バックラ
釈迦牟尼世尊のもとで修行した弟子の数は、一二五0人ともいわれる。バラモン、王侯貴族、または貧民出身の者など、あらゆる階層から集まった個性ある人々の中で、ただ無病と長寿で名の知られた者がいた。
彼はバックラ[薄拘羅]、コーサンビー市の資産家の子として生まれた。幼い頃、ヤムナー河で遊んでいたとき、大魚にのまれてしまった。ところが、その魚がベナレスの長者の妻に買われ、調理をしようと腹を割いたので彼は助かった。この幸運な子供を長者の妻は神からの授かりものと思い、自分の子にしようとしたが生みの母は許さず、二人の女は互いに自分の子であると王に訴えた。このとき王が両家共有の子供であると裁定したため、『両家』という名がついたという。
彼は釈迦牟尼世尊が滅度の後、ラージャグリハの竹林精舎に滞在していた。そのとき、家に居た頃の友アチューラ・カーシャパ[無衣迦葉]が彼を訪ねてきた。その人は挨拶をして傍らに坐り、訊く。
「バックラよ、あなたは世を捨てられて何年になるか」
「もう八十年になる」
涼しい木陰で、百歳を越したふたりの老人が語らっている。
その頭上では、さやさやと葉ずれの音がしていた。風は花の香りを運び、鳥たちが巣作りに精を出している。この季節の営みと歩みは、どれほどの歳月を経ても変わることがなかった。互いに老人の姿となった今でも、懐かしい穏やかな時間が流れる中で、彼らの心は少年の頃に戻っていった。
そこで友が問う。
「バックラよ、あなたはこの八十年の間に、幾度婦人と交わられた」
まったく、この幼馴染は何を云うか、とバックラは片方の眉を上げた。そして、まだ歯の残っている口を開け、笑った。
「カーシャパよ、おんみは私にそのような問いをしてはならぬ。カーシャパよ、このように問うがよろしい。
『バックラよ、あなたはこの八十年の間に、幾度欲の思いを起こしたか』と。
カーシャパよ、私はこの八十年の間、未だかつて欲の思いを起こしたことを知らない。友よ、私はこの八十年の間、未だかつて人を害う覚を起こしたことを知らない。そして、この間未だかつて欲の覚を起こしたことを知らない。友よ、私はまた、この間未だかつて瞋の覚を起こしたことを知らない」
幼馴染の老人は、本当か、と目を丸くした。けれどもそれにかまわず、バックラは続ける。
「また、在家の人の着る衣を受けたこと、刃物で衣を切ったこと、針で衣を縫ったこと、色で衣を染めたこと、同学の衣を縫う手伝いをしたこと、などをしたことを知らない。また、招待を受けたこと、誰かが私を招待すればよいという考えを起こしたこと、在家の人の宅に入って坐り、そこで食事し、婦人の美しい姿に心を捕えられたこと、それらも為したことを知らない。婦人へ法を説くのに一番短い四句の偈すら説いたことがなく、尼の住居に行って尼へ説いたこと、見習いの尼や幼き尼に法を説いたことさえもない。また、この八十年の間、私は他を出家させたことも、他に助力を与えたことも、幼い弟子に給仕させたことも、温浴室で湯浴みしたことも、石鹸をつけて洗ったことも、同じ仲間の身体をもみさすりしたことも知らないで、またこの八十年の間、病に罹ったことも、訶梨勒の薬を用いたことも知らない。寄りかかったり、横になったりして眠ったことも知らない。雨期の三月を村の住居で過ごしたことも知らない。
友よ、私は仏の御弟子となって七日目まで、罪の穢れを以って国の布施食を食べたが、八日目には覚を開いたのである」
幼馴染の老人は、うなずきながら感心して聞いていた。
「バックラよ、私は以上のことをバックラの奇しき行いとして記憶するであろう」
そして老人は云う。
「バックラよ、私もまた、この法と律との中に御弟子となることが出来るであろうか」
バックラは頷いた。
こうしてアチューラ・カーシャパは自ら請うて弟子となった。そして間もなく煩悩を遠ざけ離れ、覚を開いて聖者となった。
幸運と無病と長寿は、誰もが望むものである。この三つを具えた彼を人々は供養しようとしたが、バックラの日常は慎ましいものであった。彼は常に糞掃衣を身に着け、眠るときも横にならず、静かに坐って禅定の楽しみを味わっていた。
この友との語らいの後しばらくして、突然バックラは上衣をとって住房から住房へとめぐり歩くことがあった。
「尊者たちよ、進めよ、進め。私は今日、滅度に入るであろう」
と、云って自らの言葉通りその日のうちに世を去った。これもバックラの不思議の一つとして人々に伝えられた。