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間違っている、間違っていない


「そんなの絶対におかしいわ!!」

「どうして兄様がいかなきゃいけないの!?」


「ごめんね。でも…………それが貴族の役目だから」


「だからって…………また兄様が危険な目にあう必要はないじゃない!!」

「僕たち、お父様に抗議してきます!!」


 血相を変えて言い募る双子を、ラムセスは困ったような表情で諌める。


 レムリットとラムセスの対話から一晩明け、ラムセスが「大遠征」に赴くという話は屋敷全体に伝わっていた。


 その余りにもあんまりな話を聞いて、双子は珍しく実の父親と兄の決断に本気で抵抗していた。


「僕は大丈夫だよ…………多分、後方で怪我人の治療をする役割を回されると思うし…………そこまで危険な場所に配置されないから」


「兄様は王都での事件を忘れたのですか!? 王城ですら安全ではなかったというのに、魔物が沢山いるところを回るなんて!!」

「昨日の魔物討伐だってそうですよ! どれだけ心配したと思ってるんですか! あの事件の時だってそうだ! 魔人と戦ったと聞いて、僕たちがどんな気持ちで兄様の帰りを待ったことか…………」


「…………それは、うん。ごめんね」


「無事に帰ってくるって約束したのに!!」

「早く帰ってくるって約束したのに!!」


 目尻に涙を浮かべ、二人はラムセスの服を掴んで最大限の抗議を行う。


 ラムセスの中でいくつもの言い訳が浮かび上がっては、泡沫のように消えていく。


 黙ったままのラムセスに、二人は更に言葉をぶつける。


「兄様は…………兄様は、すごい人です…………でも、まだ私たちより一つ年上なだけなのに…………」

「僕たちはまだ子供なのに、どうして兄様だけそんな…………危険に自分から飛び込んでいくような事をするんですか!!」


 周りに気を使う事なく叫び続ける二人を、誰も止めることはなかった。


 バステトも、屋敷の使用人も、二人の付き人でさえ。


 当主の決めた事とはいえ、この決定に納得がいっていないのだ。


「今度は…………いつ帰ってこれるかも分からないらしいじゃないですか! わ、私を…………私たちを置いて…………そんな…………酷いです…………」

「一緒に遊んでくれるって約束したじゃないですか…………魔術だって教えてくれるって…………毎晩絵本を読んでくれるって…………」


「それは…………」


 王都から帰還したラムセスを一番心配していたのは、間違いなくこの二人だった。


 傷ついたホルスを伴って帰ってきたラムセスへ抱きつき、涙を流し。


 寝たきりになったホルスを見て恐怖し、兄がそうならなかった事に安堵して。


 そんな自分達の気持ちに嫌悪感を抱いて、項垂れて。


 不安を押し殺すために空いた時間は兄に付き添い、「兄に甘えすぎない」と誓った事さえ破り捨てて。


 自分達の羞恥心よりも、兄が離れてしまう事を恐れる心を優先してまで。


 ラムセスが二度と屋敷を離れないように、自分達という鎖で縛り付けようとした。


 それは偏に、兄を失いたくないから。

 自分達の居ないところで、傷ついてほしくないから。


 そのために、沢山約束をしたというのにーーーー。



「兄様…………お願いです、私たちを置いていかないでください…………お願い…………」

「ちゃんといい子にするから…………兄様の言う事だったらなんでも聞くし、勉強も訓練も頑張るから…………」



 双子にとっては、兄こそが世界の全てといっても過言ではなかった。


 父よりも、母よりも。


 この世の誰よりも、ラムセスという存在に執着していた。


 王都が魔人達の襲撃を受けたと知った時、二人は胸のうちから湧き出る喪失感に精神を蝕まれ、ラムセスが無事に帰ってくるまでお互いの体を抱きしめながら眠りについていた。


 それほどの恐怖心は半年以上経った今でも引き継がれていて、毎日二人はラムセスと寝床を共にしている。


 子供の我儘だとしても、自分本位な要求だとしても。


 それを分かっていても、二人は自分を止めることが出来なかった。


 流す涙を拭うこともせず、懇願するようにラムセスの瞳を見つめる。


