01-12:レオナとリア2
ラボルの宿で働いていた時から感じていた事がある。
「……冒険者稼業で生きていきたいなとは思ってます。でも、人類未踏の迷宮を踏破したいとか、魔物を倒して語り継がれたいとか、貴族の仲間入りをしたいとか、そういう気持ちにはなれなくて」
同じ時期に冒険者ギルドに登録した子たちには夢があった。自分にはそういった野心が足りないのも、パーティを組めなかった一因だろうとリアは思っている。
あの時は分からなかったが、彼らにすれば馬鹿にされているように感じたのかも知れない。大人が狩るような魔物を狩りながら向上心がないなんて、慢心していて鼻持ちのならない奴にも見えただろう。
「命をかけてわざわざ高位魔物に挑もうとは思いません。迷宮も欲しい物があれば行きますけど、それ以上の興味はないんです。私は……多分、私は、冒険者としての意識が低いみたいですから」
自分が食べるに困らないだけの獲物を狩っていて何が悪い。
リアはそう思っているが、他人がそれを快く思わないことを知っている。こんな事を言ったら返ってくる反応は無気力、甘えている、怠け者……そんなものだろう。冒険者として短期間でランクを上げているくらいだから、レオナもそんな感想を抱くのではないか。
幻滅されるのは嫌だったが、無理して付き合っても良いことはない。
お互いに後々嫌な思いをするくらいなら、先に言っておくべきだ。そう素直に自分の心境を語ったリアだったが、レオナの口から吐き出される言葉を聞くのは怖い。
死刑宣告を待つような気分で、耳の奥から響く自分の心音を聞く。
「……お祖母さんは狩人、だったよね。魔物を狩るんなら冒険者も狩人も大きくは変わらない気がするんだ。ほら、冒険者だって納品依頼だけじゃなく買い取りに出すでしょう? なのに、どうして跡を継いで狩人にならず冒険者に?」
レオナの声からは怒りも嘲りも感じられなかった。
それでも顔を見るのが怖くて、リアはテーブルを見たまま口を開く。
木目が絶望した人の顔のように見えるのは気のせいだと思いたい。
「祖母は私が一人で山にいることに反対で。仮成人を迎えたら人の中で暮らして、自分のやりたいことを探してみろと命じられました。山に一人で籠もるにしろ、世界を見てからでも遅くはないと」
「見つかった?」
「いえ……」
リアの予想を裏切って、レオナは小さく低い笑いを漏らした。
上目遣いで様子を窺うとばっちり目が合ったが、どちらから口を開く前に――。
「お待ち。苦味弱めがお嬢さんかな?」
店主の落ち着いた声が響いた。
リアが小さく頷けば、目元だけで笑い返してテーブルの上に皿を並べていく。珈琲の入ったカップが二つ、砂糖とミルクは一つずつ。それに、薄い紙に乗ったゴツゴツした狐色の塊が二つ。小麦粉を焼いたような色合いと香りはスコーンに似ているが、やけに凹凸のある形に膨らんでいる。
「無難だと思ってクリームパフ頼んだんだけど、甘いものは嫌いだった?」
レオナのリアを見る目も、話し方も、何も変わってはいない。
その事に安心すると、急に目の前の食べ物が気になるのだから現金なものだ。
「……クリーム?」
クリームは知っている。
クリームの種類は多いが、甘いものであれば乳に砂糖や卵を混ぜて作ったペースト状のもののはずだ。山には乳がなく、ラボルでは砂糖が高級品だったので口にしたことはないが。
しかし、目の前に鎮座しているものはペーストではない。
「……もしかして、初めて? 正式な作法は知らないけど、下町の流儀ではこう――」
怪訝そうなリアの顔を見て悟ったらしい。
レオナは薄い紙でクリームパフを半分包むようにして持つと、ちらりとリアを見てからそのまま噛みついた。少し目を細めた表情は何とも美味しそうで、ついでに色っぽい。
リアも真似をして端っこを齧ってみる。
「ふぉぉ!」
クリームは小麦粉生地の中に入っていた。
パンとはまた別のサックリとした食感の奥に、こってりとしたクリームが溢れてくる。ハチミツのような独特の風味がないのは、白砂糖だからか。卵のコクと砂糖の甘さがふんわりと口中へ広がる。
(幸せに味がついていたら、きっとこんな味)
先程までの緊張もあってか、泣きそうになるくらい美味しい。
涙目でクリームパフを食べるリアに対して、レオナの口元は柔らかい弧を描いていた。
「コーヒーを飲んで、もう一口食べてみて?」
「――ふわぁぁぁ!」
再び衝撃がリアを震わせる。
甘さが消えてしまって勿体無いと思ったが、コーヒーの苦味を感じた口はクリームパフの味を感じ取った。甘さに浸り続けてみたい気分もあるが、適度に舌をリフレッシュした方が味はよく分かる。
「んぅ、美味しいよぉー」
「……私、甘いものが好きなんだ」
唐突にレオナが語り始めた。
「色々あって闘技士を辞めたんだけど。家族みんな闘技場関係で、私もガキん時から闘技士になるって思ってたんだ。辞めても何をしたら良いかサッパリで」
リアは口を挟まずに黙って聞いていた。なんてことない話のように言いながら、レオナの宝石のような青色の目に痛みにも似た感情が見えたような気がしたのだ。
