第6章 夜陰強行
仮称、変人さんと名乗る不審者を取り逃した後、私は各分隊長を砦の地下空間に集め、事のあらましを報告した。
報告している私としても、荒唐無稽な話だと思うのだが、ユマンらしき敵の死骸を前にすれば、信じざるをえないはずだ。それに、まだ見せておくべきものがある。
それは、地下の一角に積まれた、王国軍の制服と鎖帷子などの武具の数々だ。ざっと見て数十人分はあるので、消えた兵士たちの装備品だと考えられた。あの変人、何かに喰わせたとか口走っていたが、出任せというわけではないのかもしれない。
報告を終えてから、私は今後の行動について、提起した。
「まだ夜は明けていないが、すぐにでも監督官へ報告すべきだろう。だがその前に、この砦を確保しておくべきか否か、皆の意見を聞きたい。伝令を送るのか、撤退するのかを」
この東境界砦が重要な施設なのは、誰もが知るところだろう。通常なら失うことなどあってはならないのだが、我々は訓練兵団であり、デーベラウやこの砦を壊滅させた敵の脅威がある以上、迂闊に留まるのは愚策とも言える。
私個人としては、当面の危機は去ったと判断し、砦の保持を主張したい。だが、私には指揮権が無いので、撤退の声が多い時は、素直に従うつもりだ。これはあくまで、どの様な形で監督官へ報告に行くのか、というだけの話なのだから。
協議の結果、砦の重要性、夜の森での行軍の危険性を考慮して、少数精鋭での伝令が好ましいということになった。誰かをカバーしている余裕など無いからである。
さて、そんな命の保証の無い伝令役には、私が志願した。言い出しっぺだからというのもあるが、座して居られないというのが本音だからだ。
次いで、アタオが志願しようとしたが、私はそれに反対した。アタオの防衛力は、砦の防備と訓練兵団の為に必要になるはずだからだ。いざという時、訓練兵団全体を纏められる人員が必要なのである。
私一人でも構わないのだが、最終的にクリメルホと行くことになった。夜目の利く彼となら、迅速かつ安全に森を抜けられるからだ。
その後、謎のユマンや変人に関しては隊員らに秘匿しておく事を確認し、これからの行動についてを説明するべく、各々の分隊へ散らばっていった。
私は、ソリア訓練兵に我が隊員への説明と指揮を任せ、早速クリメルホと出立することにした。
「任せておけ、この剣に掛けて、アシャ訓練兵たちは私が守ろう」
実力に裏打ちされた彼女の言葉には、心から安心させられる。気持ち良いくらい、後顧の憂いを断ってくれるのだ。
南門砦へのルートは、獣が少なかったという第一、第六分隊の通ってきた道を選択した。
そこは森を拓いた輸送路であり、こりゃ歩き易いし、リスクコントロールの為とはいえ、ここを全隊で行軍すれば良かったのでは無いだろうかと思った。時もあった。
「これは・・・」
ある程度進むと、道の至るところに狼の死体が転がっていた。広い道が血生臭くて敵わないほど、もの凄い数である。
「クリメルホ・・・アタオは獣が少なかったと言っていなかったか?」
「ああ・・・思ったよりも少なかった。カシューンの奥地からも流入してきていたようだが・・・上手い具合に、南の湖岸ルートと割り勘出来ていたらしい」
カシューンの狼は、他の場所よりも巨大な群れで動き、小規模なら部隊すら獲物として壊滅させる程の賢さと強さを有しているとか。もし、ここを訓練兵団で移動していれば、無数の狼に止めどなく襲撃され、そこへデーベラウすら顔を出してくる様な混沌とした事態に陥っていたかもしれない。そうなれば、被害はもっと出ていただろうし、監督官のリスクコントロールは功を奏したと言える。
