第9章 休暇時々急転直下
都市遺跡での快勝に、監督官は大いに喜び、公約通りに一週間の長期休暇を与えてくれた。しかも、特別手当て付きで。
休暇初日、多くの訓練兵が惰眠を貪る中、クリメルホやアタオ、そして私は、監督官直下の調査隊に同行し、再び都市遺跡へと足を運んでいた。戦闘員ではない調査隊の護衛というのもあるが、昨日は大っぴらにアシャ訓練兵が狙われている理由を調べることが出来なかったから、調べに来たと言った方が正確である。
クリメルホが、遺跡や洞窟内に残党が居ないことを確認し、調査を開始した。調査隊は二手に分かれ、焼け落ちた野営地を調べる班をアタオが、洞窟へ行く班を私が、クリメルホは周囲の警戒を担当する。
学者上がりだという調査隊員らは、興味深そうに洞窟内を見て回っている。曰く、天然物だと思っていたこの洞窟も遺跡の一部であり、かつては石材で坑道を支え、それを色鮮やかなモザイクタイルで彩っていたようだ。これは、神暦の建築様式で、特別な場所への道というのをアピールしていたらしい。モザイクタイルの組み合わせで、特別の意味合いが変化し、見つかったタイルの配列では、この先は禁忌の地だったそうだ。
そんな坑道の先にあるのが、最深部の広い空間である。ここにあった絵を調査隊員らは食い入るように観察していた。手持ち無沙汰の私は、何もないとは思うが、洞窟の行き止まりを見に行くことにした。
そこで判明したのは、洞窟の最奥が舞台のように一段高く盛られていた事と、暗くて見えていなかったが、東境界砦の地下に空いていたような大穴が舞台の真ん中で大きく口を開けていたのだ。
穴へ近付き、炎を落としてみたが、炎は落下し続け、闇に呑まれていった。どうやら、ここを降ることは出来そうに無い。
調査隊員らの元へ戻ると、彼らは興奮した状態で私に調査結果を語り始めた。
壁画と彫られていた文字を解析した結果、ここは神殿、マヌワルスが弱体化させた神を封じておく為の場所だったらしい。封じられていたのは邪なるアニサの一柱、アーデーン。魅了の術により、数多くのユマンを従えた都市神なのだそうだ。
解析した情報から判ったのはそれだけなのだが、調査隊員らが野営地の班にも報せたいというので、洞窟を出て、合流した。
野営地の方では、多くの物が焼け落ちていたが、大量の不燃樹の樹液が見つかったそうである。大した発見ではないが、奇襲が成功していなければ、それを使われ、下手をすれば戦死者が出ていたかと思うと、笑えない。
野営地の調査隊員らも、洞窟内の事を聴くなり、大興奮である。監督官へ第一次報告を送ろうという話になった。え、これだけで、と思うだろうが、随時報告しなければ、監督官が不機嫌になるので仕方ない。調査隊員一人に、私が随行して、一旦カシュンガルへと戻ることになった。
往復するだけで日が暮れてしまいそうだが、今回は監督官より馬を貸与されているので、一時間と半刻程度でカシュンガルに到着することが出来た。
報告は時間を取りそうだから休息していて構わないと言われ、調査隊員とは中央広場で別れた。自由行動開始である。
時刻はまさに昼時、北門通りの屋台群を抜けたせいか、腹が鳴りっぱなしである。さて、屋台料理も棄て難いが、せっかくの機会だから、あの場所へ行くとしよう。いざ、西通りの料理店デナポルタへ。
入店すると、あのツルツル店主殿が迎えてくれたのだが、生憎満席なのだと先ず謝罪された。しかし、私の顔を服装や顔を注視するなり、何か察したらしく、席へ案内してくれた。
案内された席には、先客が居た。タスセスティーナを頬張るアシャ訓練兵である。
「んなっ!? ・・・何で此処に?」
「何故と問われてもな、昼食を取りに来たのだが・・・店主め、待ち合わせと勘違いしたようだな。よくもまあ、一度しか来ていないのに覚えていたものだ・・・」
「はぁ・・・仕方ないから、座ったらどう?」
「ん? 無理はするな。北通りの屋台飯も気になっていたから、私はそちらへ行っても・・・」
「良いから・・・二人席を一人で使っているのを、実はそこはかとなく気にしていたのよ・・・知らない人と相席っていうのも気まずいし」
「そうか、では失礼する」
「話聴いてた!?」
「ん? オーダーしてくるだけだが?」
