野の君との再会
せっかくボックス席でゆっくりと飲めると思ったのに、とんだ災難だと珠洲は思った。店主が珠洲たちのボックス席に来て頻りに頭を下げていた。珠洲たちは問題ないと丁重にお帰り願った。
「久し振りに居酒屋に来たけれど、客の質が下がっているわね」
一重が日本酒を呷った。毒舌が炸裂した。
「運が悪かっただけでしょ?季節柄、お花見気分が抜けなくて困ったものよね」
珠洲は一重の毒舌を受け流した。二人のボックス席を通り過ぎる人が多かった。さっきの騒ぎの余韻だと思われた。
(やれやれ・・・久し振りの居酒屋なのに)
これでまた、こういう店は入り辛くなるなと内心溜め息を吐いた。珠洲は何気に座敷の大学生の集まりに目に入った。合コンかなと何とはなしに思った。その中の一人を見た途端、珠洲は雷に打たれたように身体を震わした。
「どうしたの?」
グラスを持ったまま愕然としている珠洲を、一重は訝し気に見た。
「彼、だわ」
「彼?」
珠洲の言う「彼」が誰を指すのか一重には見当がつかなかった。次の瞬間、グラスを置いた珠洲が座敷に向かって歩き出した。
「ちょ、ちょっと、どこ行くのよ」
一重の制止の声を振り切り、珠洲は大学生と思しきグループがいる座敷の入り口に立っていた。
入口近くにいた幹事らしき大学生が珠洲に気付いた。
「えっと・・・」
(うわっ、超美人じゃん)
年上の美人が座敷の中を凝視しているのを見て、幹事は狼狽えた。彼女がそのまま個室にずかずかと乗り込んでしまっても何も出来なかった。
珠洲は一人の大学生の背後に近づいた。隣りの学生が珠洲に気付き、彼を小突いた。
「何?」
彼は隣りの学生を見た。後ろを指差されたので振り返ると、見知らぬ年上の女性が立っていた。
(綺麗な人)
それが彼の第一印象だった。でも、何故か懐かしい気持ちが込み上げていた。
珠洲の両手がすっと伸び、彼を背後から抱きしめていた。
「えっ」
突然の展開に彼だけでなく、近くの学生は言葉を失った。
「やっと、見つけた」
珠洲はただ一言だけ呟いた。
その後の展開は珠洲すら予想出来ないものになった。後から思うと、ホントに酒の酔いのせいにでもしちゃいたいくらいの大胆な行動だった。例の大学生の手を取り、合コン会場から無理やり連れだすと、居酒屋の外に出た。
途中、ボックス席を横切る時、一重があわあわとどうしていいか分からない表情でこちらを見ているのが分かった。
(一重、ごめん)
今は一重のフォローをしている余裕がないほど先走っていたのだ。外に出るとひんやりとした空気に晒され、珠洲は少し冷静になった。
「えっと・・・」
件の大学生が戸惑いがちに珠洲を見ていた。
(色、白いな)
シャツの袖を捲った珠洲の白い腕に見惚れていた。年は20代前半ぐらいかな。手を繋いでいる事に気付き、珠洲は慌てて手を離した。彼は少し残念そうに珠洲の手の温もりが残った自分の手の指を手持ち無沙汰にした。
珠洲は気を取り直して彼に話掛けた。
「あの」
「はい?」
「もし良かったら、もう少し静かな場所で飲み直さない?」
珠洲は思いがけない行動に出てしまった自分を反省するように、もじもじと照れたようにお伺いを立てた。
(う~恥い)
今更になって自分の仕出かした事に珠洲は動揺し始めていた。彼は珠洲の少し上気して赤くなった頬を見て、美人は得だなあ、どんな顔をしても絵になる、なんて不埒に思っていた。
「あー、はい」
彼には選択肢があってないようなものだった。初対面なのに、ぐいぐい押してくる珠洲のポジティブさに圧倒されていた。
「ん~」
珠洲は返事ともただの擬音ともつかない声を出し、彼の先に立って歩き出した。
(はて・・・どこかで会った事あったっけ?)
大学生の彼がそう思うくらい、彼に対する珠洲の態度は気安く見えた。少し人見知りである自分が、この女と一緒に歩いている事に不思議と違和感がなかったからだ。
「ごめんねー。いきなり飲み会から連れ出しちゃって」
珠洲は困った顔で彼に謝った。
「いや、そんな大した飲み会じゃなかったから」
彼の言う通り、数合わせの飲み会だったのだ。当日に友人の一人が風邪でドタキャンし、彼に白羽の矢が立っただけなのだ。
(しかし明日が怖いなあ・・・合コンマスターや友達に質問攻めだな)
彼女持ちの友人がいて、合コンの設定命なところがあり、彼女の顰蹙を買っていたが、全ては皆の幸せのためと、街頭演説してるどこかの議員みたいなフレーズで彼女を煙に巻いていた。ちゃっかり彼女も同伴しているところが味噌である。わりかしイケメンで通っている彼氏に悪い虫がつかないよう張り付いているつもりのようだ。さすがの合コンマスターも苦笑してたっけ。
(ああ、それどころじゃない)
彼は我に返り、現状の把握に努めた。この今の状況、イケメンから程遠い自分がどうして年上の綺麗なお姉さんと夜の繁華街を歩いているのか、状況が理解出来てなかった。
(・・・壺)
ベタな発想だが、変な店に連れ込まれて高価な壺を買わされるハメ(笑)になるのではと思い始めた。
「・・・おかしな事考えないでね。普通の静かな店だから」
心読まれた!と彼は驚いた。顔にそのまんま書かれているのに。珠洲もそれなりに人生を経験して、相手の考えている事は仕種や表情である程度分かるようになっていた。さすがに「壺」までは見抜けなかったが・・・