「大半は始末出来たが・・・まだ他に群れがいる可能性もある。死骸が漁られているからな。灯りは使わずに行くぞ、ここなら人の匂いは誤魔化せるが、灯りは人が居ると喧伝しているようなものだ」
我々だけでも、狼を撃退することは難しくない。だが、消耗と手傷は避けられないし、万が一怪我でもすれば笑えない。不要な戦闘を避けていくのが良いと、クリメルホは言っているのだ。
「了解だ、先導してくれ」
そうして我々は、月明かりだけを頼りに、無数の狼の死体が転がる輸送路を駆け抜けていった。
予想通り、獣の襲撃は無く、順調に歩を進める事が出来きている。
しかし、問題は行程の半分、森の中心辺りで発生した。
「ん? ・・・何か光らなかったか?」
クリメルホが、緩やかな斜面を下った先、低地の森を指差した。
「・・・・・・本当だ、明滅しているな」
光源などあるはずの無い森の中で、明滅する光。自然の光源が無いとは言わない。だが、明滅はしないし暖色ではないだろう。
「炎の魔法だな、あれは」
「つまり・・・御同輩ということか」
この森にいる同輩ということは、思い当たる節がある。
「クリメルホ・・・頼みがある」
「・・・行く気か?」
「ああ・・・後から追い掛ける」
「ふん・・・とっとと行け」
「恩に着る」
私はクリメルホと別れ、斜面を下り、光の明滅する先へと駆け出した。
木々を避け、沼を飛び越え、藪を突っ切り、たどり着いた先では、見知った男が狼の群れに向けて炎を放射していた。
「ユリエノ脱走兵!!」
私は長剣を抜き放ち、手近な一匹を斬り伏せた。
「っ!? 君は!!」
「集中しろ、話は片付けてからだ!」
私が乱入したことで、狼の半数がこちらに狙いを変えてきた。
こいつらは、手足に食らい付き、こちらを引き倒そうとしてくる。ゆえに、群れと戦う際は、落ち着いて処理していかねばならない。そうで無ければ、引き倒された挙げ句、生きたままあらゆる部位を食い千切られるという、最悪の死に際になるだろう。
まず足首を狙う奴は、上から首を斬りつけるか、頭を蹴り上げ、頭頂部から串刺しにする。手首を狙われたら、あえて籠手を噛ませ(籠手と帷子で貫通しない)、間髪入れずに下から頭を串刺しにしてやる。時たま、喉笛を狙うヤンチャも居るが、これは開いた口から刃を入れて、頭をスライスすると良い。上顎と下顎とを永遠におさらばさせてやるのだ。最適解では無いだろうが、私はこうしている。
テキパキと狼共を蹴散らしていき、既に引き倒されていたユリエノ脱走兵を救出した。
「おい、大丈夫か?」
私は、擦過傷や噛み傷だらけのユリエノ脱走兵に回復魔法を掛けてやった。
「あ、ありがとう・・・でも、何故ここに?」
「たまたまさ・・・それで、サルコ副官は見つかったのか?」
「っ・・・あ、ああ・・・だけど、僕では彼を助けられなかった。僕程度の回復魔法では、致命傷を癒せなかったんだ」
「・・・そうか」
「君は・・・責めるのだろう? 何も言わず消えて、相棒を救えなかった僕を!」
「・・・ああ、そうだな。貴様は分隊長でありながら、隊を見捨て、私情に走った。それは脱走兵と言われても仕方がない、重大な責任放棄である」
「くっ・・・じゃあ、どうすれば良かったのさ! あのまま仲間を見捨てろと言うのだろうな、君は!!」
「・・・はぁ」
私は長剣を鞘に納めてから、ユリエノ脱走兵の顔面を殴り飛ばした。
「がはッ!?」
後ろに数歩よろめいたユリエノ脱走兵は、反撃の為か、手に炎を現出させた。彼がそれを放射する前に、私はある言葉を投げ掛けた。
