1話 鳥栖 楓
燈馬が好き。
いや、あんな平凡でガサツでエッチでシスコンなんてアタシの好みじゃないし、ケンカ口調で突っ掛かって来る奴なんてあり得ない…… と思ってた。
確かに最初はアタシからアクセスしたんだけど、アタシには蒼仁先輩という憧れの方がいるんだから、全く違う燈馬なんか眼中になかった筈だった。
アタシを体に戻してくれた、あのキスから。
視界に入れば目で追い、側にいなければ燈馬の事ばかり考えてる…… アタシはなんてチョロいんだろう。
今思えば、燈馬に出会う為に幽体になったんじゃないかとまで考えてしまう…… 実は、幽体のアタシに気付いた人は他にもいたけど、助けを請うまでには至らなかった。
その相手も燈馬みたいにアタシが見える訳じゃなく、アタシの気配だけしかわからなかったようだったし、全ては燈馬と巡り会う為…… なんて、ホントチョロすぎると思う。
「んが…… ムニャムニャ…… 」
「フフ…… どんだけ無防備で寝てるのよ、アンタは 」
お父様のベッドで大口を開けて熟睡している燈馬の顔を見ながら、頬を突っついたり耳たぶをいたずらしてみたり。
どんなに雑に扱われても、やはりコイツの事ばかり考えるのだから、アタシは真剣にコイツの事が好きなんだと納得するしかない。
「責任、取ってよね 」
鼻の頭を人差し指で突っつくと、『んが』と鼻を鳴らして向こうを向いてしまった。
幽体のアタシを元に戻してくれたのはコイツ。
リハビリを頑張る力をくれたのもコイツ。
蒼仁先輩と仲良くなれたのも、銀也のしがらみを断ち切ってくれたのも…… ううん、なんだかんだでいつも側にいてくれるんだもん。
好きになるなと言う方が無理な事だ。
「だから、これが最後かな…… 」
燈馬の顔の向きに合わせてベッドの反対側に回り込み、燈馬が起きないようにそっと唇を重ねた。
燈馬には好きな女性がいる…… アタシはその中には相応しくない。
少し長いキスをした後、アタシは燈馬の寝室から出てまとめた荷物を取りに二階に上がる。
今日は大晦日で、これからお母さんと一緒にお父さんの住む広島に向かうのだ。
理由はアタシの戸籍を鳥栖から古千佳にする事。
それと多分、生活費をねだりに行くんだと思う…… パートでしか収入がない我が家は、半分を父親に頼らないと生活がままならない。
「それじゃ、行ってくるね…… 燈馬 」
ボストンバッグ1つとショルダーバッグを身につけて、アタシは朝早くに貝塚家を後にした。
一度後ろを振り返り、朝陽の射し込む貝塚家をしばらく見つめる。
別にもうここへ帰って来ない訳じゃない…… もう燈馬や菜のはちゃんに会えない訳じゃないけど、離れるのがとても寂しく感じる。
長くてもたった一週間なんだから、それくらい我慢しなきゃ。
アタシは燈馬のお父様に買ってもらったスマホをバッグから取り出し、それを握りしめて母親の待つアパートへと歩き始めた。