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燃え立つ夜 3


 村の広場を、一瞬の静寂が包み込んだ。


 誰も彼もが呆けたような表情を晒し、意識を現実から遠ざけている。


 自分達へと突きつけられた凶器を前にして、思考が働きを止めたのだ。


 だが、それは自らの寿命を縮める行為に他ならない。


 魔物はその場で鉈を軽く振り、血を払った。そして、次の標的へとその切っ先を向ける。

 身体中から炎をたぎらせ、希薄な意識の底にこびりついた痛苦を想起する。


 痛みが、苦しみが、恐怖が、絶望が。


 その全てが、「牛頭鬼ミノタウルス」の力へと変換される。


 やがて、炎が表情を変えた。


 今の村人達のように、青ざめて見えた。



「何してんだ!! さっさと逃げろ!!」



 燃え盛る火の音を上書きするような、必死な叫び声がその場に響いた。


 声をあげたのは、カリスだった。


 一足先に正気を取り戻した彼の呼び掛けによって、周囲の村人たちは蜘蛛の子を散らすように走り出す。


 それはカリス自身も例外ではなく、これまでの人生のどの瞬間よりも全力で足を動かしていた。


 何故、どうして。


 そんなことを考えている暇はなかった。


 命を失いかねない明確な脅威を目の前にして、彼の頭の中は家族のことで一杯だった。


 たとえ自分が犠牲になったとしても、せめて妻と息子達だけは。


 先日失った弟と、先ほど殺された知人の姿が瞼の裏に焼きついていた。



 家に向かって走りながら、後ろへと視線を動かした。


 魔物はカリス以外を対象と見定めたのか、視界の外へと走り去っていく途中だった。


「ーーーーーーーーっ」


 僅かながらに安心感に包まれた彼の心を凍らせたのは、またしても「魔物・・」だった。


 首がない男の体が、起き上がりつつあった・・・・・・・・・・


 ミノタウルスから燃え移ったのだろう。

 首のない死体は全身くまなく火に覆われており、覚束ない足取りで前に進む姿は蝋燭の灯の様だった。


 魔物に殺された者もまた、魔物へと転生する。


 そんな悍ましい光景を目にして、カリスは改めて世の理へ畏れを抱いた。


 かつての知人ですら、死んでしまえばその瞬間から…………人類の敵なのだ。


 カリスの目から流れた涙が、一筋の軌跡を描いて取り残される。


 悔しかった、悔しくて仕方がなかった。


 なんの力も持たない自分が、死してなお苦しむ同胞を救えない現実が堪らなかった。



 あぁ、クソったれ。


 彼は生まれて初めて、心の底から祈った。


 悪い夢なら冷めてくれ、と。




 カリスが自らの家屋へと飛び込んだ時、彼の家族は全員が玄関先で主人の帰りを待ち望んでいた。

 震える息子達を抱きしめ、妻が不安そうな瞳で彼の一言を待っている。


 家の中にいた彼女達も外の喧騒によって、何が起きているのかを薄っすらと察っしているのだろう。


 悲鳴と怒号、そして破壊音は今も絶え間無く届き続けている。


 そのどれもが心の中に影を落とすが、今は暗然としている場合ではない。


 彼は短く一言「魔物だ」と告げると、信じられないといった様子の家族の隣を通って家の中を進んでいった。


 自室に入ると、必要なものを手早くかき集める。避難時のために用意していた衣類や、非常食の類だ。


 数日前にも持ち出していたため、手に取りやすい場所に放置されたままになっている。


 この部屋に戻ってきた時は、またすぐに必要になるとは思っていなかった。


 あまりにも早すぎる緊急事態の再来に、彼は無意識のうちに唇を強く噛み締めた。


 複数の背嚢を担ぎ、再び家族の元へと戻ろうとする。


 そうして部屋を退出する直前に、カリスは視界の端に松明の光を反射するものを発見した。


「…………こいつも、一応持っていくか」


 それは彼が使い慣れた金属製の農具だった。


 手に馴染むそれを片手で握りしめ、馴染む感覚に心を落ち着かせる。


 あの巨大な牛頭の魔物に有用であるとは思わなかったが、それでも備えがないよりはマシだった。


 不安によって焦りに支配されていた彼の思考が、「家族を守る」という使命感によって補強されていく。


 彼なりの覚悟が完了した瞬間だった。



「裏口から出て避難するぞ! 馬車で貴族様が向かった方へ追従する! 今晩中に追いついて救援を要請するんだ!」


 魔物達に勘付かれないよう、カリスは気持ち抑えめの声で指示を出す。



 だが、その言葉は轟音と衝撃によって遮られた。



「ーーーーーーっ! 何が起きた!?」


 カリスは反射的に家族を抱きすくめ、その場に伏せていた。

 パラパラと細かい欠片が体に落ち、家に異変が起きたことを悟らせる。


 砂埃が舞う中で目を凝らし、視界が開けるのを待つ。


 左手に持った松明だけが、彼にとっての命綱だった。火の灯りが揺らめき、暗闇を晴らす。


「…………っ!」


 彼が見たのは、半壊した我が家だった。


 入口のすぐ隣の壁が吹き抜けになっており、そこから家の中に亀裂が走っている。

 何か大きなものが、かなりの速度で突っ込んで来たとしか思えなかった。


 視界を横に移し、その原因を目に収める。



 見覚えのある、顔だった。


 雇われた冒険者の一人が、家の中で事切れていた。


 かなりの衝撃を受けたのか、半身が潰れて中身が壁に飛散している。


 その死に様は、首を跳ね飛ばされた男に負けず劣らず悲惨だった。

 苦痛に彩られた表情が、いやでも死の瞬間の恐怖を訴えてくる。


 妻が息を飲むの音を聞きながら、カリスはそれでも立ち上がった。


「逃げるぞ!!」


 息子が死体を見ないように視線と体の向きを誘導し、それ・・の横を通って裏口から脱出する。



「走れ!! 馬車は村の出入り口にあるはずだ!!」


 殿を務めるカリスの後方で、何かが崩れる音が鳴り響く。そして、轟々と炎が燃え盛る音も。


 強すぎる光が何度も瞬き、カリスたちの走る足元を夜に露わにする。


 運がいいことに、その原因・・が彼らを追い立てることはなかった。


 カリスは一直線に走り続けているため、その後ろにあるのは彼の家以外なかった。


 これまでの人生で積み重ねて来たものが、一瞬で奪われていく絶望感。


 足を止めそうになった彼を鼓舞したのは、やはり家族の存在だった。


(まだ…………まだ、命だけは残っている。諦めてはいけない、きっとなんとかなる)


