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君の國(ほし)  作者: mocha
第1部(現代編) 第4章 前世の記憶
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一重とバーテンダー

 その日、珠洲の同級生のバーテンダーの藤原は開店間もなくグラスの手入れをしていた。

『|Nocheノーチェ tranquilaトランキーロ』は店名である。オーナーがちょっと透明感のある落ち着いた店を目指し名付けたと言う。バーを開く前は『glass』と言う店名だった。カウンター席の後ろにはカクテル用も含めた色々な国のアルコールが置かれ、また、様々な色彩のグラスが壁際に所狭しと置かれていた。

 店のドアが開く。

「いらっしゃ・・・」

 藤原は思わず言葉を中断してしまった。珍しく一重(ひとえ)が一人で来店してきたのだ。

 この男、バーで働いている割に小心者なのである。

 一重(ひとえ)はカウンターの向こうの藤原を見つけると少し微笑みながら止まり木に座った。

(ち、近い)

 藤原は少し困惑した顔をした。一重(ひとえ)が藤原の真向かいの席に座ったからだ。他のバーテンダーや店員が察したように二人の傍を離れた。

(こういう時だけ察しがいい)

 藤原は内心苦笑した。

「ブレイブ・ブルを」

 止まり木の位置を調節してから、一重(ひとえ)はさり気なく注文した。

随分(ずいぶん)渋い物を・・・」

 藤原は呟いた。

「出来るんでしょ?」

勿論(もちろん)

 藤原はロックグラスを手に取り、氷を入れる。ステアした後、リキュール類を加え、再びステアする。間断ない手際の良さを一重(ひとえ)はうっとりと眺める。カクテルの良さは、その味わいは勿論(もちろん)の事、一流のバーテンダーが作る手際を眺め楽しむ事である。それが一重(ひとえ)の持論である。

 ロックグラスが一重(ひとえ)の前に静かに置かれる。

「どうも」

 一重(ひとえ)はちょっと済まし顔でグラスを手に取る。照れ臭さを隠す素振りだった。グラスを傾けると中の氷がカラカラと音を立てた。一口含む。

(苦味が程よいわ)

 酒好きの一重(ひとえ)も納得の逸品だった。でも、称賛はしない。

如何(いかが)です?」

 藤原は恐る恐る聞く。客が一重(ひとえ)でなければ、先に素晴らしいと讃えられるか、『如何(いかが)です?』と言う問い掛けも自信を持って聞けるはずだ。

「・・・まあまあね」

 正直、藤原はお酒に関して一重(ひとえ)がどれくらい通であるか分からない。今までもさり気なく聞いた事があるが、微笑みで躱されるばかりだった。藤原は好きと言う以前に、一重(ひとえ)に対して畏怖に近い気持ちがあるようだ。本人は自覚していないので、自分のこの気持ちを持て余し気味だった。藤原はカクテルの話は諦めた。

「一人なんて珍しいね」

「まあ、ね」

 一重(ひとえ)が珍しく曖昧な返事をした。彼女は意外と物事はズバズバと言う性格なのでちょっと違和感を感じた。人に対しては毅然(きぜん)とした話し方をするが、いざ自分の事になるとあまり話たがらない。秘密主義と言うか、最近思い始めたのは自分の性格を量り兼ねているようにも見えた。

一重(ひとえ)って、竹を割ったような性格だからね・・・あ、随分(ずいぶん)古臭い言い回しだ。27になると嫌よね、言葉(づか)いも気をつけなきゃね』

 会社で年下の部下を持つ珠洲の言った事を思い出す。

 藤原は不意に珠洲が大学生ぐらいの男の子を連れて来店した事を思い出す。

「そう言や・・・珠洲ちゃん、最近彼氏出来たの?」

 一重(ひとえ)は思わず吹き出しそうになる。

「どうしてそれ・・・ああ、この店に来たとか言ってたわね、あの()

 一重(ひとえ)は自己完結する。

「珠洲・・・最近付き合い始めたわよ、その大学生君と」

「あれ・・・珠洲ちゃんて年下好きだったっけ?」

 藤原はさっきからずっと手を止めていた。同僚の視線に気付き、慌ててグラスを補充し始めた。バーテンダーも雑用も含めてやらなければならない事が多いのだ。店員の女の子の何人かがひそひそと話をしている。

「あれが藤原さんの想い人?」

「何かイメージ違うなあ」

 一重(ひとえ)の外見は年相応で、一見小柄のためか、大人しい(ひと)だと思われるらしい。珠洲や藤原には毒を吐く事もあるが、会社では猫を被っている訳ではないが、少し口下手なところもあり、あまり私語を交わさない。元来内向的なのかも知れない。一見矛盾しているように見えるが、要するに内弁慶で交友関係も狭く深くなのだ。交友関係には珠洲や藤原や大学時代の友人数人も入っている。

