Leliant ~母の名のもとに~
多分、誰も待っていないでしょうが……
ファムータルで設定を使用したぶんは書き終わったので、過去のものをそのまま投稿です。
ファムータルと被っていると思われる箇所が多いですが、作者が設定を流用したためです。
当時は、句点や読点、体言止めが多すぎるとのご指摘をいただきました。ファムータルは新作なので気を付けて書いていますが、こちらは無加工で投稿していますので、そのままです。
全体的に盛り上がりがないですが、それでもお読みいただければ幸いです。
序章~その瞳から
まぁ、ろくでもない連中に捕まったということは理解できた。
人売りか奴隷商人だろう。馬車に詰め込まれてどこかへ運ばれた挙句、下着姿で壁に繋がれている。
客らしい人間が嘗め回すように見ている中、入り口に、また人の影。
目が合うと、彼は無邪気な笑顔を見せた。
戸惑う間にも、彼は商人の一人と手短に話をする。
彼女は見る間に壁から鎖を外され、隣の部屋に連れ込まれた。腕の手枷から伸びた鎖は、汚れたベッドの端に繋ぎ直される。
商人が下非た笑みを浮べて去った直後、彼が入ってきた。
彼は側にあったシーツを彼女の身体に掛けると、鍵で手枷を外す。
あの笑顔を浮べていた。透明な、無邪気な笑顔。
何かを言ったが、何を言ったのかは分からなかった。無理もない。何しろ言葉が通じないのだ。
黙っていると、ノックの音がして、扉が少し開いた。その隙間から何かを受け取ると、彼女の側にそれを置く。
ワンピースだった。
また何か言うと、彼は壁の方を向いた。心なしか、顔が赤い。
それを着て側に行くと、彼はほっとしたように彼女を見て、そっと彼女に顔を近づけてきた。
たっぷり時間を置いてから――迷っていたのかもしれないが――しっかりと彼女を抱き締め、戸惑いがちに唇を重ねた。
その後、赤面しながら何か言うと、彼女の手を引いてそこを出た。
春のやわらかな陽射しの中、大きな紋章の描かれた大型船へと向かっていた。
1、過ちを犯してでも
城では、噂が行き交っていた。
外洋視察にでていた王太子――この国唯一の王位継承者である――が、娘を連れて帰ってきたというのである。
これまで、浮いた話のひとつもなかった王子だ。
婚約者はいたことにはいたが、親が決めただけと言っても過言ではない。プライベートでは殆ど接触がなかったような相手だ。
それが船での帰りの道中、彼女にべったりと張り付き、何度も接吻していた姿が見られたというのだから、噂にもなる。
そして噂の通り、王都に到着した王子の隣には見慣れぬ娘の姿があった。
「じゃあ、頼む」
笑顔を浮べた年配の女性にそう言うと、彼は部屋を出ようとし、慌てて引き返してくる。
「ごめん、忘れてた」
彼は、部屋の奥の椅子に座った黒髪の娘の側に行くと、その細い手を取り、懐から小さな指輪を取り出した。
「母上の形見なんだ。サイズ、合わせておいたから」
言いながら、彼女の薬指にそれを嵌め込むと、
「行って来る」
頬に唇をつけながら言い、照れたような様子で出て行った。
あとに残された娘は、今言われたことが聞こえなかったかのように、しげしげと指輪を見つめていた。
「んで? オウタイシサマ? 噂は本当でございますか?」
「からかうなよ、ディオ」
会議室のような広い部屋――まだ人影はまばらである――で、年の近い茶色い髪の神官服の男にからまれた、金髪の男がうるさそうにそれを振り払う。
「いいじゃないか、友よ。
聞くところによると、コレニアで出会い頭に口説いて誘拐同然に連れて来たって?」
「あ、……それはその……」
「んで? 名前が噂に出てないぞ? 何て言うのかな? ジョシア様? 花嫁は?」
ばつの悪そうに口ごもったのを、照れと取ったか、ディオと呼ばれた男が、更にふざけた調子で問い詰める。
「………………
……知らない」
「お~おう、知らない?
隠すことないだろ~? 減るわけじゃなし」
「……まだ聞いてない」
「ほ~ほう、名前聞く前にさらってきたってか」
「……言葉、通じないんだ。あいつ」
「…………は?
