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Scene-4 現実感

 吉暉と雪花は北海道支局を出て、札幌の街を歩いていた。

 冬の空はすぐに暗くなる。日本で最北の地である北海道は、その緯度の高さの分だけ太陽が沈むのは早くなる。始業式しかなかったこの日であったが、昼を過ぎたばかりですでに日が傾こうとしているのを見ると、どうにももったいない気持ちになる。

 裏路地に入ってしまえば、平日ということもあって人通りも少ない。二人は遠慮なく、デリケートな会話をすることができた。

 怪獣が近々現れる。卜部凜が告げた予言の内容に、隣を歩く雪花は思いつめた顔をしている。

 腕には支局に侵入していた黒猫を抱いていた。どうしてか満悦の表情を浮かべているのが、妙に癪に障る。


「……実感ねえんだよな」

「なんのです?」

「怪獣が出てくる、っての。俺にはよくわからん」

「ぱいせん、ニュースとか見ないんです? ネットニュースでもいいですけど」


 呆れたように雪花は言う。それは当然の反応だ、と吉暉は思う。怪獣というのは現実として、自分たちの日常を脅かす存在だ。実際に多くの被害が出ている。日本の中心である東京の新宿も被害に遭っている。その惨劇の様子は、いまもなおテレビで流れている。

 それでも、と吉暉は言った。


「雪まつりもそうだけど、わかんないんだよ。自衛隊が頑張ってるとかさ、そんなこと言われたってどうしようもないだろ。なんか遠い場所にある出来事というか。理性とはまったく別でさ」

「そりゃ、そうですけど。でも実際に死んじゃった人もいるんです。どうも思わないんですか?」

「……思うところはあっても、俺は捜査員じゃないからな。逆に聞くが、鶴喰はどうして戦ってるんだよ」

「この地を守るためです」


 吉暉の問いかけに雪花は簡単に答えた。一切の躊躇いもなく、はっきりと。


「私はアイヌの血を引いてます。そしてこの北海道アイヌモシリは元よりアイヌが暮らしてきた地。地方ごとに違いはあります。でも、この地に対する想いは、人並み以上にあることを自負してますよ」

「郷土愛みたいなもんか」

「そう捉えていただいて結構です」


 つん、として雪花は言う。吉暉は、その感情を理解できなくとも、雪花のことがなんとなくわかった気がした。

 彼女のアイヌへの想いは強い。血に対する自負、というものがある。今や様々な事情でなくなりつつあるアイヌの血を、精神を残さんとする戦いを一人でしているのだ。

 どうにも吉暉にはその姿が痛々しく見えて仕方なかった。自分のたった一つ下の少女の、小さな双肩にそんなものが乗るのかと。だが、現実として背負って戦う彼女は、とてもまぶしい。


「ぱいせんだって、やりたいこととかあるでしょう。そういうことだってできなくなるんですよ」


 そう言われて、吉暉は苦々しい顔を浮かべる。

 もちろんある。生まれ故郷に帰って、花屋を継ぐことだ。家業を継ぐこと以上に、花に触れることに喜びがあった。

 たったの一輪で世界を変えることもある。花束で想いを引き出すこともできる。フラワーアレンジメントで雰囲気を一変させる。そんなものに憧れていた。

 けれど、この右手のせいで、その夢へ踏み出すことも叶わない。制御が上手くいかなければ、一生をPIROの監視下で過ごすことになるのだから。

 感情が表情に出ていたのか、咄嗟に右腕を隠す癖が出てしまったのか、雪花が気まずそうな顔を浮かべた。


「……ごめんなさい」

「いいけど。俺は怪獣より、支局に行く前に見た女の人の方が気になるけどな」


 そう言うと、雪花はいつもの調子で顔をしかめる。


「ぱいせん、もしかして好みの人とかのこと、嫌いって言うタイプなんですか」

「阿呆を言うな。小学生か俺は」

「そういえば、桧取沢さんのこともそう言ってましたね。年上趣味?」


 あまりにも語弊がありすぎる、と吉暉は思った。

 雪花と初めて会ったとき、確かに自分の監視役でついてきた桧取沢歓奈のことをそう評したと思い出す。あのときは不機嫌だったな、と思いながら、いまなら的確な言葉をあげられるだろうと、彼女の面影をたどる。


