01-02:ヘロン亭の新人2
女将さんとリアはまずスープを飲む。
スープは女将さん作の、店で出しているものだ。不味い訳がない。リアが作ったノッカ・ジャガも、もっちりとした食感でありながら歯切れ良く仕上がっている。うん、大丈夫。
セヴーリャ式オムレツをナイフで切り分け、自分の分には女将さんのトマトソースをかけてみた。表面はカリッと香ばしく、柔らかい卵とジャガイモのホクホクした食感。トマトソースも安定の美味しさ。
どちらも十分に納得できる、想像以上の味である。
「……どうでしょうか?」
「うん、どっちも美味しいよ。オムレツと言われると違和感があるけれど、味も食感も良い。スープの方は初めて食べる食感。何より、この二つは色々とアレンジが効くって所も良い。作り方は簡単なのに、何で思いつかなかったんだろうって悔しい気持ちもあるけど」
「ありがとうございます! ノッカ・ジャガは揚げても美味しいです。祖母は揚げて、塩胡椒をしたものをお酒と一緒に食べていました。私には時々ハチミツを絡めておやつを作ってくれたりも」
女将さんが褒めてくれたことで、リアの気持ちもぐんと上昇する。自分の作ったものを食べて美味しいと言ってくれる人がいるのは、嬉しい。ついつい自分の好きだった食べ方まで言ってしまうくらいに。
「アンタの婆ちゃんってのは料理上手で知識もあったんだろうねぇ。お愛してみたいくらいさ。もちろん、アンタの作ってくれた料理も美味しかったよ。これだけ料理も出来るのに一人で魔物――」
「キャーッ! うそぉぉォ!」
何かを言いかけた女将さんの言葉は、絹を裂くような、いや、発狂した雌鳥のような悲鳴にかき消された。
聞こえた方向はヘロン亭の出入り口の方。どうやら今まで居座っていた四人組がお帰りの際に、出入り口で何かに遭遇したらしい。
「……暴漢でも乱入してきたのかね?」
ここが町中ではなかったら、新種の魔物でも現れかと思うところである。
聞こえた悲鳴はまさに暴漢か変質者でも現れたようなものだったが、ボソリと呟いた女将さんが全く動じていなかったので、リアも取り乱さずに済んだ。
それに続くキンキン声で違うということが分かる。
何やら物凄く興奮しているようである。
「やかましいねぇ。あぁ、アンタは食べちゃってて良いよ」
心底面倒臭そうな顔で言い放つと、女将さんは立ち上がった。
来なくて良いと言われていることは分かる。だが、あんな悲鳴を聞いてしまえばヘロン亭前で何が起きているのか気になるではないか。好奇心に誘われるまま、女将さんに続いてリアも出入り口の方へと移動してみた。
宿の受付と厨房スペースの境目あたりであれば無くこっそり覗けるはずだ。
(……なんだ、そういうことか)
女将さんの背中越しに除けば、四人の女に囲まれる三人の男。
タイプこそ違うが、三人揃ってキンキン声を出されるのも納得の容姿である。
一番目を引くのは男性としてはやや小柄な、金髪の男。
バランスが良く、整った中性的な顔立ち。すっきりとした体のラインと合わせて、雰囲気は絵物語の王子様のようである。しかし、健康的な小麦色の肌とシャッキリと筋の通った立ち姿からひ弱そうという印象はない。
夏の青空よりも濃いブルーの瞳も、強い意志を感じさせる。
キラキラと輝いて見えるのは金髪だからか、オーラというやつなのか。
もう一人は金髪頭が唇に届くか否かというほど背が高く、肌は褐色。
くっきりとした目鼻立ちと、黒に近い焦げ茶色の髪と瞳。
身長や顔立ちに引けを取らない、筋肉に覆われたしっかりとした体付きをしている。もう少し筋肉が膨らんでいれば重苦しく見えたかもしれないが、彼の筋肉は見せるためではなく戦うためものらしい。無駄のないしなやかな肉体は肉食獣を連想させる。
三人目は、他の二人ほどに目を引くようなタイプではない。
目立つのは褐色がかった、くすんだ色の髪。茶色よりも少々緑がかった不可思議な色味は、乾いた苔を思い起こさせる。十八年生きてきた中で、リアはこんな色の髪の人を初めて見た。
身長は二人の中間くらいで、やや細身。よく見れば怜悧に感じられるほど整った顔立ちをしているが、他の二人のような派手さはない。単身で歩いていれば背が高めで整った顔の男と言われるかもしれない。
しかし、目を引く二人と並んでいると影のように見える。
「……都会だなぁ」
思わずリアが呟いた言葉は、のほほんとしていた。
田舎町でも持て囃されている男性というのは少なからず存在したが、絵物語から抜け出たような人が三人揃って歩き回っているなんて事はない。日常の中でこんな光景が存在するのは都会ならではだとリアは思う。
「レオ様! アタシ、大ファンなんですぅ~っ」