おい……冗談……だよな?」
言いながら、ディオは気づいていた。口の前に右手を当てるのは、この王子の悩んでいるときの癖だということに。
「………………
……阿呆」
たっぷり悩んだ後、ディオはそう呟いた。
ややあって嘆息し、
「もうそれしか言えんわ。
今の話、本当か?」
「……ああ」
「アホ」
頭痛を噛み殺した声で言う。
会議の後、二人は会議室横の小部屋に入り、話し込んでいた。他に人の耳はない。
会議中に小声で話すという手もあったのだが、今回の会議の本題はいかんせん、ジョシアの外洋視察の報告だった。
「お前、今の話だけで、いくつ法を破ったか知ってるか?」
「……悪かったな」
「奴隷商人から救出したのならまだしもな。買ってきたとは……。身元調査も意思確認もしてないし……。
そんなに刑務所入りたいか?」
「……問題あったのは分かってるよ……」
「い~や、分かっていない」
ディオは、ジョシアにびしっと指を突きつけた。
「もしこれが表に出れば、お前は王位継承権を失うどころじゃない。
少し考えれば分かるな?」
「……分かる」
言いながら、部屋を出るジョシア。ディオが喚きながら後を追った。
二人は、王城の西塔へ向かっていた。王族専用の塔である。
「いいや、ここでけじめをつけるべきだ。俺としては、お前の弾劾裁判を提言するね。次期大神官として裁いてやろうじゃないか」
と、西塔に入って暫く進んでから、ディオの声に反応したように扉が開いた。
「おや、馬鹿な声がすると思ったら、やっぱりディオ」
「母様。馬鹿はこいつです」
扉から出てきた、ジョシアの乳母に向かってきっぱりと言うディオ。
「こいつの犯罪は本当ですか?」
「私が見たわけじゃありませんよ。殿下本人からうかがっただけで。
あ、殿下。お嬢様はお部屋ですよ」
最後の言葉はジョシアに言い、そっちに行きそうになった彼を引き止める。
「お待ち下さい。こちらへ」
ジョシアが部屋に入ると、初老の男が一人、中にいた。
ジョシアと雰囲気がよく似ていた。白いものが混じり始めた金髪は、昔はジョシアと同じ色だったとうかがわせる。ただ、瞳はジョシアの黒とは違って緑色だ。
「……父上」
「話はディーネから聞いた」
彼――ジョシアの父にして現国王、ファネリッジⅣ世は、嘆息し、
「……馬鹿者が」
短くこぼす。
睨むような視線を息子に向けると、
「そんなにその娘が欲しかったのか?」
「……はい」
「もっとましな方法はいくらでもあったろうに」
「はい」
「まったく、情けない」
「仰るとおりです」
「……陛下」
口を挟んだのは、ディオだった。
「王太子殿下のなされたこと、国民にけじめを示す為には、恐れながら……」
「言うな。ディオ」
国王は、険しい顔をディオに向け、
「知っているのはこの四人だけだ」
また嘆息しながら言う。
「この馬鹿でも、これ以外に王位継承者がいない以上、居てもらわねば困る。ここにいる四人が永久に口を閉ざしさえすれば良い。
……まあ、そういうわけで」
と、声の調子が明るくなっていた。
「この馬鹿がそうまでしてさらって来た花嫁を見に行くとするか。……忙しくて顔を拝んでいないのでな」
2、昔話
「なんだ、お前の部屋じゃないのか」
先頭を歩くジョシアが自分の部屋の前を素通りすると、ディオが不満げに呟いた。
「当たり前だ!」
言いつつも、隣の部屋だった。
「入るぞ」
ノックし、開ける。
「……ほう。なかなか可愛らしいのを選んできたな」
「……ただいま。淋しかった?」
父親の野次を無視し、彼女の髪を撫でると額に軽く口づけする。
にっこりと微笑む彼女。
確かに、美人というよりは可愛いという部類に入るだろう。
間に合わせのドレスにも拘わらず、黒い、やや癖のある長髪が溶け込むように似合っている。青い双眸は、無邪気な笑顔とあいまって、見る者を安心させるような雰囲気があった。
「お嬢さん、いきなりこんな所に連れて来られてお困りでしょう。ご自宅はどこですか? 不肖ながら私めが、あなたを故郷へと送り返して差し上げます」
だが、反応はない。
一瞬の沈黙の後、コレニア近辺でよく使われている東方語で言い直す。反応がない。
「……俺も試したんだ。船の中で散々」