「あの人は苦手というか、逆らえない雰囲気があって、妙に姉貴分っぽいんだよ。それがどうにも合わなくてな」

「へえ? そんな印象はありませんでしたけど。生真面目で仕事一筋みたいな雰囲気でしたよ」

「頭は良さそうだよな」


 などと、苦しい笑みを浮かべて吉暉は言った。でも、と雪花は続ける。


「ぱいせんは一人っ子でしたよね。わりと、年上とかに可愛がってもらってそうな印象ありますけど、苦手なんですか?」

「とは言っても、近所の従兄弟たちの面倒見てたからな。気分は兄貴だよ」

「そうだったんですね。……ふふっ」

「何の笑いだよ」

「なんか、ぱいせんとこんな話するとは思わなかったんで、嬉しいです」


 その言葉に、ちくりと胸が痛む。壊れてしまった日常の断片が刺さっているのだ、などと柄にもなく思うのだった。

 和やかな空気を裂くように、吉暉の携帯電話が鳴り響く。連絡を受信した音であった。画面の表示を見れば、一木上佐と出ていた。


「……いつの間に連絡先交換してたんですか。前から思ってたんですが、コミュ力が高いんだか低いんだかわからないんですけど」

「うっせ。確認するぞ」


 メッセージを開けば、そこに書かれている文面は奇妙なものであった。雪花が横から覗き込むと、吉暉と同じように顔をしかめる。


「女天狗が現れた? しかも戦った? PIROのことも、ハクリュウゴンゲンのことを知ってる?」

「よくわからないが、女天狗というのはこんな街中に現れるものなのか」


 上佐と凜が出て行ってから、それほど時間は経っていない。いるにしてもまだこの近くだろう。遠くの出来事ではない、と吉暉は思った。


「そんなわけないでしょう。ここは北海道ですよ。女天狗なんているわけないでしょう。何か別のものと間違えているんです」

「んで、よくわからんが、女天狗ってのはあれのことか?」


 吉暉が指差した先は、空であった。薄暗い雲に光の点が見える。それは緩やかに飛行をしていた。遠目から見れば、大鴉のようにも思える。


「あれをどうにかすればいいのか」

「まあ、そうなりますけど。どうするんです。私の遠距離攻撃の手段はあまりに目立ちますし」

「どうにかなる」


 そう言うと、吉暉は道路標識を包帯の巻かれた右手で掴む。『止まれ』と書かれた赤い三角形が先端にあった。白いポールを蹴飛ばすと、鋭利な刃物で斬られたかのように離される。

 槍投げの要領で放たれた道路標識は、猿神の力が込められたことによる加速でさながらミサイルのように飛んでいく。さらに正確無比のコントロールにより飛行している存在へ、吸い込まれていった。

 命中したのを視認した瞬間、空気が破裂する音が響いた。飛んでいた光は、ガラスの破片のようになって散っていく。

 そして残ったのは人影であった。影はそのまま真下へと落下していく。

 吉暉はその様子を眺めていたが、不意に耳を引っ張られる。


「いててててっ! なにすんだよ!?」

「ぱいせんは……バカなんですか!? 何するんだ、はこっちの台詞です! 標識がどこに落っこちるかとか、考えなかったんですか!?」

「あー、あっち、公園とか……だと思う。たぶん」

「そういうことじゃないです! 使える頭持ってるのにめんどくさくて使わなくなるみたいなのありますよね!?」


 そう言われても、それなりに考えた結果の行動であるから、吉暉としては何とも言えない気持ちになった。

 するりと雪花の腕の中から黒猫が抜けていく。そしてちらりと二人を見ると、一目散に走って行った。


「あの猫、なんだったんだ」

「おうちに帰るんでしょう。いいから、行きますよ」

「え、あ、おい……」


 雪花に手を引かれて、二人は人影が落ちたらしいところへと向かう。

 幸いにして、落下した場所は公園であった。「嘘でしょ」という声が聞こえた方へ駆け寄ると、そこには女の子がいた。地べたに尻餅をついている。どうやら木や雪がクッションになって怪我などはないようである。

 小学校六年生くらいだろう、と見て思うが、果たしてその少女がどこからやってきた何者なのかは見当もつかない。国籍ですら怪しいのだ。

 さらに奇妙なのは、銀色であった髪が、膜が剥離するように色が落ちていき、黒色へと変わっていくのだ。


「もう、何なのよこの街は! 目つき悪いクソダサイキリ男のくせに天使の力を使えるやつがいたかと思えば、どうして空を飛んでたら道路標識がぶつかってくるの? 意味わからない」


 などと愚痴っていると、少女は吉暉と雪花の気配に気づいた。ああ! と声をあげて指をさしてくる。


「どこか痛むか?」

「もしかして、あんたがさっきの標識を投げたやつ!? よくもやってくれたわね!」

「元気みたいだな」

「ぱいせん、そこじゃないです」


 呑気なやりとりをする吉暉に対し、雪花が止めに入る。本来の目的を忘れてはならない。


「君、名前は?」

「……ヘラ、ううん、戸来へらい菜々実 (ななみ)でいいわ」

「じゃあ、戸来さん。俺たちはハクリュウゴンゲンについて知りたいんだ。君は何を知ってるんだ?」

「ふうん、知りたい? ねえ、知りたい?」


 挑発をするようにヘラは言う。むっとする雪花を他所に、吉暉は素直に頷いた。


「ああ、教えてくれ」

「なにそれ、つまんないの。ねえ、そんなことよりも、いつまで女の子をこんな格好にしておくつもりよ」

「あ、ごめん」

「それだけ? この私を地面に叩きつけておいて!? はあ、もういいわ。はい」


 ヘラは手を差し出す。さすがの吉暉であっても、その手の意味がわからないわけではない。左手でしっかりと握って、ヘラを立たせたのだった。

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