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慮外の接触

 あけましておめでとうございます。


 申し訳ないのですが、卒研が終わるまでは不定期気味の更新になります。


「ーーーーーーっ、ん…………?」


 誰かの声が聞こえた気がして、ラムセスは目を開いた。

 暗い空間に目を慣らし、徐々に意識を現実へとすり合わせる。


 汗で湿った衣服が体に張り付き、なんとも言えぬ気持ちの悪さが肌を通して伝わってくる。


 ーーーー今のは?


 彼は心の中でそう呟いた後、自分が夢から覚めた事を理解した。

 布団を捲って体を起こすと、外気に触れた汗が一気に冷め、その肉体を芯から凍えさせる。


 その感触を嫌ってか、彼は魔力を練って炎を生み出すと、発生した熱で余分な水分を吹き飛ばした。


 枕元に設置された蝋燭に火を灯し、光を確保する。


 簡易的に組み立てられた作業台と、質素な寝台。彼のいる場所には、それしか置かれていない。


 その寝台に座り込みながら、ラムセスは自分が見た夢の内容を思い出そうとしていた。


 助けを、呼んでいたような。


 夢であるために詳細を思い出すことは出来なかったが、強い印象が彼の頭の中に残っていた。


 誰かが魔物の襲撃を受け、命の危機に遭遇している。


 輪郭のぼやけた記憶のカケラを集めて組み上げられたのは、そんな悲惨な光景だった。


 たかが夢と切って捨ててしまえばそれまでだが、ラムセスという少年は夢というものを軽視していない。

 魔法や魔術、そして魔物に魔人。


 かつての自分の知識だけでは説明がつかない現象が、この世界には溢れている。


 ラムセスとして生まれる前に見た光景だって、振り返れば夢のようなものだった。

 だが、彼にはそれが夢では終わらないという確信がある。


 それと同じだ。



 もし、夢で見たような光景が現実に存在していたのであれば…………と。

 彼はそんな想像をしかけて、すぐにやめた。


 考えたくなかった。


 自分がいない場所で助けを求めている人を救う手段を、自分は持っていない。

 口にしてしまえば当たり前だが、彼にとっては歯がゆいことだった。


 目の前で助けを求められたのであれば、全力を尽くすことができる。


 ラムセスは無力ではない。火の魔術は外敵を打倒するには十分であるし、水の魔術があれば怪我人を助けることだってできる。


 だが、それは目に見える範囲で…………手が届くからこそ。


 もしかすれば、こうしている間に魔物に襲われている民がいるかもしれない。


 全てを救える、そう考えることは傲慢なのだろう。


 自分がいたならば、と。そんな後悔は慰めにもならない。


 精神が熟し、力が伴っていても。


 それを扱うのは一人の人間でしかない。


 肉体は一つしか存在せず、その観測範囲はごく狭い場所に限られる。


 当たり前のことだ。


 ラムセスの知らない場所で、誰かが彼に助けを求めたとして。それを知る術を、彼は持っていないのだから。

 それが人間の限界であり、彼の限界だった。


 だから、ラムセスは少しだけ怖かった。


 他の魔術師に全てを任せて、何もせずに時間が過ぎ去っていくこの現状が。


 そしていつの日か、自分にはどうすることも出来ない現実に直面してしまうことが。



「それにしても…………」


 嫌な夢だった。瞳を閉じて、彼はその記憶を反芻する。


 沢山の人が傷つき、そして命を落としていた。

 何者かに襲われ、抵抗すら許されずに倒れていく。


 夢の中の住人たちは、みな必死な顔で逃げ惑っている。助けを求める声に手を差し伸べることは出来ない。


 どれだけリアルに感覚に訴えかけてきても、それは幻でしかないのだから。


 「少し、散歩でもしようか」と。ラムセスは寝具から降りて、寝間着の上からマントを羽織った。


 もう一度寝直してしまえば、きっと夢のことなど綺麗さっぱり忘れられることだろう。

 心に何かを抱えることなく、朝日を浴びながら気分良く一日を始めることができるかもしれない。


