Scene-2 最強に見える
北海道にやってきて一ヶ月ながら、この日はいつもと違うという吉暉の直感は正しかった。
PIROの北海道支局の門をくぐれば、すでに客人が二名来ていた。
はて、と首をかしげる雪花を見るに、この二人はどうやら予定にない者たちのようである。正式の捜査員でさえあずかり知らぬのであれば、保護観察を受けている吉暉が知る由もない。
見れば高校生の男と和装の女という異色の組み合わせだ。北海道に慣れていないのか、いささか軽装が過ぎるように思う。こちらにやってきたばかりの自分のことを思い出しながら、吉暉はそう思った。
「ああ、鶴喰くん、ちょうどよかった。こっちに来てくれないか」
そう言ったのは橘支局長だ。彼は客人の前に座っている。はい、と頷いた雪花はソファのほうへ向かった。
一方の吉暉は、自分が以前に飾った花の方へと向かう。
保護観察の自分が話の輪に入るわけにはいかず、かと言ってこの狭い事務所では逃げ場はない。花の世話をしながら、暇つぶしに聞き耳でも立ててようと決めたのだ。
長いこと飾っている花であっても、枯れた葉や花を丁寧に切り取り、整えるだけでそれなりの形になる。大きさは以前より小さくなっても、価値がなくなるわけではない。むしろ長いこと楽しんでこそ意味はあるし、たった一輪の花であっても部屋の雰囲気を変えるだけの力はあるのだ。
応接の空間では雪花が自己紹介していた。恭しく自己紹介をしている雪花の様子は、初めて会ったときのことを思い起こさせる。
次いで、着物の女性が身を乗り出した。艶やかな紫色の着物を着こなすのは、素人目に見ても名家の生まれだろうことを察せさせる。
「妾は卜部凜と申す者、横浜にて寿満窟という居を構えておるのだが、この度はこの地に悪しき兆しありと出たため、こうして馳せ参じてきた次第じゃ」
……いまなんて?
あまりにも古めかしい喋り方をする卜部凜という女性に、吉暉は思わず視線を送ってしまった。いかにもな和風美人であるが、その口から出てきた古風な言葉遣いは、しっくりはくるものの方向性が間違っているように思えた。
「悪しき兆し、ですか。さてはあの、特殊害獣の」
「ああ、そのように言わずともよい。PIROの関東支局とは浅からぬ縁ゆえ、怪獣と言えば通じる」
「なるほど、聞いたことがあります。卜部氏と言えば吉田神道の流れをくむ陰陽師でしたかな?」
「話が早くて助かる」そう言って凜は、出された茶を啜る。
「今日立ち寄ったのは、挨拶をと思ってのことじゃ。余所者に勝手をされてはそちらも心地よくなかろうと思うての」
「そういうことでしたら。しかし、ということはハクリュウゴンゲンの調査ということで?」
「左様。妾の卜占にて、赤岩山の白竜権現に動きがあるよう出たのじゃ」
ふうむ、と唸る橘と雪花の様子に、吉暉は神妙なものを感じた。占いというのをいかに信じるか、というのは彼らの間では大切なことのようであるが、吉暉にはいまいちわからない感覚である。
占いというものは、あくまで雰囲気やノリで楽しむものである。少なくとも吉暉はそう思っている。
だが雪花が言うには、神霊への祈祷とは永き時を見てきた者たちから知恵を借りることであるから、意味は必ずあるという。
理解はできるものの、占いという言葉だけが先行していていまいち信じられないでおり、PIROの面々の感覚を理解しがたいものにしていた。
「ハクリュウゴンゲン……実のところ、我々もあれが何モノなのか、理解できていないのです。何せアイヌ由来のものですから」
「妾も関東で調べるのに限界を感じておったところじゃ。白龍権現という名はいかにも和人側の言葉。ゆえにかの伝説にはいささか、和人側の意図が含まれておるように思う。赤岩山にある碑石の模写は見たが、あれとて怪しい。真実はまた別にあると考えておるが、どうじゃろうか」
「……ご明察です。私もまた、あの碑文はいくらか嘘が混じっていると考えております」
口を挟んだのは雪花だ。ふむ、と首を傾げた凜が問う。
「おぬし、見たところアイヌに関わる者かの」
「はい。この時代にアイヌを伝える者の一人です。しかし、ご存知かと思いますがアイヌは口伝にてそれらの話を受け継いでおりますから、真実のあるところは不明です」
「誤りながらも、形となったものはそれだけで力を持つものじゃ。正しき教えを歪めることもあろう」
