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平凡少女は冒険者

 てくてく。

 先程から目の前を歩いている少女を眺め、商人は頭の中で効果音を付け足す。


 てくてく、ととっ、てくてく。


 商人の男が乗っているのは一角牛に牽かせた荷車である。

 馬と比べれば速度は遅いが、一頭でもかなりの重さに耐えられる。しかも、凹凸や勾配の強い道でも安定して進むことが出来るのだ。人通りが多いうえに貴族の都合で避けろだの頭を下げろだの言われる街道を嫌う彼としては、安定して間道を進んでくれる一角牛とは長い付き合いだし不満もない。


 てくてくてくてくてくてく――。


 気になるのは、なぜこんな道を年若い少女が一人で歩いているのか。

 背に弓矢を背負っているから全くの無力ということはないのだろう。しかし、小柄で細身な体付きは強そうには見えない。後ろ姿は冒険者というよりは農村や田舎町にいるような、至って普通な雰囲気である。

 だからこそ――ひとりで黙々と歩いていることに違和感がある。


 このまま進めば徐々に獣道になり山を越える。

 男がこの道を使っているのは、一角牛の力と安定性があるからだ。歩いて越えたいとは思わない。まだ子どもであろう少女が一人で進むには危険でもあるだろう。それを分かっているのか、いないのか。


 大の大人であれば自己責任だと放置する。

 しかし、少女となると声くらいは掛けたほうが良いだろうかと迷うところだ。

 目の前で大怪我でもされたら夢見が悪いし、荷車に乗せてくれと泣きつかれても面倒である。


 よし。迷惑がられるかもしれないが、ひと声かけておこう。

 そう決めた男が一角牛を急かそうと身を乗り出したところで、少女はくるりとこちらへ向き直った。

 いつ、どうやったものか、背にくくりつけていた弓矢を構えた姿で。


「え?」


 自分に向かって武器を構えている、とは思いながらも咄嗟の反応がとれない。

 荷台の上で硬直している男の耳元で、ヒュッと空気を切り裂く音がした。


「へっ? な、なんだよ……悪ふざけも――」


 体に何の異常も無いことに気付き発した言葉は、そのまま尻切れに終わった。

 片手に弓を持った少女が先程まで歩みからは想像もできないようなスピードで迫っていた。

言葉の続きどころか呼吸さえも忘れ、男は少女の軌道を目だけで追う。

 少女は一角牛とも荷車とも衝突しなかった。



「すいません、乗りますよ!」


 と宣言して、その意味を男が理解しないうちに荷車の屋根へと飛び上がっていたのである。

 荷車の縁をつま先で蹴って軽々と飛び上がる姿は、少女というよりも人型の魔物のようにさえ感じされるほどだ。屋根と言っても、幌をかけただけのもの。小柄な少女が飛び乗っただけでも大きく揺れた。

 不安げに少女が乗ったであろう部分を見上げた男の視界の端に――。


「う、うそだろ。グレイワームっ!」


 どこから湧いてきたのか、灰色ミミズのような魔物が男の荷車を追っていた。ミミズに似ているとは言え、人間を超えるほどの体長があり、鈍重そうな見た目とは裏腹に全力の一角牛と同じくらいの速度を持つ。馬であれば逃げ切れる可能性もあるが、重い荷車を牽いている男の愛牛では追いつかれることは目に見えている。

 そのグレイワームが一体ではなく、三体。


「神様……」


 男が絶望するのも無理はない。

 グレイワームは人を襲うことは少ない魔物だ。人を捕食することもあるが、彼らのお口には合わないらしい。他の魔物や植物を好んて食し、人を襲って喰らうのはよほどの飢餓状態の際だけである。それ以外に人を襲うとすれば――発情期くらいであろうか。

 理由は何であれ、好戦的になっているグレイワームは強い。一般人には討伐が困難なD級魔物に分類されている。全長約一メートルの虫が全力の一角牛相当の速さでぶつかってくるのだ。男とっては地獄からの使者のようなものである。


 ヒュゥッ――。


 祈るしかない彼の耳に再び風切り音が響く。

 恐る恐る見れば、グレイワームの一体が立ち上がり蠢いているところだった。

 目の前を何かが高速で飛んでゆくと、グレイワームは体を大きく左右に揺らす。


「……矢、なのか?」


「あの! 牛さん、出来るだけ急がせてくれますか」


 男の願いが通じたのかは定かではない。

 だが、神様ではなく、幌の上に陣取っている少女が死を追い返してくれているらしい。そう理解した男は震える手と萎えた足を必死で動かし、愛牛に軽く鞭を当てる。


「ギュータロ、頼む、急いでくれ」


 長年の相棒である一角牛は期待を裏切らず、歩く速度を上げた。

 それでもグレイワームを撒けるほどの速度ではない。急がせるだけで大丈夫か――不安に抗えずに振り返った男の目に映ったのは、二体のグレイワームが立ち上がっている姿だった。直立したグレイワームは前進して来ない。今なお変わらぬ速度で馬車を追っているのは一体だけである。