「あ、はい・・・スミマセン」
私は席を離れ、店主にラスグェンを注文し、また戻ってきた。
「ナディット・・・先のやり取りなんだけど、もしかして私をからかってた?」
「ん? そうだな」
「おい・・・はぁ、それはそうと何で完全武装なのよ? いくら私服が無いからって、流石に趣味で武装するなんてイカれてるわよ?」
「確かに、客にはギョッとされたが・・・生憎と仕事中なんだ、趣味ではない」
「え、仕事? も、もしかして緊急招集だった!?」
「落ち着け、ボランティアだ。昨日の都市遺跡に調査隊を送り届けたり、な。今は中休みといったところだ」
「な、なるほど・・・仕事中毒というやつね、お気の毒に」
一応、貴様が狙われている理由を探りに行ったのだが、とは言えないのでもどかしい。
「・・・そちらこそ、ルームメートはどうした?」
「私たちだって、いつも一緒ってわけじゃないし・・・一緒に行こうって約束したのに、あの二人起きないから」
「まあ、昨日の今日だからな。ベッドから出れなくても不思議ではないだろう・・・あっ」
「え、どうしたの?」
「ずっとアシャ訓練兵に、叱責し忘れてた事を思い出した」
「忘れてなさいよ」
「貴様、強行偵察の時にウサギを連れてきていただろう?」
「うぅ・・・休暇なのに。何で今思い出すのよ!」
「ん? 向こうの客がウサギ肉を食べていて、美味そうだなぁと」
「ナディット、あんたまだシュムを食べようと・・・!?」
「シテナイ、シテナイ」
「白々しい!!」
「そんなに心配しているなら、何故戦場へ連れていった?」
「それは・・・街から出る時に限って、荷物に紛れ込んでるの! 私が一番驚いたんだから!!」
「ふむ・・・む? まさか、昨日の戦いの時も、連れていたのか?」
「・・・イナイヨ」
「白々しいな・・・縄で繋いでおいたらどうだ?」
「昨日は、シュムをバスケットに入れて、私たちが出発してから女将さんに出してもらうように頼んだの・・・女将さんが開けたら、シュムは居なかったそうよ」
「何だそれは・・・怖いな」
「可愛いの! 主人想いの良い子じゃない!!」
「えぇ・・・可愛がるのは結構だが、次任務中で見つけたら、夕飯の添え物にするからな?」
「あんたの方が怖いわよ!?」
「何だと・・・?」
アシャ訓練兵と睨み合っていると、店主が二つの酒杯と水差しを持って現れた。
「食前と食後のダラクアでございます」
危ない危ない、もう少しで血を見ることになっていただろう。
店主が注いでくれた水を、まだ睨み合いながら、口に含んだ。そして、喉を鳴らして飲み込もうとしたその時である。舌先に、微かな痺れを感じたのは。
「がはっ!?」
すぐに吐き出したが、だいぶ飲み込んでしまった。
「おや、やはり気付かれてしまいましたか」
満面の笑みを浮かべたまま、店主はこちらを見下ろしている。
「貴様・・・まさか」
「ええ、お久しぶりです。砦ではお世話になりました」
「やはり・・・ヴィデオ・ヴィネカ!」
「ほほう、既に私の通り名を掴んでおいででしたか? 想定内です」
すぐに組み伏せてやろうと立ち上がろうとしたのだが、身体が痺れて、もはや体勢も保てない。
「毒・・・か」
「ええ、麻痺薬と睡眠薬の混成薬です。よくお気付きになられた、こちらの御嬢さんはすぐに眠られたというのに」
ヴィデオ・ヴィネカは、私と同じくテーブルに伏しているアシャ訓練兵を持ち上げ、椅子にもたれ掛からせた。
「おい変態・・・アシャ訓練兵に何をするつもりだ?」
「変人! というツッコミはもはや不要ですね。何をするかは、見ていたら判りますよ?」
「貴様・・・他の客が黙っていないぞ?」
「おお、ご安心を! あなた方以外は我が同志たちです。本日は、決起大会でしたので」
「何・・・だと?」
周りをどうにか確認すると、客たちはこちらを気にすることなく、あのローブに着替え始めていた。
「きさ・・・ま・・・な、を」
「無理を為さらず、舌も回らなくなる頃でしょうから。どうぞ、回復魔法をお使いください。意識だけは保てますぞ?」
「っ!!」
もはや、五感のうち、視力と聴覚しか働いていない。
「よろしい。では、私たちの目的を明かしましょう」
ヴィデオ・ヴィネカは、懐から小瓶のようなものを取り出すと、アシャ訓練兵の口元に近付けた。
