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Scene-1 高嶺の花

 吉暉が北海道に訪れてから、一ヶ月以上が経った。


「ぱいせん、はやく行きますよ」


 などと、教室に来て言ったのはお目付役であるところの鶴喰雪花だった。教室中の視線が、彼女と吉暉とを行ったり来たりする。

 最初の頃はその視線に困惑したものであるが、数日のうちに慣れるようになった。

 はあ、とため息をついて、集まる目を気にしない風を装って、吉暉はカバンを持って雪花の元へと向かった。


「休む暇なんてないんですからね」

「わかってるって、そんなに言わなくても」


 意地悪をしたいわけではないが、そういう風に言ってしまう。

 吉暉は雪花との距離感に戸惑っていた。最初はこれほど近くはなかったはずなのに、気づけば懐に彼女はいた。ぱいせん、などと気安く呼ぶようになったのはいつからだろうか。きっかけなどなかったはずだ。

 突き放したいわけではない。かと言って、それほど馴れ合う仲でもないように思える。自分は監視対象で、雪花は監視役、それでいいはずだ。彼女にとっても自分という存在は厄介なものであるだろうし、たくさん気遣っているのは身に沁みてわかる。

 そういうのめんどくさくないか、などと口にしてしまって、機嫌を損ねるのも憚られた。吉暉は雪花の言葉に、ただ黙って従ってこの一ヶ月を過ごしてきたのだった。


「どうです、三学期?」

「どうって……慣れやしない。こっちの冬休み、長すぎだ。ほとんど学校行ってねえぞ。それに学校通うのなんて、あとどれくらいだよ」


 この日は一月十五日、札幌の学校では始業式である。

 吉暉が暮らしていた岡山は、北海道と比較すれば南国もいいところである。長期休みの長さが地方の柄とも言うが、吉暉はそれを身を以て体験していた。

 雪花と同じ学校の方が都合がいいだろう、などという理由で編入させられた南茶良中学校であったが、自分は中学三年生である。十二月という高校受験も控えた時期でありながら編入してきた吉暉を、クラスメイトたちは奇異の目で見た。さりとて、仲良くする時間も余裕もなく、一方の吉暉にもそのつもりがまったくなかった。

 そんな彼をさらに窮地に立たせているのが、雪花の存在であった。この南茶良中学校において、彼女はとても目立つ。

 第一に、雪花はアイヌの末裔であるということ。

 社会科をよほどサボっていなければ知っているだろうアイヌとは、北海道にもともと住んでいる人たちのことである。ほとんどが本州から移住した者とその子孫たちで構成されるようになった北海道という地で、アイヌであるという強い自負を持って生きている彼女は特異であった。その証拠として、彼女はアイヌに伝わる柄のバンダナを身につけており、カーディガンにしても細やかな柄が入っている。

 第二に、もしかするとこちらの方が重要かもしれないが、雪花は美人だった。

 俗な言い方をすれば美少女であろう。中学二年生にして大人びた顔つきと冷淡な雰囲気は、近寄りがたい空気とも相まって、むしろ人をよく魅了する。高嶺の花、というのは彼女のことを言うのだろうと短い人生の中で初めて吉暉は思ったのだった。

 クラスの視線の正体は、そういうやっかみだか、好奇心だかだ。どういう関係か、などという勘ぐりも最初は多くあったのはそのためだろう。


「支局に行ったら今日も制御の訓練ですよ。高校に行ったら私がお世話をするわけにいきませんから」


 前を歩く雪花はそう言った。あと二ヶ月もすれば卒業する。日頃から、猿神の宿っている右腕の調子を見てくれているのは雪花であったが、一個下である雪花とは離れることになる。

 彼女から離れてしまえば、猿神の制御や右腕に巻かれた包帯型の呪具を締めるのも自分一人でしなければならない。いまはその訓練期間だとして、PIROで面倒を見てもらっていた。

 その指導役ももちろん、雪花だった。中学二年生に任せる組織など、大丈夫なのかと不安になる。

 さて、PIROの北海道支局は札幌市の中心である大通りから南に行った、狸小路商店街にあった。本陣狸大明神社が建てられたのと同時に社の近くに支局が作られたと聞いており、アーケード街の一角に二人の目的地はあった。