「我々は、仲間ではなかったのか?」
「そ、それは・・・」
ユリエノ脱走兵の表情から敵意が消えた。
「・・・サルコ副官は、最期に意識はあったのか?」
「・・・ああ、あった。笑ったんだ、彼。もう会話も出来ないっていうのに。死ぬ前に笑っていたんだ。教えてくれないか、こんな死に方をして笑える理由を!!」
「・・・お前は、笑わないのか? もう助からない自分を、助けにきた馬鹿の顔を見て」
「・・・え?」
「私はこんな性分だから、切り捨てられる覚悟はしている。だが、普通なら助かりたいと願うものだろう? 貴様は、サルコ副官の命こそ救えなかったが、心は救えたのだ。こんな状況でも助けに来てくれる馬鹿が居た、それを知って逝けたから、彼は死に際に笑えたんだ」
「そんな・・・ことって」
「私は貴様の行動を完全には否定出来ない。指揮官としては最悪のゴミ虫だが、人としては真っ当だからな」
「・・・僕は、君たちを見捨てた事になるんだね」
「ああ、それも残酷な方法でな」
「・・・僕は」
「おい、感傷に浸るのはそこまでだ。新鮮な血の臭いですぐに獣が寄ってくるぞ。まずは炎を消せ、位置がバレる」
「あっ」
ユリエノ脱走兵が、炎を出しっぱなしにしていた事に気付いたその時だった。彼を黒い巨影が連れ去ったのは。
炎に照らされて、金色の体毛が私の目に映った。
「デーベラウ!」
私は全速力で、駆け抜けていくデーベラウの後を追った。恐るべき脚力で引き離されそうになりながらも、奴の巣とおぼしき洞窟まで追跡することが出来た。
長剣を引き抜き、洞窟の中へと足を踏み入れていく。どうせ臭いでバレるので、炎の灯しながら突き進むと、月明かりの射し込む、広い空間へと辿り着いた。
そこへ入る前に、辺りを窺ったが、デーベラウの姿が見えない。代わりに。その空間の中心にユリエノ脱走兵が転がっているのを見つけた。手に炎が揺らめいているので、まだ息はあるようだ。明らかに生き餌だが、ここは掛かってやるとしよう。
私は警戒しながら、ユリエノ脱走兵の元へ歩み寄った。
「おい、大丈夫か?」
「っ・・・逃げ・・・これは罠だ・・・から」
「ああ、知ってる」
やはり、私がユリエノ脱走兵に近付くと、正面の暗がりからデーベラウがにじり寄ってきた。片目が潰れているので、高原で撃退した奴なのだろう。
それにしても、何故飛び掛かって来なかったのだろうか。何故、判り易く姿を現したのか。答えは、ユリエノ脱走兵の視線が教えてくれた。 私は意を決し、ユリエノ脱走兵を持ち上げ、彼を洞窟の隅へと投げ飛ばし、間髪入れず、私も反対側へと飛び退いた。その直後、私達の居た場所に正面に居たデーベラウとは別のデーベラウが落ちてきた。正面の奴も囮だったのだ。
予期せぬ登場をしてきた新たなデーベラウは、体毛の色が異なっていた。あれは、銀毛である。
「・・・むぅ、ここで繁殖する気満々だったか」
金毛のデーベラウは雄で、銀毛は雌なのである。まさか、雌雄で侵入していたとは予想外だった。東の森に定着化する前に、駆除しなければなるまい。今回は人目が無くて助かった。
「・・・畜生風情が、随分と辛酸を舐めさせてくれたじゃないか」
私は普段、怒らない。口は悪いし、イライラもしているだろうが、本質的には怒ってはいない。何故なら、感情の起伏が魔力に影響するからだ。
魔力を高める作用があるとはいえ、感情の昂りは常に暴走の危険を内包している。可燃性の高い着火剤とでも言うべきだろうか、用量を間違えれば爆発してしまうのが道理だ。
