奴隷商人になった日
父が亡くなった。
なぜ、亡くなったのかと尋ねられれば私は仕事中の事故死と答えるだろう。
具体的には?とさらにつっこんで聞かれ、どうしても答えなければならないのならこう答える。
奴隷の調教中に奴隷に殺されたと。
私の父は奴隷商人だった。
一口に奴隷商人と言っても種類は様々だ。
孤児や経済的に困窮している家庭の子供などを金銭でもらい受ける人買い。
国に許可を貰い、特定の被差別種族などを連れてくる奴隷狩り。
戦争などで捕虜になり身代金を払えなかった者を専門に扱う戦奴商。
こういった奴隷でなかった者を奴隷として買い付けを行う者を私達の業界では奴隷問屋と呼ぶ。
そして奴隷問屋から仕入れた奴隷を貴族や富豪など他の人間に販売するのが父の仕事だった。
父の仕事を大まかに言うと、売られている奴隷の価値を見定め安く売ってくれるように交渉する。
そして買った奴隷に調教や教育を施す。
最後に客に高く買ってもらえるように交渉する。
商品を安く仕入れ、商品の価値を上げて高く売る。
扱うのが奴隷というだけで他の商売と基本は何も変わらない。
父の葬儀にはそれなりの数の人が訪れてくれた。
父は奴隷商人として優秀な人物で多くの取引先と顧客を持っていたからだろう。
奴隷商人の世間のイメージはお世辞にも良いとは言えない。
だが、弔問客なしが当たり前だとか、「人を売り買いする人間のくず」と罵られるだとかそこまで酷くはない。
なぜなら一般人に奴隷は遠い存在だからだ。
奴隷の値段はピンキリではあるが平均的な値段で言えばそれなりに高額な商品だ。
そのため一般人は奴隷を買うことはほとんどなく、当然奴隷商人との接点は生まれない。
だから、あくまで漠然とした実感の伴わないマイナスイメージを持たれているに過ぎなかった。
父の葬儀を何とか無難に終わらせ、クラウスはやっと一息ついた。
今日が私、クラウス·フォーセンが正式に奴隷商人になった日と言って良いだろう。
商売のノウハウは小さい頃から父に教えられてきた。
父は厳しい人だった。
奴隷商人の職業病なのか元々の性格なのかはもう知るよしもないが、「甘やかすと調子に乗るだけだ、躾は厳しく」がモットーだった。
勉強中に鞭が飛ぶこともあった。
その事を幼心に恨んだこともある。
しかし、奴隷の調教をする父を見た時その考えは変わった。
私への父の鞭には手加減があった。
私はそれを厳しさの中にある愛情だと考える事にした。
調教と言っても全ての奴隷を調教するわけではない。
調教されるのは自分は奴隷ではない!と現状を上手く認識出来ていない奴隷にだけだった。
こう言う奴隷は反抗的でそのまま売れば顧客に迷惑が掛かる。
その為、調教を行い自分が奴隷であることを自覚させるのだ。
父はその手段として鞭打ちを好んだ。
私は調教を見るのが好きではなかった。
だから、父の調教は一度しか見ていない。
奴隷の悲鳴もそうだが、私はその時の父の顔が嫌いだったのだ。
いつもと違う普段見ることがない、あの表情が。
嫌な事を思い出した、もっと前向きにこれからの経営について考えよう。
と言っても基本的に父の経営方針を変えるつもりはなく、従業員もそのままだ。
問題は私が父がしていた仕事を上手くこなせるかそれだけだった。
「調教は誰かに任せるか」
他の仕事はもともかく、奴隷の調教は気が進まない。
「しかし、奴隷の調教を好んでしてくれる人間はどうやって探せば良いんだろうか?」
私はオフィスの椅子に座りながら一人呟いた。
一人でも多くの方に読んで頂けますように。




