前世の記憶
珠洲には人とは違う事が一つだけある。それは前世の記憶を持っている事。ネタとか目立つためとかじゃなく、本当に平安時代の貴族の姫の一生分の記憶を持っていた。物心ついた頃は何故そんな記憶があるのか自分でも分からなかった。両親に話しても子供のよく出来た作り話だとしか思われなかった。
長じて小学生になり、図書館の存在を知ってからは毎日のように自分の中にある記憶の欠片を探した。でも、地元の郷土史を辿っても、そのような記録は残っていなかった。中学校になり、自分の中にある記憶が平安時代の京都や北陸地方に関係するものだと知る。図書館で平安京の俯瞰図を見た時、あまりの正確さに空恐ろしくなったほどだった。
(ここは違う・・・そうか、時代が古くてまだ屋敷が作られてないんだ)
たまたまその書籍に載っていた平安京の俯瞰図と説明は平安時代の初期のもので、自分はもう少し後の時代にいたのだと知る。
図書館に通い詰めると、自然司書の先生とも仲良くなり、多少閉館時間が過ぎても大目に見てもらえた。
「野瀬さんは勉強熱心ね。将来が楽しみだわ」
司書の先生は目を細めて珠洲を見た。珠洲にしてみれば、自分の中にある記憶が何であるのか知りたくて来ていたので、司書の先生が期待する事とはちょっと違っていたが、黙っておく事にした。
図書館、それも関東にある小学校の図書館では、京都や北陸の事を調べるには限界があった。そこで司書の先生にもっと京都や北陸についての書籍が見たいと言ったら、町の図書館や書籍専門店を紹介された。
「野瀬さんはどうしてそんな事に興味があるのかしら?」
一度、司書の先生に聞かれた事がある。
「私の頭の中に、平安時代の記憶があるんです」
珠洲は素直に答えた。更に質問を重ねる先生に詳しい内容を話した。ただ、話す度に司書の先生の表情が曇っていくように感じられた。
翌日、教育指導の先生に呼び出され、家庭訪問をすると伝えられた。私は訳が分からず頷くと、数日後に母親を交えて教育指導の先生から話があった。内容は司書の先生に話した事だった。
「お宅の娘さんが平安時代の記憶があると言っているが本当か」
私の母親はびっくりしたように首を振った。
「そんな話、聞いた事がありません」
母は私を見た。実はこの記憶に関しては、誰にも話した事がなかった。何故か人に話すのが怖かったのと、そう、あの司書の先生が浮かべた表情を懼れていたのかも知れない。
教育指導の先生は一度病院で診断を受けてはと勧められた。
「私も専門家ではないので何とも言えんのですが、実際前世の記憶を持った人がいると聞き齧った事があってね」
教育指導の先生の目を窺い見ると、明らかに信じていない様子が感じられた。
「私は嘘は言ってません」
子供心に大人に信じられていない事に酷く憤慨した。目立ちたくて、そんな空想話でもしていると思っているのだろうか。
「そ、そんな事を言ってないよ野瀬さん」
取り繕うように弁解がましく言う教育指導の先生を冷ややかに見た。一方で、あまりこの話はしない方がいいのだろうと子供心に思った。
結局病院に行く事もなく、小学生時代は終わった。
中学生になると、珠洲はポジティブで勉強もでき、多くの友人を得た。どうも自分は容姿的に人より優れているのでは思い始めていた。それと言うのも、男子の自分を見る目や女子からの羨望の言葉を多く受けたからだ。手足は長く、顔も整っており、胸の膨らみは同級生の中では飛び抜けていた。中1の時に一つ上の先輩から初めてコクられた。友人に相談すると、
「男子バスケで2年生だけどキャプテンやってるイケメンじゃん」
皆から羨ましがられた。どうもその先輩はもてるらしい。だけどコクられた事はあったが、コクった事はないという噂だった。女子は一体どこからそんな情報を仕入れてくるのか不思議だった。
放課後体育館裏に呼び出され、その先輩に付き合ってほしいと告白された。でも、珠洲は断った。ちょうどその頃、例の前世の記憶についてもっと知りたいという衝動に駆られていて、珠洲的にはそれどころではなかった。