(また、身体が絞れてるな)

 藤原はさり気なく夏服姿の一重(ひとえ)の上半身を盗み見た。高校時代からあまり体型が変わっていないように見える。こう見えてアウトドア派で、ジムやスカッシュ、サイクリングを中心に身体を動かす事が好きなのだ。均整が取れた身体付き・・・藤原のどストライクだ。

 藤原もジムに通っていて、マッチョとまではいかないが、それなりに体格には自信がある。こういう商売である。声音と表情、体格で相手を威嚇する時もある。

(スカッシュ、誘えたらなあ)

 藤原は溜め息を吐く。一重(ひとえ)はマイペースにカクテルを楽しんでいて、藤原の溜め息には気が付かなかったらしい。もっとも、藤原の作るカクテルはお気に入りのようで月に結構な頻度で店に来る。大抵(たいてい)は珠洲と一緒だったが・・・

「高校時代、藤原君も珠洲のクラスメイトだったよね」

「え?ああ」

 唐突に話を振られ、藤原はキョトンとした。

「その頃、珠洲が前世の記憶があるってカミングアウトして、クラスで孤立しちゃった事覚えてるかしら?」

 思いも掛けぬ質問に、藤原は過去を探るような目をした。

「そう言や、輪廻(りんね)とか転生とか。フレンドリーで美人でモテモテだった珠洲ちゃんが、あれを境に孤立して口数が少なくなったような・・・」

 藤原が一重(ひとえ)を見ると明らかに不機嫌になっていた。

(えーっ!何故に?一重(ひとえ)ちゃんの地雷踏んだ?もしかして)

 藤原は必死に原因を探った。数秒の間に何度も自分の発言を反芻(はんすう)して、(ようや)く心当たりに辿(たど)り着いた。

「す、珠洲ちゃんは・・・確かに美人でモテモテだったけど、俺の守備範囲じゃなかったから・・・あまり関心がなかったなあ」

(うっわっ、棒読みじゃん)

 バーテンダーにあるまじき物言いであった。

「あら、藤原君そうだったの」

 明らかに一重(ひとえ)の機嫌が直ったので、藤原は一安心した。

 次の瞬間、一重(ひとえ)が躊躇したように見えたがいつもの表情に戻っていた。

(ちな)みに・・・藤原君の守備範囲って?」

 言った後でいきなり一重(ひとえ)が突っ伏した。

(あたしったら、何と言う事を)

 藤原の守備範囲が分かった時点でジ・エンドかも知れないと気が付いたからだ。

 藤原は藤原で言葉に詰まっていた。本人を目の前に自分の守備範囲を答えられるかよ、と。ふと一重(ひとえ)を見ると、自分の失言に動揺が見て取れた途端、藤原の頭は一瞬にして冷静になっていた。

「俺の守備範囲ですか?」

 一重(ひとえ)が慌てて藤原の言葉を止めようと口を挟み掛けた。だが、藤原の方が早かった。

一重(ひとえ)ちゃん・・・一重(ひとえ)ちゃんのご想像にお任せします、一重(ひとえ)ちゃん」

 『一重(ひとえ)ちゃん』は重要なので3回言いましたと藤原は真剣な眼差(まなざ)しで一重(ひとえ)を見た。

「・・・・・」

 見つめられた一重(ひとえ)は視線を逸らした。頬が少し赤みが差していた。酔っているのか、照れているのか・・・

 二人の間に沈黙が続いた。でも、心地よい沈黙だった、お互いに。

(いかんいかん、手が止まっている)

 慌てて製氷機の氷を確認した。

「藤原さん、オーダーっす」

 バーテンダーの一人が声を掛けたの幸いにシェーカーを手にする。シャカシャカとリズミカルにシェクする。常連の中にはわざわざ藤原のカクテル所望する客もいる。それだけバーテンダーとしての才能と属性に藤原は恵まれていた。

 カクテルを指名した客の前に置くと、初老の男性は笑みを浮かべる。藤原はさり気なく会釈し、定位置に戻る。定位置に他のバーテンダーがシフトしていようものならば、足蹴(あしげ)にしてでも定位置を取り返す。藤原が一重(ひとえ)にぞっこんと言う話がまことしやかに語られるようになってからは、藤原の覇道を止めるバーテンダーはいなくなかった。それが先輩のバーテンダーであっても。逆に藤原と一重(ひとえ)を暖かい眼差(まなざ)しで見守っていた。