 しかし、どうしてもこの釈然としない感情に整理をつけておきたかった。


 結論が出ない問答であったとしても、答えを探そうとすることは無駄ではない。


 それに今夜は、野鳥の囀りがいやに大きく聞こえるのだ。

 毛布を頭から被って瞳を閉じても、すぐに眠りにつくことは出来ないだろう。


 蝋燭から小さい灯篭に灯りを移して、枕元の炎を消す。


 魔術で火を確保すれば、光源の問題は解決する。だが、この夜営地では多くの魔術師が休息を取っている。


 あまりおおっぴらに魔力の残滓を振りまいては、感覚の鋭い者を起こしてしまう可能性があった。


 ラムセスは年齢ゆえに夜警を免除されているが、その役割は他の魔術師達がローテーションを組んで行なっている。

 彼らに余計な心労を与えるのも忍びない。


 手元にある小さい光で周囲を照らしながら、彼は自分に与えられた仮設テントの出入り口へと向かった。



 そんな彼の耳元へ、とても小さな異音が届いた。


「ーーーーーーーーぁ」


「…………誰だ?」


 彼の聞き間違いでなければ、それは人の声のようだった。


 夜警を任された魔術師が、見回りにきたのだろうか。

 そう考え、自分を中心としたごく小規模な探知魔術を展開する。


 反応はすぐに返ってきた。


 ラムセスは怪訝な表情を浮かべ、テントの出入り口を見つめた。その先にいる(・・・・・・)相手へと言葉をかける。


「誰か、いるんですか?」


 台詞は疑問形だったが、その声音には強い確信の色が宿っている。


 人の形をした何者かの体温を、ラムセスは扉の奥から感じ取っていた。


 耳をすませば、小さい吐息が空気を震わせているのが伝わってくる。


 息を潜めているのだろうか、と。ラムセスは警戒心を露わにする。


 この場所に部外者が入ってこれるとは思わない。だが、万が一ということもある。


 ラムセスは来訪者のものへと足を進める。片手に掲げた光源を前方へと向けながら、一歩一歩近づいていく。


 その間も、訪問者に動きはなかった。

 細い呼吸を繰り返しながら、その場に立ち尽くしている。


 『細い(・・)』呼吸、それが何を意味するのか。


「まさかっ!!」


 来訪者の状態を直感的に悟ったラムセスは、それまでの警戒心を投げ捨てて飛び出す。


 その瞬間、地面に何かが倒れた音が彼の鼓膜を揺らした。それはあまりにも、軽すぎるものだった。


 手元の灯りが、周囲の様子を映し出す。


 目の前に広がる光景を見て、ラムセスは自らの口元を抑えることで悲鳴を殺した。


「ーーーーーーーーっ」



 それ(・・)は人間だった。

 しかし、とても歪な姿になっていた。


 うつ伏せに倒れて晒されている背中には真新しい火傷の痕が目立ち、片腕は肘から先が千切れて無くなっている。


 金色の頭髪は先端が焦げて縮れており、本来の艶を失わせている。


 肉の焼けた匂いが風によって届けられ、ラムセスの鼻腔をついた。


 どんな災害に遭遇すれば、これほどまでに人の体は傷つくのだろうか。

 そう考えさせるほどに、そこに倒れている女性は損傷していた。


 そして、どうしてこの場所に危篤状態の怪我人がいるのか。


 思考の海に沈んでいたのは、たった一瞬のこと。


 目の前の人命を認識した彼はそれらの疑問を放棄し、自らに出来る事を優先させた。


 素早く患者(・・)の元へと跪くと、彼女の状態を確かめる。


 口元へと耳を寄せ、呼吸の有無を確認する。先ほどまで感じていたように、弱った体が可能な精一杯の生命活動がそこにあった。


「大丈夫ですか? 僕の声が聞こえていますか?」


 意識が痛みに耐えきれないのだろう。彼女の意識は朦朧としていて、ラムセスの呼びかけにも反応を返さない。


 下手に覚醒させ、苦痛に暴れることがあっては治療に差し支える。

 ラムセスは次の行動へと移る。


 目と鼻の先まで接近して分かったことだが、背中の火傷の酷さとは対照的に顔や胸部への被害は少ない。


 おそらく、背後から何かしらの攻撃を受けたのだろう。それも、明確な害意を持つものの手によって。