なので、感情のコントロールが身に付くまでは、禁止されている用法がある。それは、あえて感情を昂らせ、暴走寸前を維持することで、魔力を極端に上昇させるもの。高魔力状態と呼ばれるものである。
私は主に、怒りの感情を利用する。普段の苛立ちを、理不尽に敵へぶつけるのだ。我ながら、これほどはた迷惑な事は無いだろうな。なので、苛立ちの張本人だと望ましい。より怒りの純度が増すからだ。
今回、毛玉どもへの苛立ちは中々のものである。この森で追い回され、失態を被る羽目になった事を、忘れたことは無い。我ながら陰湿ではあるが。
ちなみに、時たま自己否定を思考に織り交ぜていくのが、暴走抑止のコツである。否定し過ぎても鎮火してしまうので、皮肉るくらいが良いだろう。言葉の裏に、そんな自分も嫌いじゃない、を隠しておくのもお忘れ無く。
さて、高まった魔力で行なうのは、強化魔法である。筋力や耐久力、持久力等を向上させるもので、自己治癒力、自浄効果の向上という面から、回復魔法もその一部と言えなくもない。
私は筋力を向上させ、それを支える骨格や皮膚の耐久力を強化し、酷使によって摩耗していく身体へ、常に回復魔法を投与しておく。この状態での得物は拳である。長剣では壊れてしまう可能性があるからだ。
私の目には見えない変化を、鋭敏な感覚で悟ったのか、デーベラウ雌が私へと肉薄してきた。一度の跳躍で私の眼前に達し、凶悪な牙で噛み砕こうとしてくる。
一歩退いて噛み付きを避け、閉じた口を蹴り上げて、浮いた身体の下へ潜り込み、右前肢の付け根辺りに向けて、渾身のアッパーカットを叩き込む。
すると、デーベラウの身体から力が抜け、私の腕にのし掛かってきた。どうやら、思惑通り心臓を潰せたらしい。人も丸呑みに出来る巨体を横に倒してみると、デーベラウは大量の血を吐き散らしながら、絶命していた。
「オオォォォッ!!」
まずは雌を仕留めたことで、雄の琴線に触れたらしく、実に怒気に満ちた咆哮を私へと放ってきた。
けっこうな事だが、同輩を幾人か歯牙に掛けられたこちらとしては、恐れてやる義理は無い。私の足元で猫なで声を出しながら、降伏していれば楽に始末してやったというのに。まあ、獣では理解出来ないか。
あまり時間も掛けてはいられないので、私から駆け寄っていく。私を切り裂こうとする爪を、前肢ごと片手で押さえ、お返しに鼻を潰してやる。激痛で怯んでいる隙に、頭の上へ跳び乗り、長剣を、頚椎の辺りから脳を目指して、刺し込んだ。何度か痙攣を起こした後、デーベラウの雄は倒れ、筋肉が弛緩していった。
まだ、終わってはいない。私はデーベラウの上から降りると、先ほど投げ飛ばしたユリエノ脱走兵の元へと急いだ。
彼はまだ生きていた。食い付かれたせいで、腹部には幾つも穴が穿たれていたが、高魔力状態の回復魔法で傷はみるみる塞がっていった。
「よく噛まれる奴だな。回復魔法で自浄作用を高めておけ、病気をもらうぞ」
「き、君は・・・その力は・・・」
「ん? 大した事はしていない、強化魔法と回復魔法を併用しただけだ」
「あれは・・・それだけで出せる力じゃないはず」
「・・・そうだな、正直に言おう。私は西部方面軍から、訓練兵を支援すべく派遣されてきた。つまり、正規の軍人だ」
「西・・・最前線から?」
「そうだ、あれはユマンと戦う為のものだ。 ・・・その目、言いたい事は大体判る。その力があれば、サルコ副官を救えたのではないかと・・・」
「それだけじゃない・・・第三分隊の人達だって死なずに済んだかもしれない!」
「かもしれん・・・だが、あちらには別の担当が付いていた。それと、サルコ副官に関しても私が救出に向かう選択肢を奪ったのは、貴様だ」
