Battle-2 ザマアミロ
「嘘だろ、なあ、おい」
上佐の声が震えた。いま、彼はさっぽろテレビ塔の展望台であった場所に立っている。
総員で逸らしたシアンカムイの光線によって半壊したテレビ塔であったが、雪花のいる場所だけは無事であった。上佐の臥嵐裂禍による攻撃によって、倒れた塔部分を砕いたからだ。
そして展望台上部より見えた光景は、上佐が思わず呼吸を忘れてしまうものであった。
「おい、はぬまん、おい!」
ここから叫んだところで、届くはずがない。おおよそ一キロも離れた先にシアンカムイはおり、吉暉はその目前で氷に呑まれたのだから。
片目を失ったシアンカムイは叫んだ。それは怒りか、苦しみか。周囲を凍結させるほどの冷気を発し、いまも腕や尻尾を振るってビルを破壊する。
前線では、むしろ前衛に不向きな凜や響子が奮戦しているという光景だ。上佐はいますぐに駆けつけるべきであったが、膝が震えて動かない。
死を意識した。いままでどれほど妖怪退治というものを気楽に考えていたのか、思い知らされた。
上佐の頼みの綱であった臥嵐裂禍も通用せず。先祖代々伝わる神剣であるという触れ込みは、異なる神話の神によって打ち砕かれた。
へたり込む上佐とは正反対に、巨大な一撃を放ち霊力の大半を失った雪花が立ち上がった。
「お、おい、まだ戦うのかよ」
「当然です」
ぼろぼろになっている雪花であったが、闘志の炎は消えていなかった。左手には擬神器である雷魔斬、右手には夷虵斬を携えている。
そう、夷虵斬だ。それこそが切り札である。しかしそれは、シアンカムイへと最接近しなければ使えない武器だ。
「ンでだよ、ナンでなんだよ! お前の先輩、死んでんだぞ!? お前の先祖みたいに上手くできるかだってわかんねェじゃねえかよ!」
もはや誰に当たり散らしているのかわかったものではなかった。けれども心の底を叫ぶのに、相手が必要だった。
それがこの中で最年少の少女であったことにさえ、気づくことができない。
ぎり、と雪花は唇を噛んだ。そして上佐の方を見る。
「まだ、ぱいせんは死んでません」
「あんなン、食らってもか? このテレビ塔を壊した一撃とは比にならねェモン喰らってるのにか!?」
「それでもです! まだ死んでないんです。そして、私は約束したんです。一緒にラーメン食べるって」
「約束とか、そういう問題じゃねェだろうがよ!」
上佐の言葉を、雪花は静かに聞いていた。目を閉じると、前に出る。展望台の縁へ向けて歩いて行った。
「あと十分すれば、自衛隊の爆撃が始まります。無意味で、ただこの街を破壊するだけの、爆撃がです」
「……はァ?」
「この街は、ぱいせんが帰ってくる場所です」
そうして、雪花は叫ぶのだ。己の丈の限りを。
「だから、だから! この私が、いま戦わないでいつ戦うんですか!」
雪花は跳んだ。残る霊力も少ないだろうにも関わらず、それでも戦うと。
わけがわからなかった。上佐には理解ができなかった。最強になるという願いは未だありながら、人が一人奮戦したところで敵うはずもないものが存在することを知った。
どうして、まだ戦えるのだろう。約束、誰かのため。そんなことを考えたことなどなかった。
祖父の言うことは正しかった。自分はこの世界に飛び込むべきではなかった。半端な気持ちで戦いなどをして、その結果はこの通り死にかけている。
逃げよう。そして帰ろう。逃げ帰ったとして、誰が責めようか。
見てみるがいい。シアンカムイは凜の呪術をものともしていない。響子の炎は圧倒的であったが、それでもシアンカムイの防御領域には踏み込めないでいる。そこに雪花が飛び込んだところで、どうなるものか。
まして、臥嵐裂禍に頼りきりの自分では、どうしようもない。
わかりきっていたとも。この力は所詮借り物だ。結果で以って自信としてきたが、それももう限界だった。自分の許容を超える敵を前に、為す術など残されてはいない。
「……ざけんな」
言葉が漏れる。ああ、なんだ、この感情は。
「ざけんじゃねェよ。死にたくねェ、死にたくねェってのによ」
生きて帰るのだ。最強の座など捨ててしまえ。妖怪や、神剣のことなど忘れて安寧の暮らしを探せ。
それが最善だと、頭では理解している。
はッ、知ってたらこんなところにいるかよ。とっととぶっ飛ばしてるさ、オレの手でな。
