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Scene-7 猿の手

 テレビに映されたシアンカムイの異様を見て、不安にどよめく札幌支局を吉暉はぼうっと眺めていた。

 怪獣が現実となってやってくる。いいや、自分が知らない、経験したがないだけだ。いままでもずっとどこかで怪獣が現れ、人々は戦っていたのだ。

 そう頭では理解しながらも、遠い風景のように思えてしまう。まるで現実感がなかった。


 吉暉はふと、自分が猿神に憑かれたときのことを思い出した。

 と言っても吉暉自身はよく覚えていない。祖父母の家に遊びに行き、山を従兄弟たちとさまよっているうちに気を失っていた。

 目が覚めると知らない施設にいた。ベッドで寝かしつけられていたが、ベルトで拘束されていて、訳が分からなくなって涙も出ない有様だった。

 ただ右腕だけが異様な感覚があったことを覚えている。自分のもののはずなのに、どこか遠くに置いてきてしまったように思えて、けれども痛覚だけはしっかり残っていた。

 やがて職員と思しき人物がやってくる。その人は写真を次々と見せてきた。崩れた山肌、折れた木々、抉れた畑……引き裂かれた動物たち。覚えがあるかと聞かれて首を横に振った。そうか、と職員は言った。

 もちろん、気づいている。きっとそれは、意識を失っている間に自分がやっていたことだろうと。

 だがそれが、実感となったのは、自分が暴れたらしき場所を実際に訪れたときではなく、自分に怯える従兄弟たちと見たときだった。


「ああ、そうだったのか」


 口をついて出たのは、それだけだった。感情など発散してしまったかのように、平らな声だった。

 理解のできない文言を浴びせられた。憑物筋がどうの、猿神がどうの、PIROがどうの。そんなことどうでもよかった。

 ただ知りたいのは、果たして自分がどうなるのか、ということだけだった。けれども大人たちは、肝心なそのことだけを黙っていた。

 よくわからないままに、両親の同意のもと北海道へと送られることとなった。

 人間性とともに、ついには自分の居場所さえなくしてしまったのかと思った。かつて見た花屋を継ぐ夢は遠い過去のものになって、美しいものを見るだけで傷ついてしまうような感性だけが残った。

 きっと自分の生の現実感というのは、その瞬間から消え失せたのだ。

 葉沼吉暉という存在は消え失せて、人ではなくなって、さりとて獣にも神にもなり損ねたモノだけが残った。


「あの、お名前は?」


 声が聞こえた。鶴喰雪花という名の少女だった。自分の身元を引き受ける人物の名だと、飛行機の中で桧取沢歓奈より告げられていた。

 雪の名に恥じない、眩しい少女だった。花の名に恥じない、美しい少女だった。

 第一印象は最高で最悪だ。いまの自分にあてがわれたのが、あろうことか自分より歳下の少女で、さらには高嶺の花という言葉が相応しい存在だった。

 自分の内側から湧き上がる反発心に従うままに言葉を発していた。それは猿神の影響で、雪花の中にいる狼神ホロケウカムイへの苦手意識からだろう、などと尤もらしいことを言われた。

 そんなはずはない。わかりきっている、自分の意思で雪花に対して厳しい言葉を発していたのだ。

 雪花は特別だった。人々の中で異質であったにも関わらず、誇り高く立っていた。

 アイヌであることを誇りに持ち、北海道アイヌモシリを守らんとして戦っていた。理念のはっきりとした彼女の行動は、誉れに恥じぬものだっただろう。

 美しく可憐でありながら孤高の雰囲気を纏う姿に、誰もが魅了された。嫉妬の言葉でさえ羨望にしか聞こえない。

 そしてその生まれは、伝説に裏打ちされたものであった。かつて怪獣を討ったという女神の子孫であると。納得だった。感服と言ってもいいだろう。

 鶴喰雪花という少女は、自分と似ながらも完璧であった。そしてその完璧さに相容れないものを感じてしまった。

 決定的な決裂になると、吉暉は思った。

 誰にも望まれず、己すら望まない生を過ごす自分は、ただ息をすることでさえ苦しい。

 偶発的に力を手にし、それをまともに扱うこともできず、年下の少女に面倒を見てもらう自分があまりにも情けない。

 きっと雪花にとっても自分の存在は重荷のはずだ。あまりにも足を引っ張っているように感じられた。怪獣により近い存在である自分という存在に嫌気がさしている。

 ならばせめて、この命は……。



「ぱいせん? ぱいせんってば、聞いてます?」


 雪花に揺らされて、吉暉はようやく気付いた。目の前には少し膨れ面を浮かべている雪花がいた。

 ああ、とやる気のない返事をすると、雪花はより目を険しくしていた。


「しっかりしてください。来ますよ、シアンカムイ」

「……俺も、戦うのか」

「支局長からはそう言われました。私は嫌ですよ、ぱいせんが戦うの」

「そうか」


 だが、戦わねばなるまい。怪獣が相手では、北海道中に散っている支局の人員を集めても足りない。

 東京にアラハバキが現れた際など、関東支局と東北支局が協力してなお苦戦したと聞いた。自衛隊や、予想外の怪獣セーリューゴンゲンの出現がなければどうなったものか、とかつて橘支局長が語っていたのを思い出す。


