ああ、毛虫になっちゃった。
毛虫になったら…って想像するだに恐ろしいよね。
ある朝、おれ/稲垣 京馬/大学2回生/妹とほぼ2人暮らし/がいつもの自室で目覚めたとき、自分が巨大な毒虫になっていることに気づいた。生っ白い腹に赤い点々のある、見るからにキモいやつだ。
おれはベットの上で考える。
ああ、やらかしちゃったか。とりあえず今日の講義は欠席しよう。誰かにノート取ってもらわないとな。
…じゃねーだろ!!!!!
え?まって?虫?!おれがなんで?!
「まじかよ…」
極めて落ち着き払ったダンディーな声で呟いたはずだが、聞こえたのは「€△↓●…」といったような怪音だった。
まともな発声能力すらないんかい、この体は。
おれはベットの中で寝返りを打つ。なんだか知らんが人間が節足動物になるなんてありえるのだろうか。あるとしてなぜおれなんだ。
…こんな時、まず何をどうすればいいんだっけ。
考えてみる。
①夢オチか確かめる
②虫になってしまった原因を探る
③覚悟を決めて生きていく
…こうまとめてみると、何とかなる気がしてきたな。
…うーん、②は…虫になった原因とかないだろ。
そんな事聞いたこともないし、あるとして病気、突然変異、とかか?…………どっちの理由にしろどうしようもないやつやん。
勘弁しておくれよ。
①は、さっき確かめた。
というより、不本意ながらも、夢じゃないと分からされたのである。寝返りを打った時、ベッドにいつの間にか落ちていた釘に。
…かなり痛かった、とだけ言っておこう。
あと残ったのは…
〜③覚悟を決めて生きていく〜
1番あかんやつやん!ほぼ無理じゃん!
まずは家族に見られないように外行くったって、このきっっっっっっっ色わるい身体でどうしろと?!
〜即通報、麻酔銃撃たれてあれよあれよという間に動物園送り、訪れた家族やら友人やらに笑われながら余生を過ごす〜
…そんな流れが一瞬にして想像できちゃったじゃないか!!
…やっぱり、虫になった時の対処法とか考えつかないぞ。しかも壁の時計を見ると今は5時50分、中学生の妹が起き出すまであと10分ぐらいしかない!
…どうしよう!
どうしたらいい?
〈急募〉〜ほぼおれと2人暮らしの妹に、毛虫姿を見られない方法〜
…ってあるかああああっっ!!!!!
いつも朝お弁当を作ってるおれがいなかったら、どう考えても確認しに来るだろ!
おれの部屋に鍵はついてないし…
(「ガチャッ」「おにーちゃんお弁当はぁ?」「…ギャアアアアァアアアアァアアァァァアアアア!!!!!!!!毛虫ぃいいいいいっ!」)
…こうなるのがオチだよな。
お兄ちゃんの沽券にかけて、可愛い妹を怖がらせたりお弁当がなくて困らせたらいけない。
一応これでも兄歴16年、妹が苦手なものとか嫌いなことは、熟知しているつもりだ。
稲垣京馬、別名しすこんマスター。
妹ーー稲垣あさひ。好きなもの、可愛いもの全般。ウサギ、ぬいぐるみ、ぴんく、etc。嫌いなもの、嘘をつく人、おばけ、雷、ゴキ○リ、……毛虫。付き合った人数(兄調べ)、0人。タイプ、「おにーちゃん!」(兄妄想)
…このしすこんマスターの称号がある限り、妹を泣かせたりなんてしないぜ!とりあえず第1関門だ!絶対隠し切ってやる!!
ーーこうして、しすこんマスター京馬(毛虫)と妹あさひ(人間)の、終わりなき戦いが始まった。
良いふうに言ってはいるが、本人はただただ妹に嫌われたくないだけだ。
「…とはいっても、どうしたもんかな」
おれはベットから這い出ようとしながら呟いた。
タイムリミットは10分後、それまでにおれが姿を見せないうまい言い訳を考えつつ、お弁当を作らないといけない。もちろん、姿を見られても、声を聞かれてもいけない。
「どーしたもんだかなー」
嘆きつつドアに、沢山あるうちの一本の足をかける。足が、人間だった頃の小指の太さぐらいしかない。
「うんとこしょー」
足でノブを回す。回そうとしたが回せない。ツルツル滑っていってしまう。
…にんげんっていいな。
どこかの童謡に出てきたようなことを思いつつ、回す回す。滑る滑る。ハムスターの回し車並みに意味のない行動をしている気がする。
ツルツルツルツルツルツル…。
「…らちがあかん」
方法を変えてみる。触覚らしき長い毛がたくさん生えている顎をパックリ開いて、ノブに噛み付いた。そのまま、開く方向に体ごと回っていく。
おれの口には今やゴムパッキンみたいなのが唇の代わりについていたので、なるべくそれを金属に押し当てるようにして動いた。
ガチャッ!
「…ひ、開いた…!」
ハアハア言いつつリビングへ。喘ぐ音の中にピィピィと不快な喘鳴が混じっていた気がいたが気にするまい。そんなこと気にしてたらこの状況を気にしなくてはいけなくなる。脳みそが腐りそうだ。
「…あと5分…!」
いつもお弁当箱が置いてある食器置きが遠い。おれの昔の身長は175cm、そして現在幅50cm縦140cm弱。背中が常に曲がっていて伸ばすと痛いが、(たぶん骨格の問題)伸ばせば160は…ぐ…160は…ぐぐっ…あるっ!
食器置きにやっと届いたおれは、超特急でトーストを焼いた。トースターと食パンを低いところに置いといたマイマザーナイス。
トーストを焼いている間に仕掛けを施しておく。可愛い妹に、お兄ちゃんがいないのを不審がらせないためのものだ。
…全ては妹に嫌われないためにあり!
「チーーン」
トースターから焼き上げられたパンが飛び出してくる。同時に、二階の妹の部屋から「ガチャッ」という不吉な音が聞こえた。
…うそっ、まじで?もう起きたの?!
慌てるおれ、だが聞き違いじゃない証拠にトン、トンと階段を下りてくる足音がする。間違いないぞお兄ちゃんにはわかる、あれは世界一キュートなおれの妹の足音だ!
「まだお弁当も作ってないのに!!」
焦ってトーストに脚を伸ばす。
「あづっ!」
当たり前だが熱かった。
「ん〜〜おにぃちゃん?何のおとぉ?」
寝起きらしい妹の声が近づいてくる。しまった今のおれの声は奇怪音だった、と気づくがもう遅い。
「おにーちゃん?」
ああっおれの妹可愛い!声まで可愛い!こんなピンチなのに超絶かわいく聞こえてしまう!…抱いて♡
…ってそれどころじゃない!お弁当を!
焦って周りを見渡したおれの目に、あるものが止まった。