チャンナとアーナンダ、ナンダ
またチャンナ(闡那)の場合は、世尊の入滅後、師の想いの深さを知ることになる。
彼はシャーキャ族のシュードラの子であった。世尊が初めて帰郷したときに出家したのだが、師に親しむあまりそれは狎れとなって増長し、高慢さから悪事を犯すようになった。彼はそのため、世尊入滅の直前に、どのように語りかけても誰一人相手とならず、返事をしない、という梵檀罪の刑を受けた。さすがにこれはこたえたのか、「彼はきっと慙じて改めるであろう」という世尊の言葉通りチャンナは後悔し、懺悔をして許された。そして真面目に道を修めて静かな心を求め、上座の弟子たちへ、
「尊者よ、どうか私に教えを垂れて、法を見させて下さい」
と、尋ね歩いた。
「チャンナよ、身は常なく心も常ない。そしてこの身と心には我がない」
誰もが応えた。
しかし、彼は思う。
(身と心の常なく我のないことは私もよく知っている。しかも私の心は愛の渇きを尽くし、欲を離れて、煩悩の寂静と覚とに傾きがない。我と云うものがないならば、私が法を見るという、その私は誰であろうか。ああ、この頑なにして信じ難い私を、誰が済って下さるであろう)
そのときチャンナはアーナンダを思い出した。
(彼の尊者は長く世尊に仕え、世尊に讃えられた方である。尊者は今、コーサンビーの瞿師多園に居られると聞く。訪ねて教えを請おう)
彼は直ちに衣と鉢を手にしてそこへ向かい、アーナンダを訪ねて己の苦悩を訴えた。
するとアーナンダは、温和な笑みを浮かべて云った。
「チャンナよ、私は汝がその様に明らかに申し開いて、固陋な心を破ったのを聞いてまことに嬉しい。耳を傾けなさい。よくぞ汝は法を知ろうと望みましたな」
(……やはり世尊のなさることに無意味なことはない。チャンナは人と協力せず、気むずかしく頑なな者であったが、彼も悔いて心が直くなった。このようにどんな弟子をも世尊は導いてくださる……)
アーナンダは思い、この言葉に喜ばされたチャンナへ更に云った。
「チャンナよ、私は世尊がカッチャーヤナに教え給うたことを親しく聞いたのであるが、世間には有と無との二つの偏った見がある。物の出来るのを見れば、無の見は砕かれ、物の滅びるのを見れば、有の見は砕かれる。執着をする故に迷う。物にも己にもとらわれず、苦が生まれれば生まれたと見、苦が滅びれば滅びたと見て疑わず、惑わず、他人に依らず、自ら正しく知るのが正しき見である。有るというのも偏り、無いというのも偏り、仏はこの二つの偏りを離れて法を説き給うのである。即ち、無明によって行があり、行によって識あり、ないし生によって老死があり、これが全ての苦蘊の生起である。無明が残りなく滅びれば、行も滅び識も滅び乃至、生も老死もなく、一切の苦蘊は無くなるのである」
チャンナはこの教えによって法の性を見、また大いにアーナンダのなさけを喜んだ。彼は修行に励み、やがて正覚を得ることが出来た。
一方、異母弟ナンダ(難陀)に対しては言葉ではなく、神通力を使ったといわれる。
結婚式の当日、強引に出家させられたナンダは、婚約者スンダリー姫が云った「早くお帰りください」という一言が忘れられなかった。姫の面影を求めて悶々(もんもん)とし、ときには出家に禁じられている化粧をし、美しく着飾りもした。
これを見た世尊は、ナンダとともに山頂へと向った。そして超常の力をもって空中に天女を出現させた。
「ナンダよ、あの女と汝の姫とでは、どちらが美しいだろうか」
ナンダは眼前の完璧な肢体を持った美女に、心を奪われたまま答えた。
「……あの天女に比べれば、スンダリー姫は雌猿も同然です」
「修行を積めば、あの天女も汝のものとなるだろう」
そこでナンダはスンダリー姫のことも忘れて修行に励むようになった。
ところがこれを知った同朋の一人が云った。
「あなたは女性を得るために修行をするのか」
ナンダは非難され、自らの過ちに気づいた。そして改めて修行に励み、ついに愛欲の煩悩から脱することが出来た。