01-17:ウサギさんを求めて1
【強化】状態のまま高速で移動すれば、ぶつかっただけでも大怪我をしてしまう。法で決められているわけではないが、町中や人の多い場所で【強化】を使わないのは暗黙のルールである。
「……橋から少し離れたら【強化】で進もう」
「へいよ。軽く始めて、徐々に上げてくんだろう。嬢ちゃん、キツくなったら遠慮しないで言えよな。基準が分からんけど、オレ達の【強化】は結構強いらしい。無理して倒れられる方が困るからな」
ザイードは言いながらアルスに棒を預け、路肩に停めていた荷車をガラガラと引っ張って歩き出す。
「分かりました。でも【強化】掛けるなら、この荷車大丈夫ですか?」
「あぁ、そんなに遠くねぇから、荷車にも【強化】回すよ」
自分の身体に【強化】を掛けるのは冒険者や狩人でなくとも大抵の人が出来る。だが、自分の体以外にもとなれば難易度も上がるし、魔力消費も多くなる。武器まで【強化】を回すことに苦労する人も珍しくはないのだ。
荷車まで魔力を生き渡らせるザイードは【強化】が得意なのだろう。
その事に不安になったリアではあったが、目的地までの移動は全く問題なかった。
確認しながらリア達が最終的に掛けていた【強化】は素の状態と比較すれば倍の速度で走れるほどだった。そこまでの【強化】を楽にこなすのはDランクでは珍しい部類、Cランクでも全員が平然と出来るかは怪しい。
とは言え “魔物狩り”には、冒険者の標準や平均と言われる目安を知るものは居ない。互いにこのくらいは出来るよね、と軽い気持ちで走っていただけである。
予想していたよりもずっと早く、リアは緩やかな傾斜を持つ野原に着いた。下りになっているので見通しがよく、森というにはこじんまりした木々の塊が点在していることが分かった。何よりも――。
「海! 初めて見たよぉ、お祖母ちゃーん」
所々青い海が見えていた。
遠くにほんの少しだけ見える海に、リアは目を輝かせていた。同じ水であるのに、川とは全く別の色をしているのが不思議である。海は春の青空よりも、川の色よりもくっきり深い色に見えた。
どこかで見たことのある色、とリアが考えていると水分補給をしていたレオナが口を開く。
「思ったより早く着いたね。体は大丈夫?」
レオナの目の色と、海の色が似ていた。
初めて目にした海に気を取られながらも、リアは自分の体を確認する。
まだまだ余裕である。
「おぉ、嬢ちゃん全っ然余裕だな。やっぱ、アルカクあたりの冒険者は弛んでやがる。DだのCだの言っても、倒れかけた奴ばっかりとか、逆に心配になるぜ」
「そうなんですか? うぅーん……狩りと帰りを考えると、もっと速度を出せと言われたら少しキツけど。あの位なら普通ですよね?」
「だよな!」
笑うザイードも平然としたものである。
獲物を載せるための荷車にまで【強化】を掛けていたにも関わらず、だ。
ザイードの得物らしき、身長よりも長い鉄の棒を担いで走ったアルスも平然としている。
「……兎を探す時間は十分に取れるな。ザイードの荷車も無駄にしないで済みそうだ」
ザイードへ棒を渡しながらアルスが呟くように言う。
その言葉を聞いたリアは目を瞬かせ、不思議そうに首を傾げた。
「アルスさん、何体くらい狩るつもりなんですか?」
「最低でも十以上と考えているんだが……どちらも魔物だ、魔獣や獣のように遠慮する必要もないだろう?」
魔物が通常の獣や植物と異なるのは、何処からか湧くという事が挙げられる。
自然の中でもそうだし、閉鎖された迷宮の中などではより顕著だ。殺しても、殺しても、時間が経てば発生するのが魔物である。獣と同じく交配によって魔物が生まれる場合もあるが、魔物の中には生殖機能を持たないものも珍しくない。厄介なことに繁殖する魔物もまた一匹残さず駆除したとしても、湧いてくるのだ。
魔物と似ているが、湧くのではなく交配もしくは分裂によって生まれるのが魔獣。
地域や種類によっては幻獣や神獣とも呼ばれるものも魔獣に含まれる。ドラゴンの様に圧倒的な力を持つ種もいれば、チンチラモドキのように非攻撃的な種もいる。
敵と見做せば攻撃してくることもあるが、人に絶対的な敵愾心を持つわけではないと事も魔物との違いだ。湧くことがないため、人や魔物に滅ぼされ絶滅した種も少なくない。
兎にも角にも、ビッグラビットもホーンラビットも魔物である。アルスの言う通り、何十何百と狩ったとしても褒められこそすれ、非難されることはない。
だが、アルスが言い訳するように言っている間も、リアの首の傾斜は元に戻ることがなかった。
「あの……昼前に帰りたいとか、ではないですよね?」
「完全に日が落ちきる前には戻るつもりだが?」
「二十体くらいなら、そこまで急がなくても獲れると思うんですけど」
リアが口にした言葉は、残念ながらアルスには伝わらなかったらしい。
