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花々繽紛タリ  作者: 天水しあ
巻の五「妖寺」
39/57

「符号」

 三人が座る卓の横で、老板が運んできた折り畳みの机に盆を置いた女童が、熱湯をかけて温めた蓋碗三つに茶葉を入れ、かわいらしい見かけによらない大胆かつ艶めいた手つきで立つ鉄瓶の湯を注ぎ込んでいく。上がる湯気で、周囲がほっこり温かくなった。

 老板はうやうやしく、まずは志均の前に空の蓋碗(蓋つきの茶碗)を置いてから、向かい合う兄弟の前にも同じものを置いた。

 志均はそれをしげしげと眺め、

「この玉のような滑らかさ、越州産の青磁ですね。見事なものです。新茶の碧が一層冴えることでしょう」

「おお分かりますか! これはお目が高い」

「それでは早速いただきましょう」

 志均は蓋を外すと、それを鼻に近づけた。

「よい香りだ」

 そう言って蓋を茶碗に載せると、蓋を僅かにずらし、親指人差し指中指で作った三角形で蓋碗を持つと、口元を隠しながら茶を口に含んだ。流れるような優雅な振る舞いに、老板は呆けてたように口を開け、傍らの女童は僅かに頬を赤らめている。

「涼やかで、優しい味ですね。さすが西湖龍井」

 そう志均に微笑まれた老板は、「さようでございましょう?」辺りに聞かせるかのごとく大きな声を上げた。彼はまたしても、しれっと志均の隣に座っている。いつのまにか茶も用意していたが、さすがに青磁の西湖龍井ではないようだ。

「いやあ、心の分かる御方にふるまうことができるなんて、これほど嬉しいことはございません!」

 感激のあまり震えています、といわんばかりの老板の大きな声を聞きながら、琉樹は茶碗に手を伸ばす態で僅かにうつむくと、小さく舌打ち。「《《たらし》》め」

「師兄、医生が見てますよ。満面の笑みで」

 珪成の言葉通り、志均がにこにこと目を細めて琉樹を見ていた。「怖っ……」呟いてさっと目を外す琉樹に気づいた老板が、怪訝な顔になり、

「どうなさいました?」

「いえ、何でもありません」

 そう返したのは、笑顔の志均である。

「そうですか。それでですね、ここからが面白いのですが――」

 身振り手振りで熱心に語る老板の横顔を白けたように眺め、

「あーあ、俺たちが恩人だってこと、すっかり忘れてるな」

「そうですね……」 

 そんなやりとりに全く気づかぬ様子で、老板はひたすら志均に語りかけている。

「へえ。これが四絶の明前、超高級茶ってヤツか。なるほど。なあ、お湯注いでくれる?」

 早々に碗を空にした琉樹は女童に湯の注ぎ足しを頼むと、しばし辺りを見回した。そうして完全に志均しか目に入っていない老板に向かって、やや大き目な声で、

「ところで、彼女は? 下でも見かけなかったけど」

「彼女? ――ああ、春麗ですか。春麗は本日お休みを頂いております」

 老板の答えに、珪成が小首を傾げて、

「お休み? どこか具合でも?」

「いえ、今日は月に一度のお籠もりの日だからどうしても休ませて欲しいと言いましてね」

「お籠もり?」

「ほら、先日お話ししましたでしょう? ご利益のある寺があるって。春麗もどこからか名前を聞きつけてきたようでしてねえ。一晩寺内の房に籠もってお祈りすると願いがかなうんだそうですよ。北街の……何て言ったかな、確か元…元なんとか寺だったか……」

 老板の言葉に、琉樹の表情がにわかに硬くなる。

「それってまさか――元法寺?」

「元法寺? 何ですか琉樹それは」

「そうです! それそれ――」

 にわかに切羽詰まる志均の声に被さるほどの大きな声で、のんびりと老板は答える。琉樹は畳み掛けるように、

「ここに陳丁は通ってきてないか?」

「陳丁? ああ最近話題の江南の大富豪ですね。ええ。昨秋に初めてお越し頂いてから、何度も御足労下さってますよ。先日もお見えになりましたねえ。ところでそれが何か?」

 しかし琉樹は老板の言葉を最後まで聞かずに立ち上がっていた。

「悠長に構え過ぎた、俺としたことが!」

 言うが早いか身を翻す。飛び出した琉樹の後を珪成も追う。何が何だかといった老板の隣で、志均もすっと立ち上がり、

「申しわけございません、急用を思い出しましたので、お勘定をお願いできますか?」



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