「僕が・・・?」
「あの時、貴様が独断専行しなければ、部隊をしっかりと導いていたなら、私は副官の救出に向かうことも出来た。だが、貴様は隊を見捨てた。なら私は、隊や怪我人の安全を優先せざるをえない」
「それは・・・」
「これは貴様の采配がもたらした結果なのだよ、脱走兵。貴様は連れ帰るが、現隊復帰は難しいと思え」
「・・・判って、ます。僕は君が、貴方が間違っていると証明したかったのだと思います。そのせいで、僕はサルコを、自己満足の為に殺してしまった・・・」
泣き崩れるユリエノ脱走兵。そんな彼に、私は苛ついていた。
「いつまで甘えているつもりだ、ユリエノ脱走兵! 貴様ら訓練兵は、守られる存在ではない。守る存在となるべく、この地獄に身を投じた存在なのだ!!」
「・・・ッ!?」
「貴様の腑抜けっぷりを叩き直すには、さらなる地獄が必要らしい。さあ、選べ。ここに取り残され、脱走兵として死ぬか。それとも、誰かを救う存在に成るべく、恥を偲んで立ち上がるか」
「僕は・・・」
ユリエノ脱走兵は、足を震わせながら立ち上がり、泣き濡れた顔で私を見てきた。
「ふん・・・地獄へおかえり、脱走兵。では、まずデーベラウ共の首を落とすぞ。慎重に扱えよ? あれが貴様の免罪符なのだからな」
きょとんとするユリエノ脱走兵を尻目に、私はデーベラウの首を落としに踵を返した。
ユリエノ脱走兵と共に、東の森を抜けて、東橋関所に辿り着いた頃には、空も白み始めていた。
関所の兵士には、担いでいたデーベラウ二匹の首に驚かれてしまい、理由を話したところ、監督官へ伝令を走らせてくれるという。その間、関所で休ませてもらっていると、ちょうど日の出る頃に伝令が戻ってきた。
なんでも、デーベラウの首は関所に預け、私だけすぐに執務室へ来いとのお達しらしい。言われた通りに首を預け、ユリエノ脱走兵を関所に残して、私は執務室へと向かった。もちろん、駆け足である。
執務室では、監督官が悠然と、ティーカップ片手に待ち構えていた。匂いからして、ホットワインを飲んでいたようだ。肌寒い早朝には最適である。
「まったく、クリメルホ訓練兵から報告を受け、こちらとしても驚いていたというのに。次は貴様か、ナディット訓練兵?」
「はっ、申し訳ありません!」
「楽にしろ、責めているわけではない。流石は西部方面軍だと言っている。貴様の働きには正当な評価で酬いると誓おう、雪辱を果たしたな」
「はっ、ありがとうございます!」
「うむ・・・では、貴様の報告を聞こうか?」
監督官にクリメルホと別れてからの仔細を話すと、彼女はある部分に難色を示した。
「ユリエノ訓練兵は、デーベラウとの交戦時に行方不明になったのだな?」
「はい」
「では、生きていたのに何故すぐに砦へ向かわなかった? 現隊復帰をしなかった理由は?」
これは、痛いところを突かれた。下手に庇い立てすれば、二人の首が飛びかねない。ここは真実を包み隠さず伝えておこう。
「ユリエノ訓練兵は、最初に襲われた我が隊の副官を発見、看取っていたそうです」
「ほう・・・失踪地点からサルコ訓練兵が襲われた場所は、距離があるように思えるが?」
「はい、ユリエノ元分隊長はサルコ訓練兵の救助に向かったそうであります」
「独断専行による、作戦からの離脱。これは脱走と言えるのではないのか、訓練兵?」
「はい・・・遺憾ながら」
「ならば、軍法に則り、処分せねばなるまいな?」
「いえ、彼には情状酌量の余地があるかと」
「何? 言ってみろ、発言を許す」