冷淡にも見えるほど表情の薄い男の顔に浮かんだのは、突如泣きそうな子供を抱かされたような表情。唖然としているようとも、困りきっているようにも見える。
滅多に目にできない隊長の表情に、レオナとザイードがこっそり笑いを噛み殺していた。
「……リア、それ、本気か?」
唇の端をピクピクさせながらレオナが尋ねれば、リアは頷く。
「ウサギの魔物は大抵、藪とか木が密集しているところにいるじゃない。探すのも時間が掛かるし、探しても木の間を縫って逃げるし、ザイードの武器は振り回しにくいし……結構面倒くさいと思うんだけど」
ビッグラビットもホーンラビットもD級。
“魔物狩り”にとっては敵とも呼べないような相手だ。しかし、全ての魔物が自死覚悟で人間に突撃してくる訳ではない。獣の兎よりは攻撃的とは言われていても、ウサギ系統は臆病な部類だ。
明らかに勝てない相手と見れば逃げることを優先する。
格下の兎を探そうとすれば、強者であることが不利になる。
「……協力して頂ければ、多分探し回るよりも簡単に獲れるはずです」
「マジで?」
人語を喋るスライムにでもなった気分である。
レオナだけではなく“魔物狩り”三人が呆気にとられたような顔でリアを見ていた。あまりの驚きように不安になる。もしかすると自分の育った山とはビッグラビットやホーンラビットの生態が異なるのかもしれない、と。
かと言って一体ずつ探し歩くのは嫌である。
成功すればずっと楽なことは間違いない方法を知っているのに。
「上手くいくか、協力してみてくれませんか?」
「良くわからんがオレは良いぜ?」
「私も手伝うよ!」
「……二人で足りるか? 足りるのであれば、俺は見学させて欲しい」
「はい。一人でも出来ますが、二人協力してくれると成功率が上がるはずです。強化をかけて叫ぶ、可能ならば声にも魔力をのせて威嚇して欲しいんだけど……できます?」
二人は目線を交わしながらも頷いた。
疑っても良いが、曲芸をするキラーベアを見るような顔をするのは止めて欲しいと思う。
「ありがとうございます。じゃぁ……あの、あそこの木が固まっている所。ここから見て右側から、左側に向かう形で、威嚇を込めて叫びながら進んで下さい。進むのは木が途絶えるところまで。ついでに大きな音を出して欲しいので、ザイードさんは棒で木の枝を揺らしながら、とかだと助かります。あっ、急がなくて良いです。私も近付くので」
隊長が頷けば、レオナとザイードはリアに指示された方向へと向かう。
リアもアルスにちょっとだけ会釈すると、目を付けていた場所へと歩き始めた。
無言。
背後にアルスの気配を感じながら、リアは歩く。
無言。
瘴気のような嫌な感じがするわけではないが、続く沈黙が気まずい。
(これはこれで、どうなのよ……)
軽く振り向いてアルスの姿を確認すれば、目だけで「何か?」と問われた気がした。同じように目で返事をしたかったが、そうすれば再び沈黙状態になって気まずい思いをすることになる。
仕方なしにリアは口を開いた。
「えーっと、普段は、先程言われていたような方法で狩りを?」
「納品依頼はほとんど受けないが……前にやった時は、ひたすら兎を探し回っては逃げられて苦戦したよ」
(そりゃ、納品依頼は受けたくないですよね)
心の声は無視して、差し障り無く会話を続けられる言葉を探す。
「……いつもは討伐系を?」
「そうだな。基本的に仲間だけで動ける、小規模なものばかり選んでいる。ザイードも言っていたように、俺達は他の奴らとペースを合わせるのが得意ではなくて。さっさと終わらせて帰りたいと思ってしまう」
無口で冷たい印象のアルスだが、二人で話せば普通である。
「他の冒険者の方って、そんなに【強化】が弱いんですか? 私は誰かと組んだことがないので、基準というのが分からなくて……」
「それは俺達も同じだ。俺は元軍人で、あの二人もずっと冒険者としてやってきたわけではない。よく常識がないとか、協調性がないとか言われているよ。おそらく同ランクの冒険者は移動には軽い【強化】しか使わないんだろうな。無駄遣いだと言われたこともある」
ほんのり苦笑を浮かべているアルス。
表情は薄いが、全くの無感情というわけでは無いことも分かった。
元軍人という言葉がしっくりこないな、とリアは密かに思う。
眩しいようなレオナとも、野性的な男っぽさを漂わせているザイードとも違うが、アルスもまた整いすぎているほど端正だ。戦記物の軍人のような格好を印象するには線が細く、だからといって物語に登場する近衛兵のような格好をさせてもしっくり来ない。
(強いて言うなら魔王の方が似合う)
黒いマントを羽織ったアルスを想像してしまった。
口元がニヤつきそうになり、慌ててリアは想像した絵を雲散させる。
今はそんなことよりも、真面目に狙撃場所を探そうじゃないか。