「さて、知っている前提で話しますが、我々は高貴なる御方、アーデーン様を復活させようとしておりまして、その為に人間の魔力が必要なのです」
アーデーン、例のアニサか。
「やはり、御存知でしたか。我々の絶え間ない努力の末、ようやく生きたアニサを見つけられたのですが。これがただの枯れないお花でして、困り果てていたのですが、炎の魔法を使用していた同志に反応したので、魔力を与えてみたところ・・・吃驚仰天! 大きくなったのですよ」
ヴィデオ・ヴィネカが持つ小瓶に動きがあった。アシャ訓練兵の口から、煌めく砂のような光の粒子が流れ出し、小瓶に納まっていく。
「最初は水をあげるように魔力を与えていたのですが、いつの日か、魔力を与えていた同志が消えましてね。調べてみるとアーデーン様が食べちゃったみたいで、こっちの方が速いので、それからは旅人や山賊なんぞを与えるようになりました」
小瓶の三分の一程が、粒子で埋まっていく。
「人間大くらいに成りますと、自我がお目覚めになりました。それまでは無差別に食らうものですから、助かりましたよ。我々が信奉者であることをお伝えすると、大変お喜びでした」
小瓶の三分の二が埋まる。あれは何なんだ。
「その後は、さらに効率を高める為、高い魔力の持ち主を探しました。アシャさんはその頃にリストアップされたのですが、途中から王国軍兵を使えば、純度の高い魔力を一基に確保出来ると思い付きまして。手始めにあなた方を襲わせたのですが失敗。ショックでしたが、まさかこの隠れ家にアシャさん来たので、ヤル気を取り戻しました」
まもなく、小瓶が一杯になる。
「今こそ、動き出す時と判断しまして、砦の兵士を吸収し、あなた方を誘い出すことに成功しました。まあ、貴方に阻まれましたが、アーデーン様の成長は良好でした。その後は、ダミーの隠れ家を殲滅させてあなた方の油断を誘い、その間隙を突いて、アシャさんの魔力を奪い、残すは決起するだけなのです」
アシャ訓練兵の魔力を奪う。つまり、あの粒子は魔力ということなのか。小瓶はついに一杯となった。
「終わりましたかな・・・これは魔力を根こそぎ奪える小瓶でして、通常は三分の一がやっとなのですが・・・すり切り一杯とは、神暦の騎士程の魔力というわけですな。実に結構!」
ヴィデオ・ヴィネカは、小瓶を懐へしまうなり、私の肩に手を置いた。
「それはそうと、あなた方は魔力の正体を御存知無いとか。僭越ながら、私がお答えしましょう。そう、魔力とは心、魂と呼ばれる存在そのものであり、人間を人間足らしめる要素そのものなのです。神々が、最初に人間を創り出した時、人間には心が、感情が存在していなかった。それが不要なものだと判断されたからです。だが、獣同然の人間は、とてもつまらなかった。そこで神々は、感情という実に扱い憎い動力源を人間に搭載することにしたのですよ。考えてもみてくださいな、心や感情といったものの蛇足感を。人間という完璧な設計図に敢えて無駄を作ったのです。人間は魔法を扱う素養を得た代わりに、感情に支配される不安定な生き物にならざるをえなかった。ゆえに愉快な生き物になれたのですがね・・・長々と失礼、要約すると、魔力つまり魂つまり心つまり感情を抜き取った場合、完璧な人間に戻らず、死んでしまうのです。なんたる扱い難さ、無駄な癖に取り除くと本体そのものも壊れてしまうとは! 実に残念だ。しかし、このアシャさんの人生は、まこと数奇なものでしたからね。この先を考えれば、今終わることが救いなのかもしれませんね」
ヴィデオ・ヴィネカは、入り口へ向かって歩き出し、私の視界から消えた。
「ここに居れば、しばらくの安全は保証しましょう。目の前で相棒が死ぬことになりますが、ゆっくりと麻痺から脱すると良い。それでは、我々は決起をしなければならないので、ここで失礼させて頂きます。復讐をお待ちしておりますよ、ナディットさん?」
その後、扉を開けた音と共に多くの足音が店内から出ていった。
「・・・っ!?」
必死に身体を動かそうとするが、全然言うことを聞いてくれない。アシャ訓練兵は、目をうっすらと開いたまま、ピクリとも動かない。麻痺のせいなのか、本当に死にかけているのか。この状況では判断出来ない。