 ラムセスは目を逸らす事が出来なかった。



「にいさま…………」

「おねがい…………」



 百の言葉を考えても、千の慰めを思いついても、その口から出たのはただ一言の謝罪だけだった。



「…………ごめん」



 そして、変化は劇的だった。



「ーーーーそんな…………」

「ーーーーうそだ…………」



 沢山の涙でぐちゃぐちゃになった顔を、更に歪ませる。

 それは今までラムセスが見たことのない、二人の初めての表情だった。


 「絶望あきらめ」という、紛れもなく負に属する感情が二人の心を包み込んでいた。


 握りしめていたラムセス服から手を離し、蹌踉めくようにその場から後ずさる。


 瞳は揺れ、震える体はあてもなく彷徨う。


 その尋常ではない様子の二人へと、ラムセスは慌てて手を伸ばそうとしてーーーー。



 パシンっ、と。


 強い音を立てて、その手は弾かれた。


 アトムが驚いたように自分の手を見つめ、アンナが両手を口に当てて目を見開く。


「ち、ちがっ…………こ、これは…………そうじゃないんです…………ちがう、ちがうちがうちがうっ!」


「落ち着いて、大丈夫…………ごめんね、大丈夫だから」


 兄の手を叩いた事に動揺し、アトムは慌てて言葉を重ねる。

 そのどれもが意味のない否定にしかならず、狼狽して更に一歩後ろへと下がる。


 ラムセスが一歩踏み出し落ち着かせようとするも、アトムもそれに連動するようにまた一歩後ろへと。



「ぼ、僕は…………ただ、兄様に……兄様がいなくならないで…………ぼ、ぼく…………ぼくは」

「あ、アトム…………落ち着いて!」


 倒れそうなほどショックを受けたのか、アトムがその場で尻餅をつき、アンナがそれを支える。


 譫言のような言葉が途切れ、アトムが自分の手とラムセスを交互に見つめる。


 その間も涙は頬を伝い、顎から地面へと垂れ落ちる。


 やがてアトムは瞳に力を込めると、ラムセスを強く睨みつけた。


 立ち上がると共に口を開き、可能な限り大きな声で叫ぶ。



「…………僕は!! 間違ってない・・・・・・!!」



 言い切るよりも早く身を翻し、駆け足でその場から立ち去っていくアトムの後ろ姿を、ラムセスはただ呆然と見つめることしか出来なかった。


 アンナはラムセスから視線を移し、アトムの走っていった先を見つめる。

 そして、何も言わずにアトムを追いかけていった。



 父親のため、母親のため。

 心でそう言い訳を重ねながら、ラムセスは自分に問いかけていた。


 自分は、間違っているのかと。


 痛ましいものを見つめるような使用人達の視線にすら、彼は気がつく事はなかった。


「ラムセスさま…………」


 そんなラムセスにバステトはただ寄り添い、背中を撫でた。

 兄妹の仲違いを目の当たりにして、彼女は心の底から祈っていた。


 彼らの仲が少しでも早く、元通りになる事を。




 その日の夜、双子がラムセスの部屋を訪れる事はなかった。



◆ ◆ ◆



「うぅ…………ひぐっ、ぇぅ…………」


 静かな寝室の中に、子供の泣き声が響く。

 暑い夜にも関わらず布団を頭からかぶっているため、その姿は伺う事は出来ない。


 布一枚で隔たれた場所で、アトムは声を押し殺して涙を流していた。


 アンナはそんな弟を正面から抱きしめ、背中を撫でて落ち着かせようとしている。


 そこに、彼らの愛する兄はいない。


 二人はラムセスが王都から帰還して以来初めて、兄との同衾を拒んでいた。


 咄嗟のこととはいえ兄に暴力を振るったという事実が、アトムの心を追い詰める。



「ぼ、ぼく…………ひっ……きらわれた…………ぜったいにきらわれちゃったよ…………」


「そんな事ないわよ。兄様がアトムを嫌いになるなんて」


「だ、だって……あんなかお……させたいわけじゃなかったのに…………ほんとうなんだ…………ほんとうに……そんなつもりじゃ……」


「大丈夫。私だってちゃんと分かってるんだから…………兄様が分からない筈ないわ」


「ぼくは…………ただ、いっしょにいてほしくて…………それで…………」


「私も同じ気持ちよ、分かってる」


 アンナは泣き続けるアトムを前にして、逆に落ち着きを取り戻していた。

 

