4話 赤色の気持ち
「あの…… 若いっていうのはいいことなんですがね…… 」
救急隊員が部屋に入って来た時には、俺達は熱烈なキスの真っ最中だった。
キスに慣れてきたのか楓はなかなか実体に戻らず、舌を入れてみたり強く抱きしめてみたりして、やっと実体がピクピクし始めたのが救急隊員を連れた支配人が部屋に入って来た時だった。
「いや…… 救急車はいらないと言ったんですが…… 」
「万が一ということもありましたので 」
支配人は意識のない楓を見て、最悪の状態を想定したらしい。
「ホントに大丈夫ですから。 か、彼氏も来てくれましたし、アタシよくこうなっちゃうんです 」
楓も苦し紛れの言い訳をしたが、『状態だけ確認させて下さい』という救急隊員に負けて診察を受ける事になった。
「心拍数が少し速いですね 」
「はぁ…… ドキドキしましたから 」
「血中酸素濃度が少し薄いですね 」
「はぁ…… 息止めてましたから 」
「熱い抱擁も大概にしてくださいよ? 」
最後の言葉は、俺に向けられたものだ。
俺も楓も返す言葉がなく、俯いて救急隊員を見送った。
「お騒がせしました 」
支配人に頭を下げて部屋を出ようとすると、『お待ち下さい』と優しい声で呼び止められた。
「もうこんな時間ですし、貝塚様も当ホテルにお泊まりになってはいかがですか? 幸い空き部屋はございますから 」
「え…… と 」
迷惑もかけたし、広島駅から近いこともあってそうしたいところなんだけど、生憎現金の持ち合わせがない。
帰りの新幹線も始発でしか予約が取れなかったので、駅のロビーで時間を潰そうと思ってたのだ。
「ありがたい話なんですけど、すいま…… 」
「お願いします! この部屋で構わないので燈…… 彼氏を泊めて下さい。 追加料金はアタシが払います! 」
断ろうとすると、楓に後ろから引っ張られて押さえられてしまった。
その姿が滑稽だったのか、支配人は眉をひそめて苦笑いをする。
「通常はツインのお部屋に追加は出来ませんが…… それで良ければお安くしておきます 」
支配人はそう言うと一礼し、ドアの前で一度振り返った。
「若いっていいですねぇ…… 隣のお部屋のお客様に迷惑にならないようにお願いします 」
最初は支配人が何を言いたかったのかわからなかったが、少しニヤニヤしながら出ていったのを見て下ネタ系だった事に気付いた。
「「しないわ!! 」」
ドアが閉まった途端、楓と見事にハモって怒鳴る。
何を想像したのか、楓は俺をじっと見つめて徐々に顔が赤くなっていく。
「…… する? 」
「す…… しねぇよ! 」
からかうつもりなんだろうから、誘惑に負けず力一杯断ってやる。
「何よ! どうせアタシには魅力ないけど、そんな全力で断らなくてもいいじゃない! 」
「い、いや待て! するって言ったらお前は俺が相手でもいいのかよ? 」
「…… 嫌よ! アンタこそアタシとする気なんてないくせに、するとか言わないでよ! 」
ワケわからん! 無性に腹が立ってきた。
「ああ!? 紫苑なら土下座してもお願いするけどな、お前とは絶対ないな! 」
楓からプチッと何かが切れる音がした…… ような気がした。
「あったま来た。 その言葉、忘れるんじゃないわよ! 」
バチィン
「痛ってぇ! 」
楓のフルスイングのビンタを左頬に食らい、痛さのあまりベッドに転がった。
「おふっ! 」
腹部に強烈な圧迫感! 何かと思えば、楓が俺に馬乗りになって両手を押さえてくる。
「な、なんだよおま…… ふぐっ! 」
突然受けた楓からのキス…… 震えながら唇を強く押し付けてくる楓に、思わずそのまま固まってしまった。
しばらくキスをした後、楓はゆっくりと起き上がってブラウスのボタンを外し始めた。
「ばっ!? なにやってんだよ! 」
「うるさい! アタシに興奮したらアンタの負けだからね! 」
真っ赤な顔でブラウスを脱ぎ捨て、白いフリルのついたピンク色のブラが露になる。
涙目で背中に手を回し、プルプルと震えながらブラのホックに手をかけた所で、俺は馬乗りになっていた楓をはね除けて逆に押し倒してやった。
「俺だって男だぞ! 興奮するなって方が無理なんだよ! 」
俺の反応が予想外だったのか、楓は目を見開いて固まっていた。
「服脱ぎ捨てて、こんな状況で、何されてもお前は文句言えないからな! 」
「…… いいわよ。 エッチしようよ 」
微笑んだ楓の目には涙が滲んでいた。
瞬きをすると、溜まっていた涙がこめかみを伝ってシーツに落ちる…… それを見て、俺はふと我にかえった。
「…… え? 」
首に回される腕に、緊張がマックスになって動けなくなる。
「こんなに近くにいるのに、アンタは紫苑から揺るがないんだもん…… 」
あの…… 何を言ってるのかよくわかりませんが……
「アタシじゃダメ? 」
顔をグシャグシャにし、涙を溢すこんな楓は初めてだった。
「アタシじゃ紫苑の代わりになれない? アタシじゃ…… アンタの側にいられないの? 」
「楓…… 」
グスグスと鼻水まで垂らし始めて…… まるで駄々をこねる子供みたいだ。
「気付いたのは最近だけど、ずっと好きだった! でもアンタは紫苑が好きだからアタシは引き下がらなきゃって! でもアンタは肝心な時に必ず側にいてくれて! 卑怯じゃない! 」
順序や文脈なんて気にせず、言ってる事は滅茶苦茶。
だけど思った事を涙ながらに口にする楓に、俺は何も言えずただ聞くことしか出来なかった。
「迷惑かけないようにって何度も諦めようとして…… 今朝だってこれが最後だって決めたキスして! でもヤだよ! 諦めたくないよ! 」
「楓、落ち着けって…… 」
「嫌わないでよ! 離れないでよ! 」
「楓! 」
楓の細い体を力強く抱きしめて、ベッドに埋めるように押し倒す。
「嫌いなんかじゃない! 離れないから! 」
近くにいたのに気が付かなかった楓の本音…… 気丈で強気な性格とは裏腹に、楓はずっと独りになるのが怖かったんだ。
「燈馬ぁ…… 」
首に回された腕に力が入る…… 俺達は何をするわけでもなく、ただその場で抱き合ったのだった。