01-11:レオナとリア1
アルカクの冒険者ギルドは下区にある。
しかし下区と自由区を区切る門は、日が落ちると基本的に通行できなくなってしまう。仕事を終えて戻る時間に下区に入れないのは不便だという声が多く、十年ほど前から自由区に依頼完了の報告と納品・買い取りだけを行う納品所と呼ばれる窓口が作られた。
それで下区の冒険者ギルドの混雑は軽減されると思いきや、冒険者や兼業冒険者も増えているためで今も変わらずに大賑わい。自由区か中区に、もう一つ冒険者ギルドを作るという噂もあるらしい。
「こっちとしてはさ、自由区の反対側に作って欲しいんだよ。けど、金持ち連中は中区に依頼受付の窓口が欲しい。依頼者でもあるし、寄付金のこともあるから、出来るとしても中区にだろうって言われているよ」
というのがレオナの説明である。
自由区の納品所までの道々、レオナはアルカク街のことをいくつか教えてくれた。女子が喜ぶような話題ではなく、冒険者的なもの――ギルドやアルカク上位の冒険者、消耗品を良く買う店の話が中心。流行や恋愛の話につはついていけないと自覚しているリアにとっては、ありがたい。
それも人通りが多くなるまでのことで、途中からのレオナは人格が変わったかと思うくらいに無口になった。自分へと向けられる視線を感じているのか、鬱陶しそうに目を細めたまま最低限の言葉しか語らない。
気持ちは分からなくもない。
だが、屈み込むようにして至近距離で喋るのは止めて欲しい。
嫉妬混じりの視線が物凄く怖いから。
「で、解体終了まで時間があるんだけど。リアって普段は何してるの?」
「自分で解体するので、待ち時間は無いんです」
「職員は解体用の魔道具使うらしいけど、場所借りたら自分の道具でやるんだろ? 大変じゃない?」
猟師ナメんなよ、とまでは言えない。
代わりに目元にぐっと力を入れてレオナを見据えれば、例のキラキラした笑顔を返された。
都会の人は綺麗な笑顔で人を黙らせるらしい。
「どこか行きたいところとか、行ってみたいところとかある? ホラ、装備品とか普段着見たいとか、行ってみたいレストランとかカフェとかさ」
「いやぁー、特に……。普段もご飯を買いに小市場とその横の広場に行くくらいですし、服も何枚かありますし」
有無を言わさぬ笑顔から、可哀想な生き物を見るような顔になった。
そんな顔をされてもリアだって困る。
ラボルという田舎町でも田舎者扱いされていたのだ。見るからに低級冒険者という姿の人が大勢いる自由区の市場ならまだしも、華やかなお店は憧れるのを通り越して場違いだろうなと思ってしまう。
「えーと、カ、カフェとかちょっと怖そうで。一人で行って良いのかも分からないですし。街に慣れてそのへんの事情が分かってから行ってみようかななんて」
リアの中でのカフェは、ヒラヒラした服を着た子息令嬢が友達と一緒に行くお店である。
どう見ても猟師、どう頑張っても村娘ルックな自分が入っていったら悪目立ちすることは間違いない。興味が無いわけではないが、異空間っぽくて怖いのだ。きっと異空間に見合った請求も来るのだろう。
「よし、今は二人だから怖そうなカフェに行ってみよう!」
「えぇぇ! 嫌、じゃなくて、その、手持ちが……」
「大丈夫。残念ながら、時間的に行けるのは自由区の店だし。誘ったんだもん奢るよ。私もさぁ、一人で入るのはちょっと怖いんだよねぇ。あぁ、こっちね」
予想外の展開、まさかの強引さ。
思考を放棄しかけているリアと肩を組むようにして、レオナはずんずん進んでいく。道行く女性がぽっと見惚れるくらいに格好良いレオナのことだ、羨ましいと思われているのだろう。
かと言ってヒロイン気分に浸り、良い気になれるわけもない。
リアの中で今やレオナは金毛の大型犬のイメージだ。今の状態は高級そうな大型犬が千切れんばかりにしっぽを振りつつ、ぬいぐるみを咥えて歩いている図に変換されている。
彼女はアルカクの街を堪能していないと聞いて、気を遣ってくれているのだろうという事は分かる。
分かるが、心の準備は考慮してくれないのだろうか。
森に入ったままの格好なのだけれども。
「ここにしよう」
そう言ってレオナが立ち止まった先には、リアの想像とは違う、山小屋のような作りの建物があった。山奥の家を思い出す外観は緊張を和らげてくれるが、周囲から少しばかり浮いている。
「入りやすいかなと思ったんだけど、もっと可愛い感じの店が良かった?」
そんなところに入れる気はしません。
口から出そうな言葉を飲み込んで、ブンブンと首を横に振る。
「ここ、懐かしい感じがして素敵です」
「良かった。入ろう、奥の席が開いていたら奥に行こう」
レオナの顔にホッとしたような笑みが浮かぶ。
「――いらっしゃい、二人だね。お好きなところへどうぞ」
店内も外側同様に山小屋風である。