どうにかして、事態を打開せねばならないのに、今の私はまったくの役立たずである。儘ならない回復魔法を掛け続けても、麻痺を解くには後数時間は掛かってしまうだろう。そんなことでは、アシャ訓練兵が死んでしまうかもしれない。
思考は回る、されど動けず。悔しさに唇も噛めない状況の中、扉が開かれる音がした。やはり私を殺しておこうと、奴らの誰かが戻ってきたのか。
もはや、死を覚悟したその時であった。身体の麻痺が、一瞬にして解消されたのである。
私は即座に振り向いたが、店内に人影は無かった。では、誰が入ってきたのか。そして、誰が私に強力な回復魔法を掛けたのか。不意に、足に何かが触れていることに気付き、足元を確認すると、そこにはウサギが転がっていた。
「・・・シュム?」
この真っ白なウサギは、アシャ訓練兵の飼っているシュムに見える。まさか、食材が逃げてきたのか。抱き上げて、よく確認してみても、シュムに見える。
だが何故此処に、さっき入ってきたのはシュムなのか、そしてこの回復魔法を掛けたのは。様々な憶測が脳裏を掻き乱す中、シュムが答えとなる音を発した。
「・・・若者よ、我が願いを聴くが良い」
「喋った!?」
実際は鼻を鳴らしているようにしか見えないが、耳は語り掛けてくる言葉を捉えていた。
「我が名はマヌワルス、我が願いを聴け、若者よ」
いきなり、人間神を自称するウサギ。これは、毒のせいで見ている夢なのかもしれない。早く夢から醒める為に、ここは話に乗っておこう。
「願いとは?」
「若者よ、ワタシはこの少女を生け贄に、アニサが蘇ることを、この矮小な身体で防いできた」
そういえば、アシャ訓練兵がこいつを拾った時も、助けてくれたと言っていたような気がする。それに、砦で誰かが私に掛けた回復魔法の事や任務に付いてくるウサギ、様々な事柄が、この奇っ怪なウサギの存在を示していく。これは、まさか現実なのだろうか。
「アーデーンの復活を阻止して欲しい。そして何より、この少女を救うのだ」
「・・・どうやって?」
「このままでは、この少女は死んでしまう。だが、私は練りに練っていた魔力を其方の回復に使った。ゆえに応急措置として、其方の魔力を流すのだ。規格外な魔力の回復魔法だと思えば良い」
「な、なるほど・・・」
私は、アシャ訓練兵の手を掴み、回復魔法を掛けた。だが、彼女は何の反応も示さない。呼吸もしていないようで、血の気が凄い勢いで引いていく。
「くっ・・・弱いのか。人間神様、これから私は口汚くなるので悪しからず」
「承認」
私は、先程までのもどかしさを思い出した。おのれ、ヴィデオ・ヴィネカ、あの飄々とした面に、顔面がひしゃげるくらいの一撃をかましてやりたい。
高まる怒りの感情により、高魔力状態へと移行。常人なら破裂するほどの魔力を注ぎ込んだ。
「・・・かはっ!」
瞳こそ死んだままだが、アシャ訓練兵は呼吸を再開した。だが、それだけだ。彼女は虚ろな瞳のまま、俯いている。
「おい、人間神様。アシャ訓練兵の意識が戻らないのだが?」
「当然だ、彼女は感情を奪われたのだから。人は構造的に頭で考え、心臓で生命を維持しているが、感情がそれらを動かす動力源となっているのだ。感情を植え付ける為にな」
「変態もそんなことを言っていたな・・・つまり、今は私の魔力が動力源になっていると?」
「然り。神々は、感情と関係無く、身体が生きようとする。ゆえに魔法が使えない。だが人は感情が、身体を動かしているがゆえ、魔法が使えるのだ」
「魔法は不安定な動力源の副産物ということか・・・と学んでいる時では無いぞ! つまりあの魔力を取り返さねば、アシャ訓練兵はこのままというのだな?」
「然り」
「では、急ごう。人間神様は私のフードの中に居てくださいね」
「承認」
シュム、改めマヌワルス神をフードに収め、私はアシャ訓練兵の手を引き、店を飛び出した。どうやら、アシャ訓練兵の身体が、引っ張れば勝手に走ってくれるようだ。
外に出ると、あちこちから悲鳴や魔法の炸裂音がこだましてきている。ヴィデオ・ヴィネカの同志とやらが、ユマンと化して暴れていると思われる。
「さて人間神よ、あの野郎の居場所が知りたいのですが、判ったりしませんかね?」
