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Scene-10 特別だった

 大通公園からわずかに離れた場所に吉暉と雪花の二人はいた。シアンカムイに飛びかかった吉暉をどうにか捕まえた雪花が、脇に連れてきたのだ。

 いまにも飛び出そうとする吉暉を、雪花が押さえつける。


「ぱいせん、落ちついてください!」

「邪魔すんじゃねえよ、鶴喰! 俺は戦える!」

「猿神の影響で好戦的になってるだけです! いいから、一回退いてください」


 雪花がそう言いながら、吉暉の右腕に巻かれた包帯を引っ張った。途端に走る激痛に、吉暉は自我を取り戻す。

 見れば、制服の袖が破けて呪具が巻かれている右腕が露出している。その呪具も少し解けていて、内側が露わになっていた。

 人の身に生えた、猿の右腕である。黄金の毛並みは猿神と呼ぶに相応しい色であったが、人間のものとしては禍々しく感じられた。長さも太さも歪であり、包帯型呪具が解けるにつれて膨らんでいく。

 雪花がその包帯を再び巻き始めた。痛みが走るが、同時に心の高ぶりまでもが収まっていく。

 けれども同時に、強く心に自覚してしまうものがある。


「やっぱり、ぱいせんは後ろに下がってください。そのままでは人に戻れなくなります」

「ふざけるな」


 吉暉は雪花を睨みつける。視線を受けた雪花は、驚きの表情を浮かべていた。


「ここで逃げたら、それこそ人でなしだろ」

「なっ、死んじゃうんですよ!? 怪獣が出てきても、そんなことを言うんですか!」

「もう死んでるみたいなもんだろ、俺なんて」


 言葉を失う雪花に畳み掛けるように、吉暉は言う。


「この右腕を持ってる奴が、ニンゲンか? あそこで大暴れしてる怪獣とどう違うんだよ」


 それでも最後の方は、言葉が萎んでいく。

 形にしてしまった。自分の感情を吐露するだけでなく、それをぶつけてしまった。

 情けなさが胸を苦しくする。呼吸も荒くなって、わけもわからず涙すら浮かべてしまう。

 希薄な現実感の中で、自分だけがこの世界で浮いてしまっている気がしてしまった。空想の向こうから訪れた怪獣とどう違うのだろう。

 これが現実だと、怪獣によって壊された街並みがテレビに映る。これがお前だと、鏡の中に自分が映る。その区別をいったいどうつけろというのか。

 壁に背をつける。存在感が薄くなってそのまま消えてしまえば、どれほど楽だっただろうか。

 ならばいっそ、人のためなどという綺麗な謳い文句を垂れて死んでしまった方が、清々しいのではなかろうか。

 そう思って飛び出した。結果がこの様だ。最後まで格好がつかない。

 かくなる上は、雪花も置いてシアンカムイの前に出向こうか。

 などと思っていたときだ。胸の上に拳が置かれた。叩かれたのだ、と思いはしたが、あまりにも弱々しい力であった。

 叩いたのは雪花だった。彼女は何度も何度も、吉暉の胸を叩く。

 その理由がわからない吉暉は、雪花の腕を止める。叩くのをやめた雪花は代わりに、言葉を投げかけてきた。


「ぱいせん、覚えてますよね。クリスマスのとき、支局長が気分で買ってきた花束を活けてくれたじゃないですか」

「なんだよ急に」

「私、あれ、すごく感動したんです。花瓶の形とかも考えて、長さを整えたりして……出来上がったものは何倍も綺麗なものに見えました」


 それは、覚えている。支局長が適当に花を選んで買ってきたという花束を見て、呆れたものだった。きっと店員も戸惑っていただろうというのが目に浮かぶ。

 不恰好なそれを、どうにか見れるものにしようと試行錯誤して活けたのだ。

 ああ、覚えている。あのときの雪花の顔を覚えている。いつも向けてくる澄ました顔ではない。

 この子も花を綺麗だと思うのだと、安心したことも。