 幌が揺れた。

 そう思った時には最後のグレイワームも体を起こして痛みに蠢いていた。

 幌が揺れたのは少女が体勢を変えたからではなく、飛び降りたからだったらしい。道に降り立った少女が男を見て照れたように笑うと、ペコリと頭を下げる。


「勝手に乗っちゃってすいません」


 予想した通り、どこの村にでも居るような少女である。

 神々しい少女だったわけでもなければ、耳まで口が裂けた悪魔だったわけでもない。美人というには愛嬌がありすぎるし、可憐というには野暮ったい。強いて言うならば小動物系の可愛らしさがあるが、この年頃の少女ならば珍しいことではないだろう。


 違和感を覚えるくらいに――普通だ。

 一部始終を目撃していいてなお、一人でグレイワーム三匹を足止めしたということも信じられない程に。グレイワームを倒したことを恩着せがましく誇るでもなく、緊張も疲れも見せていない。普通ではありえないことのはずなのに、普通に振る舞われている事が違和感の原因かもしれない。


「ま、待ってくれ。どうする気だ?」



「止めを刺して、討伐証明部位を回収して、死体を処理しなきゃ……このままじゃ次に来る人がビックリしちゃうし、通れませんもんねぇ」


 平然と少女はそう言う。止めを刺すと言っているが、グレイワームはまだ動いているのだ。男としては蠢く三本の柱を見るだけでも寿命が縮んでいくような気がする。


「た、た、助けてくれたんだよな? その処理ってのは……手伝えるのかな?」


「あっ、私、冒険者なので大丈夫ですよ。アレも、自分の身を守っただけですし」


「そうは言われても。礼もせず、後片付けを押し付けては行けないよ」


 そうかと言って、さっさと進んでいけるほど厚顔ではない。

 商人は利にがめついと言われるが、恩や信義を大事にしていない訳ではないのだ。


 少女の方は単純な善意であったのか、男の言葉に戸惑った顔を見せた。

 んー、と言いながら首を傾げて悩む姿は、やっぱり普通の少女である。背の弓矢を見れば冒険者だというのは納得だが、D級魔物を一人で複数匹倒せるようには見えなかった。


「気にしないでください。私だって同じ道を歩いていて、直撃されたら危なかったってだけなので。暴れたら荷物も危ないですし、処理も一人でも二人でも大差ないので大丈夫ですよ?」


 止めを刺すにあたっては足手まといになる自信しかない。討伐部位の回収と言っていた気もするが、グレイワームの皮を剥がしたり出来る気もしない。となると男に出来る事は――。


「じゃあさ、何か欲しいものとかはあるか? 悪いんだけど、冒険者さんへの相場は分からなくて」


 良く言えば純朴そうな雰囲気の、まだ幼さが残っている少女が法外な請求をしてくることは無いだろう。命を救われたのだ、荷車分くらいはお礼に渡しても良い。付き合いの長い一角牛のギュータロは出来れば譲りたくはないが。

 そんなことを思いながら少女の様子を窺えば、彼女は先程と同じように首を傾げていた。


「……なら、お言葉に甘えて。矢ってお持ちですか?」


「商売品じゃないけれど、これなら……」


 護身用にと荷車に置いてある矢筒を見せる。御者席の近くに据え付けてはいるが、必要な場面になったとして使える気がしない。現に男は今まで弓矢の存在は忘れていたのである。命の対価がこんなもので良いのかと思うが、少女にとっては満足であるらしかった。こんな辺鄙なところで古着や古本は不要だっただけかもしれないが。


「じゃ、その矢を貰います――ありがとう。最後の抵抗で粘液とか飛ばしてくる可能性もあるので、距離を空けておいたほうが良いですよ。お気をつけて」


 ニコニコしているが、早く離れて欲しいと思っていることは伝わる。グレイワームの粘液が飛び散るという気味の悪さも後押しして、男は何度も礼を言いつつ進むことにした。

 一角牛を進ませつつ振り返れば、背にあった矢を持っている以外はグレイワームに襲われる前と変わらぬ少女の背が見える。勇ましくもなければ、力んでもいない。男が心の中で、てくてく、と効果音を付けていたままの歩き方である。


「冒険者って言ってもよぉ、あの年で凄すぎだろう」


 男がそう独り言ちた声を聞いたのは愛牛のみ。

 男の姿が見えなくなったところで、少女が一矢でグレイワームを屠ったことは誰も知らない。


「えぇっと、ワームの討伐証明部位って目だっけ? 目に矢刺さっちゃったんだけど大丈夫かな? いや、その前にポロンて取れるの? とれ……た!」


 なんて悪戦苦闘していたことは知られたくも無いだろう。

 だが、彼女が何よりも秘さなくてはいけないのは――。


「よしっ。風、動け」


 この世界では希少な、魔術適性がある人間であるということである。

 三体のグレイワームの体がずずっと動き、道から離れていく。

 助けた男が手伝ってくれたとしても、こっそり魔術を使ったほうが早い。だからこそ少しだけ脅しも込めて、早々にお引取りいただいたのである。


 道から相当奥まったところまでグレイワームが移動したのを見届け、少女はふっと息を吐いた。ととっとグレイワームの方へと近づくと、冒険者御用達、腐敗や悪臭を抑える紫色のシートをちょこんと乗せておく。

 そこで重大な事に気付いた。


「真っ直ぐ行けばアルカクに着ける、よね……?」


 まだ冬の匂いを色濃く残している風が吹いた。

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