「索敵・・・中央広場に居るな」
「判るのか・・・便利だな、神」
「否。判っていても、この身体では意味はない」
「ふっ、確かにな。今は私が殴り飛ばせば良いのだろう?」
「然り、任せよう」
アシャ訓練兵の手を引いて、私は中央広場へ向けて駆け出した。
「人間神よ、判らないのだが、あの糞野郎は中央広場で何をしているんだ?」
「それは、現状か? 目的か?」
「両方だ」
「現在、かの男は手下を率い、迅速展開した其方の上官の部隊と交戦中だ。そして、奴がその場に留まるのは、陽動にして誘導。駐留軍を中央広場へ集め、そこへアーデーンを呼び寄せている」
「陽動にして誘導・・・そうか、魅了の術だ! あの野郎、駐留軍はもちろん、カシュンガルの住人をもアーデーンに従属させるつもりだ。人間神よ、アーデーンは何で誘導されている?」
「音及び魔力の気配だ」
「なるほど、その為にカシュンガルのど真ん中で決戦を」
私は駆け足を止め、立ち止まった。
「何故止まる」
「思考能力はどうした、人間神よ? このまま広場へ行っても駄目だ、魔力の奪取を失敗すれば全てが終わる」
「では、どうする?」
「・・・マヌワルスよ、人であった時、貴方はどうやってアーデーンを倒した」
「アーデーン、奴の魅了の術は常時展開している。我は、鏡の如く磨きあげた鎧を纏い、アーデーンを混乱させ、その隙に首を跳ねた」
「混乱? 魅了の術は、視覚から影響を受けるのか?」
「混乱とは、鎧に反射した醜い自分に驚いていた事。そして、魅了の術はアーデーンを視認した時点で発動する」
「ああ、鎧の曲線で丸く・・・それでは、どうやって首を跳ねた?」
「アーデーンの像で口と首の位置関係を確認後、発狂する声を頼りに、聴覚のみで接近した」
「達人技過ぎて参考にならないな・・・だが、視覚か。どこか人の居ない場所にアーデーンを誘導すれば・・・そうだあそこなら」
「急げ、アーデーンが迫っている」
「判っている! 作戦は思い付いたが、アシャ訓練兵が邪魔だ。魔力供給を止めねばならない!」
「手段はある」
「どんな?」
「このウサギのように、空の器となっている少女に乗り移る。そうすれば、魔力供給は必要ない」
「そんなことが出来るなら、最初からやりなさいよ!」
「否。我が乗り移った場合、この少女にどの様な影響が出るか不明瞭。感情を取り戻しても、身体に定着しない恐れもある。ゆえに、最後の手段」
「チッ・・・儘ならんな」
最後の手段に出るべきか、アシャ訓練兵の未来とカシュンガル、ひいては王国の未来を天秤に掛けていると、背後から声が聴こえた。
「お~い、分隊長!」
振り返ると、私服姿のシャンテ、ターヤ両訓練兵、そして武装はしているが私服のソリア副官がこちらへ駆け寄って来ていた。
「貴様ら・・・何故ここに?」
「いや、あたしたちはシュムが逃げ出したから追い掛けて、そしたら鍛練帰りのソリアさんと会って・・・って、二人とも手なんて繋いで何してんの!? そんな、まさか、いつの間に・・・コロス」
「・・・チッ」
私は、アシャ訓練兵の手を引いて、彼女をシャンテ訓練兵へと突撃させた。
「ぐはっ・・・何故に突撃を・・・って、アシャちゃん? この子呼吸してないんだけど!? どゆこと!?」
「ターヤ訓練兵、アシャ訓練兵に全力で回復魔法だ」
「え、あ、はい!」
ターヤ訓練兵は混乱しつつも、アシャ訓練兵に回復を掛けた。だが、彼女は息を吹き返さない。
「足らないか・・・シャンテ訓練兵もだ」
「え、あ、うん!」
そこにシャンテ訓練兵も加わると、アシャ訓練兵は呼吸を再開させた。
「あ、生き返った!?」
「アシャ訓練兵は、現在魔力を奪われ、供給しなければ死ぬ。その状態をどのくらい維持出来そうだ?」
「あ、あまり長くは・・・でも私、耐えます!」
「そうだよ、アシャちゃんの命が掛かっているのなら、あたしは命を掛けるとも!!」
どうやら、長くは持たないらしい。
「現在、カシュンガルは未曾有の危機に苛まれている。我々はそれを阻止し、奪われたアシャ訓練兵の魔力を取り戻さねばならない! シャンテ、ターヤ両訓練兵はその状態を維持したまま、どこか安全な場所へ。騒ぎが治まったら、南門砦へ駆け足で来い」
『りょ、了解!』