「猫の手も借りたい状況だしな」

「猿の手ですけどね」

「そこは別にいいだろ。ってか、お前が言うな」

「あまり前に出ないでくださいね。力の制御だってきちんとできてるわけじゃないですし。嫌ですよ、シアンカムイと同時にぱいせんまで相手にするのは」


 腰に手を当てて、困り顔で雪花は言う。

 そうなんだろうな、と吉暉は思う。同時に二体の敵を相手にするほど、戦力は整っていない。一方で吉暉を遊ばせておくほどの余裕すらない。


「囮くらいはできる」

「オイオイ、そりゃァないぜ、はぬまんよ」


 上佐が割り込んできてそう言った。いつの間にそんな愛称で呼ぶようになったのか、吉暉は曖昧な笑みを浮かべる。


「囮だとか、ンなケチくせえこと言うな。本気だせよ」

「できることをするだけだ」

「そんなこと言って、暴れたくて仕方ねェって顔してるぜ」


 どきりとした。内心を見透かされたのかと思った。上佐であれば、当てずっぽうでそれらしいことを言っているだけだろうと思う。

 けれどもぴしゃりと考えを当てられたのは事実で、少し狼狽する。そんな吉暉の前に立ったのは雪花だった。


「ちょっと、何を勝手なこと言ってるんですか」

「やめろ、鶴喰。俺もやるって言ってるんだ」


 吉暉が止めに入ると、雪花も落ち着いた。ふん、と不機嫌に顔を逸らしているが、逆に上佐は少し上機嫌だ。


「おう、そう来なくちゃな。頼りにしてるぜ」

「そっちこそ」


 上佐の笑顔に、吉暉は頷いて答える。

 やるのだ。やらなくてはならない。自分の出来うることを、全うするのだ。


「……四人とも、いますぐ出撃してほしい」


 橘支局長の言葉は、吉暉と雪花のみならず、上佐と凜にも向けられていた。

 テレビにはシアンカムイが飛行している様子が映っている。ゆっくりと、しかし確実に近づいている。手稲山から現れたシアンカムイは、あと十分もしないうちに来るだろう、というのが橘支局長の予想であった。


「私は陸上自衛隊の作戦本部へと向かう。避難状況を確認しながら、それぞれに指示を出そう。まずは大通公園へ出て、シアンカムイをそこに誘き寄せる。あそこなら被害は最小限に抑えられるだろう」

「うむ。では、現場は雪花と妾が受け持とう」


 頷いて、橘支局長は凜と雪花に無線機とインカムを渡した。調整をしている間に、上佐は刀を携える。


「よっしゃあ! いっちょやってやろうぜ!」

「そう急くな、上佐」


 意気揚々という様子の上佐と凜がまず扉をくぐり、二人を追うように雪花も出て行った。


「あなたも行くの?」


 吉暉が右腕の包帯を整えながら玄関へと向かうと、ヘラが言った。いまは力を失っている状態だという彼女は、ここでおとなしくしているようだった。


「何か用か」

「別にぃ? どうでもいいんですけどぉ? まあ、精々励めばいいんじゃないかしら。言っておくけど、人の身じゃあ勝てないわよ、あれ」

「そうかよ」

「えっ、それだけなの? 反応薄くない? せっかくの助言なんだから、感謝をしてくれたって」


 ヘラの言葉を最後まで聞くことなく、吉暉は玄関を抜けて扉を閉めた。

 異世界からやってきた、などという戯言を吐くような者の言葉だ。真に受けるほうが間違っている。

 ただ薄々思ってたことがある。あの子はただの構ってちゃんだ。


「……黒猫」


 吉暉がPIRO北海道支局を出ると、そこには黒猫がいた。どこにでもいるものではあるが、その黒猫は先ほどから雪花に付きまとっていたものと同じであるとすぐにわかった。

 ヘラを追うときに姿を消したとばかり思っていたが、いつの間に追いついていたのか。

 すると、黒猫は突然燃え上がり、消えた。明らかに自然発火ではない。塵も残さず消え去るなど、ありえない。

 なにかある、と思った吉暉は、先に大通公園へと向かった雪花を追ったのだった。

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