 前を向けば妻と息子の背中が目に映る。

 カリスにとっては、それが何よりも輝いて見えた。


 折れそうな心を立て直して、ただ生き残ることだけを目標にして駆け抜ける。

 恐怖と焦燥には、目を背けて。




 村のあちこちに、地獄が作られていた。


 民家は焼け落ち、人々は逃げ惑い、そして魔物が闊歩する。


 この世界で生き抜いて来た彼らでも、これほどの状況に陥るのは初めてだった。


 これまで魔物が現れるのはきまって村の外であり、それも殆どが魔術師と冒険者の手で討ち取られていた。


 運悪く遭遇し、被害を受けることはあっても…………それは外の世界での出来事であり、村の中なら安全。そんな認識が無意識のうちに形成されていた。


 自分たちが避難していれば、大人しく救援を待っていれば助かる。


 今まではそうであっても、これから先もそうなる確約など、何処にもないというのに。


 平和ボケしていたのだ。


 人を殺すのは魔物だけではない、と。

 地震、洪水、干ばつ、害獣、不作。


 自然は容赦なく牙を向けてくる。

 ならば、魔物もそのうちの一つに過ぎない。


 そう思っていた。

 だが、それは間違っているのだ。


 自然に意思はなく、ただそこに存在しているのみ。


 それに対して、魔物は明確な殺意を持って人を襲う。

 人を殺すためだけに在り、人を殺すためだけに行動し、人を殺すためだけに凶刃を振るう。


 だからこそ、人類は魔物へ根源的な嫌悪感と恐怖心を向け続けているのだから。



 一つ、また一つと無辜の民が命を落としていく。


 ある者は鉈に切りつけられ、ある者は炎に巻かれ、ある者は変わり果てた隣人に襲われていた。


 魔物が死を呼び込み、死が魔物を産み落とす。


 悍ましい負の連鎖の中に、人々は身を落としていた。


 そしてその中でも、「牛頭鬼ミノタウルス」に取り込まれた者は特に悲惨だった。



「こいよ、化け物!!」


 冒険者のうちの一人、数少ない魔術師である男が水流を飛ばして魔物を挑発する。


「くそ! 焼け石に水じゃねえか!」


 ミノタウルスは炎を纏った鎧の魔物であり、その弱点は水である。

 討伐に成功した貴族たちの説明を受けていた彼は、多いとはいえない自身の魔力を練り上げて必死に攻撃を繰り返していた。


 しかし、その命がけの行動も実力が伴っていなければ意味をなさない。


 遠くからでもヒシヒシと感じられる熱量の高さ、圧倒的温度を肌に受け、彼は自分一人ではこの魔物を倒すには至らないという事を理解していた。


 単純に、出力が違いすぎる。


 燃え盛る家屋に対して、桶一杯の水をかけて消化作業をしているようなものだった。



「なんでまだいるんだよ! 貴族様が倒してくれたんじゃねぇのかよ!!」


 普段は不平不満を言わなくても、この瞬間だけは口が汚くなって仕方がなかった。


 五人いたはずの仲間は既に自分を含めて二人になっており、それを悲しむ暇すら与えられない。


 付き合いの長い友は身体を三枚に卸されて死んだ。


 兄と慕った者は圧倒的な暴力で身体をすり潰された。


 恋人は目の前で灰になった。


 それでも涙を流す事は出来なかった。

 死を覚悟し、尚も戦い続ける体が許さなかった。


 距離をとっては、攻撃を仕掛ける。


 気を引いては、撤退を繰り返す。


 意味がないように思えるその行動が、他の人々の寿命を延ばしていたことは確かだった。


 しかし、やがて限界がやってくるだろう。


 徐々に目減りしていく魔力と、伴って消費される体力が尽きようとしていた。


「くっ…………」


 これまでか。


 そう思った彼の元へと慮外の光明が訪れる。


「ーーーー! こっちだ!」


 自分の名前が呼ばれたような気がして、彼は地面についた膝を持ち上げた。


 音源へと視線を移すと、そこには彼に向けて片手を振る最後の仲間の姿があった。


 魔物と化した元村人たちを倒して、救援に訪れたのだろう。

 その指が示す方向を見て、魔術師の男は仲間の言いたい事を悟った。


「ついて来い!!」