「はっ・・・ユリエノ訓練兵は、監督官の教えを実践したのだと愚考致します」
「私の教え、だと?」
「訓練初日における監督官の御言葉に、見捨てられたくなければ見捨てるな、というものがありました。彼は、それを無意識に実践したのではないでしょうか?」
「ふん、材料を逃さない奴だ・・・それで、ユリエノ訓練兵を現隊に戻せと?」
「いえ、彼を短期訓練兵団へ編入して頂きたいのです」
「・・・意図は何だ?」
「ユリエノ訓練兵は、監督官の教えを実践するも、その未熟さゆえに罪を犯し、隊内の信頼も失墜しております。ですが、彼はまだ王国の盾として使われることを希望しているのです。ここは短期訓練兵団で早急に心身を鍛え直し、戦場へ送り込むのが、彼に相応しい処遇だと愚考した結果です」
「罪を内々に処理し、人事まで優遇しろとは・・・貴様は何を対価にするつもりだ?」
「デーベラウの首を、二つ」
「ふん、其奴に二つ分の価値があるものか。よかろう、首一つの報酬として、その願いを聞き届けてやる」
「ありがとうございます」
「うむ・・・それで、もう一つの首で貴様は何を望む?」
「はい、私の免罪と私がデーベラウの討伐者というのを秘匿して頂きたく」
「貴様の罪?」
「伝令中に、ユリエノ訓練兵の救出へ向かった事を、お許し願いたいのです」
「ふっ・・・実に馬鹿馬鹿しい願いだな。貴様も私の教えに従っただけなのだろう? ならば罪には問えない。後者に関しては、箝口令を敷いておく」
「ありがとうございます」
「つくづく欲の無い男だな、貴様は。今回の功を素直に受ければ叙勲され、宮仕えに転属も出来ていたであろうに」
「自分に都合の良い状態を願うのは、強欲そのものだと思われます。それと、私が帰る場所は決まっておりますので」
「ふっ・・・地獄から地獄へ帰りたいとは、貴様も大概だな」
「ある環境に適応してしまった者は、他では生き辛いもの。ここでは、より統制された軍人を演じる必要があるので疲れます」
「貴様にも良い訓練になっているということだな。さて、後幾つか聴いておきたいことがある・・・貴様が砦で出会った男についてだ」
「男・・・あの変人ですか?」
「ああ、そのふざけた阿呆だが・・・どのような奴だった?」
「どのような、とは?」
「顔を、思い出せるか? 見たのは貴様だけのはずだ」
「顔ですか? 顔・・・顔?」
思い出せない、奴の顔が出てこない。霞み掛かっているとかそういうものではない。見たはずの顔を思い描けない。言い表しようのない気持ち悪さに、堪らず監督官に視線で助けを求めてしまう。
「やはりな・・・それはある思想集団の首魁、我々はヴィデオ・ヴィネカと呼んでいる」
「男女・・・ですか?」
「ある時は男、ある時は女の姿で現れる。本名や経歴、本来の性別等の正体は不明、神出鬼没で国中で存在が確認されている」
「そこまで情報が無いのに、どのようにして確認を?」
「ある質問をすると、皆同じ反応を示すからだ。顔が思い出せない、とな」
「なるほど、先程の・・・」
「ああ、これで貴様が遭遇したのは、ヴィデオ・ヴィネカだと推定されるというわけだ」
「年を重ねた男、ということは思い出せるのですが・・・顔がどうしても浮かんでこないのです」
「その理由は、探らせていた斥候が解き明かしている。何でも、奴は全てにおいて顔が平均的なのだそうだ」
「顔が平均的というのは?」
「何も特徴が無い顔、ということだ。何処にでも居そうで、思い出そうにもありふれた顔としか出てこない。思考する必要が無いから、後で顔を組み立てることが出来ない。その場で模写しておく必要があるそうだ」