暴れたくて仕方ねェって顔してるぜ。
オトコってのは、オンナの後ろでペラペラと解説キャラに甘んじてるなんて真似、みっともなくてできねェもンなんだよ。
「全部全部、オレが言ったことだろうが!」
上佐は立ち上がる。いまにも泣き出しそうだった。膝は笑っていた。
臥嵐裂禍を杖にしながら、シアンカムイを見据える。
「最強ってのは、カッコよくなきゃならねェンだ」
無様に転がっている暇などない。
お前にはできないと言われた。
オレにはできないと思った。
ふざけるな。なにを勝手に限界を決めてんだ。
上佐には野望があった。名を上げる。そして祖父を見返す。彼の墓前に立って言うのだ。オレは最強の妖怪ハンターであると。
————ザマアミロ、オレだってやりゃあできんだ、と。
「ここがオレたちの正念場だ、臥嵐裂禍ァアッ!」
上佐は飛んだ。まさしく飛行であった。風が背中を押し出し、シアンカムイへと飛翔する。
臥嵐裂禍が司るのは、神風だ。歴史上、何度も何度も吹き、大八洲を守護せしめた風だ。
いまここで上佐は、証明しなければならない。最強を名乗った者は、状況を覆すことができるということを。
いいや、この戦場の風向きを変える者こそが、最強である者の証であると。
氷の渓谷を抜けていく。戦場の真ん中へと、上佐は躍り出た。
シアンカムイはもはや上佐など眼中にない。片方しかない目は、自分にまとわりつく炎や土塊の羽虫と、宿敵である女神の子孫のことしか追えていない。
「無視してくれてンじゃねえぞ!」
臥嵐裂禍の攻撃は通用しない。遠中距離からであれば無敵を誇る臥嵐裂禍であったが、近づけばただの刀である。
であるならば、届ければいい。風は運び手でもあるのだから。
「しっかり身を守っとけよ、ちびっこ!」
「誰が!?」
自覚はある雪花がそう言った。彼女は氷の蹴り飛ばしながら、宙へ浮かぶ。そこへと風の渦が迫り、雪花を飲み込んだ。
臥嵐裂禍がその全力を発揮したのだ。宿っている神霊、志那都比古は別名で天之御柱という。空へと伸びる竜巻を指してその名がつけられたのだ。
雪花を飲み込んだ竜巻はシアンカムイへと直進する。
無論、シアンカムイもただ待ちぼうけていたわけではない。正面から向かってくるのであれば叩き潰せばいいとばかりに、巨大な顎に光を溜めていた。
光線と竜巻が激突する。激しい音とともに、散らされた風と光が周囲のビルの窓を割った。衝撃の余波で地面が抉れる。
拮抗が崩れる。勝ったのはシアンカムイの光線であった。練度の問題だった。未熟な上佐の腕では、臥嵐裂禍の全力を完全に引き出すことができなかったのだ。
だが、それも織り込み済みだ。雪花が竜巻の中より姿を現わす。その身には、狼の気が纏われていた。
雪花の憑神である狼の神であった。霊体であるがゆえに呪術的防壁にしかなり得ないが、シアンカムイの光線は神呪の具現でもある。そして物理的威力については臥嵐裂禍が相殺していた。
光線を抜けて、雪花がシアンカムイへと到達する。その手に握られた刃は夷虵斬だ。
かつてシアンカムイを討伐した、女神が握っていた刃である。その能力を上佐は凜より聞いていた。
曰く、アイヌの小刀とは男の得物というだけでなく、女が狩りをする際に利用していたものである。獣の皮を剥ぐ、あるいは護身のためにだ。
そして山での狩りにおいて最も警戒された存在こそが蛇であった。護身とはすなわち、蛇に対する用心である。
ゆえに女神の小刀は蛇を討つ機能を有していた。それは相手に対し、適切な形をとる魔の刀だ。巨龍を討つ際には、霊威の剣を現出させ空間ごと捻り切るのだという。
雪花はついに、シアンカムイへ夷虵斬を突き立てた。位置は首よりずっと下、ちょうど呼吸器のある箇所である。祖母より受け継いだ、シアンカムイの弱点へと刃は届いたのだ。
しかし、望む結果は生まれない。夷虵斬はその機能を発揮しない。
「そんな、こんなところで……」
それは霊力切れだった。
無理もない。擬神器雷魔斬の最大解放を行い、その上で憑神による防御にまで霊力を割いたのだ。
二度目の、そして最後の策は失敗に終わる。夷虵斬を手放して、雪花は落ちていく。むなしく手が宙にさまよった。
上佐が、響子が、凜が、声を発することもできずにいた。