Scene-3 嵐の目
「ったく、やってらんねェな」
上佐は猫を引きはがしたのちに、PIRO北海道支局を飛び出し、閑散とした喫茶店でコーヒーを飲んでいた。
ともに北海道へとやってきた凜は調べ物があると言ってどこかへと行ってしまった。頭脳労働は得意ではない自分の出る幕はないと、自ら辞退した。
「PIROだなんだと、細かいことなんてどうでもいいじゃなねェか。ここにいりゃあ、でかい獲物が来る。んで、ソイツをぶっ倒す。簡単な話だ。それを、卜部さんよ……わかってねェぜ」
もとより、上佐は卜部凜が経営する風水屋の寿満窟の、臨時で雇われた野良の妖怪ハンターであった。PIROなどという公的機関があることも、凜の元を訪れて初めて知った始末である。
人に迷惑をかける妖怪を退治すれば莫大な報酬が入る、という話であったが、上佐にとっては興味のない話である。
目指しているのは最強の座であった。
もとより、妖怪ハンターなるものをしていたのは祖父である。そんな祖父に憧れたものの、彼からは窘められ、ときに激しく叱責された。だがその分だけ反発心は強くなり、祖父が亡くなったおりに蔵から妖刀”臥嵐裂禍”を持ち出し、晴れて妖怪ハンターデビューを果たしたのだった。
そして茨城で妖怪たちと戦っているうちに、寿満窟という店で人員を募集していると知り、自らの実力を示す機会だと思い応募したのだ。
すべては亡き祖父を見返すため、そして自分の名を轟かせるため。はるばる北海道は札幌の地を踏んだのだった。
「つッても、札幌で怪獣が暴れる、なァ。こんな時世だ、ありえねェ話ではねェだろうが、どうにも占いってやつは性にあわん」
などと言いながら、スマートフォンをいじっていると、向かいの席に気配があった。
反対側で椅子が引かれ、少女が座る。
この世のものとは思えない、というのはこのことを言うのだろうと上佐は思った。その少女の外見は美しい。有り体に言えば美少女であるが、そんな言葉で言い表していいものか疑問を抱かせる。上佐の少ない語彙では表現ができないでいた。
どこの人種であるかも不明であり、髪も銀色で、どうにも凡百の人間が集まる喫茶店にそぐわない。
確かなのは、その少女は上佐の感覚で言う美しいということであるが、一方で上佐を驚かせたのは、少女の幼さである。年齢にして十二歳程度だろう、と先ほど出会った雪花と比較して推測した。
「あー、おい。座る場所、間違えてると思うぜ」
「いいえ、間違いではないわ」
澄んだ声で少女は言う。
「ねえ、あなたPIROとかいう組織の人なんでしょ?」
その名を出されて、上佐は身構える。PIROを知っているということは間違いなく一般人ではない。さりとて口ぶりからして、どうにも内部の者でもないようだった。
「生憎だな。オレはそういうんじゃねえんだ。他を当たりな」
「別にあなたに興味はないの。ただ教えてくれればいい」
少女の言葉に、少しばかりカチンときた上佐であったが、相手は子供である。カッとなったとしても仕方ない。自分に言い聞かせて平静を保った。せいぜいが握りこぶしを作った程度だ。
「”シアンカムイ”……いいえ、あなたたちはハクリュウゴンゲンって呼んでるのかしら」
「んだと。お前、知ってんのか」
「ねえ、あの子がどこにいるか知ってる? せっかく起こしてあげたのに、どっか行っちゃって。まあ、私の起こし方が悪かったのかもしれないけど。やっぱり嘘はよくなかったかな」
「てめえ何を言ってやがる。いや、何者だ、アァ?」
「あら。怒ってるの? でも怒り方がみっともないわ。これだからニンゲンの男って嫌ね」
少女はご機嫌な口調であった。おもちゃを与えられたかのように破顔する。
一方の上佐はいまにも刀を抜きそうな勢いであった。
「もう容赦しねェぞ。オレの臥嵐裂禍の餌食になるか?」
「何それ。すごいの?」
「当たりめェだろ。小学生の女の子なら、泣いて逃げるくれェな」
「ああ、なるほど! あなた、自分に自信がないのね」