 中学校のある北区からバスで大通りに向かうと、雪まつりの準備が行われていた。バスから見えた自衛隊のトラックには雪がたんまりと積まれている。どうやら市外から運び込んでいるらしい。その一方で、自衛隊による出し物も同時に製作されていた。

 例年より規模は縮小されるらしいが、それでも開催するのは根性か、意気の高揚のためか。


「雪まつりってこういう風に作られるんだな」

「何回目ですか、それ。あれだけ大きな雪像を作るのに、どれだけの雪が必要だと思ってるんです?」

「俺の住んでたところは雪なんてそんな降らねえの。いまも凍えるくらい寒い」

「あー、ぱいせん、猿は猿でも南国の猿って感じですしね」

「うっせ……円山動物園のやつらに同情する」

「あそこのサル山、床暖房もあるみたいですよ」

「俺より贅沢してるのかあいつら」


 などと毒づいているうちに、バスは大通停留所に着く。雪花の後を追うように吉暉も降りた。

 寒さには慣れないものの、雪を踏む感覚はいくらかマシになった。さもないとすぐに転ぶもので、最初の頃は雪花も気遣ってくれていたが、だんだんと馬鹿にするように笑うようになってからは、猿神の制御よりも急ぎの課題になったものだ。

 バスを降りると、吉暉は視線を感じた。猿神の影響か、頭ではなく右腕そのものが第六感を持っているかのように告げるのだ。お前を見ている者がいるぞ、と。


「どうしました?」

「向こう、俺たちを見ている人がいる」


 吉暉の視線の先には、一人の女性がいた。黒のセーラー服を着ているものの、明らかに周囲から浮いていた。他人とは違う。むしろ雪花や自身に近い存在だろうとも思うが、それにしたって違和感があった。

 むしろ右腕の猿神が告げているのは、危機感であったかもしれないが、その機微を読み取れるほど吉暉は猿神とよろしくできていない。

 ともあれ、警戒を覚えないわけではなかった。少なくともいい気配ではない。

 身を乗り出そうとしたとき、足元に猫がやってきた。真っ黒な猫だ。


「あ……黒猫?」


 雪花はというと、自分たちを見ていた人物にはすでに興味なく、足元に擦り寄ってきた猫に気が行っていた。


「おい、少しはなあ」

「はいはい。ぱいせんは少し気にしすぎなんですよ。それよりこの猫見てください。すっごく懐いてますよ。なまらかわいい!」


 よしよし、と雪花がしゃがみこんで頭を撫でると、猫は喉を鳴らして喜ぶ。

 ため息をついて先ほどの女性の方を見れば、すでに姿を消していた。そのことがむしろ、一層に不気味さを感じさせた。

 ワン、と今度は犬の鳴き声だ響いた。雪花の憑神であるノンノだった。アイヌの言葉でトゥレンペというそれは、生まれながらにして憑いている守護霊のようなものなので、狼の神(ホロケウカムイ)なのだという。戦闘形態もあるようだが、いまはチワワのような姿をしていた。


「珍しく気が合うな」


 警告しているのだろう、と吉暉はノンノの言葉を理解したが、当のノンノは吉暉の脚に噛みついていた。犬猿の仲、という言葉の通り、吉暉の中の猿神の存在に機敏に反応しては強い当たりを見せており、吉暉を悩ます種のひとつでもあった。


「犬っころめ……鶴喰のことを思って言ったってのにこれだ。こら、噛むな」

「あ、また喧嘩してる! もう、ノンノをいじめないでください」


 このように、雪花はノンノの味方である。吉暉はどうにも立つ瀬がない。

 雪花はノンノと黒猫を抱きしめてご満悦の表情である。その様子を見て、再びの嘆息が漏れる。例の怪獣だって目前に迫っているのかもしれないのに、この調子では先が思いやられる。


「ほら、行くぞ。急げって言ったの、お前だからな」

「え、ちょ、待ってくださいよぱいせん! ばいばい、ネコちゃん!」


 吉暉が先を歩くと、雪花は猫に別れを告げてついてくる。いつもと逆の構図に少しの違和感を覚えながら、北海道支局を目指した。

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