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Scene-6 神の在り処

「私のいた世界には、二種類の者しかいない。天使とそれ以外ね」


 札幌支局において、ヘラはそう言った。部屋の中央に置かれているソファーに踏ん反り座りながらである。

 それを聞くのは雪花と吉暉、橘支局長のPIROメンバーと上佐と凜の寿満窟組である。

 吉暉に背負われてやってきたヘラは、上佐が出会ったときとは姿が変わっていた。本人曰く、それは戦闘形態から解けたようなものであると考えろということであり、すなわち今は刀を納めている状態であると言える。


「天使ってのは天狗とは違ェもンで、ヨーロッパとかで言われるやつのことかね」

「妾の専門外ではあるが、広義ではアブラハムの宗教における天使も我らの知る妖と差はなかろう。ようは人と異なり、神通力を用いる器官を有するモノじゃ。だが、この者の言う天使とはどうも、我らの知るものとは違うようじゃが」

「ウラベリンだったっけ。そう、その通り。私はあなたの知る天使ではない。けれど、あなたの知る天使という概念に相当するものではある。ま、会話に支障はないから、そういうものと思ってもらって結構よ」


 あくまで上から目線で物を言うのは変わらなかった。上佐としては、先ほど喫茶店で戦ったこともあり心中穏やかではなかったが、凜の制止もあって刀を抜かずにいた。


「それで、私たちの術式の中には、強大な生き物を使役するものがあるの。その生き物っていうのは、私たちの世界だとライオンとかワシとか、そういうものの合成になるのよ。でもね、それじゃダメ。ぜんっぜん足りない。だから、私は並行世界を探した。穴を作って、あちこちを覗き込んだの」


 出された紅茶にミルクと砂糖を大量に混ぜながら、ヘラは続ける。


「この世界には、強いものとして生まれた生き物がいる。あなたたちの言う怪獣ね。それを屈服させ、我が手中に収める。これこそが私の”氷竜の道ルートオブクリオサウリア”なの。理解はできた?」

「さっぱりわからん」


 上佐は言った。はあ、とため息をつくヘラであったが、上佐の言葉はその場にいた者たちの総意でもあった。


「すなわち君は異世界より来た者であり、式神として従えるべくハクリュウゴンゲンを呼び覚ました、ということでいいかな?」


 橘支局長がヘラの言うことを端的にまとめる。真実とは違えど事実を的確に捉えた言葉であり、ヘラも頷いて肯定する。

 でも、とヘラは口にした。


「ハクリュウゴンゲン、なんて嘘の名で呼ぶのはやめた方がいいわ。あいつ、きっと自分をそういうものだと思ってるだろうから」

「しかし、赤岩山に眠る大蛇のことは今までずっと呼ばれてきた」

「今までって、それはいつからの話? まさか、()()()()()()()のことを言っているの?」


 ヘラの言葉に、ぞくりとしたものを上佐は覚えた。いままで遠いものであったヘラの発言が、急に重みを増したように思えたのだ。

 ただの子供だと思っていたヘラが大きなものに見える。古くから物事を見聞きし、体験し、そして実現せんとした存在だと感じる。

それはまるで上佐の祖父のようだった。過去の戦いのことを聞き出そうとすれば、決まって低い声で、厳しくも優しい言葉で制するのだ。凄みというのだろう。


「いい? あなたたちがハクリュウゴンゲンと呼ぶあれの、本当の名はね……」

「———”シアンカムイ”。その意味は”真なる神”です」


 その言葉の主を、その場にいる全員が見た。

 ヘラが口にしようとした言葉を先んじて発したのは、雪花だった。

 天使は三日月のような笑みを見せる。


「へえ、知ってたんだ」

「はい、よく知ってます」


 雪花の言葉に、誰も彼もが納得したかのような反応を見せる。そんな中で上佐はまったく見抜けておらず、自分だけが恥ずかしい思いをしているかのような感覚に陥って、八つ当たりしてしまう。


「なンで黙ってたんだよ」

「上佐、いまはそんなことを問い詰めておる場合ではなかろう」


 凜からの叱責が飛び、上佐は舌打ちして言葉を引っ込めるが、雪花は思いつめた顔をしながらも言葉を続ける。


「シアンカムイの名は、私の家に代々伝わるものです。本来はマムシを意味する言葉ではありますが……」


 語られる昔話は、知られるべき真実だった。


「私は祖父から聞きました。シアンカムイは荒ぶる海の神として、当時のアイヌたちから畏れられていたそうです。赤岩山から向こうは、荒れ狂う海として、この広いアイヌモシリの中でも知られています。そうした神に生娘を嫁がせることで鎮める、というのはよくある話でしょう?」


