Prologue-2 北行
夜の新千歳空港、その滑走路に私はいた。
一般人の立ち入りは禁止されているけれども、今回は特別だった。PIRO……NPO法人超常現象対策捜査局と協力関係を築いている陸上自衛隊の特殊部隊が動いていることが、一番に挙げられるだろう。
この日、私はある人物を迎えることになっている。PIROの中国支局から護送されてくる者らしい。ある程度のことは事前に書類をもらっていたが、実際にこの目で見るまでは感想は言うまいと自制している。それでも、厄介なものを押し付けられただけでは、という考えはぬぐえなかった。
雪が降っているものの、飛行機の運航には影響ないようで、順調に向かってきていることを道中で聞いていた。明日になれば、薄く雪が積もっていることだろう。
数人の自衛官と、空港職員とともに待機している。吐く息は白く、複数人でいれば、あちこちから煙があがっているようでもあった。吐息の消えていく先を目で追いかけると、空にかかる雲間から降りてくる光が見えた。待っていた航空機だ。
やってきた飛行機は、よほど軍事や飛行機に明るくなければ、ただのプロペラ機にしか見えないだろうものだった。しかし、その実は陸上自衛隊が保有するLR-2という連絡偵察機だ。
遠くに着陸し、ゆっくりと私の前までやってくる。扉が開けば、自衛官がひとり駆け寄ってきた。私のことを見るとその自衛官は驚いていた。それはそうだろう。私の容姿は、制服を着ているのもあいまって、中学生であることが明らかだったからだ。
「PIRO北海道支局の鶴喰雪花捜査員でしょうか」
「相違ありません」
「お迎え感謝します。護送対象の引き渡しを行いますので、少しお待ち下さい」
「連れてくるだけじゃないんですか?」
「は、いえ……」
自衛官は無表情を貫いているものの、言い淀んだのを見過ごさなかった。
「暴走することを懸念し、事前に拘束をしておりました」
代わりに言ったのは、遅れてやってきた人物だった。高校生くらいの人物だ。憂げな美人という容貌であったが、目には気の強さが見え隠れする。
「拘束って」言葉の強さに、私は抵抗を覚えた。「そんなことしてたんですか」
「大丈夫です。必要ないほどに彼も落ち着いていました。あくまで万が一に備えたものです」
その言葉は本音であっただろう。しかし、私は簡単に頷けなかった。理屈ではないところで納得ができなかったのだ。
彼女はゆっくりと歩み寄ってくる。関東も東京や、関東支局のある神奈川ではまだ雪も降ってない頃だろう。厚着は一応しているようであったが、程度が違った。寒いの単位が違うのだ。雪を踏む感覚に慣れないのか、おそるおそる歩くあたりは年相応だろう。
「鶴喰捜査員ですか? 私は関東支局の桧取沢歓奈と申します」
「鶴喰です。護送任務、お疲れ様です」
知っている。この人は神奈川県にある退魔師の家系の女性だ。勇名は北海道支局まで聞こえているし、先立って支局長に教えてもらってもいた。
それが美人で、品もあり、おまけに厚着していてもスタイルがいいのがわかるというのは、少しずるいんじゃないかと思う。
「それで、そちらが?」
桧取沢さんの後ろに控えている少年がいた。もらった資料の顔写真と一致する。
こくりと頷いた桧取沢さんは、笑顔を浮かべる。
「はい。プロフィール等はすでに資料を送っていると思いますので、その通りに。それでは、あとをよろしくお願いしますね」
「……承知しました」
ビジネスライクな会話だった。こう言ってはなんだが、半官半民であるPIROは少し縄張り意識というものがある。他者の土地に踏み入ることを良しとしない、というのは古くから伝わる退魔師らしい。
簡潔に済ませると、桧取沢さんは踵を返す。残ったのは、護送対象の少年だった。