珠洲がその中学で1、2を争うイケメンを振ったという話は瞬く間に学校中に知れ渡る。珠洲はその直後から頻繁に男子からコクられるようになる。男子から好意的に見られる事自体は悪くはないが、女子からの嫉妬や嫌がらせは如何ともし難く、
「恋愛はちょっと・・・」
と奥手なニュアンスをした。実際奥手だったのかも知れないし、今でも方便だったのか、違う理由があったのかよく分からない。とにかく、あまり男子とはなるべく話さないよう心掛けた。それなのに、『お高く留まってる』なんて陰口を叩かれるのは本当に心外だった。
珠洲は本に飽き足らず、京都や北陸に行きたかったが、出張で海外を点々としている父親にさえ、
「まだ一人旅なんて早すぎる。もう少し我慢しなさい」
と釘を刺されてしまい、断念した。
それでも前世の記憶に対する好奇心は止まず、実際世界中に前世の記憶を持った人が少ないながらもいる事を知る。その中でも興味深いのは、仮に前世の記憶を持っていても、大抵は幼少期に発現し、大人になるにつれて記憶が無くなってしまうケースが多いという点だった。大体幼少から10歳くらいがピークで、それ以降はストンと落ちたように記憶が無くなってしまうらしいと物の本で読んだ事がある。でも、珠洲のそれは大人になっても、消える事がなく色々な経験を積むにつれ明確になっていく事から、本当の前世の記憶だと確信した。
そんな中でふと、あの人も輪廻の輪の中にいるのではと思った。そうとでも思わなければ、この記憶が何故自分にだけあるのかという説明がつかなかった。
高校生になった。珠洲は両親や先生の反対を押し切って、中の上くらいの公立高校に進学する。特に先生はもっと上の学校を狙えたのにと残念がる。図書館で前世の記憶を調べていくうちに、珠洲は自然に勉強が出来るようになっていた。予習も復習も図書館に通い詰めの珠洲にしてみれば、前世の記憶を調べるための予備体操みたいなものだった。
そんな中で悲劇が起きる。
熱心に前世の記憶を調べる珠洲。どこで聞きつけたのかクラスでその事が知れ亘ってしまう。珠洲はこれを幸いに、ガチでその事を話してしまう。反応は人それぞれだった。ただ、それを境に珠洲は美人だけど残念な性格、電波が入っていると噂される事になる。気味悪がられたり、話盛ってんじゃねえよと言われ、多くの友人が珠洲の前から去って行った。その頃、普通に付き合い始めた恋愛相手にも敬遠され、破局したケースがあった。
それ以降、珠洲は前世の記憶を話題にしなくなる。
そんな中で佐名木 一重だけは珠洲の話を信じてくれた。
「ま、私も詳しくは言えないけど・・・珠洲の話に共感出来る事があるから」
正直珠洲としても一重の言い回しはとっても微妙だったけど、よくよく考えてみたら、自分の言っている事は人から見ればとても突飛な話だと思うし、それを信じると言ってくれる一重はとても大切に思えた。一重にも何か秘密があるようだが、いずれ話すと言われたきり、未だ語られていない。自分の前世の記憶より突飛な内容なんだろうと、珠洲は無理に聞き出すつもりもなかった。
一重は珠洲と出会って以来、運命と言う言葉を信じるようになった。同じ時代に生まれ落ちてきたのは偶然ではないと・・・
不思議なもので、一重とは大学も同じで、就職先も同じになった。珠洲は一重との縁というものを強く意識した。そして生涯を通じて大切な親友になるのではないかと言う予感があった。
今も職場や電話、仕事帰りに寄った店で前世の記憶について語り合う事がある。
「『野の君』が昔存在したとしても、現代にいる訳じゃないでしょ?だったら、親の言う通り、現実的な選択肢も考えていいんじゃない?」
一重は酒が入ると口が柔らかくなると言うか、有り体に言えば毒舌になる。才女故、理論整然としている。でも、頬はちょっと桜色を帯びている。
「別に・・・『野の君』と比較するつもりはないよ。ただ、『野の君』のインパクトは私の中では強力なのよ」
言い訳じみてしまうのは、珠洲の心のどこかでは一重の指摘に一理あると肯定しているからだろうか。
「それに・・・1000年以上前の人と今の人、比較にならないでしょ?」