迦葉]の場合は違っていた。彼は生まれる前から、仏と縁ある者であった。
彼の母はラージャグリハの長者の娘である。仏の僧伽に女性のそれが出来たと知って早くから出家を望んでいたがかなわず、結婚の後に夫の許しを得て出家した。ところが、そのときすでに妊娠しており、それを知らなかったために、戒を破ったとして非難を受けた。世尊はこの真偽をウパーリに調べさせ、彼女の妊娠が出家前であることを明らかにした。そしてこの出来事から、既婚の女性出家希望者には見習いの期間を設けることになった。一方、生まれた子供はパセーナディ王の王宮に託して育てられ、八歳のときに出家したので『童子カーシャパ』と呼ばれた。彼は長じて多くの弟子を持つ師和尚となった。
あるとき、クマーラ・カーシャパが五百人ほどの弟子達を伴ってコーサラ国のセータブヤに着き、その北のはずれにあるシンサパーの林に留まったときのことである。セータブヤは主長のバーヤーシがコーサラ国王から封ぜられている町で、彼は「後の世はない。化生の人はない。善悪の結果はない」という邪見を抱いている者であった。
町の人々は、クマーラ・カーシャパの名声が高く、賢い学者で話し上手であると聞いていたので、群れをなして北へ進み、シンサパーの林に向かった。バーヤーシはそのとき高楼にいて昼寝をしていたが、この様子を見て番人を呼び、その理由を聞いて云った。
「番人よ、それでは私も、あの人たちと共にゆこう。クマーラ・カーシャパはこの愚かな智慧のない人達に、他の世がある、化生の人がある、善悪の業の結果があると教え込むであろうから」
こうして、バーヤーシはセータブヤの人々と共に、クマーラ・カーシャパを訪ねた。そして挨拶が済んでから彼は云う。
「尊者カーシャパよ、私は他の世はない。化生の人はない。善悪の業の結果はないという意見を抱いております」
「主長よ、私はそのような意見の人を前に見たことも聞いたこともないが、あなたはどうして、それを主張られるのですか。とにかく、私はあなたに尋ねるから、善しと思われるように答えて下さい」
と、カーシャパは前置きしてから云った。
「主長よ、あの月輪や日輪は、この世にあるのか、また他の世にあるのか。また人であるか、神であるか」
「大徳よ、二つとも他の世のもので、神であります」
「主長よ、それでは、この理由に依って他の世がある、化生の人がある、善悪の業の結果があるとしてよろしいか」
「大徳よ、私は、やはり左様に思うことはできません」
「主長よ、それでは、あなたの意見にどのような理由がありますか」
「大徳よ、私の親族や友人の中で、殺生をなし、偸盗をなし、邪淫を行い、妄語、綺語、悪口、離間語を語り、貪欲と瞋恚と邪見を抱いている者の臨終の時、私は枕辺で、『出家たちの云う所に依ると、そうした人達は死んでのち地獄に入ると云うが、汝は現在これらのことをしている。もし出家たちの云う所が真実であるならば、汝は地獄に堕ちるはずであるが、もし堕ちたら、どうか私の処へ、他の世はある、化生の人はある、善悪の業の結果はある、と知らせて貰いたい。私は汝を信用するから、汝の見たままを信用しよう』と云った。こういうことが幾人もあったが、彼らは皆、承知しながら、来もしなければ使いも寄越しません。また反対に、これらの十の悪を犯さない者にも、その枕元で、『天界に生まれたならば知らせてくれ』と頼んだが、彼らも同じく何の便りも寄越しません。それで私は、私の考えが正しいと思っているのです」
「主長よ、盗賊が捕らえられて町の南の仕置場で頸を刎ねられる時に、『待って下さい。これこれの親族に知らせることがあるから行ってきます。帰って来るまで待って下さい』と云って、許しを得ることが出来るであろうか」
「それは出来ません」
「主長よ、地獄に堕ちた者が、獄卒に『待って下さい。人の世の親戚に知らせる事があるので、しばらく人間界へ行って来る、それまで待って下さい』と云っても、許可を得るはずはない。また天界に生まれた場合もその通りである。例えば汚い糞壺の中へはまった男を引き上げて、竹の箒で掃き落とし、黄粉をつけてよくもみ落とし、油をすり、香粉を塗り、幾度か沐浴させ、髭髪を整え、美衣をまとわせ、花環をかざり、香水を注ぎ、高楼に上らせて管弦の楽しみをさせる。主長よ、この男は、再び汚い糞壺の中へ沈もうと願うであろうか」
「大徳よ、それはありません。悪い臭いのする厭わしい不浄の処へ入ろうという願いを起こすはずはありません」
「主長よ、ちょうどそのように、人の世は不浄であり、神々を百里も走らせる悪い臭いがあると云われておる。厭わしく、心地のよい処ではない。いま人間界を離れて、天界に入った者が、再び人間界に戻って来ようと思うはずがない。主長よ、盲目者には白黒もなく、青黄もなく、星も月も太陽もないと云う、語は正しいであろうか。天界が人間の目で見えないと云うことで、天界がないと云うのは、正しいことではない」
「大徳よ、しかしながら、私は戒行のうるわしい出家が、やはり生きるを欲し、死ぬのを嫌い、楽しみを欲し、苦しみを嫌っているのを見ます。もし死んでのちの生活が幸いであると知るならば、何故に毒を飲むか、剣を刺すかして、死なないのでしょう」
「主長よ、ここに二人の妻を持つバラモンがあって、一人の妻には十三、四の男の子があり、他の妻は身重である。バラモンが死んで、男の子は他の妻のもとへ行き、『この家のあらゆるものはみな私の所有である』と云う。他の妻は、『私の腹の子が男であるならば、財産の一部はその子のものである。女ならばあなたに仕えましょう』と云う。幾度も財産の取り分について責められて、他の妻は我が腹を裂いて子供が男か女か知ったとする。このように正しい手段によらないで求めれば、不幸と破滅に陥らねばならぬ。何事も成熟を待たねばならぬものである。戒行の美しい出家は、静かにものの成熟るのを待って、生きている間、徳を積んで人の世の幸福と利益のために尽くすのです」
「大徳よ、それでも私は、しばしば罪人を殺してその霊魂が出て行くのを見ようとしたが、何も見ることが出来ずに終わった。罪人をずたずたに切って、霊魂のありかを求めたが、それも失敗に終わった。これも、私の意見を主張る理由の一つです」
「主長よ、法螺貝は砕いて見ても、音を見出すことは出来ない。火打ち道具は割いて見ても火を見つけることは出来ない。正しく求める時に法螺貝は微じき音を出し、火打ち道具は火を出すのである。主長よ、汝は誤った仕方で、他の世を求めて、誤った見を抱いておられる。長夜の不利と苦悩を招かぬよう、誤った見を捨てるが善い」
バーヤーシはクマーラ・カーシャパの懇ろな教えを受けて、ほぼその意味を理解することが出来た。けれどもなお、その誤った見に固執っていた。クマーラ・カーシャパは続いて多くの比喩を説き、やがて彼を正しい考えに引き入れたのだった。