 雪花の祖先が本当に神であるかどうか、などは上佐も凜も知るところではない。

 だが、かつてアイヌの人々が行った嫁入りの祭祀は生贄というのだ。

 それは古今東西、どこであっても見られる伝承である。古事記や日本書紀で記された寄稲田姫クシナダヒメなどは代表的だろう。

 上佐は腹の底に怒りが湧いた。気に入らない考えだ、と。

 ただ一人の命を奪い大勢を救うなら英断だ。その一人を自ら志願したならば美談だ。

 しかし、そんなことは滅多に起こらない。身勝手な大勢が決めたことに従わざるを得ない少女のことを思えば、手にも力が入る。


「雪花、おぬしはその末裔であると?」

「いいえ。私の祖先たる女性は……女神でした。登別の伝説では、皮膚病を患った少女がいましたが、その実はカムイによって美しさを隠すためのまじないだったようです。その少女はカムイに娶られ、六人の娘を生んだ。そのうちの一人は登別の女神に、残す五人の娘はそれぞれが岬へと嫁いでいった。海を鎮めるために」


 しかし、しかし。六人姉妹の末妹はその運命へと抗った。


祝津シクトゥシ赤岩山ノテヤへと向かった少女は、嫁入り道具である小刀マキリを手にシアンカムイへと立ち向かいました。結果はご存じのとおり、シアンカムイは永き眠りにつき、女神は地元の集落でただの少女として過ごすこととなりました。これが私の、祖先の話です」


 雪花の昔話が終わる。知られざる、女神と龍の物語だった。

 ほう、と張りつめた空気が解ける。この場で緊張していないのは、呑気に紅茶を啜っているヘラくらいのものだろう。


「勇敢だったんだな」

「……向こう見ずなだけだろ」


 感心する上佐の言葉に、吉暉がぼそりと返す。

 凜はふむ、と頷く。一方で、橘支局長は顎に手をあてて雪花を見た。


「ひとまず、承知した。聞きたいこともあるが、それは後で構わない。それで白龍権現……いいや、この際、作戦目標もシアンカムイと呼称しよう。シアンカムイを討つ手段はわかるのか?」

「はい。シアンカムイの急所については、祖母より教えを受けています。きっと私の血はこのためにあったのでしょう」


 実務的な橘支局長は、いたって冷静であった。自身の部下の告白を受けてなお目的を忘れてはいない。彼の言葉に頷く雪花もまた、覚悟を決めているようであった。

 上佐は自分が置いていかれているように思えた。勉強不足と言われればそれまでであるが、雪花の言葉も、凜の言葉も、浮ついて聞いていた。まるで蚊帳の外である。

 自分と同じ立場であろう吉暉を見れば、彼はつまらなそうな顔をしている。どうにも感情が読めない。


「上佐、持ってきた荷物をこちらへ」

「お、おう」


 凜の指示で、上佐は関東から運んできていたアタッシュケースを持ち出した。PIRO札幌支局に預けていたものである。

 テーブルの上に置いたケースを丁重に開ける。そこに眠っていたのは、一本の小刀であった。反りがあることはわかるものの、その作りは日本刀のものではない。華麗で緻密な彫り込みがなされている鞘は、時代を感じさせず魅了した。よほどの腕を持つ職人が作ったのだろうと察せられる。

 その小刀を見た雪花は、身を乗り出して驚いていた。


「うそ、どうしてこんなところに……!」

「然様。これこそ女神がシアンカムイを討ち果たした際に用いたと言われる、本物の霊刀じゃ。一ヶ月かけて探したものよ。我らでは扱うこともできなかったが、おぬしであれば」


 凜は小刀を持って、雪花に差し出した。

 かつて振るわれた霊剣が、かつての持ち主の血縁の元へと戻る。その瞬間であった。


「こういうものは、然るべき場所にあるべきじゃ。受け取るがよい」

「……ありがたく頂戴します」

「名がない、というのは格好がつかぬな。夷虵斬エゾノハバキリ、と呼ぶとしよう」


 エゾノハバキリ。その名が八岐大蛇ヤマタノオロチを討ち取った際に素戔嗚命スサノオノミコトが用いていたという天羽々斬(アメノハバキリ)より取られているのは容易に想像がつく。

 和名であるが、名というのはあるだけで力を持つものであった。

 小刀をわずかに抜く。刀身の輝きは衰えているようには見えなかった。おそらく、斬れ味もシアンカムイと戦ってきたときと変わらないだろう。

 途端、地震が起こった。揺れはすぐに収まったが、凍えるような気配が場を満たす。温度の問題ではない。身体の芯から、魂に冷気が吹き込んだかのように上佐には感じられる。


「テレビ! テレビつけて!」


 橘支局長の言葉を受けて、吉暉がテレビの電源をつける。長く使っているからか、妙に映りの悪いテレビであった。ニュース特番にすぐに切り替わり、テレビ局の屋上にあるカメラの映像になっていた。

 そこに映っていたのは、揺れる街と遠方で吹き上がる凍気であった。そして、その凍気の中からひとつの影が現れる。


「……来た。来おったぞ、シアンカムイが!」


 唐突に、あるいは、卜部凜の占いの通りに。巨大な白龍は現れたのである。

※アイヌ民族の人身御供については、知られる限り、伝承上の物語です。

少なくとも江戸時代以降、同民族で人身御供の祭祀を催行されていたことが確認可能な史料は見られません

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