Monologue 雪月花
夜になったばかりの大通公園は自衛隊によって封鎖されていた。
シアンカムイを覆い隠すことはできず、凍りついた巨龍は何も被らずに寝ている。
私はPIROの権限を用いて、中に入ることを要求した。自衛官は敬礼ともに通してくれた。
PIROの職員がシアンカムイを倒したという話は自衛隊の全員が知っている。白龍を討った女神の子孫であることは広まっていないが、それでも英雄視されるのは仕方ないことだ。
被害の少なさは奇跡的なのだと、自衛隊作戦本部の者が言っていた。雪まつりの準備で多くの自衛隊員が大通公園にいたことで避難活動が迅速だったことや、大通公園という広く開けている場所が戦場となったことが要因だろう。
忙しく動く自衛隊の人たちは、これからシアンカムイを解体するのだと言う。神の名を持っているとはいえ、怪獣の肉体だ。貴重なサンプルになるだろう。
話では米軍も要求しているだとか。PIROに所属している雪花にはなんら口を出す権利はなかったが、あまりいい気分はしなかった。宿敵とは言え北海道の神である。他所者に触られるのは癪だった。
雪を踏んで、白き龍の元へと向かう。戦っている最中は気にならなかったが、大通公園を縦横無尽に跳んだりしているうちにシアンカムイは遠くまで移っていたようだった。
手には夷虵斬を握っていた。その柄を握るたびに、病室での出来事が思い出された。
「ぱいせんの……ばか」
そうつぶやく。誰も聞いていない分、自分の中に響いた。
悪いのはその場で、意味をきちんと伝えていない私なのに。
アイヌの文化において、男性が女性に小刀を渡すことには大きな意味があった。
告白である。
病室では賭けにつかった、などと言ったけれども、実際のところは違うだろう。想像にしか過ぎないけれど、先祖のうち誰かが夷虵斬でプロポーズをしたのだ。そして小刀は、アイヌではない者の手に渡った。
アイヌの男性は意中の女性を想いながら、鞘に彫刻を施す。その柄の精緻さを見て、男性がどのような器を持っているのかを計るのだ。そして女性がその小刀を身につけてることで、告白を受け入れたとするのである。
どうしてそんな風習が始まったか、などというのは推測しかできない。女性が護身に使う武具を贈ることで、離れていても守ろう、という考えなのかもしれない。
もちろんこの彫刻は吉暉の手によるものではない。アイヌの者同士でないならば、この風習もないも同然だろう。自分の文化を押し付けたりはしない、というのは私の信条でもある。
にも関わらず、だ。私は動揺してしまった。彼に夷虵斬を差し出された際に、意識してしまった。これは告白なのではないかと思った。
その時点で私はただの女の子で、ぱいせんを男の人として見てしまったのだ。
これはまだ恋ではない、と思う。いままでそんな感情を抱いたことがないから判別ができない。
出会って一ヶ月と少しだけしか経っていない。ともに死線を乗り越えてきたとは言え、いい関係を築いてきたわけではない。むしろお互いに投げる言葉には棘を持っていた。
犬猿の仲だ、と私は言ったし、支局長も言っていたけれども、その仲が解消できたかと言えばそうではない。
けれども、この関係が少し変わったのは確かだった。不信から親愛へと。
ようやく少しだけ、ぱいせんのことを知ることができた。
ずっと焦点の合わないような、遠くを眺めていたような目をしている理由がわかった。
人でありたいという願い。叶えられなかった夢を直視しまいという想い。そうしたものが彼と現実とを切り離していたのだ。
でも私は、彼の夢を美しいと思った。指先から作り出される世界を見てみたいと思った。それは何よりも人らしい行いで、願わくばその夢の先を見守りたいとも。
そして、私も。自分自身のことを、ぱいせんの瞳を通じて理解した。
「ずっと怖かった。私は、そんな立派な人じゃなくて……」
アイヌの娘として生まれた。この土地に昔から住んでいたのだと。その血筋を大事にしてほしいと。
アイヌの娘と言われた。お前は自分たちとは違う。まったく異なる生き物なのだとも。
女神の子孫なのだと告げられた。誇り高き先祖の姿と自分を重ねて見た。
女神の子孫だと告げた。鏡で見た自分の姿は、あまりにも小さかった。
あの人は私の背負っているものをすべて吹き飛ばす。私のことは普通の女の子で、女神もそういう「人」だったと言った。
悔しい。あまりにも悔しい。そんな簡単な言葉で片付けてしまうなんて。
けれども許されたような気がした。それでいいのだ、一歩進めたじゃないか、と言われた気がした。
雪を踏み鳴らす音が心地よかったが、立ち止まった。目の前にはシアンカムイの姿があった。全身が凍結していて、真っ白な体に氷が張っている。
まるで抜け殻のようだった。もう中身は、魂のようなものはその肉体には宿っていない。死んでいるのだから当然であるけれども、私はそういう印象を抱いたのだ。
何百年も昔に私の祖先が立ち向かった、偉大なる龍神の最期を、この目で見届ける。宿願とでも言うべきか、運命だとでも言うのだろうか。
「ああ、きっと。私は、ずっと」
この時がくることを。そして、この出会いを。
恋と呼ぶには生まれたばかりで、愛と呼ぶにはあまりに未熟だ。友と呼ぶにはわかりあえず、嫌と言うには知りすぎた。
もしかしたら、彼は怒るかもしれない。俺の不幸を知っていてそういうことを言うのか、と。
それでも言いたいことがあった。この胸にしまっておくには、あまりに大きな想いだ。
確信はないけれど、言葉にすれば確かなものになるような気がした。
夷虵斬を抱きしめる。小さく息を吸って、言う。
「あなたと会うのを、待っていました」
半分の月だけが、私の声を聞いていた。




