02-10:不穏な鈍銀3
リアは大きく息を吸い込んだ。
額に滲む汗を拭いつつ、落ち着かない気持ちを宥めることに専念する。
戦闘が終わってからの方が、堰き止められていたものが溢れるように汗が流れていた。きつく弓を握っていた左手の小指は感覚がないというのに、時折持ち主の意に反してピクリと跳ねている。
「……出遅れました。もう僕の仕事はありませんねぇ」
「よく言う。入る気もなかったくせに」
アルスとフレッドが交わす言葉が聞こえる。身動きの取れなくなったナイトベアを指差しながら近寄ってくるフレッドは憎らしくなるほどいつも通りだ。対してアルスは普段よりもぞんざいな言葉を放っていた。
血が滾っているというやつだと思いたい。
「生き物だと思えば止めを刺したいですが、良いですか?」
「……好きにしろ」
唇を歪めるように笑う、その顔も初めてリアが目にするものだ。
普段は表情も感情も平坦な、どこか淡然としたものを感じさせる男である。普段から作り物染みていて恐ろしく見えることがあるが、今のように険のある冷たい目をして唇の端で笑われればと更に恐ろしい。
全身の毛が逆立つような瘴気の感覚が残っているから尚更である。
「では失礼して――」
フレッドが右手を握り作った拳は、かすかに発光しているように見えた。
薄い光の膜に包まれた拳が振り落とされる。それは硬いはずのナイトベアの頭蓋骨を、まるで固めた砂であるかのように凹ませた。脳にダメージの入ったナイトベアは大きく痙攣して、そのまま動かなくなった。
「お祖母ちゃん以外で初めて見た」
リアがひとりごちたのも無理はない。
【強化】のレベルが極めて高くなると、魔力が目に見えるほどに濃縮される。その結果、魔力光と呼ばれる魔術を行使した時と同じような輝き生まれる――とリアは教わった。
魔力光が確認できるくらいの【強化】は、当然ながら魔力が少なければ出来ない芸当である。仮に魔力が多くとも、扱いが下手であれば可視化するほどに密度を高めることは出来ない。
人よりも多くの魔力を持っていたとしても、使うことが出来なければ体内で眠らせているだけ、持久戦に有利な程度でしかない。魔力を使えたとして、技術的な部分で【強化】を極めていなければ漫然と魔力を周囲に垂れ流すだけだ。
そう考えると、目に見える【強化】は強さの証明とも言える。
「皆さん、出てきて大丈夫ですよ! お疲れ様でした」
達人技を披露した直後とは思えない気軽さで、フレッドは手をひらひらと振っている。誰かが現状を目撃したとして、この温厚そうな男がナイトベアの頭を素手でかち割ったとは思うまい。
いつも通りのペースを保っているフレッドのお陰か、戦闘後も僅かにアルスから放たれていた瘴気が消えた。自分でも昂ぶっていた、もしくは暗いものを心に抱いた感覚があるのか、アルスは天を眺めながら口元にほんの少しの苦笑を浮かべている。
ほっとしたリアがペースを上げて彼らの元に辿り着いた時には、レオナとザイードもナイトベアの死骸を囲んでいた。見ていて気の毒になるほど意気消沈しているが、かすり傷以上の怪我は無いようだ。
「その……すいませんっした」
「悪かった。次は、あんな無様な姿を見せない」
アルスは少しだけ目を細めて二人を見た。
その顔からは先程のような険は消えている。口調も先程フレッドに向けたそれではなく、普段通りの淡々としているが落ち着いたものだ。
「いや、俺も焦って強く言い過ぎた。気にはするだろうが、自分を責める必要はない。矢の助けがなければ俺もタイミングを掴むに梃子摺っただろうし、な。それよりも――これはナイトベアなのか? C級と言うには……」
「強すぎますね」
フレッドがきっぱりと断言する。
「私はナイトベアとの戦闘経験も、魔物の強さを判断するほどの知識はありません。ですが、これは少なくともB以上だと思います。この依頼は元々パナンの町のギルドで受け、ナイトベアと判断したんでしたよね? 部位だけではなく全体を見せて変異種か確認してもらうべきでしょう」
「全身を担いでパナンまで行くと?」
「いえ、ピッキオ村までなら来るでしょう。アルス、貴方はリーダーとしてギルドで事情を説明して、職員を連れてきてください。村長にも確認してもらうのに村までは動かしますから……レオナ、まだ動けますか?」
「……大丈夫。行ける」
「ではアルスと一緒に町まで走ってください。残酷な事かもしれませんが、Cランクの貴方が気を呑まれたと伝えれば信憑性が増すでしょう。こちらは私と、これを持ち運ぶのにザイード、村人との交渉役としてリアの三人が残りましょう。村長に確認をお願いしてきますよ」
「分かった、頼む」
「では二手に分かれましょう」
テキパキと指示を出すフレッドをリアは目をぱちくりしながら眺めた。
淡く光って見えるほどの【強化】と言い、それぞれの役割分担の振り分けと言い、フレッドは優秀だ。頭の回転も速いのだろう。普段のマイペースっぷりを知っているからこそ、別人を眺めているような複雑な気分になってしまう。
