「憂い」
「大兄の飲み過ぎを心配してのことよ」
楓花は努めて明るい声でそう言ったが、琉樹は何度も首を振り、
「酒と薬だぞ? 下手すりゃ死ぬだろーが」
「まさか。志均さまに限ってそんな手違いがあるわけないじゃない」
「――。あー、はいはい」
ため息混じりに答える琉樹に、
「だってそうでもしないと、大兄どこへ行くか分からないし。それよりそろそろ行きましょう。珪成がお茶の支度をしていてくれるって。豆粥も作ってあるわよ、大兄好きでしょ」
豆粥とは、崩れるほど煮た小豆を粥に混ぜて炊き上げる、素朴ながらも手間暇のかかる一品である。火加減を誤ると、たちまち焦げ臭い味になるのだ。
二人は揃って池水に背を向け歩き出した。
「豆粥か、久しぶりだな。小妹の料理で、唯一食えるヤツだからな」
「もう、ホント失礼なんだから!」
「師兄、楓花さーん、こっちでーす」
声のした先に目を投げれば、池水の畔に岩で模した小さな山。その頂上にある丹青鮮やかな亭台に、声の主はいた。欄干で繋がれた六本の丹柱が屋根を支えるだけの、六角形の建物である。
院子の中央にあり、敷地が一望できるそこで、忙しげに動く珪成の姿が見て取れた。
「きっと酔い醒ましのお茶を作ってくれてるのね。本当によく気が回ること」
「賊禿と俺が鍛えてやってるからな」
憎らしいほどかわいらしい笑顔で手を振っている珪成。もちろん視線の先はまっすぐに大兄だ。そこにはなんの遠慮も衒いもなくって――胸がじりじりする。
重苦しいそれを吐き出すように、楓花はわざとらしいくらい大げさにため息をつき、
「残念だわ。珪成が女だったらよかったのに。働き者でよく気が付くし、目が大きくて可愛い顔してるし、なにより大兄のこと大好きだし。非の打ちどころがなさすぎて、いっそ諦めが――」
――やだ何言ってるの私!
楓花は慌てて両手で口を塞ぐ。誤魔化さないと、何でもいいから――楓花は袖をバタバタ振りながら、
「だって――大事な大兄が、腹黒かったり薄情だったりする女に引っかかったら心配で夜も眠れなくなるじゃない。珪成くらいデキたコだったら、家の居心地も言うことなしで、流浪漢を気取ってる大兄も落ち着くんでしょうに」
「おい、気色悪いこと言ってんじゃねえよ」
「あら私は本気よ。大兄のお陰で私はこうやって幸せになれたんですもの。今度は大兄に幸せになって欲しいの」
二人は、どちらともなく足を止めた。だけどお互い、なんとなく視線を外して黙り込む。傍らの柳が、さわさわと鳴った。
「――あの頃に比べれば、好き放題やれる今は夢のようだぜ。唯一の肉親みたいなお前が幸せだと言うんだ。憂いも何もない」
琉樹の言葉に、目を伏せた楓花はそっと唇を噛んだ。
「大兄、お茶が入りましたよ」
頭上から明るい声。見上げれば岩山の頂上で、珪成が大きく手を振っている。笑顔で。天上の日ざしに負けないくらい、眩しい。
「あらあら妬けること。じゃ大兄は先に上がっていて。私は豆粥を運んで来るわ」
そう言って、楓花は踵を返した。




