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花々繽紛タリ  作者: 天水しあ
巻の三「過去」
27/57

「闖入者」

「それにしても熊はよかった。毛むくじゃらで、出っ腹な大男で、まさに熊みたいだと馴染みの妓女は言ってた」

 「――へえ、そんなのにも会ったんですね」まさに言わんとしたことを先に言われた。


 ぞぞっとするほど冷えた声で。


 隣を見れば、珪成が怖い目をして石卓の蛋糕を睨みつけていた。まるで敵のように。

 見てはいけないものを見てしまった気がして、楓花は慌てて目を逸らす。その向こうで、琉樹は大いに慌てふためいて、 

「信息のためだって! だからすぐ帰ってきたんだろ、絶対遊んで来てないから!」

「そうですね。確かに日が替わる前にはお帰りでしたね、我が家に」

「な? 志均もああ言ってる。ほら、俺の分も食べろよ蛋糕。おまえ甘いの好きだろ? 俺は店で食べただけで充分――」

「――他にはどんな?」

「他?」

「柳はそこそこ大きな商家の出で、日夜大盤振る舞いで、熊みたいな男で、杭州出で――他には?」

「他……えーっとそうだな、あ、そうそう左腋の下をくすぐると膝が砕けるんだって!」

「—―くすぐることありませんから。まさか、それで終わりですか? 日が替わる直前までお帰りにならなかったのに」

 身を突きぬける厳冬の風の如き冷やかさである。

 怖っ……。楓花は白々しく院子に目を向け、風景を楽しみながら茶を嗜んでいる――という態を装う。茶はすっかり冷え切って、風味も飛んでしまっていた。

「そりゃ他の客の話を聞きだすために多少は打ち解けてもらわないと。だいたい、俺は着崩れを妖艶と勘違いする、だらしない女は嫌いなんだよ。そこを堪えて話を聞いた俺の苦衷も察してほしいぜ」

「……。半分でいいです」

「は?」

「蛋糕。さっきよりしっとりしててまた食感が違うので、師兄も食べてください」

「そ、そうか。じゃあそうする」

 明らかにほっとした声を出す琉樹。つい先日、悪者を叩きのめした人物とは思えないその体たらくに、もう滑稽やら気の毒やら情けないやらで、つい笑ってしまう。

 「本当だ、これはこれで旨い」「でしょ?」「じゃあまた今度行くか」「本当ですか? 楽しみです!」

 なんなの一体……両手で茶碗を持つことで顔を隠しながら、楓花は苦笑する。

 それにしても――かわいらしい顔して、珪成って実は結構凄腕なのでは? 狙ってるのか無意識なのかが、分からないところだけれど。

「珪成にかかっては、琉樹も形無しですね」

 そう言って志均が身を寄せてきた。やれやれといった笑顔に、そうですよねーとばかりに楓花は笑いかけ、

「本当ですね。――でも本当に残念。珪成がお嫁さんなら、絶対、大兄も落ち着くのに」

「……そうですね」

「おいそこ、目の前でいちゃついてんな!」

「どっちが!」

「――まあ、いいや」

 そこで琉樹はわざとらしい咳をして、声を改めた。

「それにしても、だ。三年でここまで名が売れるとはマトモな話じゃねえな。元手があったとは思えないし」

 琉樹の言葉に「そうですね」志均は頷き、

「相当な後ろ盾があるんでしょうね。でも地方から出て来たばかりの若造に出資する物好きが永寧にいるとは思えませんけどね。こんな平和なご時世に出番があるとは思えない武挙人より、挙人の方がずっと将来有望ですし」

「そうだよな。だとしたら地縁が血縁か……」

 琉樹は頬杖をついて思案顔である。代わって珪成が、

「でもそんな、犯罪行為すれすれなことしてていいんでしょうか。仮にも武挙人ですよ? いくら今回は受験しないからって」

「それは鋭い」

 態勢を変えることなく、琉樹が合いの手を打つ。志均は珪成に笑顔を見せると、

「『柳』、というのは彼の母方の姓だそうですよ。まあ裏稼業用ってことでしょう。本姓は『陳』ということです」

「陳?」

 そこで兄弟が顔を見合わせる。

「なあ珪成。あの日春麗に絡んだ男、主人が『陳丁』だって言ってたな、確か」

「はい。言ってました」

「そうなんですか? そこは聞こえなかった……」

 志均が思わずとばかり漏らした声に、琉樹はキッと鋭い目を向ける。先日の茶店の出来事を思い出したのだろう。しかし志均は、明らかに責めている目ににっこり笑いかけ、

「ああ陳丁、あの好々爺」

「あれ、知り合い?」

「以前会ったことがあります、永寧で。富豪ながら奢らず、夫人亡き後も浮いた噂一つない。柔和な容貌もあいまって『菩薩』と称され、人々の絶大な信頼を集める人格者という話でしたが……」

 と、何故か志均はひとごとのように言う。

「江南出だったよな」

「ええ。――そういえば彼の本店は、確か、杭州……」

 そこで全員が顔を合わせた。

「そういやここらで陳丁の名をやたら聞くようになったのもここ二・三年の話だったか」

「そういえばそうですね。それ以前は一人娘を縁に、何とか高官貴族と結び付こうとやっきになっていたようでしたが」

「詳しいな」

「ええ、まあ。結局娘は、中級官吏の妾に収まったようですよ」

「へえ、そりゃまた随分控えめなことで」

「出し惜しむうち、娘も老いていきますしね。とりあえずはどこかに収めて、次の行き先を探すつもりかもしれません。それに、今は娘をだしにしなくても、稼げる手段を得たということではないでしょうか」

 この頃の離婚・再婚は珍しくない。『富めば妻を代える』という諺があるくらいだ。

「なるほど。それが柳ってことだな」

 琉樹は頷くと、茶碗に口をつける。

「人々の敬意を集め、懐が膨れ上がる手段を得て、官吏とも渡りがついて、名も実も手に入れたってことか。じゃあ、あとは――。そうだよな、人間じんかんに菩薩なんざ、いるわけがない」

「じゃあ、春麗さんがやたら絡まれたのは、偶然じゃなかったってこと?」

「でしょうね。恐らく張青の借銭も……」

 楓花の言葉を受けたのは、志均である。

「でも、ありもしない借銭を取り立てたりはできないのでは?」

「金を借りさせる方法はいくらでもある」

 珪成に答えると、琉樹は手にした茶碗を石卓に置き、大いにため息をついた。

「しっかし一体どこから話を仕入れてくるんだか。馴染みの妓女だって本姓までは知らなかったぜ。おまえに隠し事はできねえな」

 その言葉に、志均は眉を上げ、

「おや? 探られて困ることがあるんですか。――でも裏付けが必要ですね。柳と陳丁に本当に繋がりがあるのか調べてみますよ。明日の往診は張青の家辺りになので、ついでに話を聞いてみます」

「珪成、俺らも明日出かけるぞ」

「温楽坊の豪邸見学ですね」

その時である。

「ちょっと、お待ち下さいませ。お待ち下さいませってば!」

 突然、院子からかん高い声が上がった。

「鈴々のヤツ、何を騒いでるんだ」

 やれやれと立ち上がり、院子を見下ろしながら階段に向かった琉樹が楓花の後ろで足を止めた。ただならぬ気配に楓花は肩越し振り返り、

「大兄、どうし――きゃあっ!」

 問いかけた声は小さな悲鳴になった。



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