「ーーーーーーーーーーーー◼️◼️!!」


 限界を越えて身体を動かし、通じているかも分からない言葉で魔物を誘い込む。

 少しずつ距離が詰まっていくが、それでも焦りはなかった。


 仲間が彼の元へと駆けつけ、肩を貸して目的地へと連れ添う。


「まだ戦えるか!?」

「おうよ、任せろ!!」



 辿り着いたのは、村に併設された貯水池だった。


 井戸や畑へと水を届けるためのそれは、人のいる場所から離れない魔物を根気よく村の外れまでおびき寄せたからこそ使える切り札だ。


 何もないところで魔術を使うより、媒体がある場所で行使する方が遥かに効率がよく規模も大きい。



 堂々とした様子で迫り来るミノタウルスに向けて、最後の魔術を解き放つ。


 残された全ての魔力を使い、貯水池の水を操って波へと変える。


「ーーーーーーーーーーーー◼️◼️!!」


 雄叫びを水飛沫の音が打ち消し、その巨体が濁流に飲み込まれていく。


 今までのどの攻撃よりも出力のあるそれを受けて、ミノタウルスの纏っていた炎が勢いを衰えさせる。


 全ての水を撃ち尽くした後、魔術師の男は体から力を失って地面に倒れ伏した。


「や、やったか?」


 気力で顔を上げ、怨敵の姿を瞳に映す。


 鈍色に輝く金属の鎧が、月の光を反射していた。


「やった…………っ!」


 傍で見ていた仲間が、喜びを口にする。

 魔術師の男も、口元が緩んでいた。


 勝利した。


 惨劇の元凶を、仲間の仇を討ち果たしたのだ。


「やるじゃないか! 見直したぞ!!」

「だから言ったじゃねぇか、俺は優秀でモテモテなんだってよ」


 軽口を叩きながら、仲間と喜びを分かち合う。


「それよりも、早く起こしてくれ。まだ村に魔物が残っているかもしれないからな、急いで戻るぞ」


 男の言葉に、仲間は再び肩を貸そうと動き出す。

 自分の考えを告げようと、口を開こうとする。


 そして、それが彼の最後の言葉になった。


「いや、村はぼくに任せてくれ。まだ余力がっーーーー」





「ーーーーーーーーは?」



 彼らにとっての不幸の最たるものは、被害者まものが一人ではなかった事だろう。


 先の事件で亡くなったとされた魔術師は二人いる。


 すなわち、それが示すことは…………。



二体目・・・…………だと?」



 眼前で彼を見つめていたのは、仲間ではなかった。


 先ほどまで隣にいた冒険者は、二体目のミノタウルスの足元で地面の染みへと変わり果てていた。

 一瞬のことだった。


 現実を頭が理解することを拒み、思考が停止する。


 自分へと伸ばされた巨大な手を見ながら、彼は力の限り叫んだ。



「ふざっ、ふざけんなああああああああ!!! かえせ!! 俺の仲間を返せよ!! かえせええええええええ!!!!」


 暴れる彼を肩で担ぎ、二体目の魔物はもう一体のミノタウルスの方へと足を進める。


 そして一体目の鎧の胸元を開くと、そこに男を押し込んだ。



「ここから出せ!! てめぇら絶対に許さねぇからな…………っ!! ぶっ殺してやる!!! 絶対に殺してやる!!!」


 ミノタウルスの内側から金属を叩く音が響き、衝撃で巨体が僅かに振動する。


 男の全力の叫び声を無視して、二体目のミノタウルスは自分に宿った炎を一体目へと注ぎ込んだ。




「◼️◼️◼️◼️◼️◼️ーーーーっ!!!」



 炎が強く燃え盛るに連れて、男の叫び声はどんどん弱々しいものへと変化していく。


 熱せられた鉄が身体を炙り、肉体から滲み出た脂が周辺に臭いを撒き散らす。


 閉じ込められた空気の温度が高まり、男の肺を内側から焼いた。


「ーーーーーーーー◼️◼️!!」


 やがて男の声が聞こえなくなると、ミノタウルスは管楽器のような咆哮をあげて立ち上がる。


 全身に炎が巡り、地面に落ちた鉈を拾い上げて掲げた。


 二体のミノタウルスはお互いを見つめて一つ頷くと、どちらからともなく歩み始める。


 燃え盛る村へと、さらなる絶望が訪れた。


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