 髪の長さ以外はまるで生き写しの弟が泣く姿は、自分のことのように悲しく痛ましい。


 好意を寄せている兄の事も、共に生きてきた弟の事も、アンナは心から大切に思っていた。


 だからこそ、感じてしまう。


 自分達が、どれだけ無力な存在であるかを。


 兄であるラムセスは、はっきりいって異常だった。


 一つ上とは思えない精神の成熟度と、それに比例するように高い才能。

 今の二人の全てを合わせても、全く届くとは思えないほどの圧倒的な「差」。


 それは遥かに高い壁となって、兄と自分達の間に立ち塞がっている。


 それを認めたくなくて、二人は必死に兄の心を繋ぎとめようと行動してきた。


 二人から見たラムセスは、それこそ万能という言葉が人の形を取っているようなものだった。


 一人でなんでも出来る。


 一人でも戦うことが出来る。


 一人でも、生きていくことが出来る。



 二人は、心の底からラムセスを慕っている。


 まるで産まれる前から・・・・・・「そう在れ」と定められた・・・・・かのように、二人にはラムセスが必要だった。


 一人の人間が思考するかのように、二人はそれぞれが全く同じ感覚・・・・・・でその事を心から理解している。


 それは空っぽな心を埋めるための、たった一つの「ねがい」だった。


 兄を通して見る世界こそが、二人の中に唯一残る景色なのだ。


 そして、二人とも痛いほど理解しているのだ。



 自分達が生きるため・・・・・・・・・には兄が必要・・・・だが、兄が生きるため・・・・・・・には自分達は必要ない・・・・・・・・という事を。



「…………ねぇ、アトム。兄様のこと……嫌いになった?」


「そ、そんなわけがない! 僕は兄様を愛している・・・・・んだ」



 それは、お互い口にするまでもない事実だった。

 だが、口にして確かめる必要のある事だった。



「じゃあ…………大丈夫よ。私たちだけが…………兄様を、本当の意味で理解してあげられるの。だから…………私たちの気持ちも理解してもらえるように……ちゃんと、言葉にして兄様に伝えないと」


「…………でも、僕は兄様の手を…………」


「一緒に謝りに行きましょう? きっと、許してくれるわ」


「でも…………」



大丈夫・・・



 弟の涙を指で拭い、アンナは穏やかに微笑んだ。


「だって…………私たちのーーですもの」


 アンナの口にした言葉を聞いて、アトムは一瞬だけきょとんと顔に疑問を浮かべる。


 しかしすぐにその意味を理解したのか、彼も僅かな驚きを混ぜた笑顔を見せる。



「そうだね…………兄様は、僕たちのーーだったね」


 二人の小さな笑い声が、部屋の中に木霊する。



 それを切り裂くように、部屋の扉を叩く音が二人の元に届いた。

 思わず顔を見合わせる双子の耳に、聞き慣れた男の声が届く。



「二人とも…………その、ごめん。まだ、起きてる……かな?」



「にいさま…………?」


 布団から跳ね起き、二人して扉の奥へと意識を集中させる。


 困惑と期待をない交ぜにした感情を抱えながら、口を開く。


「ど、どうぞ…………」

「は、入っても…………いいよ」


 取っ手が回される音が鳴り、扉が開かれる。


 その先にいたのはやはりというべきか、ラムセスだった。


 片手に絵本を持ち、心落ち着かぬといった様子で二人に視線を送っている。

 ラムセスはバツが悪そうな顔を浮かべながら、言葉を探して口を開閉する。


 そして、二人に向けて言葉を投げかけた。



「その…………そっちに行っても、いいかな?」




「もちろんです! ね、アトム?」

「うん…………いい、よ?」


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