「ソリア副官、軽装だが武装していることを見込んで、伝令を頼む。現在、中央広場において敵と交戦中の監督官へ、何が起きても、騒ぎが治まるまで南門砦へ近付くなと伝えろ。敵の首魁が砦へ向かってもだ」
「わ、分かった。だが、監督官に命令などして大丈夫か?」
「駄目かもな。だから、姪の命が惜しければ、と付け加えるのを忘れるな」
「め、姪?」
「時間が無いぞ! 私は南門砦へ行く、各自動け!!」
私は即座に南門砦へと駆け出した。中央広場を経由出来ないので、強化魔法を駆使して、建物の屋根へと飛び上がり、屋根伝いに向かう。
「若者よ、何をするつもりだ?」
「南門砦の内部にアーデーンを誘導して、撃滅する」
「・・・理解。今のアーデーンに魅了の術は使えない。復活する前に、倒せ」
「それは朗報だな! 私程度で倒せるのなら良いが・・・」
西通りから南通りまでの最短移動に成功した私は、南通りからは地上を走り、南門砦へと入った。砦の門を固く閉ざし、出入りが出来ないようにしておくのも忘れない。
それから、中庭の真ん中に立ち、魔力を強化魔法と回復魔法の併用に切り替えた。
「人間神様、少々うるさくなりますが、悪しからず」
「承認」
私は炎を拳に纏わせながら、地面を思い切り、殴り始めた。大地という名の太鼓を鳴らし、高魔力という匂いを漂わせ、アーデーンをここに呼び寄せるのだ。
「人間神! アーデーンは来ているか!!」
「・・・・・・然り、方向を変えた。中央広場を通過、叩き続けろ」
「応ッ!!」
地面を親の敵のように殴り付けること数分、足元で何かが蠢くのを感じた。
「襲来。そこのテラスへ跳ぶことを推奨」
「言われずとも!!」
私が飛び退いた次の瞬間、地面を割って、中庭一杯に拡がる巨大な花が現れた。
「何だ、これは!?」
「アーデーン。力を奪った後は、水仙に転生させた。だが、食虫植物になったらしい」
その花は、水仙とは程遠い。中心にぽっかりと口を開け、有象無象の触手が獲物を探してさ迷っている。正真正銘の怪物だった。
「これは、燃やした方が効きそうだな!」
私は炎の円盤を両手に六枚ずつ現出させ、アーデーンの口に目掛けて放った。
弧を描き、やがて集束し、円盤は口内で爆発を起こした。
「オオォォォ」
爆発のせいか、痛がっているのか、悲鳴に聴こえる音が砦内に反響した。
「効いている。だが、魔法の使用で位置がバレた。触手が来るぞ」
シュム、いやマヌワルスか、その言葉通り、根っこのような有象無象の触手が、私目掛けて殺到してきた。
私は右手に長剣、左手に炎を現出させ、触手の群れを迎撃した。
私を貫こうとするもの、捕らえようとするもの、打ち据えようとするもの等、見分けるのもアホらしくなる猛攻を、フードに居るマヌワルスを落とさないように気を使いながら、避けていく。避ける度に、長剣で斬り捨て、火炎放射で丸焼きにしていった。この風変わりなダンスも、一曲終わる頃にはずいぶんと勢いが無くなった。触手の殆どを失ったのだから、仕方ないか。
「チャンス!」
私は両手に魔力を濃縮した火球を生成し、餌を待っているアーデーンのお口へプレゼントしてやった。もちろん、触れた瞬間にそれは火柱へと変わるのだが。
「オオォォォ」
アーデーンは、悲鳴と共に新たな触手を現出させた。どうやら、あれは無尽蔵らしい。
「ダメージは与えられているな。この行程を何度繰り返せば死ぬのやら・・・検討が尽かん」
「42回だ」
「人間神よ・・・見当がつくとヤル気が無くなる時もあるのだぞ?」
「理解・・・学んだ」
「神になっても、学びは終わらないのだな」
その後、私はアーデーンとのダンスを42曲分、半刻で終わらせた。そして、記念すべき42回目の投下の時間である。
「くたばれ、化け物」
私が練りに練った火球を放り投げようとしたその刹那、眼前をキラキラ光る小瓶が落ちて行った。
「・・・あ」
あれは、見間違えるわけない。アシャ訓練兵の魔力だ。小瓶はそのまま、アーデーンの口へと呑み込まれていった。
「何、だと・・・」
「全く、油断も隙もありませんな!」
小瓶の落ちてきた軌道を辿った先、砦の尖塔の上に、ヴィデオ・ヴィネカが立っていた。
「貴様!?」
「ははっ、これで本当の彼女が目覚める! ではでは、私は魅了される前に失礼します、御健闘を!!」