一般言語はネタが尽きて、マイナーな民族言語や神聖言語まで使い出したディオに、後ろから言うジョシア。
ディオは、暫くしてから、ふと思いついたように、
「ジョシア、お前、この人の声を聞いたことあるか?」
「……いや、一度も」
「もしかして……耳が聞こえないか声が出せないか、若しくはその両方なんじゃないか?」
「あら、お耳は聞こえてますよ」
ディーネが言う。
「後ろから声をおかけしたら、振り向かれますもの。お声が出ない……それは有り得るかもしれませんけど」
「そうか……生まれつき声が出ないか……奴隷商人に怖い目に遭わされて声が出なくなったか……そんなところか」
「どうでもいいが、お前、失礼にも程があるぞ」
ディオの肩を掴んでそう言うと、ジョシアは、彼女に笑顔を向け、
「こっちが俺の父親のファネリッジ。このうるさいのが俺の乳母兄弟のディオだ」
聞いているのかも分からない彼女に紹介した。
「ああ。すまない。無礼だったな」
ディオではなく父王が、彼女の前に歩み出ると、
「よろしくな。お嬢さん」
言って、彼女の手を取り接吻しようとする。と、そこで動きを止め、
「……ほう、手の早いというか、抜け目ないというか」
息子を視界に入れながら呟き、彼女には何でもないというような笑顔を向け、
「油断も隙もない愚息で申し訳ない。よろしく頼むよ」
そう言って、改めて彼女の手にキスをする。
ディオは、それに続いて握手した。
「――ひとつ、昔話をしようか」
ディーネが出した紅茶を囲んで四人で座ってから、ファネリッジが言った。
穏やかな声だった。
「お前は、私が十九の時に生まれた」
二十歳になったばかりの息子を視界の中心に入れながら、懐かしむように、
「私は家出の最中だった。下級貴族の出身だった母さんとの結婚を、母上――つまりは、お前のばあさまにだが、反対されてな。
母上は聡明だったが頭の固い王だった。王家から逃げ出した私は、身分を捨て辺境でこっそりと、だが幸せに暮らしていた。
しかし、幸せも長くは続かなかった。母さんがお前を生んだ直後に病にかかってな。私は母さんを失うことを恐れた。
母さんは、私とこの子がいればそれでいいと……そう言っていたんだ。だが、私はどうしても母さんに生きていて欲しかった。
そして……母上を頼ってしまった。
正直言って、甘えがあった。孫がいるのだから、孫可愛さに母さんとの仲を認めてくれるのではないかと……そんな幻想を抱いていた。すぐに打ちのめされたがね。
母上は、私を王家に閉じ込め、お前をレクセア家に預け、母さんを適当な有力貴族の屋敷に閉じ込めた。
……死に目にもあわせてもらえなかった。葬式にも立ち会えなかった。
母さんが苦しんでいる間も、息を引き取った後も、私はこの西塔に軟禁されていた。時々、ディーネがお前を連れてきてくれたことが唯一の救いだった。
私が二十四のとき、母上が亡くなった。王位を継いで、母上から自由になった私は、すぐさま母さんが埋葬されている墓を訪れた。
小さな、粗末な墓標の前で、私はうなだれた。母さんの言葉通りにしていればと、思った。
母さんの遺品など何も残っていなかったが――母上が処分するように命令したらしい――母さんを看取った次女が、こっそりと指輪を返してくれた。私が贈った指輪だ。
駆け落ちしてから、王家との決別を誓って、王家の紋章を刻んでいないものを贈ったんだ。
……その決意が後の私に残っていたらと、今でも思う」
そう言って顔を上げたファネリッジの視線は、息子ではなく、彼女の左手に注がれていた。
彼女以外は、知っていた話だった。ただ、王自身の口から出たのは、ジョシアたちにとってはこれが初めてだ。
「……さて、公務がある。これで失礼しよう。
ジョシア、お前は今日と明日は公務に出なくていい。それから――」
立ち去りながら、ファネリッジは振り向いた。
「アセリエート嬢との婚約は、破棄する。
お嬢さん、馬鹿息子だが、妻の形見だ。宜しく頼む」
扉が閉まった後、沈黙が落ちた。
「……怖いぞ、アリスエルは」
沈黙を破ったのは、ディオの呟きだった。
しかも、「アセリエート」と呼ばれたことを知れば……まあ、卒倒してくれれば大人しくて良いか。