頬を染めた娘さんがモジモジしながらも、キンキンの声を出すという器用な真似をしている。熱っぽい目で上目遣いに――三人の中では小柄とは言え、娘さんよりは背が高い――レオと呼ばれた金髪の人をうっとりと眺める姿も、やはり絵物語のワンシーンのようだ。
作り話だと思っていたけれど、こういう場面も都会ならば実在するらしい。
隠れながら、うんうん、と満足気にリアが頷く。
「……ありがとう」
少し掠れた声でレオと呼ばれた人が答えた。微かに目元と口元に笑みを浮かべているのが、リアの位置からでも見て取れた。いや、見て取れる程度の微笑みを作っているという方が正しいのかもしれない。
レオの微笑み効果は抜群で、娘さんは真っ赤になってニョロニョロと蠢いている。
熱っぽいを通り超えて、高熱に侵されたようである。
こんなリアクションをする人もまた、リアは初めて見た。
残る三人はレオ様一筋というわけでは無いらしく、三人の男を交互に見ながら何だかんだと声をかけている。悲鳴混じりのような甲高い声が四人から発せられているので、何を言っているかほとんど聞き取れない。
妙な高音をリアの耳が拒絶しているだけかもしれないが。
大きな男は困ったように大きな目玉をぐるりと回している。女性達が目に入らなければ姦しさが和らぐと思っているのかもしれない。緑褐色の髪をした男は完全なる無表情のまま、宙に目線を据えている。これもまた現実逃避の一つであろう。整った顔立ちだけに、視線さえも動かさない姿はなかなかに怖い。
そんな彼らの反応も、興奮の極みにある女性達は誰一人気にしていない。
小さな修羅場と化しているヘロン亭入り口を見て、リアが思ったことは――。
「都会ってすごいなぁ」
これに尽きる。
リアは純粋に目の前の修羅場を楽しんでいた。絵物語を題材にしたクォリティの高い舞台を無料で観ている気分である。女将さんが振り返ったならば、キラキラと目を輝かせたリアの姿が見られたはずだ。
幸か不幸か女将さんは振り返らず、修羅場へと割り込んでいく。
「お客さん、うちは宿と食堂をやっているんですが、ご宿泊ですか? お食事だけですか?」
ドスの効いた女将さんの声が場を制した。
別段怒鳴ったわけでもないというのに、ヘロン亭の支配権は女将さんが手にしたらしい。キャアキャア言っていた女性達は元より、現実から目を背けようとしていた男たちも女将さんに注目する。
先程までの騒々しさが嘘のように静まり返ったヘロン亭。
真っ先に我を取り戻したのはレオと呼ばれた金髪だった。
「食事だけ、お願いしたいのだが」
「お酒はあまりお出しできませんけど。それでも良ければ左の部屋、空いているお席にどうぞ」
「分かった。……お嬢さん方、もう外は暗い。お気をつけて」
レオはそう言うと、振り返ること無く仲間と食堂の方へと向かう。
お語みたいに家まで送ってはくれないらしい。
食事に来たのに食事をしないで送るわけ無いか――と心の中でボヤきながら、リアもそっと厨房の方へ戻ることにした。このくらいの時間であれば、料理もまだ冷めきっていないだろう。
「毎度あり! 気をつけて帰るんだよ!」
背後では女将さんが女性客達を追い出しにかかっている。
地元民に愛される食堂の豪快な女将、いや肝っ玉母さんだからこそ許される芸当だ。女将さんの気迫か、会話からレオナ達の行き着けではないということを察したのか、さほど粘らずに大人しくお帰りいただけたらしい。
先程までの騒ぎが嘘のようにヘロン亭の店内は静かになった。
食堂の方から、追い出しを完遂したらしい女将さんの声が聞こえる。
「ふぅ、うちの客が悪かったねぇ。あの子達が最後さ。終わりの看板を出したし、寛いでくれ」
「良かったのか?」
「あの子達も帰るところだったし、また食堂に入ってくるほど厚かましくはないと思うよ? それに、遅くに来てくれたら貸し切りって話はアタシが言い出したんだ。アンタ達が気にすることじゃないさ」
「……いつも助かっています」
「アタシも食材を余らせないで済むんだ、お互い様だね」
アッハッハ、と女将さんの豪快な笑い声が響き渡った。
先程は初見のお客さんのような対応をしていたが、三人組は常連らしい。常連だとバレたらあの女性達が張り付くことになる。そうならないように一芝居打ったのだと分かって、リアは思いっきり感心していた。
小さい町ならどの店が誰の行きつけで、何時頃に来るのか大体分かる。
把握できないほど人が多くて店がいっぱいある、都会だからこそ出来る技だ。
今日は面白い経験が出来たような気がする――そう心の中で一日を振り返りながら、リアは調理スペースを確保するために並べていた料理を寄せる。今日の仕事は終わったつもりでいたのだが、まだまだ夜は続くらしい。