「ぱいせんの手は猿神の手です。でも、その手でも、あなたはあなたが想ったものを作ったんじゃないですか。だからまた、花を……」


 声が掠れていく。だが、しっかり聞こえている。

 吉暉は空を見上げた。ビルの隙間から見えるのは、いまにも雪が降り出しそうな曇天だ。札幌の冬はずっとこんな気候である。

 それでも、焦点がようやく合ったかのような、爽快な感覚があった。


 ——ちくしょう、こんな普通の言葉で救われるなんて。


 無性に悔しかった。自分の中にある苦しみを特別なものだとずっと思っていた。

 そうでもないと自分を正当化できなかった。

 にも関わらず、どこにでもある、お前はお前だ、などという普通の言葉に救われてしまった。

 それはきっと、俺にとって言った人が……。

 現実感は未だない。神でも獣でもなく、かと言って人間であると胸を張って言えるわけもない。自分は浮ついた存在だ。

 けれども、この手が掴んでいる感触は本物だろうなと思えた。

 同時に地響きが聞こえた。いまもシアンカムイが暴れている。上佐や凜、響子が戦っているのだ。三人では荷が重すぎる相手だ。五人集まったところで、怪獣の前では無力かもしれない。

 だが、女神を引く者がいる。それがこの戦いを支えている生命線である。

 吉暉は胸にいる少女を見た。目を潤ませながら見上げてくる。

 女神の子孫なのだと言う。アイヌの娘なのだという。

 だが、猿神ではなく葉沼吉暉こそがあなたなのだと雪花が言うなら、目の前の彼女は鶴喰雪花なのだと、吉暉は言うべきだ。


「……お前も普通の女の子なんだな」

「な、ななっ、何を言ってるんですか! こんなときにエロサロ根性発揮ですか!? ルイベになって死んでください!」

「洒落になってねえからな、それ」


 離れて自分の身体を抱きしめた雪花に、吉暉はくすりと笑った。えっ、という顔を浮かべる雪花に、続けて言った。


「悪い、やっぱり退けねえ。あと、おすすめのラーメン屋とか今度教えてくれ。これ食わないと死ねない、みたいなやつ」

「だから、何を呑気なこと言って……」


 言いかけた雪花を抱えて、吉暉は壁を蹴って空へと上がる。

 途端に、ビルの隙間に腕が伸びてきた。シアンカムイの腕だ。大きな腕は、二人がいた場所を抉り取っていく。

 それを空中で見た。シアンカムイの赤い瞳が二人を見る。吉暉はそれに睨み返した。

 闘志は十分だった。溢れる力は猿神のものだけではなく、己自身のものでもある。

 右腕の包帯が再びほどけていく。その包帯に霊力を通して操り、近くのビルへとアンカーのように飛ばし、巻き取ることで移動する。

 ビルの屋上に着地し、雪花を腕の中から降ろすと、彼女は吉暉の顔を見て言う。


「ぱいせん、五軒です」

「ラーメン屋?」

「はい。私のお気に入りが三軒と、もう一回食べたいのが二軒です。あともうひとつ約束です。私を置いて行ったら許しません。というか、連れて行く以外で教えたりなんかしませんからね」

「……わかった。ちなみに、醤油か?」

「味噌に決まってるでしょう!? どこだと思ってるんですか!? 天下が誇る味噌ラーメンの聖地、札幌ですからね!」

「上等、悪くない」


 吉暉が笑いながら言うと、雪花も笑顔を見せる。戦場には似つかわない、柔らかい微笑みであった。

 大通公園を闊歩するシアンカムイは雪花と吉暉をじっと見たままだった。己を討ち果たした女神の血を感じているのだろうか。それとも、吉暉の内側にいる猿神や雪花の憑神トゥレンペである狼神ホロケウカムイの気配を感じているのだろうか。

 いずれにせよ、こちらを敵視している以上、戦いは避けられない。

 避けるつもりもなかった。 

 雪花は、吉暉の方へと振り返って言う。


「行きますよ、ぱいせん。一緒にこの場所を守りましょう」

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