バステトと勉強会 国家編 後
この世界では、長いこと戦争が起きていない。
それは単に平和だから、現状維持が出来ているからという訳ではない。
共和国が建国される際、獣人の奴隷を集めて革命を起こした時でさえ、血は流されなかった。
この世界では、『絶対』に戦争が起きない。
戦争『できない』のだ。
それは、強力な一つの魔法によるもの。
信じ難いことに、たった一人の人間の力によって、世界は平和を保たれていた。
「黒髪の英雄」の一人にして、「契約王」と呼ばれる一人の偉人によって起こされた奇跡。
『世界契約の法則』。
あるいは、単に『世界契約』と呼ばれているものだ。
「昔、一人の男がいた。その男がいた時代は彼方此方で戦争が起きていて、沢山の悲劇がうまれ、沢山の死者が出た。そして、その時代に人類が犯した過ちは、今も「魔物」という形で僕達に牙を剥いている」
「魔物…………ですか、にゃ?」
「そう。バステトは見た事があるか分からないけど、魔物と呼ばれている存在は、人々を殺す事のみを目的に生存している。それは、魔物という存在が、悲劇から生まれたからだ」
人類の間で戦争は起きていない。
しかし、それでも年に数え切れないほどの人口が、争いによって減り続けている。
一般的に「魔物」、学術的には「魔者」と呼ばれている存在のせいだ。
「人が苦しみ、悲しみ、壮絶な死を迎えた時、その亡骸を元に「魔物」は産まれる。場合によっては、複数の死骸が組み合わさって一体の魔物になる事もある。どんな原理によってその現象が起きるかは分からない。でも、この世界においては、確かにそういう現象が起きるんだ。物が重力によって高いところから低いところへ移動するように、ただ「そう定められた」自然界の法則なんだ」
「人の死骸から…………」
そう、文字通り悲劇が魔物を産み出す。
そうして産み出された魔物は、明らかに自然界の生命体とは異なったルールの中で生きている。
まず、魔物は食事を必要としない。
人間を捕食する傾向にある事は、沢山の被害者によって証明されている。
しかし、それはあくまで人間を殺すための手段の一つであり、栄養を必要としているから行われている訳ではないのだ。
「『ナイルの大飢饉』という災厄があった。まだ人類が戦争をしていた頃、大規模な不作が起きたんだ。明日の食料にすら困るような事態に陥って、それでも戦争は止まらなかった。結果、沢山の人々が餓死した」
「可哀想です、にゃ」
「そう、可哀想だったんだ…………だからこそ、その被害者の死体が全て集まって、魔物の大量発生に繋がった。今も世界中に存在している、『ミカルザハの大群』と呼ばれる昆虫型の魔物は、この時の被害者が魔物になった姿だと史料に残されているよ」
戦争は沢山の悲劇を残す。
人間同士の殺し合いは、個人から社会に至るまで、あらゆる場所にその爪痕を残す。
親しい者の死による悲しみ、食料不足からくる飢餓、疫病による苦痛、奪われた事への憎しみ。
数え上げればキリがないほどに、その影響は計り知れない。
だからこそ、世界中に魔物が産まれ落ちた。
魔物によってさらなる悲劇が起き、新たな魔物が発生し…………人々が気がついた時には、既に手遅れになっていた。
そして、そんな状況に陥ってなお、人間は戦争を止める事が出来なかった。
どの国も、今更止まれないところまで来ていたのだ。
人類は滅亡の危機に陥った。
しかし、そうはならなかった。
たった一人の男によって、戦争が止められたのだ。
人類の歴史の中で最初に現れた「黒髪の英雄」、「契約王」によって。
「彼は契約魔法という力を持っていた。魔法については、知ってるかな?」
「えっと、魔術が確立された技術なら…………魔法は、個人が先天的、あるいは後天的に取得した既存の理屈の通じない力…………でした、にゃ?」
「そう、契約王の持っていた契約魔法は「双方の合意によって、お互いに破る事のできないルールを追加する」魔法だった。彼はそれを、「世界を相手」に行使したんだ。そして、その日から「人類間で戦争をしてはいけない」という規則が、この世界にうまれたんだ」
「すごいです、にゃ」
「これを一般的に「世界契約」というんだ。これは人類史上最大の功績と言われているよ」
一人の力によって、終わりの見えなかった戦争に終止符が打たれた。
にわかには信じ難い事だが、事実、それ以降の歴史で戦争が起きたという記述は存在しない。
戦争が終わった後、生き残った人々は手を取り合い、魔物に対して抗戦を始めた。
その時点で、本来なら勝てる戦いではなくなっていた。
