ソーナ・コーリヴィサ、チューダパンタカ(周利槃特)
彼らのように堅固な意志を持ち、才知に恵まれて心安らかな境地に至る者たちがいる一方、いくら修行をし、求めても覚を得られない弟子もいる。そのようなとき釈迦牟尼世尊は、そっと手助けをするのだった。彼らの師は、人それぞれに合った法の説き方(対機説法)をした。
チャンパーの長者の子でアンガ国の侍従をしていたソーナ・コーリヴィサ[二十億耳]は、出家してもなかなか覚ることが出来ず、還俗を申し出た。
そのとき、世尊は云った。
「ソーナよ、絃を張るとき、汝はどうするであろうか」
彼は虚をつかれたような気がした。これほど悩み抜いているのに、楽器の話とは。
「……音色が一番良いのは、強くも緩くも張らないときなのだ」
ソーナは師の言葉[箜篌の喩]を心にとどめて修行を続け、ついには解脱することができた。
チューダパンタカ[周利槃特]は、シュラーヴァスティーのバラモンの子である。父が我が子の無事な成長を願い、幼い彼らを道端に置いて沙門の祝福を受けたので小路と名がついた。兄のマハーパンタカ[摩訶槃特・大路]が出家して阿羅漢となってから、勧められて仏陀の弟子となったが、もの覚えが悪く、一つの詩句を四ヶ月かかっても憶えられなかった。そのため兄は、弟を還俗させようとした。
「経のひとつも覚えられないでは、おまえも出家の生活がつらかろう。弟よ、覚を得ることは諦めて精舎を出ていくがよい」
はっきりと兄に云われてしまっては、チューダパンタカもそこを出て行くよりほかなかった。しかし還俗したとて、それまで聡い兄と較べられ、愚かであると疎まれてきた自分には家へ帰ったとて何処にも居場所がなかった。
そして逡巡し、通路にある小屋の陰で立ちすくんだまま泣いているのを、世尊が見つけた。
「チューダパンタカよ、どうしたのだ」
彼は、師に理由を話した。
「もっと早く私のところへ来ればよかった……」
世尊はチューダパンタカの頭を撫で、彼へ白い布を渡した。
「汝はこれから、この布で来る人の衣の埃や履物の泥を拭い、『塵を払え、垢をとれ』と唱えなさい」
「それなら愚かな私にも出来ます」
彼は涙を拳で振り払った。
それから毎日、チューダパンタカはもらった布で世尊のもとを訪れる人々の衣や履物をぬぐった。何年も実直に同じことをくり返しているうちに、ふと思った。
「世尊が教えてくだされた『塵を払え、垢をとれ』とは、ただこの目の前の塵や垢を清掃するだけのことだろうか。清めるべきは……」
チューダパンタカは考えた。やがて彼は、覚を得ることが出来たのであった。