「明日の朝一番で乗り込んでくるな」
「いいさ。復帰した頃は嵐が去った後だ。
なぁ、城下に出るか?」
彼女の手を取って言い、来ない返事を待ってから、
「ディオ、お前も来るか?」
乳母兄弟を振り返る。
「俺もそこまで野暮じゃない。二人で楽しんで来い」
「アリスエルによろしくな」
部屋を出る間際に言うと、ディオは、冗談じゃないと言わんばかりの表情で扉を閉めた。
「ディオは、明日も公務だから大事です」
ディーネが、すっかり他人事の調子で言う。国王に文句を言うのには限界がある。怒りの矛先は、多分ディオに向くだろう。
「さ、行くか」
親友を憂う様子も少なげに、彼女の肩を両手で掴み、ジョシアは言った。
夜。ジョシアは、一人廊下を歩いていた。手の中で、もぞもぞと動く布包みを抱えている。
「我慢してくれ」
包みに囁くと、落とさないように用心しながら進む。
やがて、目的の部屋に着いた。
「殿下。いらっしゃいませ」
女官が彼を中に入れる。
「ごめん。遅くなった」
彼を見るなり近づいてきた彼女に言うと、包みを差し出す。
彼女が受け取ると布が落ち、中からはふわふわの毛の子猫が出てきた。
驚いたのジョシアだった。予想もしていなかった効果があった。
彼女が、嬉しそうに笑ったのだ。
子猫を抱き、本当に嬉しそうにしている。
初めて会ってから船で十六日、この城で二日。今まで見たこともない笑顔だった。
彼にしてみれば、先程城下で猫の親子を見つけたときの彼女が嬉しそうだったので、喜んでくれればと大急ぎで手配してきただけなのだが……
「……気に入った?」
猫を抱いたまま、彼に身を寄せてくる。
「……そうか、良かった……」
猫をつぶさないように気をつけながら、そっと彼女を抱き締めた。この笑顔があるのなら、声などなくてもいいと、本気で思っていた。
顔が、熱かった。
今更になって、心臓が高鳴っている。
未だに、小さな唇の柔らかさと温もりが離れない。
彼女の戸惑ったような表情が、脳裏に焼きついていた。
――愛してる。
――結婚してくれ。
思わず言ってしまったその言葉を、彼女は理解している。そう思った。
出会った日から、似たようなこと、同じようなことを何度も言ったが、今度は勝手が違うような気がした。
これまで何度も彼女に口付けたが、初めてだった。彼女から唇を寄せてきたのは。
胸の高鳴りが収まらない。
ただ、自分の鼓動を聞いて時間が過ぎた。と、誰かがいきなり彼の肩に手を置く。
驚いて振り返ると、父王だった。
「……な、何ですか、ノックもなしに」
「いや、したが」
ファネリッジは、世間話の口調で、
「まだ寝ないのか?」
「寝ます。少し、考え事をしていたもので」
「なら、さっさと行け。待たせるものではないぞ」
その意味を、ゆっくりとジョシアは反芻し、
「ち、父上ッ!?」
裏返った声を出していた。
「変なことを言わないで下さい!」
「何だ? 違うのか?」
「違います!」
「すると……お前たちが同じ船に乗っていた間も、夜の逢引はなかったというのは本当か?」
「当たり前です!」
何を言い出すやらという調子でジョシアが言うと、ファネリッジは暫く考えてから、
「なら、今から行け」
「父上……怒りますよ」
「お前……それで結婚する度胸があるのか?」
「逆です。結婚するまでそういうことはしません」
「そうか……なら結婚しろ。母さんの命日がいいか?」
「……は?」
六日後の命日に、戸惑うジョシア。
「あと六日後に結婚式を行うと言っているんだ。分かったな。
式までの日は、準備に充てていい。
それから、系図に名前を書かなくてはならん。どうしても名前が分からないなら、何か良い名を贈り名しろ」
「ちょ……冗談……」
彼の話も聞こうともせず、父王は去っていった。
「起きろ馬鹿!」
「……ん……」
翌朝、罵声に起こされた。彼女のことでの興奮も、父王の訳の分からない言動で消え去り、床についたのである。
「随分と余裕ですなぁ、王太子様」
神官服――いつものものではなく、畏まった儀式用のものだ――に身を包んだ、ディオだった。
「何だその格好……」
「お・ま・え・だ・ろ」
凄んでから、事態を全く理解していないジョシアに、怪訝な顔をし、