何かに得心したように少女は言う。しかし、それは核心でもあった。上佐は鞘走るのを抑えるので手一杯だ。
そんな上佐の、理性と怒りの天秤が揺れていることを理解しながらも、少女は言う。
「じゃあさ、あなた……自分がナめてる相手に負けたら、どんな風に思うのかな?」
途端、上佐が使っていたテーブルが弾け飛んだ。吹き飛ばされながらも上佐はどうにか受け身を取る。左手にコーヒーカップを持ち、右手を腰に帯びた刀の柄にかけている姿はどうにも滑稽であった。
刀は虚空より現れたかに見えたが、その実は神威の咒によって周囲より縮小され隠匿されていたに過ぎない。
対する少女の一撃は、明らかに何もない空間より行われた。彼女の手がテーブルに触れた瞬間に光が炸裂したかと思えば、絶大な威力の一撃が振るわれたのだ。
上佐が睨みつけた先では、少女が宙に浮かんでいた。そして左肩には、輝く翼が生えている。そんなもので飛行することはできない。上佐は妖力によって浮いていると推測するが、そんなものはいま意味をなさない。
少ない客と店員が、悲鳴をあげて喫茶店から出て行く。いらない騒ぎになってしまうが、上佐は目の前の少女を見過ごすことができなかった。
「天狗の類か……大物だな」
「この国では翼のある者をそう言うようね」
そう言いながら、少女は手の平を前へと突き出す。あの手から光線が放たれたのだ。上佐は必然、腰を低くして迎撃の構えをとる。
「もう一回だけ聞くわ。ハクリュウゴンゲンがどこにいるか知ってる?」
「はッ、知ってたらこんなところにいるかよ。とっととぶっ飛ばしてるさ、オレの手でな」
「……そう。残念ね。もうあなたに用はないわ」
宙に浮きながらも、少女は上品な所作でスカートの裾を軽く持ち上げる。貴族の令嬢が礼をするように。
「冥土の土産、と言うのかしら。名を教えてあげる。私はヘラ。ヘラ・ナニアドヤーラ」
「へ、ヘラナニャ……ややこしい名前しやがって! ぶっ飛ばすぞ!」
「馬鹿にしてるの!?」
少女の掌が輝く。二射目が放たれようとしていた。だが光が発せられるよりも早く、上佐は刀を抜いた。
「お前の出番だぜ、臥嵐裂禍」
風が起こる。一瞬にして渦を生み出し、小さな竜巻となった。ヘラの手から伸びた光線は、嵐の障壁に阻まれる。光は霧散し周囲へと散った。
妖刀、否、神剣・臥嵐裂禍の力であった。現代においてPIROの捜査員が所有する擬神器が登場するより以前から振るわれていた、言わば擬神器の原型とも言える存在であった。
宿しているのは志那津比古、風の力を持つ神霊である。その表れとして、刀身を気化させる力を持っていた。
上佐はその力によって、自らを守る風の結界を張ったのだった。この技にヘラは瞠目する。
「ウソ、なんなのその刀……天使の『権能』そのものだとでも言うの!?」
「天使じゃねえよ、カミサマだカミサマ。んで、どうよ、オレの臥嵐裂禍の味は」
刀を肩に乗せて調子付く上佐であったが、ヘラにはその言葉が聞こえていないようであった。
「やはり出力不足ね。一刻も早く『氷竜の道』を完成させなければ」
「無視してんじゃねえぞ、おい、てめえ。状況わかってねえみてえだなァ、アァ?」
「悪いけれど、付き合ってられるほど暇ではないの。命があればまた会いましょう」
そう言って、軽やかにヘラはステップを踏む。店の外へと飛び出したかと思えば、隻翼にもかかわらず飛行していった。
追うことも考えたが、いま慌てて飛び出していったところでどうにもならないと判断する。PIROの方へと連絡するのが先だろう。
上佐は握ったままだったコーヒーカップを呷った。
「チッ、冷めちまった」
参ったな、と言ってコーヒーカップを置こうとテーブルを探したが、すでに店内は光と嵐によって破壊し尽くされていた。食器や家具などは壁に叩きつけられて破片が散らばっているし、いくらか店の外まで飛び出してもいた。
「こいつは、面倒なことになる前にとんずらするか……!」
そう言うやいなや、上佐は臥嵐裂禍を握り、店を飛び出したのだった。