剥き出しの木はツヤツヤと光り、あえて暗めの魔石ランプがポツリポツリと設置されている。
雰囲気の問題か、華やかに着飾った若い女性はいない。
休憩中らしい男性一人と、男女混合の冒険者グループだけだ。
ふんわりと、鼻先を香ばしい香りがくすぐる。
焦げたようでいて、まろやかな甘さと酸味をかすかに含む香り。
それもリアにとっては家を、祖母と暮らした日々を思い出させるものだった。
「リアは、字、読める?」
「はい、基本的なものならば」
テーブルの端に立てかけられていた、メニューが書かれた木の板をレオナがど真ん中に置いた。覗き込んで見れば、おそらく茶葉や珈琲豆の種類が書かれているのだろうという事は分かる。だが詳細は分からない。読めはするのだが、地名のようにも、暗号のようにも思える言葉が延々と並んでいた。
「私も普通には読めるんだけど、これは分からん。分かる?」
「……読めるけど、分かりません」
「だよなぁ。コーヒーは飲める? ……あっ、紅茶もあるらしいよ?」
「久しぶりにコーヒー飲みたいです」
「へぇ。コーヒーあったんだ?」
「祖母が好きで、私も時々砂糖を入れて飲んでました。ラボルでは見かけなかったですけど」
レオナが軽く手を上げて店主を呼ぶ。
「深煎りで濃いめのものと、浅い軽めのものを一杯ずつ頼みたいのだが、オススメはどれだろう? うん――特にこだわりはないから店主殿にお任せしたい。あぁ、あと、これを二つ頼む」
店主と呼ばれた男は山小屋風の店には似つかない、小綺麗な装いだった。
そんな注文の仕方で大丈夫なのかと不安になったが、男は指を指しながら曖昧な注文をするレオナに愛想良く頷いていた。馬鹿にされることは無いらしい。
「……どうした?」
「メニューの名前、分からなくても注文できるんですね」
「ん? あぁ、貴族街なんかはわからないけど、この辺なら全然平気だよ。この街は寄せ集めだからか、名前さえ知らない外国の食い物を出す店も多いし。……それより、私の事は単にレオナって呼んで。サンとか様とか付けられるの好きじゃないんだ」
本当に今更である。
呼び捨てにするのも躊躇われるが、好きじゃないと言われたら呼びにくい。
「えぇっと、レ、レオナ……」
「そうそう。私もリアっで呼んで良い?」
「はい」
どこの恋物語のやり取りだよ、とリアは心の中で叫ぶ。
大丈夫、レオナは女性だし妙な気はない。めちゃくちゃ嬉しそうに笑っていたとしても、それは距離が縮まったからだ。例え冒険者としては明け透けすぎる自己紹介が続いたとしても。
「冒険者歴は三年くらいで、年は二十一、性別は女だよ。アイツらと組んで仕事をするようになったのは二年ちょっと。家族が闘技士でさ、冒険者の前は私も闘技士だったんだ。あ、闘技士って知ってる?」
戦いを見せることを商売としているのは、剣闘士と闘技士。
剣闘士は奴隷が多く、命を掛けての戦いが求められる。時に十五歳未満の子どもが出ることもあるから、完全に裏稼業と言えるだろう。見る側は金を賭ける。莫大な金額が動くらしい。
対して、闘技士は戦いをショーとして見せる。殺し合いが目的ではなく、負けが死に直結することの少ない闘技士は職業や家業として続けられるのだ。無論、武器を使って戦う以上は命を落としてしまう場合もある。
「実際に見たことは無いですが、知ってます。冒険者になる前から鍛えていたんですね」
良く言えば華やか、悪く言えば無駄が多く派手な動きは闘技士時代の癖であるらしい。
森で聞こえてきた会話の意味が分かった。
「リアのことも聞いても良い? 言いたくないことは答えなくて良いけど」
レオナの言葉に、リアは思わず身構えた。
十五歳までは山で魔物を狩りながら祖母と生活し、十八歳まではラボルの宿屋で下働きしつつ納品依頼をこなしていた。簡単な経歴としてはそれだけで終わるが――何か突っ込んで聞かれた場合、説明に困ることもある。
若干の魔術適性があることとか、祖母と呼んでいるルミナのこととか。
「ラボルって、南都より南だよね? なんでアルカクに? 外国に行きたいの?」
聞かれたのは心配していた話とは全く別の事だった。
「……いつか旅を出来たら良いなとは思いますが、移住したいとまでは思っていません。アルカクに来たのは、南都よりも自由そうだったから、かな?」
「確かにねぇ。でも、アルカクって冒険者にとっては美味しい街じゃないでしょう? 一個しかない迷宮も中規模で踏破済み。騎士団がしっかりしているから、そこそこの商人に雇われるくらいしか先が無い。自由そうって事を優先させて良かったの?」
この質問への返事は、困った。
一言で済ますならばイエスだ。
だが、それだけで済ませてはいけないと感じる。目の前の女性は宝石のような目に真剣な色を浮かべて、まっすぐにリアを見ているのだから。