日陰をゆっくり歩く二人
「婚約を解消してくださいませ」
最愛の婚約者からそう言われて、私はため息をついた。
「話を聞かせてもらいたい。時間はあるかな?」
おずおずと頷く彼女を、庭園の東屋へとエスコートした。
「私は王家に嫁ぐのに相応しい人間ではありません」
「王家なんて、相応しい人間を選べるほど立派なものではないよ?」
特に、王太子である私は、本当に立派な人間とは言い難い。
だが、彼女の心配は自己評価の低さゆえ。
「もし、婚約解消が認められたら、その後はどうするつもりなのかな?」
「修道院に入りますわ。そこで静かに穏やかに暮らします」
その願いは、どうしても叶えてやれない。
いっそ王家から籍を抜き、平民になったら一緒にいてくれるのか?
しかし、私は一人っ子だ。
他に王位を継げそうな者も見当たらない。
彼女の家は聖女の家系。
子供はなぜか女の子ばかりが生まれる。
強弱はあるが、全員がなんらかの聖女の力を持っていた。
彼女は5人姉妹の末っ子だ。
4人の姉はそろって力が強く、聖堂に属して大活躍していた。
力のある聖女ともなれば、上位貴族ですら道を譲る。
求心力が十分ではない今の王家では、聖女様方が建前として頭を下げてくださっているようなものだ。
人気取りのためにも、王家では聖女様に嫁いできてもらいたい。
だが、メリットのない結婚に聖女様方は無関心。
弱い癒しの力しかない末娘なら、と彼女をよこしてきた。
気位の高い姫君のような聖女の機嫌を、どう取ろうかと悩んでいた私は、彼女の大人しく清楚なふるまいを見て驚いた。
緊張が抜けて、平常心で接したのがよかったのか、彼女はぽつぽつと生い立ちを話してくれた。
生まれた時から、4人の姉との格差が大きすぎたこと。
物心ついて聖堂で聖女としての認定を受けたものの、特に仕事はないので家に帰ってもよいと言われたこと。
普段、聖堂に詰めている姉たちが家に帰って来ると、まるでメイドのようにあれこれ命じられること。
彼女はそれを全て受け入れていたが、私は義憤にかられた。
私は王子として生まれ、見目だけはお世辞抜きで麗しいと言ってもらえる。
だが、能力は平凡だ。
側近として共に学んだ侯爵家や伯爵家の令息の利発さには、少しも近づけない。
私を持ち上げることも蔑むこともなく、冷静にありのままを見てくれる彼らに尊敬の念を抱くほどだ。
せめて、そんなふうに彼女に普通に接したい。
余計な期待をかけず、もちろん見下すことなどなく、何も心配いらないのだと態度で伝えられたら…
王宮で何度か会ううち、彼女は少しずつ緊張を解いていった。
どんどん雰囲気がやわらぎ、彼女本来の穏やかで優しい魅力がまぶしく感じられるくらいだった。
私はすっかり恋をしていた。
彼女の心も身体も、一生守っていきたいと思った。
それなのに、彼女は突然言ったのだ。
「婚約を解消してくださいませ」
「お姉さんたちに、何か言われたのか?」
「……」
「婚約解消を望むなら、納得できる理由を聞きたい」
姉の一人は、力のない陰気な妹が王家に嫁ぐなどありえない、と思ったようだ。
縁談はすぐに解消され、便利な小間使いが戻って来る、と考えた。
ところが、一向にそんな気配がない。
家に帰った時に妹を呼びつけても、王宮に行っていて不在だという。
しかも、顔を合わせれば、なんとなく雰囲気が明るくなっている。
このまま王太子妃になってしまえば、顔を合わせるたび、自分のほうが頭を下げなければならない。
何か無理を言おうものなら、無能な妹の気分次第で不敬罪を着せられることだってあるかもしれない。
そんなのは御免だと、他の姉妹たちにも相談した。
皆の意見は一致し、示し合わせて同じ日に帰宅し、妹を取り囲んだ。
久しぶりに姉たち全員と顔を合わせた妹は、怯えた。
後は、少し思い出させればいいだけだ。
お前は、日の当たる場所にいるべきではない人間なのだと。
すっかり話し終わると、彼女はうつむいてしまった。
彼女と話ができるのは最後になるかもしれない。
私は後悔のないよう、胸の内をさらけだす覚悟をした。
「私は周りの者に比べて、優れている点など一つもない」
「……」
「だが、王子は私一人だけ。誰かに代わってはもらえない」
「……」
「友人には恵まれたが、何でも頼るわけにもいかない。
出来る限り頑張ろうとする中で、あと少しの勇気を貴女にもらいたいと思った」
「私に?」
「時には弱い私を叱ったり、励ましたり、貴女にはそうしてもらいたいと思ったんだ」
「…殿下」
「本当は、何も心配いらない、私に任せておけと言えればいいんだが。
私は本当に情けない出来損ないで…」
「出来損ないなどではありません!」
心からほとばしるような声だった。
「殿下は私の話を、どんな些細なことでも聞いてくださいました。
私が卑屈にならないよう、いつも心を守ろうとしてくださる大切な方。
私がお慕いする、ただ一人の方です」
言い切ってすぐ、彼女は言葉の意味を思って真っ赤になった。
ベンチから立ち上がって、走り去ろうとする。
だが、私もそこまで間抜けではない。
彼女を掴まえて、腕の中に閉じ込める。
「どこにも行かないで。側にいて」
少しだけ迷うような間があり、やがて彼女は小さく頷いた。
その日から、彼女には王宮に泊まってもらった。
間を置いて落ち着いてから、もう一度きちんとプロポーズした。
彼女は笑顔で受けてくれた。
半年後に結婚した。
彼女の生家は聖女を輩出しているものの、身分は平民。
何も言ってはこなかった。
王家から聖堂への依頼に支障があるかと思ったが、聖堂の職務を管理する者は、聖女個人の我が儘など受け付けない。
聖堂の信頼と評判に傷をつけることは許されない、と聖女たちに告げた。
彼女の4人の姉は力は強かったが、その分限界が早く来た。
容色が衰え始める頃、聖女の力も尽きてしまった。
高慢であり続けた彼女たちを受け入れる家などなく、誰一人嫁ぐことはなかった。
聖女を輩出し何かと羽振りの良かった家も、衰退していくだけだった。
やがて私は王位を継ぎ、彼女は王妃となった。
私と妻の間には、5人の王女が生まれた。
彼女は聖女の血筋をしっかり受け継いでいたのだ。
生まれるのは女の子ばかり。
聖女の力が強い子もいたが、けして高慢にならぬよう、二人でよくよく言い聞かせた。
長女には統治者の才がある。
女王となるべく教育し、私の側近から宰相となった者の子息を王配に迎えることとした。
次女と三女は他国に嫁ぎ、外交面でこの国を支えてくれている。
四女は護衛騎士と恋に落ち、聖堂で聖女として働きながら、苦も無く平民として過ごしている。
五女は引っ込み思案。
何かとかまってくれる王宮魔導士がいるらしい。
妻と相談して、そっと見守ることにした。
「私は平凡でよかった。
お陰で、周囲の皆に助けられ、こんなに幸せだ」そう言えば、
「平凡、という才能があったのですね」
と妻が笑った。
明るい色の花が咲いたような笑顔だ。
その光に照らされて、私も笑顔になった。
感想でいただいた疑問点を解消すべく『魔王の血 聖女の器』を投稿しました。併せてお読みいただければ幸いです。