このタイミングでしたくもない話をするのは、きっと先程の話と関係している。
「顔は結構知られてたから、闘技士の、って指差されない所に行きたいと思った。だから、とりあえず冒険者ギルドに登録してさ。アルカクは砂糖の値段が安くて甘味が安いって聞いて、じゃぁ行ってみるかなって来ただけなんだ」
だから、リアは問う。
「……やりたいことは見つかりましたか?」
「隊長達と魔物を倒していたら、これで良いかなって。大金とは縁遠いけど、仲間と飲んだりとか、こういう甘いもん食えるくらいの金は手に入る。依頼をこなせば喜んでもらえるし。結構楽しいよ」
何の気負いもない笑みは、はっとするほど透明で力強い。
彼女の気分を味わうことも、共感することもリアには出来ない。祖母が自分に体感して欲しいと言っていたのは、今、レオナが語ったような実感なのかもしれないと思う。
「素敵だな、と私は思います」
「ふふっ……最初は、こんな事思わなかったよ? ただ金が欲しかっただけ。組んでいた方が報酬の高い仕事を受けられと思ったんだけど。同じEとかだと年齢も腕も経験も、全部が違うから組みにくくて。でも中堅ランクからすれば私は色物扱い。隊長、アルスは私を色物扱いしなかったから、組むのに楽で良いと思ったんだ」
色物としても綺麗過ぎますよね、とは言わない。
「それが気付けば四人で固定パーティ。隊長は強いし、フレッド、リアとまだ会ってない奴もさすがBだなと思う事は結構あってさ。私は強くなりたい。けど、その理由は有名になりたいとか英雄になりたいとかじゃない。みんなと一緒に仕事したい、足手纏になりたくないってだけ」
遠回しだが、レオナはリアの考えを否定しないということを表明してくれたのだと思う。冒険者として成功したと言われるような目的がなくても良い、自分もそうだと伝えているのだ。多分。
(それにしたって、ほぼ初対面の相手に良いのかな。普通はこのくらい話すもの?)
「……そんなわけで、私達と組んでみるつもりは無い?」
突然そんな言葉が飛び出してきて、リアは目を剥いてしまった。
聞き間違いか、真面目そうな顔で誂われていたのだろうか。
「く、組んでみる、と言いますと?」
本人が言葉通りなら“魔物狩り”の面々はレオナが不甲斐なさを感じるほど強いのだろう。格下のDランク、さほど上昇志向もないリアを誘う意味がわからない。
「一緒に狩りに行けたら良いな、と思ってね。多分リアも一人でやっているより儲かるから、悪い話じゃないと思うんだけど」
「……他の方は、どうなんです?」
彼女は“魔物狩り”のリーダーではない。勝手に自分に誘いをかけて良いものかと、疑問が渦を巻いている頭でリアは考えた。互いの実力もわからないのに、突発的すぎる話である。
「援護してくれる人を前々から探していたんだ。ヘロン亭で会った時に良いんじゃないかって話はした。あの時は冒険者が本業か副業か分かんなかったし、お互いにどの程度出来るかも分からないなって言ってたんだけど」
「ですよねぇ?」
「でも、今日は鳥を落とすのを見たし、魔物にも詳しいみたいだしね。隊長達も食事に誘った時に乗り気だっただろ? 隊長の家は拠点みたいなもんだから、その気がなければ別の場所を提案したはず。それに……私達を変な目で見ないっていうのが何より大事」
聞けば、遠距離型の人を加えたいと一度ギルド経由で募集を掛けたそうだ。
集まったのは下心の有りそうな女性ばかり。数人男性も居たようだが、やっぱり下心があったらしい。舐めるような目をした男にベタベタ触れられたザイードは逃走したとか。
更に、弓士のオーソドックスな戦い方も“魔物狩り”は気に食わなかった。遠くからの狙撃が主の砲台型。魔物が近付けば壁役に守られて然るべき、というのが低ランクの弓士には多い。
自力で魔物の攻撃を躱しつつ攻撃出来るのならば、引く手数多。田舎に出向いて細々と魔物を狩る“魔物狩り”に加わろうと考えない。
そこで狩人として一人で活動してきた――守ってくれる人が居なくても、魔物と対峙できそうなリアが候補に挙がったというわけだ。過剰に自分たちを意識しないこと、リアとしては申し訳なく思った「程々に生活できれば良い」という考え方も“魔物狩り”の行動指針と一致してしまった。
「今すぐ、なんて無茶は言わない。今日は食事をしながら、私達とか、うちのパーティの雰囲気を確かめて見るくらいで良いよ。一緒に動いてもみても良いって思ってくれたら、試しに仕事を受けよう。もちろん報酬もきっちり割って渡すよ。幅はあるけど、日帰りか一泊で一人あたり数千……小銀貨数枚くらいにはなるよ?」
飾り羽のないコモングースなら十体分以上。
現在の狩りよりも危険はあるにしろ、確かに一人で狩りをしているよりも実入りは良い。“魔物狩り”との実力差や時折感じるアルスの瘴気のようなものは不安だが、仲間と一緒に討伐に行くという言葉も憧れがある。
大変に魅力的なお誘いだった。