短い休憩を挟み、アルスとレオナはパナンの冒険者ギルドへと立った。
村長へ報告に向かうためにリア達は村の方へ、来た道をゆっくりと戻っている。力仕事担当として指名されたザイードはナイトベアを引きずって歩いていた。普段の彼ならば軽口混じりで文句の一つも言いそうなところだが、先程の戦いを引きずったまま黙々と進んでいる。
「ザイード、落ち込んでますねぇ。アルスも言いましたが、あの暴れっぷりと殺気は初めてなら引きますよ。何も感じず突っ込んでいけるのは勇者レベルの天才か、ただの身の程知らずです。恥じることも、自分を責める必要もないことですよ?」
ザイードの落ち込み方は、フレッドがそう慰めるほど。
萎れそうもないザイードという男が萎れ、相手を茶化しそうなフレッドが真っ当にフォローしている。普段とは違う様子に少しだけ衝撃を感じながらも、こうした関係性が“魔物狩り”の良いところなのだろうと思えてリアは頬を緩めた。
馴れ合いという人もいるかも知れないが、ギスギスするよりもずっと良い。
「そう言ってくれるのは嬉しいッスけど、センセェも隊長も、嬢ちゃんだって怯まなかった。あそこはオレが押さえ付けるべきだったって分かるんスよ。一番リーチがあるし、棒は曲げられたって戦える武器だ。盾役も兼ねるくらいに動けねぇと駄目だってのに……情けなくて、自分に腹が立って仕方ねぇ」
「あのねぇ。私は貴方よりも長い期間、自分人生の半分は冒険者やっているんですよ? 戦ってはいませんけど、A級の魔物の近くにいた経験だってあります。高位魔物との遭遇が初めてだった貴方と同じ反応をしていたら、それこそ救いようが無いでしょう?」
フレッドの言うことも尤もだ。
しかし、自分の後輩や若いパーティメンバーに対してそんな言葉をかける人は悲しいほど少ない。自分と同じ、もしくは自分の期待通りに動けない人間は無能だと見做す者は珍しくないのだ。自分が彼らと同じ経験値しか無かった頃のことは棚に上げて責めるのは、何も冒険者に限ったことでもない。
「分かるよ、経験が違うのも。それを飛び越えるほど自分に才能なんかねぇのも。……だけど、今オレが組んでるのはセンセェや隊長だ。それなのに怯んじまって同じ戦場に居られないってのは、恥だよ」
落ち込んではいるが、意固地になったり当たり散らしたりしないザイードの姿にもリアは好感を覚えた。
彼が自分と同じような気持ちを抱いていることが分かって嬉しい部分もある。リアはザイードやレオナに自分の思いを明かしてはいないが、アルスとフレッドの二人と並べるようにという事が“魔物狩り”の若手三人の共通の目標と見て間違いないだろう。
「貴方達が鼻水垂らして走っていた時から、私は魔物と戦ってたんですよ。現状に満足せず上を目指すのは良いことだと思いますよ。だけど、小僧にそう簡単に抜かされたくはないですねぇ」
「先生が十五の時には、鼻垂れガキは卒業してたって」
「どうでしょうね? そうそう。アルスも冒険者としては短いですし、軍人時代のことはあまり話しませんけど。……前に二人で飲んだ時にちらっと聞いた感じだと結構な修羅場を経験したようですから、やはり経験という部分も大きいんでしょう。まぁ、私としてもリアがあれほど冷静だったのは驚きでしたけど」
「わ、私ですかっ?」
急に矛先を向けられてリアは焦った。
確かに切羽詰まっていたわけではないが、余裕だったと勘違いされても困る。冷静でいられたのは自分とナイトベアの間には距離があったからで、至近距離ならば剣呑な空気に呑まれていたかもしれない。
「それは……皆さんのように至近距離に居たわけじゃないからですよ。あれだけ離れていても、すごく緊張しましたよ! 冷や汗と手汗も出たし、矢が当たるかも不安でしたもん」
「すごく緊張した割には正確だったよ、嬢ちゃんは……。あぁっ! クソッ! もっと強くならねえと、嬢ちゃんの足まで引っ張っちまうよな」
残念ながら、リアの力説はザイードのフォローにならなかった様である。それでも前向きさは折れていない。自分の持つ大きな死骸を見据えながら、キリッと表情を引き締め直していた。
「聞いてはいましたが、確かにリアは腕が良いですね」
「……ありがとうございます。でも、私も十年くらいは狩人みたいなことをして生活していましたから。敵わないと思って泣きながら逃げたこともありますし」
「魔物相手の場数が違うって事もあるのかもしれませんね。ザイード、貴方やレオナも腕は悪くないし、戦闘に経験もある。魔物相手の経験が少ないだけです。無理して負傷しなければ、そのうち慣れますよ」
「隊長もそうなんだけどなぁ……」
「彼はちょっと独特というか、比べないほうが良いでしょう」
ぽつりぽつりと言葉を交わしながらピッキオ村まで移動する。
不意打ちに備えて最低限の警戒はしている。それでも行きと比べると拍子抜けするほどに楽だった。