改めて見た印象であるが、ずいぶんと細身であると感じた。年齢は自分より少し上くらいだろう。露骨に視線を合わせないことが気になる。なにより右腕を体で隠しているのが、もはや癖になっているのだろうと思った。
彼はおとなしく、私についてくる。新千歳空港のA駐車場に停めてある支局長の車に乗るときも素直だった。けれどもこちらに興味や関心を寄せるような素振りはない。
暴れられるよりずっといい、とは思うものの、気まずい空気に耐えられそうになかった。
「あの、お名前は?」
「葉沼吉暉」
自己紹介でもしようと移動中の車内で声をかければ、簡単に一言だけ返ってくる。知っているんだろう、とでも言いたげな目だった。
もちろん知っている。葉沼吉暉。私の一つ年上。生家は花屋を営んでいる。そして右腕には猿神を宿しており、いまは包帯の形をした呪具によって封じ込められている。後天的な憑き物筋である。
そう、猿神だ。私には覚えのない気配である。北海道には猿が生息していない。動物園に行けば見ることはできる程度だ。それだけに、猿の分布しない北海道なら猿神の霊性を抑えることができるのではないか、というのがPIROの判断だった。
はっきり言って、苦手な気配だった。余所者が自分の家に居座っている感覚だ。それは私の憑神である山犬のせいか。犬猿の仲という言葉があるが、望まずしてそういう関係になるのは、何か嫌だ。
少しでも気がほぐれるように、声をかける。
「こちらはどうですか?」
「寒い」
「そ、そうですか。じゃあ、桧取沢さんはどんな人でした?」
「嫌なやつ」
「うっ……」
取りつく島もない、というのはこのことを言うのだろう。受け答えが済むと葉沼さんは外を眺めている。
……わからなくはない。お前は危険だと言われ、移動の際も拘束などをされていたのだとしたら。ずっと監視され、同意があるとは言え、追い出されるような形で見知らぬ土地へと飛ばされたら。
ちらり、と運転手の橘支局長に目を向ける。支局長はガタイのいい、細目の男性だ。彼はなにも言わずにラジオをつけた。無音の気まずい空気は避けられた。
『————お伝えします。先日小樽市にて発生した異常気象について、自衛隊は正式に特殊害獣によるものであると発表しました。現在は日本海に潜んでいると考えられ、海上自衛隊が捜索にあたっております。しかし北方領土の問題もあることから難航する見込みであり————』
先日の、異常気象と怪獣の話であった。
それは私たちも関心を寄せることだ。いや、渦中にある。目下の課題として挙げられており、現れた怪獣を”冷凍怪獣ハクリュウゴンゲン”の名で作戦目標として登録されている。
小樽市に伝わる白竜の伝説、その権威の現れ。白竜権現。いかにも和人による命名ではあるものの、その名の迫力は伝わってくる。
PIROは現在、怪獣……特殊害獣と正式に呼ばれる巨大生命体と戦うべくして動いている。甲府から始まり、東京も被害に遭った。それからも散発的に、本州の全土で現れるようになった。
北海道に何かしらが現れるのは、時間の問題だった。
私は知っていた。アイヌという、異なる民族がかつて広く暮らしていたこの地にも、そうした怪獣がいたことを。
この身に流れるアイヌの血こそが、その証明だ。いまにアイヌを伝える役目を持つ私にとって、そうした恐ろしいものから北海道を守ることは使命である。
ラジオは未だ、怪獣の話題が続いている。いろんな方面から意見が述べられ、注意をするように言われていた。
『————この巨大生物の出現によって、五月から続く一連の怪獣事変に対し、政府は自衛隊のさらなる増強に努めることを発表し————』
「俺も」
ぼそり、と声が聞こえた。初めて彼から発された言葉だ。
私が振り向けば、葉沼さんは顔を伏せていた。その視線は遠く、けれども潤んでいるようにも見えた。
小さく、細くとも、その嘆きは車の中に響く。
「俺も、怪獣なのか……?」
彼にかける言葉を、私は持っていなかった。