「恐るべき相手ですね。見覚えは無いが、その場に居てもおかしくない人相というのは・・・いったいどの様な思想の持ち主なんですか?」
「・・・奴らの具体的な活動は不明なのだが、どうやら邪なるアニサを信奉しているようだ」
「古き邪なる神々・・・ですか?」
「ああ、伝説に謳われるユマンの親玉だ。訓練兵、神話には明るいか?」
「まあ、たしなみ程度には・・・」
「神話では、当時神の戦士であったマヌワルスは、邪なるアニサを倒したとあるが、奴らはアニサが不滅の存在であり、その格を落として、輪廻の流れに放っただけに過ぎないと考えているらしい」
「つまり、邪なる神々は未だに存在していると?」
「さてな、狂信者の考えは解らんよ。私には王国の祖とされるマヌワルスの存在すら怪しく思えるのだからな」
「なるほど・・・」
魔法があるから、ユマンがいるからというだけでは、存在したという証明にはならない。後からこじつけて創られた可能性があるからだ。
「消えた砦の兵士、彼らを食わせたと言うヴィデオ・ヴィネカ、そして巨大な何かが通ったような横穴・・・勘繰りたくもなるが、全てがミスリードの為の謀という可能性もある以上、今は本来の役目に集中してかまわん。行方や目的については、こちらで調査しておく」
「はっ」
「クリメルホ訓練兵にも伝えた事だが、これから貴様らには東境界砦の維持管理の任に就いてもらう。期間は一週間、南部からの増援が到着するまでとする」
「拝命致します」
「よし・・・それでは、ユリエノ訓練兵に、執務室へ来るように伝えろ。それと、クリメルホ訓練兵は食堂にいる。合流し、ただちに訓練兵団へ命令を伝達せよ」
「はっ」
私は執務室を後にし、クリメルホが待つという食堂へ急いだ。
「遅いぞ、ナディット!」
食堂に着くなり、クリメルホに怒鳴られた。
「す、すまん・・・」
肩を怒らせながら、詰め寄って来るなり、彼は私の肩に手を置いた。
「腹が減った、早く戻るぞ?」
「・・・食べなかったのか?」
「ここで食べてきたなんて言ってみろ、総スカンだ」
「確かに・・・急ごう」
それから一目散に東橋関所へ向かい、肩身が狭そうに待っていたユリエノ訓練兵に監督官からの伝言を託した。
「ナディット・・・さん、僕は短期訓練兵団に組み込んでもらえるよう、頼み込もうと考えてます。少しでも早く、強くなる為に」
「そうか、励めよ。それと、私の素性について他言しないでもらえると助かる」
「はい・・・御武運を」
「お互いな」
ユリエノ訓練兵と別れ、クリメルホの元へ戻ると、彼はデーベラウの首を興味深かそうに観覧していた。
「二匹居たのか・・・こいつら、この辺りでは強敵らしいが、ユマンよりもか?」
「むぅ・・・いや、ユマンの方が強いな。そいつらは所詮、獣の延長だ」
「そうか・・・とりあえず、これで襲われる心配をしなくて良いわけだな。よくやった、ナディット」
「お前に褒められるのは、むず痒いものだな」
「ふん、すぐに俺が追い抜いてやるさ。今のは油断するなと伝えたに過ぎない」
「そうか・・・じゃあ、出発しよう」
クリメルホと共に、橋関所を出立し、また三つのルートに分かれる三叉路へ行き着いた。そこで私は、迷いなく輸送路へ踏み入ろうとする彼を呼び止めた。
「クリメルホよ!」
「何だ!」
「少し、遠回りをしても良いか?」
「良いわけがないだろう」
「頼む、時間は取らせない」
「ちっ・・・どこだ?」
「崖沿いのルートを行く」
「また面倒な・・・早く行くぞ!」
そして我々は、北廻りのルートへと足を踏み入れたのであった。