 一刻も早い手当が必要だった。


 あらかじめ待機させていた光源を自身の頭上へと飛ばし、出力を高める事で照明器具の代用とする。

 光に照らされ、女性の姿が夜の闇から浮かび上がる。


 凄惨な姿から目を逸らさずに、患部を素早く診察する。


 火傷は酷いが、死に直結するほどのものではなかった。


 触れるか触れないか絶妙な距離へと手を伸ばし、魔力を込めて呪文を唱える。


『恵みを』


「…………ぁ……っ」


 与えられた刺激を受けて、女性が呻き声を上げた。それはどちらかといえば、心地よいという感覚に近いだろう。


 ひきつけを起こしたように途切れ途切れだった呼吸が安定し、強張っていた体の力が抜けていくのが見てとれる。


 彼が発動させたのは初歩的な医療魔術の一種であり、感覚を鈍らせる効果を持っている。つまりは麻酔のようなものだ。


 一定の時間が経過してから、次の治療行為へと手を進める。


 火傷痕にこびりついた衣類の繊維を筋肉から分離させ、異物を残さないよう努める。


 繊細ながら迷いのない魔術操作によって、傷の上から様々な汚れが滑り落ちる。


 洗浄と消毒を終え、ようやく傷口の回復へ手をつける。


 古い細胞、死んだ細胞を取り除き、活性化によって新しい肉体へと変容させる。


 どうすれば命を繋ぎ止める事が出来るのか、どのように手を加えれば健康体に近づける事が出来るのか。


 いつの間にか色彩の変化していた彼の瞳には、その全てが明確に映り込んでいた。


 背中を中心として、全身の皮膚を再生する。


 ある意味グロテスクなその光景も、数瞬の間に過去のものとなった。


 そして、次の治療へとーーーー。




 全ての行為を終えたのちに、ラムセスは顔を上げた。


 その小さい両手の中には、彼によって救われた傷ひとつない(・・・・・・)女性の姿があった。


 どれだけの時間が経ったのだろうか。


 実際には数分程度しか経過していないが、集中していたラムセスにはもっとずっと多くの時間が過ぎ去ったように感じられた。


 肩にかけていたマントを地面に敷き、患者の女性をその上に横たえる。


 昼とは比べものにならないほど、夜の空気は冷たい。


 早急に大人達を呼び、女性を保護するべきだった。

 火の魔術の応用でマントに熱を纏わせ、外気からの保護を行う。


 立ち上がり移動しようとして、少しだけ逡巡する。


 ーーーーでも、どうしてこの場所に?


 他の魔術師達に何と説明すればいいのか、ラムセスは悩んだ。


 そして、そんな彼の感知範囲に自分たちとは別の体温が侵入した。



 いや、出現した。



「え?」


 反射的に視線を動かし、反応のあった方向を見つめる。


 ラムセスから数メートル離れた、何もない平地。そこに何者かが倒れていた。


 ラムセスの頬を、冷たい汗が流れていく。


 光球を飛ばして、視界を確保する。



 火傷を負った怪我人が倒れていた。


「これは…………っ」


 ラムセスの知覚する世界の中で、複数の反応が連続して発生していた。


 それは最初からそこ(・・)に存在していた(・・・・・・)かのように。


 苦しみ、もがいていた。



 人、人、人。


 ラムセスの周囲で、次々と呻き声が上がる。異臭が漂う、死の危機に瀕した者の匂いだ。


 沢山の怪我人(・・・)が、魔術師の夜営地に倒れ伏している。なぜ生きていられるのか分からないほどの重傷者の姿も見える。


 その誰もが突然、前触れもなく、魔術的な警戒をすり抜けてこの場へと姿を現していた。


「いったい、何がーーーー」



 木々から飛び立った鳥の群れが、思い思いの方向へ去っていく。抜けた羽が地面に落ち、鳴き声が木霊する。


 何の変哲も無い夜の、理解不可能な現象を前にして。



 ーーーー何が、起こっているんだ?


 一人の少年の呟きが、誰にも聞かれることなく虚空に散っていった。

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