跳び去ろうとするヴィデオ・ヴィネカ。私は火球を円盤に変え、奴の背中にぶち当ててやった。
「なんとーー!?」
爆炎に吹き飛ばされ、ヴィデオ・ヴィネカは、城壁の向こうへ落下していった。何故だろう、仕留められた気がしない。
「若者よ、どうする? アーデーンが復活しようとしている」
「・・・質問がある。貴方も、アーデーンの魅了に掛かってしまうのか?」
「否。奴の力を奪った際に、対抗する能力を得ている」
「そうか・・・それは、私に憑依しても、有効か?」
「然り。其方、まさか・・・」
「私に憑依しろ、マヌワルス。それしか道は無い」
「・・・然り。だが、其方の意識を塗り潰してしまう可能性が高い」
「構わん。魅了で死ぬか、憑依に賭けるなら、私は憑依を選ぶ。たとえ、私が消えても、この身体なら、代わりに倒してくれるのだろう?」
「然り・・・では、行なうか」
「ああ、来い!」
次の瞬間、自分の身体という入れ物に、何者かが入り込んでくる感覚に襲われた。正しい表現かは分からないが、私を後ろから着ようとしているかの様だ。その感覚は、徐々に思考にも及び、今頭に浮かんでいる事柄がどちらのものかも解らなくなる錯覚に陥った。だが、それでも自分を見失わない力が、私にはある。
「・・・はは、ははは・・・あっはっはっ!!」
それは、この状況を最高に愉快であると認識しちゃうイカれた感情である。
「あっはっは、これは気持ち悪いな。まるで鎧にでもなった気分だ。中に居るのは、人間神様か?」
「然り」
「おっと、勝手に口が動くのか。ははっ、何もかもが気持ち悪いな!」
我ながら、愉しそうな私。これが、狂人部隊の真の由来、ギリギリを保つことを止め、ある感情が振り切れるのを許す。これが、さらなる魔力の高まりを起こす、狂人戦法である。
振り切れる感情は、怒りや哀しみよりも、喜び楽しいというものが望ましい。何故なら、怒りや哀しみは、瞬間的な高まりが凄まじいが、持続しないからである。一方の喜楽は伸びが緩やかだが、長く続く。そしてそれは最終的に、怒りや哀しみよりも高みに至るのだ。強力なユマンを、狩るほどの高みへと。
「興味深い、騎士団には無かった発想だ」
「それはそうだろう? 神暦の騎士なら、こんな小細工は要らないからな」
「然り。さあ、アーデーンが目覚めるぞ。準備は良いか?」
「もちろ・・・あ、待って、シュムを逃がさないと」
私はフードから、普通のウサギとなったシュムを取り出し、背後にある監督官の執務室へ放り込み、扉を閉じた。
「なるほど、あの少女を悲しませたくないか?」
「やっと精神が安定してきたのに、乱されては困るからな。そして、人の考えを勝手に見るな」
「構わんだろう、私は神だからな」
「自分は神とか・・・元人間なのに、恥ずかしくないか?」
「恥ずかしくないと言えば、嘘になる。だが、誰しも一度は言いたくはないか? 我は神だ、とな」
「ははっ、どうだろうな。それにしても、随分と舌が回るようになったじゃないか?」
「ウサギの脳ではな。そもそも、出せる音が限られている」
「なるほど、面白いな」
「そうだろうか? ・・・雑談はここまでだ。来るぞ」
アーデーンの口、そう表現していた穴から、突如として人間の女性の上半身のようなものが生えてきた。かなり巨大で、あやうく砦の城壁を超えてしまうところであった。
「オオォォォ!!」
咆哮と共に、アーデーンの瞳に光が点った。意識が移ったのだろう。
「私は、アニサ。アニサ・アーデーン。矮小なる人間よ、もはや貴様など脅威には成り得ない」
「だそうだ、人間神?」
「甘く見るな、アーデーンよ。貴様が想定しているよりも、この若者は曲者だぞ?」
「この気配・・・貴様、マヌワルス。憎き貴様を引き裂く日を待ち望んでいたぞ!」
アーデーンの髪?が逆立ち、先程よりも数を増した触手が空を覆わんばかりに展開した。
「ああ・・・バレたか、これは荒ぶるな」
「然り。しつこい女は嫌われるぞ、アーデーン」
私は両掌を突き出し、触手へと向けた。そして、掌に炎を現出させる。より高濃度の炎、青く鋭い炎である。
「最近は、使うに値する奴が居なかったんだ。ありがとう!」
