前世の事
「ここ数か月で記憶の断片が20くらい増えたんです」
貴臣が自ら積極的に前世の記憶について話し掛けてきた。
「へえ・・・」
珠洲はリビングのソファに寝転び、聞く体勢を取った。最近は会う度に、貴臣の断片的な記憶を聞く事が日課になっていた。
「今回は特殊で、まだ連続性はないんですけど、一つの風景の描写を小間切れにした断片的な記憶なんで、順序も分かるんです」
大きな湖の畔を数人の家人を伴い、建設中の都に足早に向かっている最中だと言う。近江大津宮の事だろうか。私たちは素気無く入京を断られたが、彼は父親の邸宅に数泊したのかもと知れない。
「珠洲さん。考えてみれば、この断片的な記憶が何にせよ、途方もない時間の流れを感じてしまうんです」
「うん、私も」
珠洲は同調するように微笑んだ。一体、この女はどこまで知っているのだろうかと。珠洲は自分の前世の記憶について何も語らないけれど、しっかりとした意思は感じる。普通の人であれば、引くかおかしな物を見るような目を向けるだけ-貴臣が他人に語らなかったのもそれが何より怖かった-だったろう。でも、珠洲はこんなとんでもない話も黙って耳を傾けてくれる。真の意味で、貴臣は安らぎを得た居心地のいい場所だった。自分をこの記憶だけで見い出してしまった珠洲は、27年間ずっと探し続けていたのではと思うと、畏怖よりもこの女を大切に扱わなければいけないと想う気持ちが上回った。
一方の珠洲にとっては、前世の記憶はある意味足枷であり、「野の君」と貴臣を結ぶ接点でもあった。もし前世の記憶が珠洲になければ、こうして貴臣と出会う事はなかっただろう。でも、珠洲の中で、無意識のうちに「野の君」と貴臣をどうしても比較していた。この1000年の間に「野の君」は珠洲の中で神格化されてしまった。現代に住む珠洲にとって、前世の記憶に引き摺られてしまうのは、一種の歪みを抱えている事にもなる。相反する時はいくらでもあり、それをどうやって見切りをつけていくのか。
(たぶん、貴臣君も全てを思い出した時、同じような矛盾や歪みに苦しむのか知れない。果たして、私はどこまで貴臣君をフォロー出来るのだろうか)
「そう言えば・・・」
珠洲は不意に思い付く。
「断片的な記憶って写真の一枚みたいなものよね?声と音とかの記憶はあるの」
全くの盲点であった。
「声とか音ですか・・・ない事もないです」
貴臣君は答えた。
「どんな?」
貴臣がソファの端っこにちょこんと座ろうとすると、珠洲は足をどかしてスペースを作ってくれた。貴臣はアイコンタクトでありがとうと言った。
「例えば、人の足音とか、女性が「こっちに参れ」と言ってたり、自分がしゃべってたり、あと「姫様」とか」
珠洲はドキッとした。
「『姫様』って?」
慎重に言葉を選んで珠洲は貴臣に尋ねた。
「手紙にそう書いてあって、自分(?)が読み上げているようなんです」
断片的な画像に僅かな音や声が付随するように頭の中に残っているのだと説明してくれた。
「一応、プチ動画みたいな」
「じゃあ、映画はもう直ぐだね」
珠洲はクスッと笑う。
「そうですね」
貴臣は同調するように微笑んだ。ちょっといい雰囲気になり、察した珠洲が起き上がる。貴臣は珠洲を軽く抱き寄せた。貴臣の仕種がちょっと恐る恐るという感じだったので、珠洲は進んで貴臣の胸に身体を寄せた。貴臣は珠洲の胸の感触に戸惑いながら、手に力を込めた。
(ああ、幸せ)
珠洲は貴臣に身を委ねた。