「お前……まさか知らないのか?」
「何を?」
「そうか……陛下か」
一人納得し、次に紙切れを出した。
「夜中、これに叩き起こされた」
ジョシアは羊皮紙を受け取り、目を通す――最中に顔を引きつらせた。
「確かに、考えれば変だったかもな。お前が希望しても、陛下がお許しにならなければこんな王命出ないしな。そう考えれば、この王命の大元はお前じゃないな。そもそも……」
「……本気だった……のか……」
羊皮紙――国王からレクセア家に送られた王命状――を震える手で握り締め、ジョシアは眩暈を感じていた。
昨夜、母の命日に結婚しろと言っていた父の言葉、あれは冗談でも比喩でもなかったのだ。
王命状には、今日の午前中に婚約の儀とある。
「……今日の儀式は俺が務める。父様は、婚礼の儀の準備で夜中から大忙しだしな。
これが手順……おっと、こっちを先に見せないとな」
そこには、ジョシアが王に願い出たとされる内容が書かれてあった。無論、願い出るどころか考えてもいなかったのだから、全て父親のでっちあげだが。
ざっと目を通し、異論はなかった。彼女の守護花は彼と同じくリーリアントとする。彼女には王妃の称号のみを与え、女王への即位は考えない。
まぁ、息子のことを理解している証拠だと思うことにした。
「んで、これ」
大事そうに取り出した箱を開けると、略式のティアラが入っていた。
王家の紋章が刻まれた主石。裏には、王家の家紋と共に、リーリアントの花の紋章がある。――彼の紋章だ。神聖言語で、「我が妃へ」と彫り込み。
「お前が儀式で彼女に与えるものだが……異論はないか? ないな? ぶっちゃけ、急すぎて他に用意できてないんだ」
どうやら、ディオがここに来た理由がこれだったらしい。急いで確認に来たら、ジョシアが寝ていたということだろう。彼が頷くと、大急ぎで出て行った。
「時間ないからな!」
去り際の言葉の通り、すぐに彼は礼装に着替えなければならなかった。
3、リーリアントの墓で
彼女の初めての礼装を、褒める暇もなかった。
儀式は嵐のように終わり、午後になっていた。
父親に抗議をと思ったのだが、王は一番最後にやって来て、一番最初に退出した。その後は取り次いでもらえない。
「殿下、終りましたよ」
乳母の声がして振り返ると、礼装ではないが、間に合わせではない印象のドレスに身を包んだ彼女がいた。
頭には、午前の儀式で彼が被せたティアラ。
「よし、行こう」
彼女の手を取って、言った。
「……ごめん、母上。命日に報告したかったんですが……父上がその日に結婚しろと。急にも程がありますよね」
馬車で郊外に出て更に進み、王家専用の森に来ていた。
森といっても外郭だけで、中には草原も花畑も湖もある。王族以外は立ち入りを許されておらず、王都では二台あった馬車の片方は、森の外で待機している。
その森に囲まれた一角、リーリアントの花畑を見下ろす丘に、二人は来ていた。
墓標だった。もっとも、当初のものではなく――あれは王家の地にすら置かれていなかった――後にファネリッジⅣ世によって建て直されたものだ。
ここにある無数のリーリアントも、王が植えたものである。
墓標には、ジョシアの母の名前と、神聖言語の彫り込み。
――我を許し給え。汝の他に心は譲らぬ。
彼女が、近くのリーリアントを摘んできた。それを墓標に置こうとした彼女の手に、自分の手を重ねると、
「この娘……出身も分からないけど、父上はそれでも後押ししてくれます。勝手なところはありますけど……よく理解してくれていると思います。
本当に、結婚はしたいんです。ただ、急すぎただけで……いえ、この期を逃さず、ですね」
ちらりと彼女に目をやると、親子の会話を邪魔しないようになのか、少し後ろに下がっていた。
「実は、彼女、名前も分かっていないんです。でも、系図に載せる名前が要るので、贈り名しようかと思います。ディオに頼めば、いい名を考えてくれると思うんですが……できれば……」
と、墓標の一部をずらした。石が動くようになっていて、下には空間があった。
死んだら自分の骨をここに入れてくれと、ファネリッジが作った空間だ。
「母上が、俺や父上を愛してくださっているのは知っています。