青き炎は燃え広がらず、放たれた矢のように真っ直ぐ進む。だが、その熱は通常の炎とは比べ物にならず、鉄ですら瞬く間に蕩け出す。
青き炎は、触手を一挙に薙ぎ払い、青空を取り戻した。
「如何かな、アーデーン・・・様? 矮小なる人間に焼き払われる気分は? 私は最高に愉快である!!」
「おのれ、おの、れ、オノレ・・・何故、我の、美が通じ・・・」
「なあ、人間神よ。アーデーンの様子がおかしいぞ?」
「然り。これは、化けの皮が剥がれるぞ」
「化けの皮?」
「オオォォォ!!」
数十の触手が絡まり、強固になった束触手が複数出現し、私目掛けて躍り掛かってきた。
「何で、何で私の魅了を受けない! 私の美に溺れない! 私に服従しないのだ!!」
テラスを粉砕していく連撃をどうにか切り払いながら、私はドン引きしていた。
「うわぁ・・・神って」
「冷めてはならない、若者よ。魔力が落ちているぞ。神なんてそんなものだ。とてつもない理不尽で、人を振り回す。今回は特に酷いが、気にせず焼き尽くすのだ」
青い炎の円盤を放ち、束触手を切り裂いては、切り口から炎上させていった。だが、触手は止めどなく湧いて来ている。キリがないとは、まさにこの事だ。
「マヌワルスといい、貴様といい・・・人間如きが私の魅力に抗うだと? 不敬にも程があるわ! 特にマヌワルス、私にあの様な醜い姿を拝ませた貴様はヒキガエルにでも転生させて鏡の檻に閉じ込めてくれるわ!!」
「怒り方が誰かを彷彿とさせるな・・・それにしても、根に持たれてますね?」
「また魔力が落ちたぞ・・・神殺しの先達として言うが、容赦は掛けるな。自らの感情を律しようともしない神など、ただの迷惑だ」
「オオォォォ!!」
触手の猛攻が、南門砦そのものを壊し始めていた。
「マズイな、急いで仕留めないと」
私は、特大の円盤を形成し、アーデーンの胴体目掛けて投げ付けた。細かい触手を切り裂き、アーデーンへの肉薄するのだが、そこへ触手の壁が立ちはだかり、円盤の勢いを殺されてしまった。
「駄目だ、触手が邪魔で届かない」
「諦めるな。工夫次第で、人は神をも倒せるのだ」
「これだから経験者は、無茶を言う・・・少し、試してみるか」
私は息を深く吸い、声を張り上げた。
「アーデーン様? とてもお綺麗だと思ってますよー!!」
私のとても恥ずかしい叫びに呼応するように、アーデーンの動きがピタリと止まった。
「アーデーンが・・・止まった?」
「哀しいかな、美を誇る者は、美に驕る。褒め称えた隙に、焼き払おう」
「其方も・・・大概卑怯なのだな」
「容赦はするな、なんでしょう? ・・・嗚呼、マヌワルスの憑依さえなければ、貴女の美貌に溺れていたのに!」
「若者よ、演劇の見過ぎではないか? 腐っても神だ、そんな安い台詞では・・・」
「人間・・・貴様、見る目があるではないか」
『乗ったーー!?』
「近くに寄るが良い、私がすぐにマヌワルスめを引き剥がしてやろう。その後は大いに我を賛美するが良い」
「は、は~い、ワカリマシタ」
私は、助走を付けて跳び、アーデーンのマウントポジションを押さえ、両手に用意していた円盤で、彼女の両腕を切り落とした。
「おのれ、謀ったのか!?」
触手が私を捕らえようと走るが、私に達する前にこちらの一撃が当てられる。全魔力を、拳に集めた一撃だ。
「一度ならず、二度までも・・・」
私の拳は、アーデーンの眉間を打ち貫いた。そして、暴発しそうな青い炎を拳から解放する。火炎がアーデーンの内側から噴き出し、瞬く間に全身を包んでいった。
「赦、せん・・・私は、不滅。幾年月を経ようとも、必ず貴様らを、根絶やしに・・・」
身を焼く炎よりも熱い、煮えたぎるような憎悪。それを拳から感じ取った私は、少し容赦してしまった。
「綺麗だと感じたのは、本当ですよ」
「・・・ッ」
「ただ、育ち方が穢かった。人を喰らう花を私は尊べない。けれどもし、幾年月掛かろうと独力で咲いてみせたのなら、貴女の信奉者になってしまうかもしれませんね」
「・・・私は」
はい、容赦終了、即滅却。
火力が足らないと感じたので、羞恥心を利用して、さらなる火炎をサービスした。
すまないね、神様。私も助からないから、今のは嘘になります。
魔力は尽き、身体も動かない。私はゆっくりと墜ちていく。その辺りで、私は意識を手放した。