Battle-4 ゲルダの涙
吉暉が倒れていくのを、全員が見ていた。本人の表情は、自分の状態を理解していないかのように、微笑みを浮かべている。
真っ先に駆け寄ったのは雪花だった。倒れた吉暉を起こそうとするも、異様な顔の青白さに気づくと焦りの顔を浮かべる。
「嘘です、嘘ですよね、ぱいせん?」
首を触って脈を確かめた。雪花の焦りが深くなる。
吉暉の胸に耳を当てると、恐れていたことが確かであるとわかった。
「心臓が……」
そこに跳んできたのは、上佐と凜だった。雪花の様子から、吉暉がどのような状態にあるのかを理解した二人もまた、吉暉の側に寄った。
「ええい、しっかりせい雪花! おぬしが動揺して如何とする!」
「でも、ぱいせんの心臓が、心臓が鳴ってなくて」
「シアンカムイの光線か……」
雪花に変わって凜が吉暉の身体に触れる。特に、心臓の真上で手を止めた。
「呪いか。物理的な傷はすぐに治癒しようとも、この呪いだけはどのようにもできなかったわけじゃな。確か、この者に憑いていたのは猿神か。太陽の別れ身とは言え、よほどの生への執着が見える」
であるならば、と凜は手に印を結ぶ。
だがそこへと声をかけたのは、遅れてやってきた響子であった。
「布留の言なら、無意味よ」
「…………」
術の行使をやめて、凜は響子を見る。睨みつけるかのような目線であったが、響子はそよ風のように受け止める。
布留の言。十種の神宝にと基づく強力な蘇生術である。
「その術は確かにとても強力よ。弱ってしまった、死に体の霊力を活性化させるもの。その術が正しく行使されたならば、死者蘇生もできるわ」
響子はそう言いながら、倒れている吉暉を見下ろす。その心臓を透視で見た。状態を正確に把握し、告げる。
「でも、その術は中身の話よ。中身が回復すれば外身も快復する。けれども、この呪いはその外身を蝕むもの。シアンカムイの吐息は、彼の心臓を凍らせているの」
先ほどの吉暉は、凍っている心臓の代わりに猿神が強引に血流を回していたに過ぎない。力を使い果たし、吉暉も猿神も眠りについたが故に心臓の代用をする機関も停止したのだろうと響子は分析する。
「中身を活性化したところで、外身が停止しているのであれば、中身も死ぬしかない」
「じゃが、やらぬよりはマシであろう!」
「それで何の解決になるのよ。無駄なことはおやめなさいな。自分の安売りをしないことね、卜部凜」
ぐっと唇を噛む凜は、拳にも力を入れている。本当は理解をしているのだ。吉暉の状態も、布留の言でも蘇生することは不可能であると。
そんな凜に代わって言ったのは、上佐であった。
「なら、テメェならできるのかよ、エェ?」
「できるわよ」
あっさりと、響子は言う。一同の瞳が光を宿す。雪花からの視線と響子の目が合った。
「ねえ、この人を生かしたい?」
「そんなの当然じゃないですか」
掠れながらもしっかり言った雪花に対し、響子はさらに言葉を浴びせる。
吉暉と同じ、自分の中に怪異を飼う者として、その先輩として言いたいことがあった。
「このまま生きたって、こいつロクな死に方しないけど。それでもあなたは、こいつに生きろと言うの?」
雪花の顔が強張った。吉暉は言っていた。人として生きて、人として死ぬと。その蛮勇はおおよそ人のものではなかったが、その願いだけはまっすぐであった。
憑物筋の寿命は短い。それも当然で、ひとつの肉体の生命力を二つの命が共有しているのだ。
ましてその力を用いて戦おうとした者は、その限りある命をすり減らしていかなければならない。擬神器の使用も肉体にかかる負荷は半端なものではなく、多くのPIRO職員が二十代後半で退役するのだ。神霊の分霊ではなく、荒御魂そのものを宿す者であればどのような苦しみがあるかなど、想像もできまい。
「だったらいっそ、ここで死んでしまった方がいいかもしれない。これから生きている限り続く苦しみに晒されるより、幸せかもしれない。それでも、あなたは」
「それでも」
響子の言葉を遮って、雪花は言った。
「それでも私は、この人に生きてほしい。彼が苦しいというなら、そのときは私が……責任をとります」
雪花が大粒の涙を流しながら言った。己のわがままであると理解しながら、それでも誰かに生きてほしいという願いを抱いた。狂った天秤であるとわかりながらも、自らの意思を優先してしまっていると理解しながらも、心には逆らえないと。
その声音に響子は身震いをした。雪花の想いが手に取るようにわかる。その甘美に、奥底まで心地よさが届いた。
同時に怒りがあった。雪花の想いを支配する輩がいるという事実に。
「お願いします。ぱいせんを」
「……貸しにしといてあげる。高くついたわね」
はあ、と溜め息をついて響子は言った。だが、恩を売ってこれからの活動がしやすくなると思えば悪くない条件だろう。いざとなれば、この件で強請ることもできよう。
雪花と凜をどけて、吉暉の横に座った。
「ゲルダの涙でも目を覚まさないなんて、失格よあなた」
本当に憎たらしいやつ。いっそのことここで死んでしまえばいいのに。
そう思いながらも、その役割を果たさんとするべく、響子は準備を始める。
セーラー服の前面を開いて、美しかりし身体を露わにした。周りの者たちは戸惑うもそれは一瞬である。まるで生きているかのように響子の背中から腹と胸へと刺青が伸びていく様子を見たからだ。
そしてその刺青は、赤く光る。熱を発しており響子の身体からは蒸気が吹き出た。
大幅な霊力の高まりと、その収束があった。
ぱちん、と手を合わせる。
「オン、ケンバヤ・ケンバヤ、ソワカ。――急々如律令」
響子の胸から火が浮かび上がる。その火は響子の手を介して、吉暉の心臓のある場所へと移っていく。
三宝荒神の真言だった。竃の神であり、地震を司る剣婆と同一視される天部の存在である。
心臓を竃に見立てて火を灯すことが狙いであった。また、剣婆は日天の眷属であるため、猿神との相性も悪くない。
その光景を見て、凜は言った。
「馬鹿な、それでは呪いの重ねがけじゃ! まさか、心臓を凍結させたままに動かそうというのか!?」
「その通りだけれど?」
「根本的解決になっておらん。それどころか、どれだけの傷を負おうとも、心臓の止まらぬ肉体になろうぞ。おぬし、どれだけのことを吉暉に強いているか、理解してのことか!」
「その責任は雪花ちゃんがとるそうよ」
息を飲む音が聞こえた。それでも雪花は、吉暉を見続ける。勢い任せでも約束は約束だ。
皆が見守る中、吉暉はわずかに口を開く。声にならぬ声であったが、何事かを伝えようとする意思があることは理解ができた。
雪花と上佐、凜がそれぞれ吉暉へと声をかける。
そのうちに響子はそっと離れた。
八咫鴉の本来の目的は達成できなかったものの、次の作戦への布石にはなった。そして新しい自分の目的も手にすることができた。
概ね満足だろう、と響子はシアンカムイを見上げる。人に捨てられた者の哀愁がそこにあったが、不思議な同情を抱いてしまった。