凜の言葉に、雪花と橘支局長は頷く。だが、それでもなお赤岩山にある白龍権現の口碑に関しては、無視のできない存在であることは確かだ。
その伝承に曰く、かつて大蛇がアイヌの里に生贄を要求した。里は要求通りに、毎年八月の祭りに女を差し出す。
しかし、そんな中にあり、里長の娘だけは生贄にされなかった。八年が経ったのちに里長の元にいた六姉妹の末妹、名をシトナイという少女が自らを生贄として差し出すように言った。代わりに鋭い小刀と、猟犬を供にすると言う。
シトナイは夜明けも待たずに出かけ、そして猟犬とともに大蛇と戦う。その果てにこの大蛇を打倒せしめた。いままで生贄として差し出された女の遺骨を持ち彼女は里へと帰り、大蛇は白龍権現という名で赤岩山を封じたのだった。
吉暉が橘支局長より説明された白龍権現にまつわる話のあらましであった。
その伝説に基づき、赤岩山より現れた怪獣は白龍権現だろうと言われ、作戦上の名も”冷凍怪獣ハクリュウゴンゲン”とされている。
「ひとまず、承知致しました。こちらからも可能な限り情報を共有いたしましょう」
「柔軟な対応、痛み入る」
「して、そちらはどなたかな?」
橘支局長は話を凜の隣の人物へと振った。
制服を着ており、背丈や顔つきからは高校生だろうと吉暉は推測する。顔立ちは整っているが、目つきの悪さがどうにも気になった。
じろり、とその男は雪花と橘支局長を見る。見定めている、と言えば聞こえはいいが、あれは値踏みをしているのだ。
ごほん、と咳払いをした凜が、手で男の方を指し示す。
「これは一木上佐、この度は妾の……用心棒のようなものであると思っておくれ」
「言っておくがな」
紹介を受けた上佐が、低い声で言う。
「オレはお前らなんかと馴れ合う気はねエぜ?」
「これ! 何を言うか!」凜が叱責を飛ばすが、上佐の方はどこ吹く風である。
「大丈夫だぜ、卜部さんよォ。オレの”臥嵐裂禍”さえあればなァ、妖なんてもう雑魚よ、雑魚。それにあんたからもらったお札もあるからな。もう誰かの手を借りるまでもねェ」
まあそれでも、と上佐は立ち上がり、吉暉の方に近づいてくる。だが吉暉は、柄が悪い上に口も態度も悪い男であるが、脅威を感じることはなかった。
「お前は少し、見込みがある。仲良くしようじゃねェか」
「……はあ」
と答えるしかない吉暉である。自分よりもはるかに実力のある、いいや、戦力となりうる雪花を差し置いて声をかけてくる意味がわからない。
この男の目が節穴なのだろう、と思うのは簡単であるが、どうにも性根の部分の問題のようにも思えてならなかった。
「まァ、ハクリュウゴンゲンだかなんだかは知らねえが、何かあったら声をかけてくれよ。そこにいるちびっこより役に立つとは思うぜ?」
むっ、と感情をもろに顔に出した雪花が、腰を浮かせる。だが彼女が立ち上がるよりも早く、上佐に飛びかかったものがいた。
それは先ほど、雪花に懐いていた黒猫である。ついてきたのだろうが、いつの間に上がり込んできたのか吉暉にはわからなかった。
黒猫は上佐が気に入らなかったのか、顔を引っ掻こうと躍起になっている。
「だァァァッ!? 何だこいつはよ! おい、どうにかしろ!」
「え、俺が?」
「お前以外いるかよ! ってか、早く、髪が、オレの髪がアアアアァァァァ!」
上佐の方はというと、黒猫を掴んで格闘を繰り広げている。助けを求められた吉暉はどうにか猫を引きはがそうとその輪の中に乱入した。
呆気にとられる雪花と橘をよそに、凜は出されていた茶菓子を食べていた。
「まったく、武具にばかりに頼って足元が疎かだからそうなるのじゃ。……ところでこのチョコレート、まことに美味じゃな」
そう言った凜に、雪花は顔を綻ばせる。甘いものの話題になれば、笑みを浮かべるのはだいたいの女子がそうなのだろう。
「生チョコですね。お土産の定番のひとつですよ」
「むっ、それはよいな。後ほど、教えてもらうとしよう」
「いいですよ。他にお土産だと、ポテトチップスにチョコがかかってるものもあって」
「ほほう! 甘味と塩気が合わさって最強に見える。それはいいことを聞いた!」
そう言って凜は、もうひとつチョコを口に含む。顔を綻ばせる様子はあどけないものであったが、吉暉はふつふつとした嫌な予感を抱かざるを得なかった。