 藤原は自分の事で一杯一杯で気付いていないが、目敏(めざと)いバーテンダーや店員は一重(ひとえ)が藤原に気があるのは何となく察せられた。さっきも藤原のシェイクの手際をうっとりと見ていた事からもバレバレであった。ちらちらと藤原の表情を(うかが)いながら・・・

 でも、謎は残る。はっきり言って相思相愛のはずなのに。

(二人ともヘタレだ)

 藤原を除いたバーテンダーと店員は悟った。

 定位置に戻った藤原は会話を再開した。

「で、その事と例の大学生の関係って?」

 藤原に言われ、一重(ひとえ)は我に返った。

(どうしようか)

 一重(ひとえ)は珍しく躊躇した。

(でも・・・)

 高校時代の電波発言(?)で珠洲から多くの友人が離れて行ってしまった。その中で自分とこの藤原だけはその後も相も変わらず珠洲と友達付き合いを続けてきたのだ。もっとも、当時は藤原はチャラくて、(ほとん)ど何も考えていなかった節があり、クラスの空気を読んでいなかっただけかも知れないが・・・

「あの大学生君が前世で恋人だった人の生まれ変わりなんだって」

「ず、随分(ずいぶん)とロマンチックな話だね」

 藤原は普通に答えた。

「・・・・・驚いたり、呆れたりしないのね」

「いやあ、それが・・・珠洲ちゃんの話に何と言うか、シンパシーを感じてたんだよね、当時の俺」

「シンパシー?」

 藤原はどう言ったらいいかと頭を掻いた

「同情じゃなくて・・・実は俺も前世の記憶って言うの?頭の中にあってさ。あの頃の俺ってチャラチャラしてたから、ダチに真面目に話しても誰もちゃんと取り合ってくれなくて、笑い話にされてたんだ。だからさ反面教師じゃないけど、珠洲ちゃんの一件があってからはダチには二度と話さなくなった」

「記憶、あるんだ?」

 一重(ひとえ)は驚いた顔をしていた。

「うん。それとさ、これは口説き文句じゃないぜ。高校の時に珠洲ちゃんと一重(ひとえ)ちゃんに初めて会った時、何か古い友人に再会した感覚があったんだ」

(そこで口説けよ!!)

 客も含め、二人以外の全員が心の中で突っ込みを入れた。

 藤原がふと一重(ひとえ)を見ると、瞳から大粒の涙を流していた。泣き顔を藤原に見られたくないようにそっぽを向いて両手で顔を(おお)った。

(ま、また地雷踏んだ?)

 藤原がオロオロとした。

(さすがに今回は分かんねえぞ)

 どんなに考えても、一重(ひとえ)を泣かすような発言はしていない。たぶん、していないと思う。していないじゃないかな。段々弱気になるヘタレ藤原だった。

 ちょうどその時、肩を叩かれた。オーナーだった。

「藤原君、今日は店はいいから。このお嬢さんを家まで送って差し上げなさい」

 普段は店に出ないオーナーが、今日に限って店に顔を出していた。どうも様子を(うかが)っていたらしい。

「でも・・・」

 割と根が生真面目な藤原はオーナーの計らいとはいえ、途中で仕事を投げ出したくなかった。

「こんな状態でこのお嬢さんを一人で帰したら危ないよ。君、車で来ているんだよね?車で送って差し上げなさい。これは業務命令だよ」

 オーナーにぴしりと言われ、藤原も断わり切れなかった。

「すいません」

 藤原は他の同僚と客に頭を下げ、最後にオーナーに深く頭を下げると、定位置を出てカウンターの外側に回り、泣き止まない一重(ひとえ)を立ち上がらせ、特別に店の関係者通路を使わせてもらった。一重(ひとえ)を助手席に座らせると、ゆっくりと車を走らせた。


 店内では、粋な計らいをしたオーナーは関係者・客を問わず喝采を浴びていた。オーナーはドヤ顔だった。

 その中でバーテンダーの一人がポツリと言った。

「でも、オーナー。藤原さん、このまま送り狼になったりしませんよね?」

 一瞬、店内に沈黙が走った。バーテンダーと客が顔を見合わせた。機器の故障か、BGMも聞こえなくなっていた。

「ハ、ハハハ」

 オーナーは場を繕うように笑った。

「藤原君に限ってそんな事はないさ」

 オーナーが毅然(きぜん)とした態度で言ったので、安心したように再び店内に喧噪(けんそう)が戻った。BGMも店員が調整したようで流れ始めた。

 だが、内心オーナーは冷や汗を掻いていた。

(・・・送り狼は想定していなかった)

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