死人が増えるごとに魔物が増える。
それは、人類の総数が魔物の種であるという事。
鼠算式的に増える魔物に対して、疲弊した人類に勝ち目はなかった。
しかし、契約王と同じような突出した「個人」が現れるようになった。
それも一人や二人ではなく、百人単位でだ。
「この人々は、世界契約が原因で発生した可能性が高いと言われているよ」
その一言を前置きにして、ラムセスは解説を続ける。
「世界契約は未だにその全貌が明らかになっていない、あまりにも大規模な魔法だった。この契約王が歴史に名を刻んで以降起きた不思議な出来事は、ほとんど全て世界契約によるものだと言われているんだ」
「えっと、契約王が戦争をとめて、世界契約が…………えっと?」
「一気に色々言い過ぎちゃったかな? もう少しで話が終わるから、ちょっと我慢してね」
「あぅ…………分かりました、にゃ」
「この契約王を慕って集まった人々によって出来たのが、この『聖教国』だよ。彼の人類を救った理念を尊重し、あらゆる人々の救済を目的とし、残った国々の、国交復縁の架け橋になったんだ」
「そうだったんです、にゃ…………」
「だから、どの国も聖教国には顔が上がらないんだ。初代聖王である契約王の功績は誰もが認めるところだし、今もその崇高な理念は保たれている。魔物の討伐…………彼らにして言えば『救済』らしいけど、それに対しても積極的に取り組んでいるからね」
「凄いです、にゃ」
ラムセスは目の前に広げた地図を指差しながら、話を続ける。
「見て。王国、帝国、共和国の首都を繋げると、逆三角形の形になる。そして、その三角形のほぼ中心点にあるのが、聖教国の首都…………『聖都・クロガネ』だよ」
「クロガネです、にゃ?」
「なんでも、契約王の名字らしい。パクト・クロガネ…………それが契約王の名前だよ」
「ほえぇー」
「だからクロガネって名字は多いよ。特に聖教国の一般人は、半分くらい姓がクロガネらしい」
「慕われているんです、にゃ」
「うん…………だから、僕もいつかそんなファラオに…………」
ラムセスのその呟きを、バステトは確かに聞き取った。
隣に座るラムセスの顔を、バステトは覗き込む。
普段の自信たっぷりな様子からは想像できないほどに、思い悩んだ、ともすれば苦しんでいるような表情をしていた。
バステトにとって、それは衝撃だった。
ラムセスはなんでも出来て、間違える事はなくて…………きっと、悩むこともない、そう思っていたのだ。
しかしラムセスの今の姿を見て、その考えを改めた。
この優秀な主君でも、悩むことがあるのだ。
だから、バステトは躊躇いもなく言った。
「ラムセスさまなら出来ます!」
「えっ?」
「ラムセスさまなら、大丈夫です。きっと、契約王にも負けないくらい、偉大な人として、沢山の人々に認めてもらえます! だって……」
「…………だって?」
「わたしが、バステトが、それを知っています。ラムセスさまは優しくて、強くて、賢くて…………素敵な男の人なんですから! にゃ!」
「…………うん、ありがとう。期待を裏切らないように、頑張るよ」
その時のバステトの顔を、ラムセスは一生忘れないだろう。
バステトは、今まで見た中で一番綺麗で、素敵で、自信のある笑顔を浮かべていた。
それはラムセスの事を少しも疑っていない、信頼に裏打ちされた表情だった。
思えば、この時初めて、ラムセスは本当の自信を得たのかもしれない。
自分のやっている事は正しいのだと、無駄な事なんかじゃないんだと。
この世界は、ラムセスが想像していた以上に悲惨で、そして予想を超えた偉人たちに溢れていた。
そんな英雄達の話を見聞きするたびに感じていたのだ。
その差を、自分の無力さを。
だから、いつも不安に思っていたのだ。
自分は、彼らのように振る舞うことができるのかと。
何かを成し遂げることができるのかと。
だから、バステトの言葉を受けて、ラムセスは心から決意したのだ。
理想のファラオになると。
期待通り、いや、それ以上の何かをやり遂げると。
論理的でなければ、根拠もない励ましだった。
それでも、誠の心から産まれた言葉だった。
それはラムセスにとって、どんな金銀財宝よりも価値のある、宝になったのだ。
今回のファラオ's キーワード
「契約王」
この世界の偉大なるファラオの一人。
と、いうのはラムセス視点での話。
「世界契約」によって戦争を終わらせ、人類を救った。
聖教国の初代聖王にして、聖人教によって「大聖」として認められた聖人。
ファラオを目指すラムセスにとって、越えるべき偉人の一人。