できれば……彼女も一緒に見守ってください。お願いします」
中に、赤い石のペンダントがあった。
裏に名前が彫られた、それを手に取り、墓石を戻す。
「彼女を幸せにします。俺も幸せになります」
そう言ってから後ろを見ると、彼女がいなかったが、どこにいるかはすぐに分かった。
見下ろすリーリアントの、背の高い花の中を進んでいる。
丘を降りて追いつくと、ペンダントを彼女の首にかけ、
「さ、帰ろう」
言って、彼女を抱き寄せて歩き始めた。
だが、彼女が足を滑らせて転ぶ。体勢を崩し、彼も一緒に倒れた。
すぐに立とうとしたが、一瞬思考が停まった。彼女の顔が間近にあった。
息遣いが、聞こえた。
「…………――――!」
引かれるように、彼女に覆い被さり、唇を重ねた。
リーリアントの茂みが揺れ、真っ白な花びらが散っていた。
命日。彼は、急いで、移されたばかりの部屋に戻った。
父王は、正式な王族ではないから別に礼装でなくてもいいというのだが、やはりきちんとしたかった。
自分も黒い礼装で、彼女を迎えに行く。ディーネがきちんと黒い礼装を着せてくれていた。
「ごめん、時間がない。急ごう」
彼女の頭にあったのは、略式のティアラ。
彼女の唯一の、公に与えられた正装の小道具だ。
政治には出さないと決めていても、こういう場は気を遣う。
何故か、父王は、母の墓から予定よりかなり遅れて戻った二人を見るなり、婚礼の儀は彼の二十二歳の誕生日に延期すると言った。
今日は、毎年恒例の祭典だけが残っている。
婚約の儀を除けば、これが初めての公の場となった。
「大丈夫? リーリア」
ペンダントが、赤い光を放った。最初に刻まれた名と同じ名を贈り名された、花嫁となる娘の胸の中で。
エピローグ ~覇王の剣
彼女は、白い花を眺めていた。
群生する白い花。立つのは小さな丘。側には墓標。
去年、彼と訪れた場所。しかし、今日は一人。
彼も、彼女がここに来ているとは夢にも思わないだろう。この世界での文字を覚えた彼女は、一人自室で読書をしている筈だった。
第一印象は、良かった。意思の疎通が出来ぬ中、それでも彼の人となりは分かった。
――だからこそ。
彼女は、封印を破らなかった。
永久に口を閉ざし、一人の人間に成り下がることを選んだ。
――それでいいと、思う。
せめて、彼の命が尽きるまでは。彼の妻として在ろう。
彼は、覇王となることを望んでいない。ならば、その道は示すまい。
彼は、必要としてくれているのだ。覇王の道ではなく、リーリアントという、一人の妻を。
――それでいい。
彼女の姿が、丘の上から消える。忽然と。
「リーリア様、お茶をお持ちしました」
入ってきた侍女に微笑み、開いていた本を閉じる。
「ジョシア様が、午後に少し戻ってきて下さるとのことですよ」
その一言に、彼女はとびきりの笑顔をうかべ、頷いた。
リーリアント。リーリアント科の一年草。エルベット原産。茎は高さ約一・五メートル。葉は丸く、一箇所に三つ集中。春に、白い細い花びらを放射状に咲かせ、夏まで続く。別名エルベット・ティーズ。
―― Fin ――
魔法のiらんどに掲載時、
「最後のシーンでファンタジーに無理矢理近づけているが、ファンタジーの世界観とは違う気がする」
とのレビューを頂きました。
読み返して、あらほんと! 中世ヨーロッパ調ですが、ファンタジー要素が無かった! と気づきました。
あと、元婚約者ですが……名前がややこしい彼女がリーリアに食って掛かるシーンも考えたのですが……当時の私が女の駆け引きを知らず、断念。
まあ、当時は若かった。
かと言って、王太子の最低台詞、「女王の地位が欲しいならやる。ただ、王妃の地位はリーリアのものだ」に未練がなかったわけではないのですが。
時間があるときに書き直したいです。
なお、Leliantという名前の小説がいくつもあるのは、私が「同じヒロインの名前で複数の物語を作ったらどうか?」と思い挑戦した名残です。
あと、エルベット・ティーズの設定ですが、世界が違うためにファムータルのエルベット・ティーズとは、外見しか一致しません。
咲く季節も違います。
以上、作者解説でした。
2022/03/15 副島王姫